生まれて初めて体験する雪中行は、白さよりも暗さが印象的だった。
時刻は日中のはずだが、頭上の雲は厚く、太陽の光をほとんど遮っている。まるで夜のような暗闇の中、横殴りの吹雪が延々と続いていて、視程を極端に狭めていた。
当然ながら、機体のカメラには暗視と粒子補正が掛けられていて、吹雪の影響を可能な限り取り除くように映像を処理している。それでもコックピットのモニタに映る風景にはノイズが多く、距離が離れるほど情報を捕捉する精度も甘いものとなっていた。
外気温は零下30℃。生身の人間にとっては苦しい環境だが、それでも宇宙よりはマシな範囲。温度調整は正常に機能していて、コックピット内は適温に保たれている。
「気が滅入りますわね」通信からミトの声。
「そうか?」と九十九の反応は素っ気ない。
「こうも変わり映えのない景色が続くと、さすがに憂鬱になりませんこと?」
「年単位でなにも見つからないのが宇宙探査の常だぜ? この程度で音を上げる
「
お嬢さまの憮然とした声にチャンピオンがくつくつと喉を鳴らして笑う。
アケソラの位置はイブキの左。こちらとほぼ等速で吹雪の中を飛行している。くぐもった厚い雲の下、特徴的な真紅のカラーリングが鈍く見えていた。
「でも、本当になにもない」
クァニャンが囁くような声量で呟く。
「昔はこの辺りにもずっと畑が広がっていたんだよね?」
「ええ。気候の安定した土地でしたから、農業と酪農が盛んだったという話ですわ。過去の資料を見るに、畑や牧場、それから針葉樹の林が大きな面積を占めていたようですわね」
「それも全部、雪の下……」
「そういう意味でも、やはり気が滅入りますわ」
ウーサ人の2人から感傷的な吐息が零れる。それぞれ北部の惨状に思うところがあるようだ。
その一方で、僕の感情は特に動くことがなかった。九十九もたぶんそうだろう。もともと自分たちとは関わりのない土地で、思い入れもなにもないのだから、それも当然である。
……しいて言うなら、『緑に溢れた土地』という
「なにもないといえば、未だに
「ケイナイン、今はどのあたり?」
「当時の地図から地形が変わっていないなら、あと数分で国境の山脈に到達する位置だね」
マハナ中佐が用意した北部地域が吹雪に閉ざされる前の地図は、データとしてイブキに取り込んである。それを機体の
一応、
通信もやや不安定だが、イブキとアカツキの近距離通信に加えて、吹雪の外の指揮本部にも今のところはネットワークが繋がっていた。
電波通信に併用して、クァニャンとミトが魔法の通信を行っているからだ。片方の通信が一時的に途絶えても、その間はもう片方の通信が補完を行うような運用形態が組まれている。
通信の向こうで作戦指揮を担当しているのは三船隊長とマハナ中佐の二人だが、安藤やユミツの技術者も通信システムの調整のためにその場で忙しく働いているはずである。
「どうする? 宇宙からの気象観測だと吹雪は山脈の向こうにまで続いているみたいだけど、国境を越えても探索を継続するのかな」
「予定ではそうなっていましたわね」とミトはさらりと言う。
「どうせ災獣の縄張り。国境を越えても向こうの国は気づかない」クァニャンも頷いた。無許可の越境に躊躇はないようだ。ユミツ軍人の2人が気にしていないのなら、当然、僕も異論を唱えるつもりはない、と思ったそのときだった。
「――いや、その必要はないな」
通信から九十九の低い声。
次の瞬間、雪原が伸び上がるように縦に爆ぜた。
舞い上がった雪煙と降りしきる吹雪とが激しく混じり合う。
カメラの補正が間に合わないほどのホワイトアウト。
その奥に刹那、敵意に満ちた赤い眼光。
「おいでなすった!」
アケソラが弾かれたように左に軌道をずらす。
ほぼ同時に、僕はイブキのサイドスラスタを噴かした。
強烈な横方向への加速度を伴って、機体が大きく右に跳ぶ。
瞬間的に左右に分かれたステラ・コネクタの間に、間髪置かず巨腕が振り下ろされた。
横殴りの吹雪を引き裂いて、巨大な槌の如く獣の腕が大地に叩きつけられる。
くぐもった轟音とともに再び雪煙が舞い上がり、正体不明の攻撃者にまとわりつく。
それは、巨大な白い獣だった。
体高およそ30m。ステラ・コネクタの2倍近い体躯である。
足と腕は2本ずつ。積雪を踏みしめて直立している。やや猫背の姿勢で、どことなくのっそりとした印象。左右の腕は地面に届きそうなほど長く、硬質化した瘤のような
