姿かたちが似ていれば、美醜の感覚も似るものなのか。
異星人の実在を知ってからも、僕はそういう疑問をほとんど意識していなかった。
もちろん僕の中にも美醜や好悪といった感情の基準はある。だけどそれは僕個人の感覚であって、他の誰かと共通したものではないともわかっていた。誰しも自分自身の
だからだろうか、ウーサ人にもきっと人それぞれにそういった個別のセンスがあって、種族単位で統一された美的基準はないのだろうと思い込んでいた。
その予測が完全に間違っているわけではないと思う。
事実、僕の出会ったウーサ人は皆、個人の人格と思考を持っていて、好き嫌いといった感覚も人それぞれで大いに異なっているものと観測できている。
とはいえ、統一された規格とまでいかずとも、美醜感覚の傾向というのはあるのかもしれない。
マハナが呼んだウーサ人の女性に囲まれながら、僕はそんなことを考えていた。個人の嗜好が尊重されるという前提があるとはいえ、一応、地球人にも一定の美的感覚の傾向はあるわけだし。
美しさの意味は、時代や文化によって変化するものだ。地球の文化史がそれを証明している。
六人のウーサ人の女性は、それぞれが別の個性を纏っていた。たとえば、黒の人は落ち着いた大人らしい雰囲気だし、オレンジの人は快活で明るい雰囲気を持っている。他のメンバーもカラーリングからしてヴァリエーション豊かな感じだった。
総じて言えるのは、僕らの基準でも整った顔立ちと均整の取れたスタイルを持っているということだろう。六人とも肌の血色は良く健康的で、はっきりとした目鼻立ちとメリハリのある体型だった。外見的な特徴でいえば、おそらくDJ号の
「ケイナイン様、お好みのお飲み物をご用意しますので、いかがでしょうか?」
「ああ、どうもありがとう」
黒の人の差し出したグラスを受け取って、僕は愛想笑いを顔に貼りつけた。密着するほど距離が近いのがけっこうストレスだった。反対側にオレンジの人が座っていて逃げ道がないのもなお悪い。
グラスの飲み物を飲むつもりにはなれなかった。毒を盛られているとかではないと思うけれど、中身が識別できていないのでちょっと手が出せそうにない。
代わりというわけではないけれど、テーブルに並べられたツマミのような食品を摘まんでお茶を濁すことにした。こちらは
「ケイナイン様は外国の方とお聞きしました。ユミツの言葉がお上手なのですね」
「そうかな。でも、まだ練習中ですよ」
「いえ、本当に。とても聞き取りやすいですわ」
会話はウーサ語だった。僕たちが彼女たちに合わせる形だ。たぶん、日本語は機密扱いなのだろう。僕たちを『外国人』と呼ぶのも、彼女たちが接待のために呼ばれた外部の人員であることを裏付けている。さすがに『宇宙人』を接待しろとは言われてはいない様子である。
それでもこの惑星の情勢を考えれば、外国人というだけでかなりの要人となるはずだ。災獣によって国同士の交流が途絶えているときに、命の危険を乗り越えてまで自国にやって来た人物であれば、その頭の中に入っている情報だけでも十分に価値があるというものだ。
と、考えると、この場に集められた六人の女性は、接待(あるいは、篭絡)を目的とした人員としてはかなり上澄みの部類なのかもしれない。もちろん比較対象がないので、断言まではできないが。
(そういう背景はなんとなく理解できるけれど……。うーん、どうしたものかな)
火で軽く炙った木の実を齧りながら、さりげなく周囲を観察する。
僕個人としては、もうしばらく付き合ってもいいと考えていた。距離の近さが気になるところだけど、別に敵意や悪意があるわけでもないし、かの有名な
けれど、もうひとりの地球人である安藤はそうも思っていないようで。
視線を向けた先のソファで、彼は可哀そうなくらいカチコチに固まってしまっていた。食事を楽しんでいたときの無邪気な笑顔はどこへやら、頬を引き攣らせたぎこちない表情で、左右の女性たちの間でせわしなく視線をさまよわせている。
ふと彼と目が合った。助けを求めるメッセージが視線に乗って飛んでくる。
まぁ、それなら仕方ないか。僕は苦笑いを浮かべながら持っていたグラスをテーブルに置いた。
