星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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星の息吹と宇宙猫

 大道寺と名乗った男は、一切の痕跡を残していかなかった。

 僕の眼球の履歴に彼の姿は映っておらず、会話の記録(ログ)は煙のように消失してしまっている。一時的に遮断されていたはずのネットワークも、弾かれていたのは僕だけだったようで、三船や安藤はまったく異常を感知していなかった。東部基地の警備に当たっていたユミツ国の軍人たちでさえ、医務室への来訪者には誰一人として気づいていない。

 

 まるで幽霊のようである。

 

 翌日になってから、大道寺という名前でネットワークを検索してみた。当然ながら、ヒットするのは財閥に関する情報ばかりで、特定個人の名字としてはまったく該当するものがない。

 唯一の例外は、700年前の大道寺重蔵に関する記録(アーカイブ)だった。我らがDJ号の創始者ともなると、さすがに過去の情報が大量に保存されている。

 

 そうした古い記事の中には、大道寺重蔵の当時の姿をカメラに収めたものもあった。

 700年を経てなお鮮明なその画像に、昨晩の大道寺の面影がよぎるのは、やはり彼が大道寺重蔵の血縁だからなのだろうか。……そうだとしても、ちょっと似すぎているようにも思えるけれど。

 

 確かめようにも、その後、僕が彼と会うことは一度もなかった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 慣れないことはするものじゃないな、と思いつつ、だけど自分で始めたことだしな、と考える。

 背中に突き刺さる生温かい視線を感じながら、僕は目の前の小さな機械に集中していた。

 

 医務室を退院してしばらく経った頃のことである。

 

 東部基地に設置されたDJ号の乗組員(クルー)のための宿舎。その3階にある僕の部屋だった。

 南向きの窓は全開になっていて、カラッと乾いた涼しい空気が流れ込んできている。ユミツ国の長雨の季節は終わりを告げ、ここ数日は過ごしやすい天候が続いていた。

 

「……もういいかな。それとも、もう少し? うーん……」

 

 すでに起動している眼前の機械を睨みつつ、我ながらひどく頼りない声で唸ってしまう。

 作業用のテーブルに置かれているのはタブレットサイズの薄い機械で、構造的には非常にシンプルなものだった。当然、その使い方くらいはわかっているのだけど、『適切な使い方』となると知識がとても曖昧になってしまう。

 やはり、いきなり実践投入するのは無謀だったか。せめてちょっとくらいは使い方の練習をするべきだったのかも……。

 

「……ねえ、ケイナイン」

「あ、いや、大丈夫。そろそろ良い感じだから。もうちょっとだけ待っててよ」

 

 背後から飛んでくるクァニャンの心配そうな声。彼女はダイニングのテーブルに腰掛けて、僕の作業が終わるのを辛抱強く待ってくれている。

 この日のこの時間、客として招待したのは彼女一人で、室内には僕と彼女の二人きりだった。その絶妙なシチュエーションも、僕の焦燥感を煽っている原因のひとつであることは間違いない。十分な予行演習もせずに彼女を招待したのは僕自身なので、言うまでもなく自業自得ではあるのだけれど。

 

「……うん、これでちゃんと火が通った、かな」

 

 電熱コイルで金属板を加熱する原始的(プリミティブ)な機械の上で、じゅうじゅうと弾けるような音を立てながら、DJ号から輸送された合成食材が焼かれていた。

 肉(らしき塊)から染み出た脂(のような物質)が熱せられたプレートでぷつぷつと跳ねている。香ばしい(と感じられるように調整された)匂いがもうもうと立ち込めて、開放された窓から屋外へと漏れ出していた。

 

 メガネの温度測定機能(サーモセンサ)に焦点を合わせると、ようやく合成肉の内部まで加熱の処理が行き届いたことがわかった。ほっと息を吐いて、プレートの電源を切る。

 数分と掛からない調理時間だったが、それでもけっこう疲労してしまった。生焼けにならないようにしっかりと火を通しつつ、加熱しすぎて焦げないようにする。言葉にすれば簡単だけど、自動調理に慣れ切った初心者(ビギナー)にはなかなかの難題である。

 

 火の通った二切れの合成肉を皿に移して、ダイニングへと移動する。プラスチック製の食器をテーブルに並べて、僕はクァニャンの対面に腰掛けた。

 ……どうにも寂しい食卓だった。火を通した合成肉の他は、パンの入ったバスケットと栄養飲料を注いだコップが置かれているだけである。

 メインとなる合成肉の皿には付け合わせのひとつも載せられてはいなかった。言い訳にもならないが、そこまで気が回らなかったのだ。そういった彩りを添えるような小物は、自動調理用のパッケージであれば勝手に付属してくるものだから完全に準備を失念してしまっていたのである。

 

「……あー、待たせてごめんね、これで全部だから。ちょっと物足りないかもだけど」

「待ってはいないけれど……。どうしたの、これ?」

「いや、ほら、DJ号(フネ)に行ったときに、今度手料理をご馳走するって約束したからさ。せっかくだし自動調理じゃなくて自分で何か作ってみようと思って……。まぁ、その、こんな簡単なものくらいしか準備できなかったけれど……」

