空間騙 作:ベンゼン
1
自分が自分を認識し、どのような存在であるかと定義したのは、そう昔のことではない。
この世を生きる、普通の人々にとって昔と言えるかもしれない程度の「昔」だが、少なくともこの身の主観においてはつい昨日のように感じられる出来事だ。
私はこの世に生まれ落ちた――私の知る普通の人間には当て嵌まらない存在として。
それは物質的な身体に依拠する生物ではない。
誰にでも知られている伝承や、あやふやな噂話によって他者から認識されることで、初めて存在することを許される概念的な生命。
私の知る、とある空想上の世界ではそれをこう呼ぶのだ。
『妖怪』──と。
「……はぁ」
本日、何度目かの溜め息が溢れる。
天は青い、大地はアスファルトやらコンクリートに覆われ、そこかしこに立ち並ぶビルディングはさながら無機物の森とでも呼ぶべきか。
これまで飽きるほど眺めてきたこの国の風景である。
「暇……はぁ…………死にそう」
勿論後半は冗談だが、事実私は暇だった。
やることが無いし、心を込めてやりたい事というものがない。
最近はいつもこうだ、と私は思う。
身体は老いているわけでもないのに……ただ住居で惰眠を貪るか、こうして外に出ては日がな一日中ぼんやりと人の営みを眺めたりするだけ。
これでは生きているのか死んでいるのかも、分かったものではないと。
ならば何か趣味でも見つけるか、気分転換に旅行でも行けばいいのでは──なんて、思考の端に過った下らない考えに思わず笑いがこみ上げる。
「ふふ……」
成程、いかにも健全でポジティブなことだ、中身にもよるが良いことだろう。
旅行の仕方はどうするか、電車かバスか飛行機か、はたまた徒歩というのもいいか。
山の緑や、海の青に目を潤すも良し、後は仲間がいれば最高だ。
「まぁ、ボッチなんだけどね……はぁ」
また一つ溜め息を吐いて、特にすることも無い私は自分のこれまでを何気なく振り返ってみた。
目覚めは本当に突然だった。
視界一杯に広がる気色悪い模様で覆われた空間と、そして明らかに過去の自分と異なるものと化した己の姿。
状況把握だけでも一週間では足りず、最初は自分の身に起きた余りにも馬鹿げた事象に戸惑うばかりであった。
最終的に結論付けられたのは、自分が別人に成り代わったという事実。
そしてその対象については知識のみでしか知り得ることはなく、本来ならば会うことも会話することもできないような人物であることも困惑を深める要因だった。
『
私の知るその存在は、とある空想物語の中で語られる妖怪と呼ばれるモノの一体だった。
東方project、と呼ばれる作品群──その多くの物語の舞台となる世界では、大昔から科学では説明しづらい摩訶不思議な存在──妖怪もこれに含まれる──が存在していた。
しかし現実における現代のような世界に近付くにつれて人々は科学等の知識を得て、よく分からない不思議な物事を解き明かす術を手に入れ、文明の光で夜の闇を照らした。
人間からの恐怖や畏怖、信仰を失い、それによる衰退を憂いた『八雲紫』といった者達は『幻想郷』を作り、そこに現代を生きる人間達から忘れられた数々の妖怪等の存在を招き入れた。
……というのが、大まかな妖怪に関する設定だった。
その作中においては、『大妖怪』や『賢者』と呼ばれ畏怖される……妖怪の中でも特別で強大な妖怪。
そんなものに自分がなってしまったのだと認識した時の衝撃は、筆舌に尽くし難いものがあった。
それは、その当時の現状が非現実的過ぎたということだけでなく、縁も由も無い存在になった理由がさっぱり分からないということでもあった。
まるで身に覚えも無い、そもそも自分にはかつての自分が何らかの理由で死んだという記憶も無い。
ある日突然、平和に暮らしていた現実の一般人が空想のお話の中の存在になることがあり得るのか──そう問いかけるが、皮肉にも自分の現状こそが『あり得る』という事を証明していた。
おまけに記憶にある八雲紫という存在の超常の力が使えるのか試してみれば、呼吸をするかのように容易く使えたしまったのがトドメだった。