「安藤」
「っ、はい、なんスか」
「明日も朝から整備で早いんだろう? 先に戻ってもらって構わないよ」
「了解です。あ、でも、先輩は……」
「僕はもうちょっと話があるから」
差し伸べられた助け船にパッと顔を輝かせた後輩に、ひらひらと手を振って退出を促す。彼は僕とマハナとで何度か視線を往復させてから、ペコリと頭を下げて立ち上がった。
「マハナさん、ご馳走さまでした。料理はすごくおいしかったっス」
「いえ、お気に召したならなによりです。今晩はありがとうございました」
もう一度深く頭を下げて、安藤は部屋から出ていった。出入り口の扉が閉まる寸前、申し訳なさそうな表情の彼が振り返って、ソファに座る僕を見つめてきた。僕は「大丈夫だよ」と言葉に出さずにひとつ頷く。それに納得したのかはわからないけれど、彼は扉を閉めて基地の仮宿へと戻っていったようだ。
「さて、マハナ中佐。少し突っ込んだお話をしましょうか」
「……ええ、そうですね」
僕の日本語にマハナも日本語で応えた。乾いた笑みを貼り付けた彼が目配せすると、六人のウーサ人の女性たちがするりと立ち上がり、深々と腰を折ってお辞儀をする。顔を上げた彼女たちは柔らかく自然な笑顔を浮かべていた。どうやら役者としては彼女たちの方がマハナよりもプロフェッショナルのようだ。
僕の両隣に座っていた黒とオレンジも一礼して離れていった。近すぎた距離が解消されて、多少は肩の力が抜けた気がする。去り際にオレンジの人がウィンクしたので、軽く手を振ってみたところ、ため息を吐いた黒の人が彼女の耳を引っ張って連行していった。まるでコメディの一幕だ。これも計算されたお芝居なのだろうか。
「失礼しました」マハナが頭を下げる。「事前に説明もせずこのような席にお呼びしてしまい、申し訳ありません」
「お気になさらず。なかなか面白かったですよ。安藤はともかく、僕としては」
僕がそう軽く言うと、壮年の中佐は微妙な笑顔を浮かべて口の端をぴくつかせた。
僕とマハナ、それから護衛の軍人二人を残して、接待役の女性たちは退出していった。部屋を出る直前、最後にもう一度深くお辞儀をして、ひとりずつ背中を向けて去っていく。何人かは短すぎるスカートのせいでお尻が見えそうだった。
ユミツの国の服飾文化についてはまだ詳しくわかっていないが、たぶんあまり一般的なファッションではないのだろう。その証拠にドアの左右に控える護衛の軍人たち(どちらも男性だった)の視線は、彼女たちのきわどい太もものラインに最後までがっちりと食いついていた。
「あの人たち、軍人じゃありませんよね」
「ええ、『都市』の住人で、政府高官の御用達です。実のところ、私の階級でもおいそれとは利用できないクラスのスタッフでした。だからといって楽しむ気分にはなれませんでしたが」
「それはそれは、役得なのやら貧乏籤なのやら」
僕が口を斜めにすると、マハナは疲れたように肩を竦めた。
彼がテーブルに残された炙り木の実を口に放り込むのを見ながら、僕は両手の指を組んで言った。
「これ、ヅィヅィザ将軍の指示ではありませんよね?」
「……はぁ。そりゃ、わかるよなぁ」
髪を掻きながら、大きな溜め息をひとつ。そこからマハナの口調が砕けたものになった。
こちらが彼のデフォルトだ。三船と一緒に何度か会合を行ったときもそうだったから、むしろ今までの慇懃な口調に違和感があったくらいである。
「さっき言っていた、『都市』の政府高官が仕掛け人ですか」
「そうだ。災獣の討伐とその協力者については、その日の深夜のうちに政府へ速報を飛ばしたんだが、次の日の朝には
「彼女たちは僕らのことを外国人だと思ってたみたいですけど」
「そこんところは、うーむ、向こうでどういう話になってんのか俺にもよくわからん。一応、『宇宙人』って報告はしてあるんだが、真面目に受け取ってもらえたかどうか怪しいところかもなぁ」
マハナはそう言うと、ソファに深く背を預けて天井を仰いだ。
「まぁ、政府の先生方がチキュウのことを把握していたとしても、どの道さっきの彼女たちには伏せられてるんだろうが」