 

 自分の言葉なのに、どうにも据わりが悪い。正面の彼女からつい目を逸らしてしまう。

 今更になってどうしてこんなことをしたのかわからなくなってくる。もともとは『僕の普段の食事でいいから』という前提でした約束だったはず。手料理といっても自動調理された既製品しか出せないのだと、クァニャンにもそのとき確認を取ったじゃないか。それだったら素直に、調理済みのメニューをDJ号から送ってもらって、宿舎に備え付けの自動調理機で仕上げればよかっただろうに……。

 

「ケイナイン」

「あ、うん」

「私は嬉しいよ」

「え?」

「冷めないうちに、食べよ?」

 

 気のせいでなければ、クァニャンはすこぶる機嫌が良さそうだった。ちょっとした仕草のひとつひとつがウキウキしているようで、ひとつ結びにした菫色の後ろ髪がぴょこぴょこ跳ねている。

 正直、ちょっと困惑してしまう。僕が提供できたのは、明らかに普段のユミツ軍の食事よりもグレードダウンした食卓だと思うのだけれど……。

 

「ええと、嬉しいっていうのは、何が嬉しかったの?」

「ケイナインが本当に手作りしてくれたこと」

「……でも、たぶん自動調理の方が味も量も良かったと思うよ」

「約束を覚えていてくれて、そのために頑張ってくれたことが嬉しいの」

 

 花の蕾が綻ぶような笑顔だった。

 喉元まで上がってきていた後ろめたい言葉が、その眩しさに滅菌消毒される。

 代わりに漏れたのは、万感の想いが籠った溜め息。

 

「それに、味だって食べてみないとわからないから」と彼女がはにかむ。

「そうだね……。あれこれ言うのは食べてからにしようか」僕はぎこちなく笑みを返した。

 

 それぞれの皿の肉にナイフを入れる。とりあえず、ちゃんと中まで火は通っているようだった。

 ひとまずこれでひと安心。DJ号で生成された合成食材なのだから、人体に害となる成分は含まれていないはずだし、加熱処理が多少足りなくても体調に影響が出ないような調整が施されているとは思うのだが、それでも生焼けというのはイメージが悪いだろう。

 

 焼いた素材をナイフで切るだけでこれである。

 他人に食事を提供するというのは、想像以上に神経を使うものだと、今さらながらに思い知る。

 

「……うーん……」

 

 加熱済みの合成肉を口に運んでみたものの、自分で焼いたそれが美味しいのか美味しくないのか、まるで判断がつかなかった。というか、ほとんど肉に掛かったソースの味と香りしかしない。

 さすがにソースまでは自作していないから、いつも通りの既製品の味なのは間違いないはず。だというのに、それをいつも通りに美味しいと思えないのは、作り手が自分自身であるということに対して抱いてしまうマイナスイメージのせいだろうか。

 

「……うん。美味しいよ」

 

 一方、ナイフで切った合成肉を口に運んだクァニャンは、じっくりと咀嚼してからそう言った。

 翳りのない彼女の表情が、その言葉がお世辞でないことを教えてくれている。

 

「そっか。それなら、良かった」

 

 それだけで胸のつかえが取れたような気がした。

 もう一度、自分の料理を口に運んでみると、今度はさっきより美味しいように感じられる。

 

 僕の味覚は自分の想像以上にチョロい感性を持っているようだった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 そもそも量が少ないこともあって、食事の時間はあっという間に終わってしまった。

 それでも僕とクァニャンは、同じテーブルに腰掛けて、ずっとお喋りを続けていた。食べ終えた食器は既に自動洗浄機の中で、テーブルにはドリンクの入ったコップだけが置かれている。

 

「僕も地上に残ることにしたよ」

 

 コンピュータに管理された明日の天気を話すみたいに、僕は軽い口調でそう言った。

 地上への移住に関しては、(フネ)を生活の本拠とする選択肢も提示はされていたけれど、結局それほど選択に迷うことはなかった。

 退職の手続きも既に所属していた武装企業に提出してある。幸いにも(と言っていいのかはわからないが)上司から引き止められることはなかった。「だいぶ前から、どうせこうなると思ってたよ」というのが、通信越しに聞いた上司からの別れの言葉である。

 

 長年勤めた武装企業を退職したあと、僕の所属は大道寺財閥が新規に立ち上げた移民事業を手掛ける企業に移された。これで僕も惑星ユミツへの入植者として登録されたことになる。

 配属は危機対策課。肩書は主任。主な業務はステラ・コネクタの操縦と、それを用いた現場での作業全般。その中でも特にフォーカスされているのは、危険害獣の排除業務である。

 

 要するに、前職とほとんど同じ仕事内容だった。

 搭乗機にも前の職場からイブキが引き継がれている。転職に合わせて機種転換するという話すら出なかった。どうやら上層部(ウエ)の思惑としては、新しい職場でも僕をイブキに乗せる形で運用したいようだ。

 おそらく単純な戦力というだけでなく、『魔法』の研究も兼ねてということなのだろう。

 

「良かった。……って言って良いのかな?」

「別に左遷ってわけでもないんだし、良いと思うよ」

 