吹雪の中に垣間見えた異形の頭部は、爬虫類のそれと似た形状だった。まるで機械のように無機質な真紅の眼球がこちらを睥睨している。
体毛の類は見当たらず、つるりとした外見である。生理的な悪寒を覚える見た目だった。
特徴的な頭部とあわせて、アルビノのトカゲが二足歩行に進化したというイメージが近いかもしれない。一方で、発達した腕部をだらりと下げた姿は、ゴリラのような類人猿に通ずるところもあった。
「
クァニャンが威嚇するような声で唸る。
奇襲を回避したアケソラがカタナを抜き放った。
イブキがライフルを構え、僕の指がトリガーに掛かる。
「京奈院、
言われずとも。
コックピットのモニタには光学観測以外の情報も映っている。
吹雪の奥には災獣の巨大なシルエット。周囲の環境よりもそれが高温であることが観測できる。つまり、熱量を発生させるなんらかの代謝があるということだ。
海中に沈んだ東の
現時点でわかっているのは、機械のような非生物ではなく代謝機能を持つ生命体であることと、膨大な生体魔力を保有するための大型器官を保有していることくらい。
あの巨大な身体で生命活動を維持するためのエネルギィをどこから摂取しているのかといった疑問や、人間にしか使用できないはずの魔法をどうやって使っているのかといった謎には、明確な答えが出ていない状況である。
というか、そもそも回収された2体の災獣の生体構造に差異がありすぎるため、本当にこれらを同一の生物種として扱ってよいのかという点さえ議論が紛糾しているのだとか……。
まぁ、現場のパイロットとしては、生物学的な取り扱いなんてどうでもいいので、どうにかして
「見えてるな? 仕掛けるぞ」
九十九の冷静な声が通信から届く。
返事を待つ間もなく、アケソラのスラスタが輝きを増した。
吶喊。急加速する赤い機体。抜き放ったカタナを横に構えている。
その機動を視界に収めながら、僕は
それをレティクルの中心に収めて、気づく。
「なんだ……?」
無意識に呟きが漏れた。
低温の揺らぎ。位置は災獣の斜め後方。雪原を這うような形状の温度遷移。
粘性の動きだった。アメーバを連想する。サイズは数十m。それが蠢いている。
光学カメラでは観測できていない。積もった雪と同化している? それとも吹雪の影響か。
雪原に薄く広がっていた『なにか』が一か所に集まろうとしている。観測された僅かな温度変化がそれを伝えている。
背筋を這う悪寒があった。
一瞬の逡巡。
コンマ秒の後、
トリガーを引いた。銃口が跳ねる。放たれた
それとほぼ同時に、アケソラが災獣の間合いに踏み込んだ。スラスタによる爆発的な加速。高度は白い怪物の頭部に等しい。構えたカタナが銀色に輝いている。
災獣の長い腕がそれを迎撃しようと振り上げられたが、それよりもアケソラが速い。横薙ぎの一閃が、ぺたりと湿った剥き身の首を刈り取らんと迫る。
その刃が届く寸前、雪原に白い光が迸った。
光の発生源は災獣の後方、正体不明の『なにか』だった。
イブキの放った弾丸が着弾する直前のことである。
灼けるような発光にやや遅れて、空気を引き裂くような重い音が轟く。
同時に、アケソラが大きく後方に弾き飛ばされた。
まるで不可視の拳で殴り飛ばされたかのよう。
真紅の機体が振り抜いたカタナが空を切る。
「ツクモ!」通信からミトの叫び声。
「問題ない……ッ」歯を食いしばるような九十九の声がそれに応える。
空中でふらついたアケソラを狙って、災獣の瘤のような拳が振り上げられる。
吹雪を割って突き上げられたアッパー。
風圧に赤い機体がよろめく。が、九十九は即座に体勢を立て直した。さすがに対応が速い。
「おい、京奈院!」
「わかってます!」
「ならいい! こっちはこっちでなんとかする!」
アケソラが素早く軌道を変える。災獣の胸部まで高度を下げて、敵の身体を
「さっきのって……」
イブキのコックピットでクァニャンが表情を険しくする。
彼女の声を耳にしつつ、僕はイブキを大きく旋回させた。白く巨大な災獣を迂回して、その後方に観測されている『なにか』に相対する。
ついさっきの射撃で撃ち込んだ弾丸は、アメーバ状の『なにか』を貫通して深い積雪に突き刺さっていた。ダメージがあったようにはみえない。撃ち抜かれた『なにか』は何事もなかったかのように今も一点に集まりつつある。
「写真は撮れてるな」
イブキに再度ライフルを構えさせながら、モニタに先ほどの閃光を捉えた画像を表示させた。
