星の息吹と宇宙猫   作:子守家守

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ヒトを継ぐもの(4)

 僕とクァニャンは、夕方には基地に戻ってきた。

 魔法のバイクは快調で、帰り道も風のように古街道を駆け抜けた。サイドシートはやっぱりちょっと窮屈だったけれど、行きよりかは落ち着いて座っていられたと思う。クァニャンの荒っぽい運転に慣れたからかもしれない。

 

 朽ちた道路の果てで、二階建ての基地はオレンジ色に照らされていた。建造物を貫く『母の樹』が広い範囲に影を落としている。

 不思議な光景だった。人工物と自然物が違和感なく融合している。建物の壁と大樹の幹は、それぞれ別の色に映えていて、まるで巨大な生き物の毛皮のように模様を咲かせていた。

 

「さようなら、ケイナイン。また明日」

「うん。また明日、クァニャン」

「今日は来てくれて、ありがとう」

 

 クァニャンとはガレージで別れた。バイクの簡単な手入れがあるという彼女をそこに残して、僕は基地の片隅の仮住まいへと歩いていく。

 

 彼女は人工知能という言葉を知らなかった。

 ただ、似たような概念がこの惑星に存在しないかどうかは、ちょっと微妙なところ。クァニャンは僕の言葉を聞いたあと、しばらく首を傾げてから、「『魔力の知能』ではなくて?」と口にしたのだ。

 

 残念ながら、それが魔法による人工知能を指しているのか、それとも思考力を強化する魔法を指しているのか、はたまた僕のメガネのように知識のサポートを行うもののことを言っているのかは、その場では判断がつかなかった。

 僕たち外星人は、この惑星の魔法の限界をまだ知らないのだ。なにができて、なにができないのか、判断する材料すら足りていないというのが現状である。

 

「でも、使い魔(ファミリア)みたいなのは、今のところ見てないな」

 

 ふと足を止めて、背後を振り返った。

 自分の足元から長い影が伸びている。夕暮れの基地は閑散としていて、軍人たちの掛け声もどこか遠い。物寂しい雰囲気ではあるけれど、自分に向けられている視線は微かに感じられた。

 当然だけれど、監視はされている。良い意味か悪い意味かはさておき、僕らが要注意人物なのは確かなのだから。

 

 視線の主は人間だろう。少なくとも、今のところイブキの動体センサが人間以外の監視者を検知したことはなかった。

 だけど、魔力を視認できない僕らが、魔力で作られた使い魔も視認できていないだけだった、というオチも考えられる。その辺り、あとでクァニャンに確認してみたほうがいいかもしれない。

 

 仮住まいへと再び歩き出しながら、今日の小旅行のことを考える。

 

 そもそもどうしてミィボスへの旅路が実現したのだろうか。

 クァニャンの個人的な感情はひとまず置いておくとしても、ミフネにも許可を取ってあったのだから、彼女の独断だけで決定された遠出ではない。ウーサ側の人間もおそらくマハナあたりは僕らの行動を把握しているはずだ。

 

 抜け目ない顔をした壮年軍人の姿を思い浮かべる。あの男はクァニャンほど感傷的な人物ではないだろう。つまり、なにかしらの意図があって、僕とクァニャンのミィボス行きを認めたという可能性が高い。

 たとえば、災獣の影響で廃墟になった町を見学させて、僕らの同情を買うつもりだったとか。あり得ない話ではない。感情に訴えかけることで未知の第三勢力を懐柔できるなら、その程度のことはやってみて損はないだろう。

 

「そうだとしても、あんまり効果的ではないと思うけれど……」

 

 所詮、僕も使い走りの下っ端だ。

 個人的にどんな感情を抱こうと、(フネ)の判断に影響が及ぶことはない。

 

 規制線を潜って、イブキの待機する仮住まいへと戻ってきた。太陽はほとんど沈み、地平線が紫色に沈んでいる。真昼の暖かさを追いやるように肌寒い風が吹いてきている。

 基地の敷地の片隅には、簡素なコンテナハウスが二つ置かれていた。仮宿として僕たちが持ち込んだものだ。ひとつを僕と安藤が、もうひとつを三船が使っている。

 

 その片方のドアの前に、ポケットに手を入れた安藤が立っていた。整備用のツナギ姿で、癖毛の髪をヘアバンドで留めている。メガネは掛けていなかった。彼の眼球は僕よりもインテリジェンスなのだ。