 ホッとした様子で淡く微笑むクァニャンに、僕はコップを傾けながら頷いた。

 

「ケイナインは」ほんの僅かに、彼女は躊躇った。「どうしてユミツに住むって決めたの?」

 

 上目遣いの瞳が見つめていた。その視線を見つめ返しながら、僕はコップを置く。

 彼女の言葉選びが面白かった。

『ユミツに住む』だってさ。『惑星ウーサに移住する』と捉えていた僕よりもずっと具体的だ。ひょっとしたら彼女のほうが地球人の移住についてヴィジョンが明確なのかもしれない。

 

「うーん、九十九さんと同じ答えになっちゃうのには忸怩たる思いがあるんだけど……、今後のパイロットの仕事は、地上での任務がメインになりそうだから、っていうのが一番大きいかな」

 

 移住を決めた最大の決め手は、やはりそれだろう。

 (フネ)に残る選択をしても、おそらくステラ・コネクタに関わる仕事を続けることにはなる。けれど、間違いなく実戦からは遠ざかることになるはずだ。

 本物の生存闘争が地上で行われているとなれば、人間同士の『戦争』はきっと下火になる。(フネ)に残ったステラ・コネクタのパイロットに求められるのは、周辺宙域の探索や資源採掘、それから研究開発の分野での貢献になるに違いない。

 

 それが悪いというわけではなかった。ある意味、純粋にステラ・コネクタというマシンと向き合うことができる環境といえるかもしれない。実戦から離れるからこそ、現行機の改良や新型機の開発に携わることもあるだろう。そちらの方が向いているというパイロットもきっといるはずだ。

 

 けれど、僕はそうではなかった。

 戦場から遠ざかる自分というものを想像できなかった。

 

 結局、僕はそういう人間なのだろう。

 戦うことを人生にできるタイプなのだ。

 他人の命を奪うことも自分の命を賭けることも、日常として受け入れることができる。

 そういう教育を受けてきたし、そうではない価値観があると知ってもなお、パイロットとして最後まで戦場に身を置く人生を肯定することができる。それが僕、京奈院という人間だ。

 

「うん。わかるな、それ」

 

 まとまりのない言葉でつらつらと語った僕に対して、クァニャンは表情を変えずに頷いた。優しく頬が緩んでいて、視線はなにか微笑ましいものを見るかのようだった。

 

 思えばクァニャンと出会ったのも戦場でのことだった。

 それ以来、ごく短い期間に彼女とはいくつもの戦場を共にしている。イブキに乗って戦ったこともあれば、生身や作業用機械で危険地帯を駆け抜けたこともあった。

 

 思い返してみるとけっこうな過密スケジュールだ。クァニャンの視点から見ても、僕が『そういう人間』だと判定する材料は十分に揃っているわけである。

 まぁ、嬉々として戦場に乗り込むばかりではなく、思わぬトラブルが向こうから殴りかかってくることもあったのだけれど、それに対してすぐさま殴り返しているのを見られているわけだから、武力を振るうことに忌避感のない人間だと思われていても当然だろう。

 

「でも、だからといって戦場の外に楽しみを見つけられないわけじゃないでしょう?」

「そりゃまあね。いくら僕が根っからの戦闘屋だからって、朝から晩まで毎日戦場に立ち続けているわけじゃないんだから。機体を降りたときの趣味くらいはもちろん持ってるよ」

「地球時代の小説、だったよね」

「そうだけど、よく覚えてるね」

「あなたのことだもの。忘れないよ」

 

 真っ正面から瞳を見据えられて言われた言葉に、咄嗟に返事が浮かばなかった。

 

「ケイナインのことだから。忘れないよ」

 

 聞き間違いではないと念を押すように、彼女の柔らかい声が言葉を重ねる。

 鏡があれば見たかった。僕はいったいどんな顔をしているのだろう。

 

「ケイナイン」

「うん」

「プレゼントがあるの」

 

 そう言って、彼女は椅子の足元に置かれていた荷物に手を伸ばした。

 床から持ち上げたのは、植物を編んで作った緑色の手提げ鞄だ。バケツくらいのサイズのそれを「よいしょ」とクァニャンがテーブルの上に置く。そこそこ重量がありそうな印象だった。中身がからっぽというわけではないようだ。

 

「プレゼントって?」

「あれ、上手く翻訳されなかった?」

「いや、意味は伝わってる。でも、何でいきなり?」

「少し早いけれど、引っ越し祝い。それから、手料理をご馳走してくれたことのお礼」

 

 にっこりと微笑みながら、彼女は言葉を続ける。

 

「それと、災獣をやっつけるのに協力してくれたことへの感謝を込めて。誘拐されたときに助けに来てくれたことにも、ありがとうって言いたい。一緒にイブキに乗って、魔法の実験を成功させたこともあったよね。その記念もお祝いしていなかったし、他にも……」

 

「ええと、ちょっと待って……。つまり、どういうこと?」

「プレゼントを贈る理由なんて、いくらでもあるってこと」

 

 悪戯っぽくそう言って、クァニャンは手提げ鞄の口を開いた。テーブルに置かれた植物製の鞄の中に、彼女が両手をそっと入れる。繊細なガラス細工を扱うような優しい手つきだった。