映っていたのは、稲妻である。吹雪の影響を補正したカメラが捉えたのは、『なにか』から撃ち出された白雷がアケソラに向かって穂先を伸ばしていく瞬間だった。
僕もクァニャンも、その稲妻に見覚えがあった。
微かな温度変化を雪原に残しながら凝集した不可視のアメーバは、やがてひとつの形を成した。
粘ついた半固形の塊が蛇のように鎌首をもたげ、すくりとそのまま垂直に伸びる。ぽたぽたと粘液を滴らせた胴体を支える底部が、やがて二股に分かれて脚になった。
可塑性のねばついた塊が硬化して、固体としての安定した性状となる。固まりかけた粘土をべろりと剝がすかのように、肩部から2本の腕が枝分かれした。すらりとした腕部の先端には、5本に分かれた指が形成させている。
それは人間の輪郭だった。頭頂部までおよそ15m。巨人の立ち姿である。
透明で不可視のアメーバは、今や夜のように黒く染まっていた。柔らかく粘ついた性質は消えてなくなり、新たに強固で硬質な外見を呈している。
形成されたスマートな手足には、エッジの効いた装甲板らしきものが備えられていた。まるでサムライの甲冑だ。肩部を覆うオオソデのような部位がますますその印象を強くしている。
そして、その頭部。
カタツムリの触覚のように額から突き出た突起が、硬化して鋭い2本の角と化す。
鬼の角だ。黒塗りの相貌もいつの間にか見覚えのあるものに変化している。
「2Pカラーかよ……」
そう呟かずにはいられなかった。
白い雪原に立つ黒い巨人は、あきらかにアケソラと同じ形状をしていた。
イブキの観測システムが弾き出した外観の一致率はほぼ100%。
さきほどの稲妻と併せて、他人の空似で片づけられる話ではない。
「クァニャン、アレをどう見る?」
そう言いながら、僕は
重い銃声とともに放たれた銃弾は、しかし、ソレに届く前に撃ち落とされた。
再び迸った稲妻が、空気の割れるけたたましい音とともに、弾丸を真正面から打ち据えたのだ。
轟音の後の静寂。空気の焦げる気配。瞬間的に解け落ちた吹雪。
やはり間違いない。
アレは『雷撃』の魔法を使っている。
「災獣、だよね」
「僕も同意見。だけど、同じ縄張りに2体の災獣がいるものなのかな?」
「私は聞いたことがない。でも、今まで確認されていなかっただけなのかも」
「災獣同士で敵対しているようには見えないね。共生関係にあるのかな……」
スラスタを噴かしながら続けざまに銃弾を放つ。
射撃戦の距離である。発射から着弾まで1秒とないはずだが、
「それで、あの姿はどんな魔法を使ってるのだと思う?」
「……たぶん、『模倣』の魔法」
「災獣がアケソラの真似をしてるってこと?」
「うん。アレが『雷撃』を使っているのも、それなら説明できる。……と、思ったけど……」
眉間に皺を寄せたクァニャンがそこで言い淀んだ。
おそらく彼女も僕と同じ疑問を抱いている。黒い災獣の姿は明らかにアケソラと似通っている。そのことから『模倣』という単語ないし魔法を連想するのは自然なことだろう。
問題なのは、この北の地において、アケソラはまだ『
「念のために聞くけど、『模倣』の魔法を成立させる条件は?」
「私もそこまで詳しくはないけれど、少なくとも相手のことをきちんと観察する必要があるはず」
「だとしたら、どこでアケソラが『雷撃』を使うところを見たのか、ってことになるけど……」
考えられる可能性はそう多くない。
九十九とミトが基地で魔法の実験を行ったときか、南の災獣と交戦したときのどちらかだ。それ以外のタイミングでアケソラが『雷撃』を使用した記録は残っていない。
前者の実験では、安全面を考慮して使用する魔法の出力は極力抑えられることになっていたはずだ。実験のレポートには僕も目を通しているから、それは間違いない。
となると、実戦級の威力でアケソラが『雷撃』を使用したのは、災獣・
あの黒い災獣が『模倣』の魔法を使っているというなら、コピィ元となっているのは、あの戦場におけるアケソラの姿ということになる。
しかしだとしたら、あの黒い災獣はどうやってその情報を手に入れたというのか。
パッと思いつくパターンは2つ。
1つはあのアメーバ状の災獣が南部地域の戦場で直接こちらを観察していたというものである。
だが、あの災獣がいかに半透明で目立たない身体を持っていたとしても、この北部地域から南部の森林地帯まで、ユミツ国を誰にも見つからずに縦断するなんてことが果たして可能だろうか?