 

「やぁ、安藤。戻ったよ」

 

 軽く手を挙げて声を掛ける。どことなく手持無沙汰な表情をしていた彼は、僕の姿を認めると仔犬みたいに駆け寄ってきた。

 おや、と思う。珍しいリアクションだ。僕が基地を離れている間になにかあったのだろうか。

 

「よかった。先輩、待ってたんスよ」

「なにかトラブル?」

「えっと、そのぅ、問題ってワケでもないんスけど……」

 

 安藤は困り顔で頭を掻いた。どうも歯切れが悪い。

 僕は眉をひそめながら周囲を見回した。コンテナハウスは二棟とも灯りが消えている。かといって、隊長である三船の姿は仮宿の外にも見当たらなかった。

 

「三船は? 懸案があるなら、彼女の判断を仰ぐのが先でしょ」

「隊長は基地の中っス。ヅィヅィザ将軍と面会の約束を取り付けた、って。けっこう前に建物に入っていったけど、まだしばらくは戻らないと思うっス」

「ふぅん。まぁいいや。それで、なにがあったの?」

 

 基地の窓をちらりと見てから、僕は安藤に話を促した。

 それほど重大な問題ではないことはわかっていた。もし一刻を争う事態が起きているなら、こんな風に悠長に待っているのではなく、直接僕に通信を入れているはず。ということは、喫緊の課題ではないけれど安藤の視点では判断に困る、といったレベルの案件なのだろう。

 

「実は……」と口を開いた安藤が、ふと視線を泳がせた。僕を通り越して背後を見ている。

 足音が聞こえて振り向いた。夜の帳はもう落ちていて、軍事基地の外壁に備えられた魔法の光があたりを照らしている。その不思議な明かりを逆光に、壮年のウーサ人が規制線を潜ってきた。

 

「こんばんは、お二方。少しばかりお時間よろしいですか」

 

 規制線の内側に入ってきた男は、両手の手のひらを挙げて、何も持っていないアピール。どうもこのジェスチャは地球とウーサで共通のものだったらしい。

 安藤がこつんと肘で背中を突いてきた。横目で見ると、眉を傾けた困り顔。囁いた小声は、困惑と警戒とが半々といったところ。

 

「実は、ちょっと前にあの人が、夕食でも一緒にどうだ、って言ってきたんスよ。もちろん、先輩も一緒に、って……」

「それがさっき言いかけてた懸案事項か」

 

 光の加減だろうか。

 マハナ中佐の浮かべる飄々とした笑みが、どうにも胡散臭いものに見えてしまった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 ウーサ人は食事によって栄養補給を行う人類だった。

 つまり、太陽さえ出ていれば光合成出来るだとか、地面から養分を吸い取って生活できるとか、そういう仙人みたいな生態ではなかったということである。

 食事の回数は基本的に朝昼夕の三回。夜食や間食を取ることもままあるようだ。ついでに言うと、休息時には睡眠もとる。通常の生活サイクルであれば、夜になれば眠りに就くのがウーサ人の基本的な生態だった。

 

 要するに、一日の生活リズムとしては、彼らと地球人に大きな違いはないということである。

 

 僕たち先行偵察チームは、まだウーサ人と食卓を共にしたことがなかった。

 今のところ、彼らから食品の試料(サンプル)を提供してもらって解析に掛けたくらいだった。彼らウーサ人が口にできるものでも、僕たち地球人類が食べられるとは限らない。種族からして違うのだ。毒性の有無の調査は必須事項だった。

 

「……うわぁ、緊張するっスよぉ……」

「それはたぶん、相手も同じだろうね」

 

 僕と安藤はマハナの誘いを受けることにした。三船にもメッセージは送ってある。ストップの返信はきていないから、許可がでたものと見做していいだろう。

 成分分析の結果では、ウーサ人の食卓に並ぶ一般的な料理の中に、地球人類に対して毒性を持つ食材はひとまず存在しなかった。会食の誘いを受けたのはその結果を見ての判断である。

 

「突然の招待を受けていただき、感謝します。では、どうぞこちらに」

 

 慇懃な態度のマハナに案内されたのは、基地の中心にある二階建ての建物ではなく、少し離れた場所にある平屋の建物だった。この建物にも『母の樹』の蔦が這っている。

 入り口の扉を開けたマハナに促されて中に入る。室内は昼間のように明るかった。廊下の天井に灯りが輝いている。電灯ではなく、魔法の灯りだった。

 