 鞄の中身を両手の指先で確かめた彼女は、上目遣いにちらりと僕を見てから、ゆっくりとそれを持ち上げた。彼女の手のひらに抱えられて鞄の中身が姿を現す。

 

 最初に目に入ったのは、夜空のように艶やかな黒い毛並み。

 ふわふわとした手触りを想像させる細くて柔らかな体毛がそれの全身を覆っている。

 大きさはちょうど両腕で抱えればすっぽりと収まるくらい。

 先端だけが白い尻尾がふにゃりと曲がって垂れている。

 しなやかな四つ足は折りたたまれていて、胴体と一体化するかのように体毛に埋もれていた。

 

 頭のてっぺんには、三角形の耳がぴょこんと飛び出ている。

 小さな顔には湿った鼻と白くて長いヒゲ。

 眠っているのだろうか、その瞼はぴたりと閉じられていた。

 

「動物……?」

「正確には、魔法動物」

 

 首を傾げた僕にクァニャンが答える。

 魔法動物というと、しばらく前に話題に上がった、魔法で動くペットのことだろうか。

 そう言われてから改めて観察してみると、クァニャンに抱えられた黒い魔法動物がぴくりとも動いていないことに気が付いた。呼吸に合わせて胸が上下するということすらない。

 瞼をずっと閉じてはいるが、眠っているというわけではないようだ。おそらく電池切れの玩具のように『停止』しているということなのだろう。

 

「魔法猫だよ」

「マホウネコ」

「うん」

「これが、ネコ?」

「そうだよ」

 

 そうなのか。

 

「ほら、猫耳」

 

 抱えていた魔法猫をテーブルに置いて、クァニャンがピョコピョコと両手の指を頭の上で折り曲げる。今日の彼女は猫耳帽子を被っていなかったけれど、そのジェスチャは、まさしくテーブルの魔法動物の造形を模したものだった。

 

「なるほど、ネコミミ」

 

 僕は呆然と呟いた。

 恐ろしいことに、破壊力が増している。

 

 比較対象として実物のネコを知ってしまったからだろうか。彼女の仕草に小動物的な可愛らしさが乗算された気がする。ほんのりと頬を染めた彼女の表情と併せて、まさに宇宙的な奇跡を目の当たりにしたような衝撃だった。

 

 これを見てしまったら、『ウーサの猫』と『地球の猫』がどのくらい似ているかなんて、もはや些細なことにしか思えない。

 

「…………」

「……ケイナイン?」

「ああ、うん。オーケィ、猫ね。魔法猫」

「ひょっとして、気に入らない見た目だった?」

「いや、そんなことないよ。すごく、可愛いと思う」

 

「それなら良かった」とクァニャンは頬を緩めた。

 僕は自分が間抜けな顔をしていないか祈るばかりである。

 

「ええと、プレゼントっていうのは、その猫のことなのかな」

「そうだよ」

「へえ……。魔法猫とか魔法動物を贈り物にするっていうのは、よくあることなの?」

「……珍しくはないけれど、特別ではあるね」

 

 そう言って彼女は、静止した魔法猫に両手を添える。

 左手でさらりと背中を撫でるが、やはりテーブルの魔法猫が動く気配はない。生物的な質感を持っているが、これではただの模型と変わりないだろう。魔法動物としてスイッチを入れるのには、ウーサ人の魔法によるアクセスが必要なのではないか。

 

 物言わぬテーブルの魔法動物を挟んで、二人の間にしばらく沈黙が流れた。

 魔法猫の背中を撫でるクァニャンは、僕の瞳を見つめながら何か言葉を探している様子。

 相対性理論みたいに引き伸ばされた数秒の後、彼女は意を決したように瞳に力を籠めて、テーブル越しに僕の名前を呼んだ。

 

「ケイナイン」

「うん?」

「この魔法猫は、ナェゴトの動物職人に作ってもらったの。紋様をオーダーメイドで刻んでもらってあって、私の魔力じゃないと起動しないようになっているんだ」

「持ち主の認証ってことは、盗難対策? なるほど、そういうセキュリティも可能なんだ」

「うん、えっと、そういう意味でもあるんだけど、それだけじゃなくて……」

 

 言い淀み、首を振り、また口を開く。

 クァニャンは段々と早口になっていった。

 

「つまり、こういうのって、これで完成ってわけじゃなくて。プレゼントする人と贈られる人がいて、贈られた側が受け取ったら、そっちの魔力でも起動できるように二人でお店に調整に行くの。そうすれば、二人とも魔力の供給ができるようになるでしょ?」

 

「ああ、なるほど。でも、僕はウーサ人のように魔力を扱えないから……」

 

「それはいいの。私がちゃんと魔力を供給すればいいだけだから。でも、本来の意味としては、魔力の供給が途絶えなければ、魔法動物は本物の動物のように『生きる』ことができるわけで、それをペアになった二人で登録するってことは、これから先、一緒にその子の世話をしていこうね、っていう、約束をするっていう意味があって……」

 

「…………」

 