アケソラを『模倣』する前のアメーバのような姿でも、災獣の体積そのものはかなり大きなものだった。もし本当に巨大な粘液の怪物がユミツ国を縦断したというのなら、その目撃情報が一切上がってこないというのは考えずらい。
となれば、有力になるのはもう1つのパターン。
災獣たちが遠隔地と情報のやり取りをすることができるネットワークを構築している、という可能性だ。
「……どっちにしても、釈然としないけど」
あり得ない話ではない。むしろ可能性は高いと思う。
災獣が惑星ウーサに現れたのは30年前のこと。突如として現れた怪物たちは、この惑星の様々な地域へとほぼ同時に降下してきたのだという。特定の降下地点に集中して出現したのではなく、最初から世界中に散らばるように考えて、彼らは宇宙からやって来たのだ。
明らかに計算された行動である。
思考能力を持たない生命体ではこうはならない。たとえ彼らが大気圏突入に耐えられる強靭な肉体を持つ生物種だとしても、なにも考えずに惑星に降下してきたのなら、もっとバラバラのタイミングになっただろうし、縄張りが近接するような場所に降着する個体が現れたはずだ。
災獣たちが(少なくとも宇宙から惑星に下りてくるまでの間は)互いに連携を取っていたことはまず間違いない。それはすなわち、彼らの個体間になんらかの情報伝達手段が存在している可能性が示唆されているということだ。
そのネットワークが今も地上で有効に機能している可能性は、決して低くないだろう。
そう考えれば、ひとまず理屈は付く。
……付くのだが、やっぱり釈然としない。
「なんでアケソラ?」
「え?」
零れた僕の呟きに、クァニャンがきょとんと疑問符を浮かべた。
「何の話?」と視線を災獣に固定したまま困惑気味に問い返してくる。
「『模倣』の候補はアケソラだけじゃないよね、って話。ほら、
さらに言えば、東と西の災獣を討ったのも僕たちのイブキだ。災獣たちが独自のネットワークで常に情報交換を行っているのだとしたら、その事実もあの黒い災獣に伝わっているはずである。
つまり、アケソラだけでなくイブキも『模倣』の候補に含まれていておかしくはないわけで。もしそうだとしたら、なぜあの災獣はアケソラを『模倣』の対象として選んだのか。
「シンプルに考えてさ、災獣は何を基準に『模倣』する相手を決めていると思う?」
口を動かしている間も
放たれた弾丸はすでに数十発。しかし、アケソラを模した災獣に届いた弾丸は一発もない。
暗い空の下、吹きすさぶ吹雪を『雷撃』の閃光が照らすたび、黒焦げにされた150mmの物理弾が雪原に叩き落されている。
「物凄く単純な考えだけど……」
クァニャンがぎこちなく言った。
「一番強そうに思えた相手を『模倣』するんじゃないかな」
「……まぁ、そういうことなんだろうね」
あの黒い災獣はイブキよりもアケソラが強いと認識している。
だから、イブキではなくアケソラを選んで『模倣』をしているわけだ。
意識せず、口の端が歪に持ち上がった。
そうかそうか。けっこうけっこう。まぁ、そう考えるのもわかるよ。なにせチャンピオンのアケソラだからな。そりゃあ災獣の目にも強そうに映るだろうし、事実、あの人たちが出鱈目に強いのは確かなことさ。
だけど、その選択が正解だとは限らない。
僕とクァニャンのイブキが、九十九とミトのアケソラに負けるとは決まっていないのだから。
「『模倣』とやらでどこまで本物に迫れるのかはわからないけれど……、アケソラの真似をしたからって、『最強』になれると思ったら大間違いだ」
背後で轟音が響いた。鮮やかな白い閃光が雲を染める。
黒い災獣による『模倣』ではなく、オリジナルのアケソラが白い災獣に放った『雷撃』だった。
僕たちが黒い災獣の注意を引くことに成功したと判断したのだろう。九十九たちも再び白い災獣に攻撃を開始したようだ。カメラを向ける余裕はないが、イブキの観測システムが縦横無尽に飛翔し始めたアケソラの信号を捉えている。
最後にもう一度トリガーを引き、銃弾が災獣の『雷撃』に弾かれるのを見届けながら、僕は
視線の先で、アケソラを模した黒い災獣がだらりと下げた右腕を胸の前に持ち上げる。いつの間にか災獣の右手には鋭利なカタナが握られていた。
いや、正確にはカタナに似せられた体組織か。よく見ると、独立した武器として指に握られているのではなく、肘から先と一体化するように腕から刃が生えているのがわかる。
その刀身に、白い稲妻が迸る。
魔法の電気を纏ったカタナの切っ先は、
「向こうもやる気」クァニャンが静かに呟く。
「上等」と短く気炎を上げて、僕はフットペダルを踏み込んだ。
スラスタの咆哮。加速する機体。身体が軋む加速度。
前方の黒い災獣を見据えながら、コントロールグリップを強く握り込む。
南部森林の戦闘では出番がなかったけれど、安藤が用意した新武装は今回も持ってきてある。
イブキのマニピュレータが背部にマウントしたソレを掴み取った。