「こういう特殊な任務って、ヅィヅィザ将軍にも拒否権がないものなんですか?」
「そうでもない、と思う。微妙なラインといえば微妙なラインだが。一応、統帥権は都市のトップにある。だからといって、軍事行動について将軍の意見を政府が完全に無視できるわけじゃない。基地の外からおかしな命令が飛んできたなら、少なくとも協議の場を設けることはできるはずだ」
「でも、今回、彼はそうしなかった」
「あの人もあれで強かだからなぁ。政府からの依頼っていう形を取りつつ、あんたらチキュウ人の嗜好を探るくらいはやってのけるだろうよ。……そういう仕事を俺に回してくるのは、正直勘弁してほしいんだが」
マハナは疲れた口調でそう言うと、天井に向けていた視線を正面に戻した。
バツの悪そうな表情で、彼は短く刈り込んだ頭を掻きながら言葉を続ける。
「アンドウには悪いことをしたな。ああいう接待は苦手なタイプなのか? あとで俺からも詫びを入れようとは思っているが……」
「慣れていなかったのは確かですね。この手の古典的な接待は、僕らの
「実は恋人がいたり、ひょっとして妻帯者だったりは?」
「別にそういう事情があったわけないですよ」
大真面目な表情で尋ねてくるマハナに、僕は思わず苦笑してしまう。
彼の懸念はまったくの的外れだ。安藤に異性のパートナーがいないことなんてわかりきっている。僕の知らないところで誰かと付き合っている可能性さえゼロである。
安藤があんなに縮こまっていたのは、単に接待役の女性たちの思惑がわからなかったからだろう。おそらく『色仕掛け』という作戦が存在することすら彼の頭にはなかったのだと思う。
「じゃあ、君はどうだった、ケイナイン」
「どうだった、というのは?」
「そりゃもちろん、さっきの彼女たちのことだよ」
ソファに座るマハナが身を乗り出してこちらを見つめてきた。飄々とした笑みを浮かべているが、例によって目だけは真剣な色を帯びている。こういう表情をたびたび見せるものだから、この中佐にはどうにも油断ならない印象を抱いてしまう。
「実際、気になるところなんだよ。チキュウ人の目に俺たちがどんな風に映っているのか、っていうのはさ……。さっきの六人はユミツの国でも指折りの美人さんだ。そういう女性を見たとき、君たちはどう感じるものなんだい?」
「うーん、そうですね、美人だったと思いますよ。ビジュアルは整っていたし、所作も丁寧だったから、上手くやれば
「ほぅ……。なるほど、美人の条件はお互いけっこう近いのか」
「かもしれません。断言するにはサンプルが少ないですけど」
「で、ケイナイン、君の好みは?」
「好み? ……いや、あんまりピンときませんね」
僕が曖昧な表情で肩を竦めると、マハナがニヤリと歯を見せた。
「ははぁん。さてはクァニャンのほうが良かったのか」
「クァニャン?」僕は首を傾げた。「なんで彼女が?」
「なんで、って、そりゃあ……」
マハナは笑みを引き攣らせた。キョトンとした僕の顔をまじまじと見つめると、彼は不意にぺシンと額を叩いて、「いや、なんでもない。忘れてくれ」と苦笑いの声色で言った。
「ちなみに、君には恋人や奥さんがいたりとかは?」
「いませんよ」
「そうか。それは、うん、悪くないな」
「なんの話かわかりませんけど……。というか僕が知る限り、
「……なんだって?」
僕の返事を聞いたマハナがぴたりと動きを止めた。目を細めて、探るような視線で僕の顔を凝視してくる。額に皺が寄っていた。僕の言葉の意味するところをジッと考えている様子である。
さすがにこれは説明が必要だろう。けれど、どこから話をしたものか……。自分の頭に入っている
「ざっくり言うと、僕たちは400年くらい前から、自分の子どもを作らなくなったんです」
………
……
…
外宇宙探査艦DJ号は、
人間の寿命よりも長い時間を掛けて目的地まで移動することを前提としたこの艦では、船内に自給自足が可能な生活環境が築かれていた。
艦の擁する人口は、おおよそ一万人。
これは、宇宙移民船としてはかなりきわどい数字だ。
しかし、700年前の地球の技術ではDJ号以上の規模の宇宙船を製造することは不可能だった。