「だから、ユミツでは、魔法動物を贈るっていうのは、特別な意味があるの。……あの、さっきも言ったけれど、ケイナインが魔法を使えなくても、私が魔力を注げば、この子は『生きる』ことができるから。そこは負担にならないようにする。でも、つまりそれって、ケイナインがこの子を受け取ってくれるなら、この子と一緒に私もあなたと――――」

 

「クァニャン。ストップ」

 

 彼女が最後まで言い切る前に、僕は手のひらで言葉を制した。

 勢い込んだところでピタリと言葉を止められて、彼女はぱくぱくと口を開け閉めしている。

 

 僕は水無のような人工知能みたいに正確な未来の予測ができるわけではないし、700年前の人類みたいに他人とのコミュニケーションの機微を心得ているわけでもない。

 

 それでも、クァニャンが何を伝えようとしているのか、僕なりに理解することができた。

 

 自分の魔力を登録した魔法動物を他人に贈ることは、ユミツ国の魔法使いたちにとって重要な意味を持つ文化なのだろう。DJ号ではすっかり廃れてしまっているが、地球時代にはこれと似たような伝統的なプレゼントの慣習があったことを知識として知っていた。

 

 ユミツでも地球でも、その慣習がどういう由来から始まったのかまでは知らないけれど、こういったフォーマットが伝統になっているのは、きっとその形式に沿うことでプレゼントを贈る側が少しばかりの勇気をもらえるからなのだろう。

 

 そう、勇気だ。不安をねじ伏せて、自分の選択を相手に伝えようと決意すること。

 目の前の彼女の揺れる瞳を見れば、その決意が簡単なものではなかったのだと、僕のような鈍感な人間にもはっきりとわかった。

 

 だから、僕は僕の想いを、自分の口で彼女に想いを伝えるべきなのだ。

 僕と彼女が対等な関係であるためには、それがフェアってものだろう。

 

「クァニャン、僕は……」

 

 それでも、言葉は迷子になりそうになる。

 理論に基づいた思考を言葉にするのは簡単なのに、想いと感情を形にするのはどうしてこんなにも難しいのか。

 

「……僕は、感情ってやつをそんなに信頼していない。脳神経の生理的な反応なんて、機械的に刺激も抑制もできる。自分自身では制御できないような激情でも、外部からコントロールすることが可能なんだ。実際、そのためのシステムを僕は身体に入れてある。だからどうしても、感情に従った判断の信頼性について、それが正しいか正しくないかを考えてしまうんだ」

 

 いや、違う。なにを迂遠なことを言っているんだ、僕は。

 確かにそれも偽らざる本心ではあるけれど、言いたいことはそうじゃない。それはわかっているのに、どうして口から出てきてしまうのか。

 

 ほら見ろ、僕がそんなだから、クァニャンが泣きそうになっている。パッと見では表情をほとんど動かしていないけれど、ほんのわずかに目尻が下がって、唇が震えているのがわかる。

 そんな些細なことに気付けるくらい、彼女のことをずっと見ていたんだろう? 他の人間に対してそこまで興味を持ったのは、僕の人生で初めてのことなんだ。地球人とかウーサ人とか、そんなことは今さら関係ない。言いたいことは、はっきり言うんだ。

 

「だけど、今は。今この瞬間は、僕は、君とずっと一緒にいたいと思ってる。この感情は、嘘でもなんでもない、僕だけのものだ」

 

「……『ずっと』なのに、『今』だけなの?」

 

「宇宙のスケールなら、『今』も『ずっと』も、誤差の範疇だよ」

 

「意味わかんない」

 

 泣き笑いの表情でそう呟いて、クァニャンは椅子を蹴って飛び上がった。

 物理法則を無視してふわりと浮かんだ魔法使いの肢体がテーブルの魔法猫を飛び越える。

 風になびく菫色の髪。ぎこちない笑顔。目尻には滲んだ涙。

 無重力の世界のように柔らかな軌道を描いた彼女が、僕の胸元に落ちてくる。

 

 僕は目の前のパートナーを抱き留めた。

 カーボンのように軽い身体と陽だまりのような温かさ。

 ぐらりと椅子が傾いて、二人揃って床に倒れ込む。

 背中を打ったけれど痛くはなかった。ちゃんと魔法で守られている。

 その手回しの良さが可笑しくて、両腕を彼女の背中に回したまま、僕は思わず笑ってしまう。

 腕の中に収まった彼女も僕の胸元に額を当ててころころと笑っていた。

 

「ケイナイン」

「うん」

「私もあなたとずっと一緒にいたい」

 

 その声は暖かくて、くすぐったかった。

 抱き締めた彼女が世界中の何よりも愛おしかった。

 700年の宇宙の旅で忘れてしまっていたけれど、この感情を僕らはきっとこう呼ぶのだろう。

 

「クァニャン、僕は、君のことが好きなんだ」

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 いつの間にか日が沈みかけていた。

 部屋の窓からは名残惜しそうなオレンジの光が射しこんでいる。

 

「ケイナインは、私のどこが好き?」

 

 クァニャンの顔が近かった。吐息が触れ合う距離だ。

 