 僕と安藤は建物の一室に通された。広い部屋だったが、食事のためのテーブルはこじんまりとしたものだった。低めのガラステーブルを囲んで、座り心地の良いソファがコの字に並んでいる。

 マハナに促されて席に着く。僕と安藤でそれぞれソファをひとつ独占する形になった。

 部屋にはマハナの他にはウーサの軍人が二人いるだけだ。彼らは部屋の入口のドアの左右に立っていて動く気配がない。一緒に食卓を囲むためにいるわけではなさそうだ。監視兼護衛といったところだろう。

 

「チキュウの方と食事を共にすることができて、とても嬉しいです。今宵は記念すべき席です。どうか楽しんでいってください」

 

 ニコニコと微笑みながらマハナがそう言った。流暢な日本語の発音だった。

 この場でメガネを掛けているのは僕だけだった。マハナにもメガネを貸与するという話があったのだが、彼はそれを一度断っている。そのため彼はシステム的な補助を受けていないはずなのだが、それでもこの三人の中ではもっとも地球とウーサの両言語に精通している様子だった。

 本人の資質によるものなのだろうか。ここ数日、三船との交渉をバチバチに進めているあたり、相当に高い理解力と学習能力を併せ持っていそうな感じだ。

 

 運ばれてきた料理は、おそらく惑星ウーサ(あるいは、ユミツの国)でもスタンダードな料理のようだった。以前サンプルとして提供された料理とほとんど同一のメニューだ。

 当然、そうとわかっていてマハナに選ばれた料理なのだろう。サンプルの成分分析の結果は三船を通してマハナにもすでに伝えてあった。機械的な毒見が済んでいるので、最初の会食のメニューとしては妥当な選択といえる。

 

 主食は豆のような植物を挽いて薄く焼いたもので、これで具材を包んで食べるというスタイルだった。皿に盛られた具材を掬うのには先割れスプーンに似た食器を使うようだ。

 ユミツの国のテーブルマナーについて、僕らはほとんど知識を持っていないわけだが、そこはマハナもわかっているのだろう。彼は僕らよりも先に、テーブルの料理へと手を伸ばしてくれた。彼が非常にゆっくりとした動作で料理を口に運んだのは、僕らに料理の食べ方を教えるのと、並べられた料理に毒が入っていないとのアピールを兼ねてのことのようだ。

 

 彼の動作を真似て、具材を包んで口に運んでみた。

 

 豆の生地は想像よりももっちりとしている。具材はやや薄味だった。というか、サンプルに提供してもらった調味料はそれほど種類が多くなかったので、その辺りの制約もあるのだろう。

 それを加味しても、料理の味は普通と呼べる範疇のものだった。もちろん、地球人類の味覚を基準としての『普通』である。正直、ホッとした。とんでもなく美味しいわけではないけれど、とんでもなく不味いというわけでもない。

 

 なんとなく、どこかで似たような味の料理を食べたような気もした。

 気がするというだけで、はっきりとは思い出せない。もともとそれほど味に頓着しないタイプなのだ。どうにもこの方面は記憶が薄くなりがちである。

 

 DJ号(フネ)乗組員(クルー)の食事といえば、艦内の限られた空間で生産された食材を使用した料理ということになる。工業的に生産されるそれらの食材は、地球時代と比べれば圧倒的に少ない種類でしかないのだが、その調理法のバリエーションにおいては決して引けを取るものではない。(と、フネの食料品企業は盛んに宣伝している)

 だから、ユミツの国の料理と似た味付けが存在していてもおかしくはないわけで。たぶん、日替わり定食(という名の生産調整メニュー)でそういう料理を口にしたことがあったのだろう。

 

「うわっ、先輩、これめっちゃウマいっスよ」

「そう? いや、それは良かったね。この料理、安藤にはどんな風に感じる?」

「うーん、そうっスねぇ……。言うなれば、自然(ナチュラル)な美味しさ、って感じかなぁ」

 

 一方、同じ料理を食べているはずの安藤は、僕とはまた別の感想を持ったようだった。興奮気味に目を輝かせながら、ぱくぱくと具材を包んだ生地を口に運んでいる。地上に降下してからというもの、いつも気を張った様子でいた彼が、今は任務のプレッシャーをどこかに忘れてきたかのように無邪気に食事を味わっていた。