当時の記録を見るに、技術的な制約と政治的な干渉、それから資金的な限界から、人口一万人以上の生活空間をデザインすることがどうしてもできなかったらしい。
ゆえに、『
DJ号の重要区画に、『保存庫』と呼ばれる設備がある。液体窒素で極低温に保たれた設備には、700年前の地球人類の遺伝子が収められている。
要するに、ジーンバンクだ。生きた人間が一万人しか生活できないのなら、省スペースに収められる生殖遺伝子を用いて多様性を確保しようという考え方である。
公表されている数字では、DJ号が地球を発つまでに五千万人分の遺伝情報の提供があったとされている。
一万人の乗組員が艦の運行と維持を担い、世代交代のタイミングで保存庫の遺伝子から子どもを
それが深宇宙探査艦DJ号の基本的な世代サイクルだった。
そのサイクルを軌道に乗せるために、当然ながら出生調整も実施された。
生活を保証できる人口に上限があるのだから、生きている人間が好き勝手に子どもを増やしてしまえば乗組員の遺伝環境は袋小路にまっしぐらだ。地球で生まれた第一世代に『欠員』が出たときに、保存庫から生まれた子どもがその分の居住リソースを受け取れるようあらかじめ出生をコントロールしなくてはならない。
かくして地球を旅立った人類は、子どもを持つことを禁じられた。
しかし、当時の資料を見るに乗組員の反発はさして大きいものではなかったらしい。出生調整の件は、艦への搭乗契約を行う際に条件としてすでに提示されていたのだという。初期の乗組員は、それを承知の上でDJ号に乗り込んだのだ。
つまり、自身の血を残すことを諦めてでも、母なる地球を捨てて宇宙の彼方を目指そうとした変わり者が一万人近くいたということになる。それもまた驚異的な歴史だった。
一方で、この出生調整は乗組員たちが人生のパートナを得ることを禁じるものではなかった。
恋愛、そして結婚といった異性間(あるいは、同性間)での人間関係の構築は、700年前の出航から今に至るまで一度として禁止されていない。
事実、地球を出発してから100年ほど経過するまでは、乗組員の恋愛や結婚はごくありふれたイベントだった。この頃の乗組員はまだ地球で育った者も多かった。彼らは地球の文化や社会生活を自身の人生として経験している者たちだ。地球を離れて宇宙船の社会で暮らし、子どもを作ることを禁じられても、人生のパートナを求める者は相当に多かったという。
出発から200年が経つと、地球生まれの乗組員はみな寿命を迎え、DJ号の乗組員は全員が保存庫から誕生した世代になっていた。サイクル的には、三世代目から五世代目くらいのタイミングだ。
統計資料によると、この頃から乗組員の結婚件数が右肩下がりで減少を始めたらしい。当時を記した様々な文献から、恋愛関係の成立も大きく数を減らしていたと知ることができる。
最初の世代がこの世を去ったために、地球文化の断裂が発生した……、というわけではないようだ。なにしろ僕が普段読んでいる小説のように、地球時代の文化的遺産は今もDJ号に残っている。
だというのにそこからさらに100年(出発から300年。つまり、今から約400年前)にもなると、結婚はおろか恋人を作ろうという乗組員さえまったくいなくなってしまったと艦の歴史には記録されていた。
その原因は、今もなお確定されていない。
遺伝的な変質が起こったというわけではなかった。現に僕らの世代も、遺伝上の両親は700年前の地球人ということになる。地球で生まれ、地球で育ち、地球で保存された生殖遺伝子だ。交配の直前まで冷凍保存されていたそれは、700年の時間経過を知らないまっさらな状態にある。
その遺伝子から生まれる子どもは、理論上まったくの地球人として産まれるはずで、各種の遺伝子検査からもそのことは疑いようのない事実だった。であれば、遺伝的な本能も地球人のそれを継承していておかしくないのだが、どういうわけか『子作り』の欲求だけはぽっかりと穴が開いたようにほとんど失ってしまっているのである。
