推定犯罪者―私を愛したシリアルキラー(未遂)― 作:高田正人
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ジョンはその後、完璧にガラテアの親しい友人を演じた。恋人にはなるな、と厳命してよかった。さすがは異常者。人心に取り入るのがとてつもなくうまい。どうせジョンの人格は九割が虚像だ。他人に合わせてその理想的なペルソナを形成するのはお手の物だろう。ジョンはガラテアの良き話し相手、心から優しい理解者として振る舞っている。
(少しまずいかも)
私は私服で警備しつつ思う。下手をしたらガラテアは本気でジョンに心を奪われかねない。あいつがその気になれば、レイヤードの歌姫の心さえ掴めるのか。そしてジョンが「ちょっとつまみ食いでも――」なんて思いでもしたら、私のせいでガラテアは惨殺死体だ。私の方がストレスで胃に穴が空きそうになっていた時だった。
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レイヤードの一角。小さな隠れ家のような、知る人ぞ知るレストランで夕食を楽しんだ帰りだった。
「いつもありがとうございます、ジョンさん」
やや人通りの少ない道を歩きつつ、ガラテア――本名サラ・ノースロップは隣にいる美青年にお礼を言った。彼の名前はジョン・ドウ。アウトカムから「友人役」としてやってきた第一級推定犯罪者。
最初は怖かったけれども、今では昔からの友人のような気さえしてくる。それほどまでに、この青年は完璧だった。
「ああ、気にしないで。僕の方こそ、レイヤードのスターと個人的に親しくなれるなんて、夢みたいな幸福だよ」
言葉も物腰も穏やかで礼儀正しく、それなのにミステリアスで刺激的。サラにとってジョンは未知の人種だった。
「ほめるのが上手なんですね」
「君には聞き慣れた言葉だろう?」
何気ないジョンの言葉に、ついサラは自分の本心を吐露してしまう。
「そうでもありませんよ。あまり……身内で歌で誉められた経験はありませんから」
いつもならば「ええ。ファンの皆さんの声援は心強いです」と言っていたのに。ジョンはあまりにも聞き上手だ。
「おや、それはひどい」
こんな風に、サラのネガティブな言葉を否定しないで耳を傾けてくれる。それがサラには心地よい。
「芸術は――苦しみの中から現れる。父母もマネージャーのコナーさんも、そう言って私を育ててくれましたから」
それは常にサラの心にある金言だ。それを今まで疑うことはなかった。なのに――
「それは違うよ」
あっさりと、ジョンはサラがずっと言い聞かされてきた言葉を切って捨てた。
「芸術は苦悶の炎に晒したら燃えてしまう。残るのは灰だけだ」
サラは寒気がした。一瞬、隣にいるジョンが人の皮をかぶった毒蛇のように見えたのだ。第一級推定犯罪者。レイヤードの住人であるサラはその危険性について知ってはいる。しかし実感したのは初めてだ。
「僕はこう思う。芸術とは――自分の満足の追求じゃないか、と」
けれどもその寒気は一瞬だった。すぐにジョンは人当たりの良い笑顔を浮かべてそう言う。
「満足?」
「そう。何よりも自分が満たされるからこそ、美は美となり得る。たとえ誰にも理解されなくても、その美に僕自身が恍惚となれるなら――それでも構わない、とね」
芸術についての一家言を持つジョンに、サラは興味がわいた。
「ジョンさんも何か作品を作るんですか?」
彼女の無邪気な質問に、ジョンは恥ずかしそうに笑う。まるで純朴な少年のような無垢な表情だ。
「それがねえ……笑えるだろう? 実は頭の中には完璧な構想ができているのに、一作も作っていないんだ。……まだ、ね」
レイヤードに溢れている一般人の一人のような意見だ。誰もが頭の中では傑作を描いている。でもそれを実際に現実世界に持ってきて、なおかつ本物の傑作にする人は数少ない。しかし、サラはつい「見てみたいです」と言ってしまった。あたかも果樹に実るおいしそうな果実に惹かれるかのように。その枝の中に、毒蛇が隠れていると知らずに。
「むしろ――モデルになってくれない? 君のありのままの形を、何もかも全て見てみたい」