 

 安藤の言う『自然な味』というのは、正直なところ僕にはよくわからない。ウーサの食材とDJ号の食材とで味や風味が違うのだろうということはわかるのだけど、それを明確に感じ取ることはできなかった。

 この点、安藤は僕よりも繊細な味覚を持っているらしい。……まぁ、シチュエーションが生み出す幻想に彼が浸っているだけという可能性もあるけれど。

 

「気に入ってくれたようで、なによりです」

 

 ホストであるマハナ中佐は、安藤の健啖ぶりを見てホッと息を吐いていた。芝居じみた微笑みが表情に貼り付いているが、やはりそれなりに緊張はしていたらしい。

 

 その星の人類として初めて異星人を会食に招くだなんて、想像するだけでも胃が痛くなりそうなミッションだ。自分が持っているマナーの知識は通じず、相手の文化のマナーも不明瞭。それなのに下手を打ったらいきなり宇宙戦争の発端になりかねない。

 武装組織の戦闘員でしかない僕としては、もし頼まれても丁重にお断りしたいお仕事だった。

 というか、マハナだって接待が本職というわけではないだろうに。軍の命令でホスト役をやらされているのだとしたら、彼もなかなかの貧乏籤だ。

 

「これらはユミツの国の一般的な料理です。簡素なものばかりで恐縮ではありますが……」

「いえ、事前にこちらに提供してある素材から選んでもらったのでしょう? お気遣いに感謝します」

 

 食事中は他愛のない会話がぽつぽつと交わされるくらいだった。テーブルに並ぶ料理の名前とか、その素材、調理法など、ユミツの国では常識であろう事柄について、簡単な受け答えがあったくらいである。

 珍しいことに、僕よりも安藤が多弁だった。ウーサ人との交渉の場では、安藤は裏方の立ち位置にいることが多く、面と向かってマハナと言葉を交わすのももしかしたら彼はこれが初めての機会だったかもしれまない。

 安藤はもともと無口なタイプというわけではない。任務中でなければ、けっこうおしゃべりなくらいだ。『自然な』食事で気が緩んで、素の自分に近い顔が出てしまっているのだろうか。

 

「ご馳走さまです。とても美味しかったです」

 

 テーブルの上は三十分ほどで片付いた。

 会食の料理は適度な量だった。ちょうど良い満腹感がある。

 

「……?」僕の挨拶を聞いて、マハナは首を傾げた。「ええ、はい、ありがとうございます?」

 

 違和感のある返事だった。どうも日本語の翻訳に揺らぎがあるようだ。

 たぶんだけれど、『ご馳走様』に該当する単語がうまく見つからなかったのだろう。その辺りは地球とウーサの文化的な違いがありそうだ。要確認のタグを付けて頭の中にメモしておく。

 

「時間はまだ大丈夫でしょうか?」

 

 護衛の軍人のひとりがテーブルの皿を下げたところで、マハナがそう聞いてきた。

 僕は安藤と顔を見合わせた。急ぎの用事は特にない。安藤もそれは同じようだった。短い目配せを交わして、「大丈夫ですよ」とマハナに答えを返す。

 

「そうですか。それは良かった」

「食事の他にもなにか用件が?」

 

 そう尋ねると、マハナは意味深に微笑んで、顔の横で手を鳴らした。パンパンと手を叩く乾いた音が部屋に響く。僕と安藤は揃って怪訝な表情を作ってしまった。

 数秒遅れて、部屋の扉からノックの音。ドアノブが回り、音もなくゆっくりと扉が開く。

 扉の向こうから現れたのは、会ったことのないウーサ人の女性だった。たおやかな微笑みを浮かべた顔には見覚えがない。ちらりと横目で安藤に視線を飛ばすと、彼も困惑気味に眉をひそめていた。

 

「失礼いたします」

 

 挨拶はウーサ語だった。やはり、声にも聞き覚えはない。

 基地に所属するウーサ人の容貌は、イブキのカメラを通してこっそり記録されている。安藤の眼球ならその情報にアクセスすることもできるはずなのだが、彼は不思議そうに首を傾げるばかりだ。ということは、この基地の人間ではないということなのだろうか。

 