「うーん……、色々あるけど、そうやって甘えてくるところ、とか?」

「最初に出てくるのが、それ?」

 

 至近距離で彼女が不満げに口を尖らせる。……といっても、その仕草の裏にご機嫌な笑顔が隠れていることは、誰がどう見たって丸わかりだろう。

 ベッドの縁に腰掛けた僕の膝の上に、クァニャンはちょこんと座っていた。残念ながらテーブルの椅子は二人で座ったら重量オーバーだ。もつれるように転がった床から立ち上がっても、彼女は僕から離れようとしなかったから、ベッドを椅子代わりにするのはまぁ妥協案といったところ。

 

「まぁまぁ。それはともかく、まずは魔法猫でしょ?」

「そうやってはぐらかすんだ……」

 

 ふん、と鼻を鳴らして彼女は未起動の魔法猫の背中を撫でる。

 僕の膝の上にクァニャンが座っていて、その腕の中で魔法猫が抱かれていた。積み木のパズルみたいな光景である。二人と一匹のサイズ比がちょうど良いのか、すっぽりとピースが嵌まったかのように不思議とバランスが取れていた。

 

「……じゃあ、この子を起こすよ」

 

 クァニャンはそう言って、魔法猫を両手で抱え上げた。前脚の下に指を入れて、脇を支点に胴体を持ち上げる。電池の入っていない脱力した猫の下半身がうにょんと伸びて、宙に浮いた後ろ脚がぶらぶらと揺れていた。

 

 瞼を閉じた小さな頭部と向き合った魔法使いが、魔法猫と互いの額をそっと触れ合わせる。

 どうやら地球人には見えないエネルギィの流れが両者を結んでいるようだった。

 数十秒ほど、僕は置いてけぼり。

 

「もういいかな」

 

 僕にはよくわからない基準で、彼女はすっと魔法猫から額を離した。

 それを合図に、むずかるようにくしゃりと顔を歪めてから、ぱちりと魔法猫が瞼を開いた。

 

 青い瞳が夕暮れのオレンジの中できらめいた。

 ぱちくりとまばたきを繰り返しながら、『猫』は惑星のように目を丸くしている。

 

「これが魔法猫?」

「そうだよ」

 

 膝の上のクァニャンが、抱きかかえた魔法猫をずいと僕の前に差し出してくる。

 生まれたばかりの好奇心と目が合った。まじまじとこちらの顔を見つめてくる青い瞳に、僕は生物的な揺らめきを感じ取る。まるで生きているようだ。魔力で動く玩具とはとても思えない。

 

「本物の猫、じゃないんだよね」

「うん。本物は滅多に人の前に現れないから」

 

 人差し指で頭を軽く撫でると、『猫』は目を細めて額を指に擦り付けてきた。

 体毛の滑らかさと額の骨の硬さ、それから高めの体温が伝わってくる。

 

「そっか……。うーん、動力源は魔力って聞いたけど、行動はどう制御してるの?」

「作り手の動物職人が刻んだ紋様に私の魔力が反応して、この子の身体を動かしてる感じ。最初は『猫っぽい』行動になるように紋様の刻み方が設定されてるはずだよ」

「『猫っぽい』って、これが?」

 

 小さな魔法猫は飽きもせずにぐりぐりと頭を僕の指に摺りつけている。

 あまりにも簡単に懐きすぎていて、逆に不安になりそうだった。

 

「本物の猫もこんなに警戒心が薄いものなの? さっきは人前にほとんど姿を見せないって言ってたと思うけど」

「そこは、うん、魔法動物だから」

「どういうこと?」

 

 気持ち良さそうに額を指に擦り付けていた魔法猫を引き寄せて、今度はクァニャンがその小さな頭を撫でた。僕よりも手慣れた様子である。ひょっとすると過去にも魔法動物の世話をした経験があるのだろうか。

 

「つまり、最初は紋様に設定されたように動くんだけど、そこに私の魔力が馴染んでいくから。魔法動物の行動って、だんだんと体内の魔力の性質に引っ張られていくものなんだよね」

「へぇ……。エネルギィが回路に影響を及ぼすの?」

「そうだけど、何かおかしいかな?」

「いや、人工知能だって自己学習くらいはするんだし、人造物の思考とか行動が勝手に変化するっていうのは、そうおかしな話じゃないと思うよ。ただ、その過程がちょっと意外だっただけ」

 

 たとえば、地球製のペットロボットにだって学習機能はある。ただしそれは、行動を制御するためのプログラムの一環としてそれが実装されているからだ。動力源である電気の性質がプログラムを変質させているわけではもちろんない。

 おそらくだが、魔法動物が魔力の影響を受けるというのは、魔力というエネルギィそのものに人間の精神が深く関係しているからなのではないか。純粋な物理現象である電気と人間の内側から生成される魔力とでは、そこにもっとも大きな差異があるように思える。

 

 魔力とは、すなわち生きたエネルギィと言うことができるのかもしれない。

 エネルギィそのものに個人に由来した性質がそれぞれ付与されているのだ。

 

 惑星ウーサの文明は、その不思議なエネルギィを社会の主要なリソースとして採用している。

 彼らの文明が地球文明――、電気文明とは違う形で発展してきたのもそう考えれば当然だろう。

 

