推定犯罪者―私を愛したシリアルキラー(未遂)― 作:高田正人
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ようやく解放されて椅子に座りなおす私を見ながら、ジョンがわざとらしい明るい声で言う。私が暴力を振るわれたのが不快なのだろう。
「でも、心が動いたでしょう?」
ヴァイオレットは楽し気にジョンに近寄る。
「いずれにせよ、論より証拠ね」
その指がジョンの首輪をなぞる。
「――おや」
ややあってから、ジョンは驚いた様子で首を撫でる。
「本格的な解除じゃないけど、即席でもこれくらいはできるわ。論理とは人が構成したもの。人が作ったもので人に壊せないものはないわ」
どうやらヴァイオレットは、ジョンの首輪の論理に干渉したらしい。
「どうだろうか? 君が我々の陣営に加わるならば、アウトカムがつけたその首輪をはずすと約束しよう。君は早晩本当の意味で自由の身だ」
自信たっぷりなセーブルを無視して、ジョンは私の方に顔を向ける。
「メアリー、ご感想は?」
「驚くには値しませんね。あなたは第一級推定犯罪者である理由は殺人嗜好症と異能故です。あなたの論理についての知識も実力も卓越とは分類されませんでした。アウトカムはその首輪であなたを充分制御できると判断しています。何よりも――」
私はジョンに笑いかける。
「私がここにいます。あなたを制御するのは首輪ではなく私です」
ジョンは論理については素人だ。彼がメイガスレベルの論理の使い手なら、さらに複雑な論理による逃走防止用の拘束が施されただろう。私の笑みに対するジョンの反応は拍手だった。
「まさにその通りだ。メアリー、君は自分の価値がよく分かっている」
結果的に蚊帳の外にされたセーブルが、再び口を開く。
「アウトカムは所詮、評議会の言いなりの組織だ。評議会はレイヤードに何を与えてきた? 抑圧、規制、洗脳。およそ都市の管理者として彼らは相応しくない」
「危険思想ですね。今のあなたの精神純度は著しく低下しています」
私が反応すると、セーブルはこれ見よがしに嘲笑する。
「見なさい、レイヤードの権力構造の寄生虫。評議会の哀れな飼い犬。これがアウトカムの本当の姿だ」
セーブルはこれ見よがしにジョンに手を差し出す。
「私はメイガス。私たちは都市に新秩序をもたらす。検閲された自由ではなく、己の本能を偽らずに形にできる世界。それを共に実現するだけでなく、一足早く体験してみないだろうか?」
犯罪者にも、推定犯罪者にも、その心の奥底にある欲望そのものに語り掛けるようなセーブル――いやメイガスの言葉。ジョンは彼の手を取ることなく目を閉じた。セーブルの言葉を反すうしているかのように。恐らくメイガスは、ジョンの心をあと少しでこちらに引き込めると思っているのだろう。
「本能を偽らずに――ねえ」
ジョンが目を開く。
「僕はずっと探してるんだよ。自己――目には見えないそれを、この手に掴む方法を。そうすれば、僕は無上の満足を味わえると信じている」
その目はメイガスを見ているようで見ていない。自己の欲求にのみ陶酔する、サイコパスそのものの視線だ。
「君は、それを僕に与えられるのかい?」
挑戦的なジョンの言葉にメイガスは応じる。
「ジョン・ドウ。君が殺人嗜好症であることを我々は知っている。人を殺さずにはいられない暗い衝動。どうしても満たされないのだろう?」
訳知り顔でメイガスはことさら明るい声を上げる。
「そんな君に朗報だ」
メイガスが何も合図せずに、申し合わせたようにそれまで周囲に控えていたメイドたちが進み出てくる。
「彼女たちは殺してもよい」
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丁寧にカーテシーで挨拶するメイドたちの表情には、突如殺人鬼の生贄にされた恐怖はない。
「彼女も、彼女も、彼女もだ。どうだい、君の好みに合致しただろうか?」
まるで皿に盛った料理を勧めるかのようなメイガスの言葉に、ジョンはただ「なるほど」とだけ言う。目を輝かすこともなければ、逆に怒るわけでもない。敢えて言うなら無関心だ。
「後腐れは気にしなくていい。何しろ彼女たちは人形だ。しかし私の異能を見ただろう? 人形とはいえ本物の人間となんら変わりない。皮膚も、骨も、肉も、血も」
あのメイドたちはいずれもメイガスの操る人形だ。操ると言っても、ある程度自立した思考を与えているようだ。それこそ、無垢な犠牲者としてジョンにあてがうこともできるだろう。
「ああ、恐怖の反応が見たいの? それとも絶望の表情? 命乞いが聞きたいのかしら? 逆に喜んで殺されるようにするのも可能よ。あなたの好みに合わせて調整してあげる。好きなように切り刻んでいいのよ?」
ここぞとばかりに、メイガスはヴァイオレットの口を借りてジョンに提案する。その残忍な言葉に私は――
「――ふ」
笑った。
「どうだろう。ささやかな私からのプレゼントだ。君の欲望を満たすぴったりの贈り物と自負している」
「――ふふ、ふ」
「受け取ってくれるだろうか?」
セーブルの言葉についに私は我慢できなかった。
「ふふふ――あはははははっ!」
私は椅子に座ったまま大笑いする。
「あはははっ! あーっはっはっは! あはははは!」
明らかに不快そうなメイガスと両脇の巨漢と少年とは異なり、ジョンは大笑する私にほほ笑む。
「メアリー、君はなんて楽しそうに笑うんだ。僕まで心が躍るじゃないか」
私はハンカチで涙を拭ってからジョンに向き直る。
「嘘はやめなさい、ジョン。今あなたは――とてつもなく不愉快。そうでしょう?」
ジョンの笑みが忽然と消えた。
「そうだよ。僕のことを分かってくれるのは世界で君だけだ。親愛なるメアリー・ケリー」
「ええ、そうですよ。私はあなたのことを理解しようと努めます。身勝手な持論を押しつけ、薄弱な根拠を提示し、まるで自分が真理に到達しているかのように思い上がる門外漢とは違います」
見つめ合う私たちに、苛立った様子でセーブルが割って入る。
「ジョン・ドウ。君は第一級推定犯罪者でありながら、アウトカムに帰属するのか? 正気か?」
ずいぶんとまともな意見だ。ジョン・ドウという狂気の申し子と比べれば、メイガスのなんと陳腐なことか。
「正気? そんな殊勝なものがジョン・ドウにあるとでも? まさかあなたは彼とまともに会話ができると本気で信じていたのですか?」
メイガスをあざ笑う私に、とうとう両脇の少年と巨漢が激怒した。
「おい、いい加減にしろ!」
「さっきから調子に乗ってるな。少し痛い目に遭いたいか!?」
私の肩を乱暴に掴む巨漢をよそに、私はそちらを見ないで命じる。
「ジョン」
次の瞬間悲鳴が上がった。巨漢の片腕がずたずたに引き裂かれて血が周囲に飛び散った。
「お、お前――よくも!」
少年がナイフを取り出したが、再び悲鳴が上がる。今度は両腕を切り裂かれている。
「下がりなさい、二人とも」
ヴァイオレットが命じたので、二人は傷口を押さえながら客間から逃げていく。私は彼らの背中を見ながら持論を展開する。
「あなたは、とてつもない勘違いをしています」
そうだ。メイガスはジョン・ドウを何一つ理解していない。
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