 ……いや、そもそも軍人ではないのかもしれない。

 そう思ったのは、彼女の装いが基地の軍人たちとは大きく異なっていたからだ。

 

 端的に言えば、非常に露出度が高い。きめの細かい上質な生地の服は、肩口まで出したノースリーブで、シースルーのマフラーにような装飾を肩に纏っている。下半身は膝より短いスカートで滑らかな肌の太ももを惜しげもなく見せつけていた。

 マハナに視線を向けると、彼は貼り付けたような笑顔で頷いた。軍事基地には明らかに場違いな人物だが、予定外の来訪者というわけではなさそうだ。

 

「失礼しまーす!」

 

 黒い服の女性が部屋に入って来るのに続いて、今度はひどく明るい声が聞こえてきた。さきほどの人物よりも若そうな女性が颯爽と姿を見せる。オレンジ色のドレスを着ていて、やはり露出度は高め。ぺこりと頭を下げて、軽い足取りで黒服のあとに続いて部屋に入ってきた。

 

 来訪者はそれだけではなかった。オレンジの女性に続いて、さらに数人の人物が現れる。

 全部で六人。現れたのはいずれも女性で、誰もが露出の高い衣装を着ていた。言葉遣いや雰囲気がそれぞれで異なっているのは、おそらく意図されたものだろう。共通しているのは、部屋の中の男たちに対して友好的な笑顔を浮かべているということ。

 

「マハナ中佐。これは?」

「私たちからの歓迎の気持ちです」

 

 壮年のウーサ人中佐は大袈裟に手を広げて僕らに笑いかけた。

 女性たちが僕らの座るソファへと近づいてくる。水面を滑るような上品な足取りだった。それが六人。計算された間隔を互いに保ったフォーメーションで、僕にはそれがチェスのように統制された動きに見えた。

 

 安藤が僅かに腰を浮かす。右手が腰のポケットに添えられていた。護身用の銃がそこにある。彼は目だけを動かして僕に視線を飛ばしてきた。瞳は警戒と緊張の色を湛えている。

 識別不能な複数人の相手に囲まれかけているという状況への対処としては、それも間違ってはいない。

 

「安藤。座って」

「いや、でも、先輩……」

「ステイだよ、ステイ」

「……了解っス」

 

 けれど、僕は思わず苦笑してしまいながら、腰を下ろすよう安藤にジェスチャした。

 彼は一瞬、緊張感のない僕の態度に目を剥いたが、しばらくすると銃から手を離してソファに戻った。あまり納得いっていない様子ではあった。とはいえ、目がクリクリと動いていたから、六人の女性が目立った武器を持っていないことは彼も確認したのだろうけれど。

 

「お隣、よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

 

 マハナの意図はなんとなく察せられた。

 女性たちは自然な仕草で僕たちの座るソファまで接近してきた。挟み撃ちの格好だ。黒とオレンジが僕のところに来ていて、安藤の左右にも別の女性がそれぞれ着いている。マハナの隣には別のひとり。残ったもうひとりがテーブルの準備を進めている。

 

 僕の許可を聞いて、女性たちがソファに座る。座面がぎしりと沈んだ。思ったよりも距離が近い。甘い香りが鼻をくすぐる。

 テーブルには飲み物の入ったボトルが並べられた。今のところ中身は不明。封を切れば多少は成分の分析ができるかもしれないが、まぁおそらく、毒ではないだろう。

 

「先輩、なんなんスか、これ……」

「大丈夫、危険はない。たぶん」

「たぶんて……」

 

 安藤から恨みがましい視線が飛んでくる。彼も女性に挟まれてソファに座っていた。離れたところからでも、全身がこわばっている様子が見て取れた。

 僕たちのやり取りは日本語だったが、女性たちはその意味を理解した風でもなければ、理解不能の言語を気にする様子もなかった。なにも耳にしていないという態度でグラスの準備に勤しんでいる。プロフェッショナルな風格だ。

 

 僕は密かに感動していた。

 遥か昔の小説でしか読んだことのないようなシチュエーションだ。絶滅したと聞いていた動物が、未知の土地でふらりと見つかったかのような気持ちだった。実在したのか、という驚きと、まさか自分が当事者になるなんて、という困惑とが同時にやって来ている。

 

 文字媒体で読んだ知識でしかないけれど……、これはきっと、ハニートラップと呼ばれるものなのだろう。

 

 

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