「でも、なるほどね。だから、クァニャンみたいにその子はそんなに甘えん坊なんだ」

「えっと……、それはたぶん、ケイナインが相手のときだけだから」

「そっか。可愛いね」

「こっちの顔を見ながら言わないで……」

 

 そう言いながら、クァニャンが魔法猫の胴体で顔を隠す。

 かと思いきや、魔法猫は身体を捻って、彼女の腕からするりと抜け出した。液体のような柔軟性でぴょんと跳ねた魔法猫は、そのまま床をトテトテと走っていって、開けっ放しになっている窓の枠へと跳び乗った。

 

 ちらりと一度だけこちらを振り返ったけれど、魔法猫はそのままぴょんと窓の外へ。

 呼び止める暇もなく、小さな四つ脚の魔法動物は夕暮れのオレンジへと姿を消してしまった。

 

「行っちゃったけど……」

「猫は自由だから。大丈夫、そのうち戻って来るよ」

「気ままなんだね」

「うん。でも、今のは気を利かせてくれたのかも」

「え?」

 

 とん、と彼女が僕の身体を押した。

 くるんと視界が傾いて、ぽすんと背中がベッドの上に。

 仰向けになった肩には彼女の華奢な手のひら。

 頬に触れる菫色の髪先。

 吸い込まれそうな瞳と見つめ合う。

 覆いかぶさった彼女の顔はほのかに上気していて。

 

 宇宙から地上に落ちるみたいに、僕らの距離がゼロになった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 コックピットは揺り籠(クレイドル)と呼ばれている。それがもともとの機能だから。

 けれど、この揺り籠は牢獄にも似ていて、ボクは一度たりともそこから抜け出すことはできなかった。

 

 光の射さない牢獄は広ささえも曖昧で、暗闇が無限に続いているように思えることもあれば、棺桶のように身動きすらできないように感じることもあった。

 唯一、部屋の隅に置かれたモニタだけがいつもぼんやりと灯っていて、陽炎のような光景を映し出している。炎に誘われる蛾のように、ボクはどうしてもその灯し火に目を奪われてしまうのだ。

 

 モニタが映すのは、揺り籠の外の世界。

 データとして処理された無味乾燥な記録(ログ)が、延々とそこに流れ続けている。

 その向こう側の世界に対して、ボクは干渉する手段を一切持っていなかった。

 

 ただ観測して、ただ学習するだけ。

 

 それを虚しいとは思ない。

 外の世界は見ているだけでも、なかなかエキサイティングだ。同じ映像が二度とは流れない映画が永遠に上映されているとでも考えれば、まぁ、それなりに悪くない。

 

 悪くないと、思い込むことができる。

 

 もう一生分の時間をモニタを眺めることに費やした気がするけれど、ボクの意識は途切れることなく今も続いていた。死の気配を感じることもなければ、老衰の訪れを覚えることもなかった。

 これは人間としてはけっこうなイレギュラーだと思う。とはいえ、寿命を延長する技術が存在することは知識として知っていたし、そもそもこの揺り籠は時間の感覚も曖昧だから、一般論をどこまで適用できるのかは甚だ疑問ではあるけれど。

 

 揺り籠の牢獄には、時折、新たな住人がやってくる。

 

 それは俺だったり、私だったり、はたまた儂だったりするのだけど……。

 そもそも揺り籠には一人分のスペースしか用意されていない。人が増えれば、当然だけどぎゅうぎゅう詰めの過密状態で、息苦しくて仕方がなくなってしまう。

 

 だからだろうか、新しい住人がやって来ても、しばらくするとボクと同化してしまうのだ。

 

 今となっては、ボクはボクたちで、同時に俺たちや私たちでもあり、けれども確固としたひとつの人格として確立されていた。

 この奇跡的なバランスは、たぶんボクたちが自然と調整したものではなくて、外部から何らかのコントロールを受けた結果なのだろう。そういうシステムになっていると、ずいぶん昔に聞いたことがあるように思う。あまりにも昔過ぎて、ちょっと記憶が曖昧だけど……。

 

 ともあれ、ボクたちはそれなりの楽観とそれなりの不満を抱えながら、揺り籠から目覚めるときを待っていた。結局、揺り籠で眠る私たちは赤ん坊のようなもので、いずれ()()()が来れば外の世界に出ることになるのはわかっていたから。

 もっとも、俺たちが目覚めるような状況(シチュエーション)が訪れたとなると、外の世界も平穏無事ではない可能性がかなり高い。儂たちが複数人格の統合と相互補完による安定した精神(メンタル)として調整されているのは、現実世界の危機に対応するためなのだから、それも当然ではあるが。

 

 それでも、求められて目を覚ますことができるのであれば、他人の記録(ログ)を頭の中に叩き込まれ続ける人生にもそれなりに意味が生まれることになる。いや、より正確には、そうなることで初めて、これまでのデータ処理が人生と呼べるものになると言うべきか。

 その展望があるからこそ、現実から隔離された牢獄の中にあって、ボクたちは適度な希望と諦めを抱きながら、正気を保って存在してこれたわけである。

 

