推定犯罪者―私を愛したシリアルキラー(未遂)― 作:高田正人
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ジョンの殺意は本物だ。こいつが指一本動かせば、あの不可解な異能で私は惨殺死体だ。なんて答えればいい? なんて言えばジョンは納得する? 何一つ気の利いた言葉を思いつくこともできず、ただ私はいつものメアリー・ケリーでいるしかなかった。
「……離れて下さい、ジョン・ドウ。私はあなたに愛してほしいとは思っていません」
私に抱き着いて深呼吸するジョンに、鳥肌が立つほどの恐怖を感じつつも、私は自分の声が震えていないのに感謝した。
「僕を愛してほしいんだ、メアリー」
「お断りします。捜査官とパートナーである推定犯罪者がそのような関係に陥ることは承服しかねます」
じっとジョンの目を見る。あの濁り腐り淀んだ暗闇に、勇気を振り絞って突き進む。
「なら僕に命じてくれ。何を命じればいいのか、君なら分かるだろう?」
ああ、確かに分かる。私が何を言うべきか。この殺人鬼の狂いきった衝動を抑えるために、私が何を命じるべきか。私は自分の知識を総動員してその言葉を考える。深呼吸する。ジョンは期待に満ちた目で私を見つめていた。――言ってやろうじゃないか。お前を否定する命令を。
「ジョン・ドウ。アウトカム所属の犯罪捜査官、メアリー・ケリーが命じます。正当防衛以外の殺人を無期限で禁止します。どんなことがあっても、レイヤードの法ではなく私自身が、あなたの快楽のために人を殺すことを決して許しません。あなたがこれを破れば、私は心底あなたを軽蔑し、終生許すことはないでしょう。分かりましたか?」
それは――悪魔を閉じ込める鍵だったのだろうか。それとも、悪魔を解き放つ鍵だったのだろうか。
「くく、くくく、くくくくっ……」
ジョンは私の命令を聞いて肩を振るわせながら手を離す。次の瞬間――ジョンは爆笑した。
「あーはっはっは! あはははは! あははっ! あははははっ! あーはっはははは! あははっ! あはははははっ!」
これ以上ないくらいに幸せそうに、地獄で踊る悪魔のように、ジョンは笑い転げた。
「最高だ! 君は本当に僕にとって最高の理解者だ! こんな快感が世の中にあるなんて! 君がそれを僕に教えてくれた! 君の付けたこの枷が、なんて愛しくて心地よいんだ! 君の愛がここにある! 僕と君を結ぶ繋がりとして確かに! 素晴らしい愛が!」
ジョンは満足していた。自己をその時確かに見つけていた。なぜなら、私が彼の殺人嗜好症を拒絶したからだ。はっきりとそれは間違っていると断言した。共感し、理解し、納得した上で否定を突きつけたのだ。きっと私は――ジョン・ドウというサイコパスにとって、自分だけを真摯に見つめてくれる最愛の存在なのだろう。
ジョンは――幸福だった。
――次の瞬間、ジョンはぴたりと笑うのを止めて私から一歩下がった。
「まあいいさ。分かったよメアリー。貞潔な淑女は大好物だ。これからも君に従おう」
まるで飽きたかのように、ジョンは床に並んで置かれたワインの瓶とグラスを手にとってテーブルに戻す。私はため息をつきながら食卓に戻った。
「でも――」
ジョンがナイフを手に取る。
「君がいつか、僕の何もかもを受け入れてくれる時が来たら、その時は……」
その刃を眺めつつ、ジョンの笑みが亀裂のようなものに変わった。こいつの本性。肉食性の昆虫のような、人間味のない冷たい瞳。
「君を惨殺して、その血肉で溺れるまで愛し合おうじゃないか」
その瞳はきっと、血の海に浸かる空想の私を愛おしげに眺めているのだろう。
私は吐き気をこらえた。ジョンの殺意は向けられただけで心臓が止まりそうになる。人間という種の天敵、それがジョン・ドウだ。私はつぶやいた。
「ジョン。あなたはどこから来たのですか?」
あってはならない男、ジョン・ドウは亀裂のような笑みをさらに深くしてこう答えたのだった。
「From Hell to Home. 地獄から家へ帰る途中さ」
◆
親愛なるメアリー・ケリーへ
やあメアリー。人生は旅だ。生まれてから死ぬまで終わることなく続く旅行みたいなものだ。自宅から出発して目的地を目指しているのかもしれないし、遠い土地を旅立って懐かしの我が家を目指しているのかもしれない。
さてメアリー、君は「地獄」についてどう思う? 死後に待っている処罰? それともここレイヤードの別名? 果たしてそれはどこにあるんだろうね? どこにもない? いやいや、そういうつれない返事は悲しいなあ。
僕は思うんだ。地獄とは――人の頭の中にあるんだろう、と。人の心こそが、人の魂こそが――ああ、もう少し物理的な話をしよう。人の肉体が――血液と骨髄と胃腸と筋肉と脳細胞が――地獄を作り出すんだ。
苦しみは人間に原因がある? う~ん、僕が言いたいのはそういう因果応報じゃないんだ。地獄、ヘル、インフェルノ、冥府。混沌と無秩序の渦巻く坩堝こそが、人の魂の故郷だ。
これは挑戦であり回帰だ。人の中に地獄があるのならば、それを現出させることは可能だ。卵を割れば、中の白身と黄身が手に入る。わくわくしないかい? 地獄は古代神話の産物でもなければ、アナーキストの語るレイヤードの現状でもない。今ここに、服を着て何食わぬ顔で歩いているんだよ。
僕はそれを見てみたい。人の内に巣くう地獄を。特にメアリー。君の中の地獄は、どれほど美しいんだろう? 君のまだ固まらない血の赤さも、剥いだ皮膚の下の筋肉も、拍動を感じられる心臓も、素敵な手触りの大腿骨も、全てが愛おしい。
君と手を取り合って、麗しき我が家に戻る日を心待ちにしている。共に踊ろうじゃないか。僕と君の、二人だけのダンスパーティだ。
至高の満足を君と共に味わい尽くすその日まで、僕は君の忠実なパートナーでいてあげよう。
限りない愛を込めて
ジョン・ドウより
―――― From Hell
〈完〉