ジョンがうっとりするような笑みを浮かべて言った提案は、いささか同意するには恥ずかしいものだった。
「え、あの、あまり過激なものは……」
困惑するサラに、ジョンはすぐに両手を振って否定する。
「あはは、冗談だよ。本気にしないで」
しかし――
◆
「君は……本当は歌いたくないんだろう?」
何気ない様子で言ったジョンのその言葉に、サラは固まった。
「え?」
「大丈夫、誰にも言わないから。これは僕の個人的な推理だよ」
「そんなことないです。だって、私は……」
「でも、君の歌いたい歌は、許可されていない」
「……っ!」
ジョンはまるでチェスの達人のように、サラの逃げ道を塞ぐ。
「分かるんだ。僕もちょっとだけ似たような境遇だからね。同病相憐れむ、といった感じさ。全体の秩序のためには、少数の個性的な人間の満足は追求を妨げられる。レイヤードとはそういうものだ」
サラは動悸がしてきた。ジョンには全てを見抜かれている。今のスランプを。自分の望みを。……成功の裏に隠れた、八方塞がりの状況を。
歌いたくない、と言えばそれは嘘になる。サラにとって歌うことはジョンの言葉を借りれば「満足」だ。でも、幼い頃、純粋な気持ちで歌ってきたあの時から、ずいぶんと自分は遠ざかってしまった。初心が消えつつあり、それは彼女の才能を脅かしている。どうしてだろう? 父母やコナーの言う通り、我が身を削って歌に打ち込んできたのに。
「でも、君は立派だよ。僕みたいに中途半端じゃない。君はガラテアとして、多くの人の心を動かす素晴らしい歌手になった。心から尊敬するよ」
「違います!」
うっすらとジョンは笑みを浮かべた。まるで、釣り針にかかった魚を引き寄せる釣り人のように。恐らく彼は、サラが否定の言葉を口にするように誘導していたのだ。
「私はそんな立派な人じゃありません。私は自分一人じゃ何もできないんです。ずっとそう言われてきました。だから私は、自分が何を本当は歌いたいのか、そんなことさえ分からなくなってきたんです!」
ガラテアのペルソナを捨てて、サラは一人のサラ・ノースロップとして叫ぶ。今歩いているところが人通りの少ない道で本当によかった。
「可哀そうなサラ」
サラの必死な様子を見て、ジョンはその目に優しげな光を灯らせる。彼の手が伸びて頬に触れそうになるので、慌ててサラは一歩下がった。
「……駄目です。コナーさんに怒られてしまいます」
ジョンは囁く。
「僕は君の力になりたい」
サラの全身がぞくりと震えた。聖人を堕落させる悪魔とはこういう声なんだろう、とふと思った。
「それはアウトカムのお仕事だからですか?」
「それもある。それ以上に、僕は君に共感しているんだ。シンパシーって奴だよ」
「でも、ジョンさんは自分の作りたい作品が何か、はっきりと分かっているんでしょう?」
「ああ、僕には分かる。自分がそれを渇望しているってことを。きっと完成した暁には、僕だけの満足が待ち受けているってことも」
ジョンは一瞬サラから目を離した。まるで最上級のワインを口にしたかのようなうっとりとした顔になるのを、サラは見逃さなかった。まだ目にしていない自分だけの芸術品。それを脳内にありありと思い描いて、ここまで陶酔できるなんて。それが絵画なのか小説なのか映像作品なのかは分からないが、サラには彼の情熱だけは伝わった。
「うらやましいです。私にはとても、そこまで強く求めるものなんてないんですから」
うつむく弱気な彼女をジョンは嘲笑しなかった。
「――笑ってみて?」
「え?」
顔を上げると、ジョンはいつものように柔和な笑みを浮かべていた。
「ほら、スマイルだよスマイル。苦しみながら創作する時間はもう終わり。難しかったら僕を参考にしてもいいよ」
そんな風に促されてしまえば、サラとしても笑うしかなかった。つられてぎこちなく笑う彼女を見て、ジョンの顔がほころぶ。
「そう、そんな感じ。いいね。苦しみが与える芸術じゃなくて、アプローチを変えてみようじゃないか。楽しみが与える芸術だ。きっとその先には、君が本当に歌いたい――」
その時だった。
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