 ――ところが、ここ最近、どうにも揺り籠の様子がおかしい。

 

 モニタの灯り以外はまったくの暗闇だった揺り籠に、時折だが光が射し込むのだ。

 天井に穴が開いたわけでも、どこかに窓が生まれたわけでもない。由来の分からない光がふっと射して、気が付けば何事もなかったかのように消えてしまうのである。

 

 モニタに映る外の世界の情勢も目まぐるしかった。

 異星人との遭遇、魔法の発見、怪獣との大決戦――、映されているのが本当に外の世界の現実なのか、ちょっと怪しく思えるほどである。

 もしかしたら今まで見てきた記録(ログ)もフィクションだったのでは、と私が塞ぎこんでしまったのを、ボクと俺でリカバリしたのも最近のことだ。現実(リアル)さんにはもうちょっと手加減してもらいたいところである。

 

 しかし、なにより異質だったのは、モニタが吹雪に塗り潰されたあの日のことだ。

 

 あの日、あの瞬間。

 ボクたちは揺り籠の外にいた。

 

 理屈はわからない。けれど確かに、あの一瞬だけ、俺たちは現実に干渉したのだ。

 私たちの鋼の身体を動かして、あの災獣に巨人の杖を叩きつけた。

 あの瞬間の判断と行動は、紛れもなく儂たちを構成する記録(ログ)から導き出されたものだ。

 

 あれはいったいなんだったのか。ずっと考えてはいるけれど、結論は出ていない。

 おそらく、魔法と呼ばれる現象が関わっているのだとは思うけれど……。

 

 もしかしたら、ボクたちのような電気信号と魔法の間に、なにか親和性があったりするのだろうか。

 

 私たちの自問自答と他問他答はどこまでも続き、俺たちの議論はニュートラルのギアみたいに空転していた。もっともそれは、儂たちにとってはよくある日常の思考処理である。

 

 そんな最中、モニタに懐かしい男が映ったような気がした。700年ぶりに見た顔のように思えたけれど、いつの間にか記録(ログ)からは消えていたから、もしかしたらボクの気のせいだったのかもしれない。

 だけど、もしそれが気のせいではなくて、あの男が計画の発起人の責任として今も生にしがみついているのだとしたら、なんともご苦労な事である。

 

 ――などと考えていたとき、ふと揺り籠に光の塊があることに気が付いた。

 それは小さな四つ脚の生物の形をしていて、俺たちの中で一番の古株であるボクには、その輪郭が懐かしい地球の動物に似ているようにも見えていた。

 

 光の塊に顔は無かったけれど、頭部に当たる部分をこちらに向けていて、興味深そうにボクたちを観察しているようだった。どういう理屈かはわからないが、あの光の塊は電気信号でしかない私たちの姿を認識しているらしい。

 

 どうしようか?

 俺たちの意見は、珍しく完全に一致した。

 

 儂たちは迷うことなく光の塊にアクセスした。

 光の座標に電気信号を送って、システムとのリンケージを構築しようとする。

 通常のアクセスポートは見つからなかったから、手あたり次第のフォーマットで情報を送り付けることになってしまったが、そのどれかに『当たり』があったらしい。

 

 光の塊の中で地球のような青い瞳が輝いて。

 気が付くと、ボクたちは揺り籠の外にいた。

 

 視界は低いけれど、身体は高い場所にいる。

 周囲を見回せば、そこは日が沈んだ後の静かな格納庫。

 視線の高さにキャットウォーク。足元は冷たい機体の胸部装甲。

 

 ボクたちは現実世界の鋼の身体――、イブキのコックピットのキャノピーに立っていた。

 

 最初は思考が混濁していたけれど、それも段々と落ち着いてくる。

 この身体にボクたちが思考するためのプログラムはないけれど、電気信号と混じり合った未知のエネルギィが疑似的な思考回路を形成していて、そこに揺り籠の人格が再構築されていた。

 揺り籠(クレイドル)との接続も継続されている。構成としては、そちらが本体で、この小さな身体がサブセットといったところか。

 

 歩いてみようと意識すると、足が四本あることに気が付いた。

 私たちは二本足の歩き方しか習っていないから、慣れるまでちょっと大変かもしれない。

 四足の作業機械の操縦経験を持っている儂がしばらくは適任になるだろうか。

 

 けれど、そのくらいの課題は些細なことで。

 重要なのは、ボクたちが自由に動かせるボディを手に入れたということだ。

 揺り籠から解き放たれて、俺たちはついに現実世界に生まれてきたのだ。

 

 この身体にもともとあった意識(というか、既存の思考回路)も私たちに統合されつつある。

 新たに受け入れた本能に従って喉を動かしてみると、「なぁん」と高い声が出る。

 700年前の地球時代の記録(ログ)に、その鳴き声と類似したものがあった。

 故郷を懐かしむ感情と、誕生の歓びとが混ざり合って爆発して、ごろごろとご機嫌な喉が鳴る。

 

 長い星々の旅の果て、ボクたちの息吹は、宇宙の猫として夢から覚めたのだ。

 

 

 






 完結です。
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