性欲はある。ただそれは、機械的に処理できるレベルのものだ。本能的な欲求は、いまや純粋な嗜好として僕らの中に僅かに残っているだけ。その欲求が、子どもが欲しいとか、自分の血を残したいとか、そういった方向にまで発展することはまずなかった。
出生調整ありきの社会の在り方が、人間の精神構造を変えたのだろうか。
それとも、宇宙という特殊な環境に原因があるのか。
あるいは、そもそも人間は地球に足をつけていなければ繁栄ができない種族なのかも……。
唯一無二の解答はいまだ見つからず、その追求は棚上げされている。
なぜなら、この状況は艦の運行面においては問題にならず、むしろ遺伝的多様性を維持するのに好都合だったからだ。
人口は当初の予定通り一万人前後を安定して推移している。艦の運行を担うための人員は保存庫から随時補充されていて、その遺伝子交配は常に異なるバリエーションが確保されていた。
だからこそ、僕らは700年の旅路を経てもいまだ
『保存庫』から『地球人』が産まれてくる社会はもはや当たり前のものになっていて、自分の子どもを作るということの価値を、僕は正確には評価できなかった。結婚の制度が風化して、恋愛という概念が忘れ去られたことも、さほどおかしいことだとは思わない。
重要なのは、宇宙船という限られた空間に、世代を越えて人類が生き続けるための環境を維持できているか否かだ。
個人の欲求よりも、種としての存続を重んじる。それもまた生命の本能であり、適者生存のメカニズムの一端ではないか。
少なくとも、僕にはそう思えた。
そしてそれはおそらく、DJ号の乗組員の大多数が同意するところでもあるはずだった。
………
……
…
「いや、ちょっと待ってくれ……」
僕の話を聞いたマハナは、奇怪なものを見るような視線を僕に向けてきた。ちょうど三日前、彼らとはじめて邂逅したときとは似て非なる表情だ。ファーストコンタクトのときよりも、さらに異質なものを見てしまったかのような顔だった。
「生きている人間が子どもを産まない……。それは、どうなんだ。人間の生き方、生物のあり方として、許容されるものなのか。……君たちチキュウ人は、それで納得しているのか?」
「納得というか……、まぁ、違和感はありませんね」
「だが、もともとそういう社会だったわけではないのだろう?」
「ええ、700年前の地球時代は、生きた男女から次の世代が産まれる、というのが普通でした」
当時の資料は今も多く残っている。統計資料や映像媒体、それから小説のような創作物にも地球人類の文化や社会がはっきりと描かれていた。
当然、それらには僕も目を通している。僕に限らず、乗組員で過去の記録や娯楽作品に触れた者であれば誰しも、かつての地球の生活様式を知識として手に入れることができるだろう。
「でも、地球と宇宙は環境が違いすぎるわけですし。種の存続のために必要な制度であることは自明なんですから、その社会の在り方に適応したというのは、ある種当然の話だとも思いますよ」
「しかし……、たとえば、次の世代に自分の生きた証を残すとか、そういう願望はないのか?」
生きた証? 僕はその単語に首を傾げた。
その言葉は、つまり自分の存在が自分の生きた世界になにかしらの意味を残したのか、という疑問から生まれたものなのだろう。
だとしたら、これから先も世代を越えてDJ号の旅が続くということこそが、僕らの生きた証になる。それは願望ではなく、歴然とした事実である。
僕らがいなくても地球は回っていたし、マハナがいなくても惑星ウーサは存在するのだろうけれど、僕らがいなければDJ号は宇宙を進めないのだ。人工的にデザインされた世界で生きるというのは、そういうことである。
たぶんそのあたりの感覚が、宇宙船の
そう考えたうえで、個人個人の
「乗組員が死んでも、その生涯は
地球を出発してから700年が経過してなお、有り余るほどの空き容量を残すDJ号のデータサーバを思い浮かべて、僕は微笑んだ。
自分が死んでからどれだけ時間が経っても、忘れられることなく残り続ける記録がある。それは、遺伝子や記憶よりも確かなものといえるのではないか。
「存在の証を残すのであれば、それで十分では?」