それで、そこから先は……何の進展も無く今に至ってしまったのであった。
「だーれもいないんだもんねぇ……私以外」
これでも自分なりに、色々やって来たつもりだった。
不気味な目玉模様の浮かぶ空間──とりあえず知識にあるものに倣ってスキマ空間と呼ぶそこから外の世界に抜け出し、多くの人々の暮らすどこか懐かしい、記憶にある現代に近いような街に辿り着けた時は心の底から嬉しかった。
戸籍も社会的な身分も無く、最初はスキマ空間の中や野宿で生活していたが、だんだん人恋しさから人並みに社会的な生活を送る欲求が抑えきれなくなっていった。
妖怪の身体というのは便利な力を使えるようで、容姿を変えたり、服装も最初に着ていたロングスカートを身体の一部のように伸び縮みさせ、形状を変化させたり目立たないように色合いを整えるなんてこともできた。
とはいえ、地毛と思しき金髪と青っぽい色の瞳は変えられなかったが。
そしてまず最初に、身分もとい戸籍を手にすることから始めた。
色々考えたが、容姿を体格含めて弄れることから記憶喪失の子供を演じることを思いついたのだった。
役所の質問でどこかボロがでないかという心配はあったが……実際まるっきり嘘を言っている訳でもない。
嘘の背景に幾つかの真実を混ぜ合わせて子供の姿で話をすれば、まぁある程度雑な演技でも信憑性を出すことはできたようだった。
(そういえば……)
自分で言うのも何だが、女性らしい仕草はできていたし、そこについて不審な顔はされていなかったように思う。
これが元々持っていた慣れなのか、それともこの姿になった事による恩恵なのか……確かめる手段は無かった。
(私は元々「どっち」だったのかしら?)
不思議な事に、この姿になる前の自分のことを思い起こしてみると、記憶にもいくつかおかしい点があった。
何というか……上手く言い表せられないが、自分自身の個性や性質に対する意識が希薄であったような。
それを表現する語彙に頓着しない暮らしをしていたのだろうか。
どんな生き方よそれ――と自分でも思うが実際思いだせないので仕方ない。
(八雲紫……ひいては東方という作品を知る事のできる環境にはいた筈なのだけどね…)
この記憶がどこまで信用できるか――色々考えてはみたが確信は持てなかった。
閑話休題。
あえて人前に姿を晒した事についてだが、この姿となった自分に、実は知らない親類縁者や知り合いがいる可能性もあると思った。
それならそれで、調べてもらえば連絡を取れるかもしれないという打算があった。
警察にも話がいったようだったが……幸か不幸か、私の身元を示すものは何一つ、見つからず。
そんなこんなで、半年程掛かって私はどうにか日本国の戸籍を得ることに成功する。
それからは色々調べた、そう……色々。
自分が嘗てこうなるより前から持っていた知識がどこまで通じるのかの確認とか、自分以外の妖怪のような存在についてだとか。
頭や身体を動かしていれば気が紛れたし、何よりそれが自分にとって必要だと考えていたから。
例えば星の並びだとか──尤も、これについては自前の力や努力の結果ではなく、たまたま空を見上げた時に八雲紫としての能力で、空の星の並びが違っているという知識を引き出したに過ぎないが。
つまるところこの世界が自分の本来生きていた『世界』とは違う、ということを再確認したのであった。
超常の力を持つ非現実的な存在と化しているので、世界が違うといっても今更な話だ。
いや、元居た世界にそう言った存在がいないとは……確認できていないけれどもそれはそれ。
やがて、人間社会に紛れた生活も落ち着いた頃、この世界が『妖怪のようなフィクションの存在が現実にいる場所』なのだと仮定して手の届く範囲で調べてみたところ、驚くべきことが分かった。
妖怪が──いない。
街中は勿論、森に山にパワースポットなんかも探してみたが、影も形も無いときた。
そういう伝承はもちろんあるのだけれども、実物として妖怪を見つけるには至らなかった。
単に自分が見つけられていないだけかとも思ったが、どこを探してもやはり見つからない──スキマ空間経由で色々な場所に手軽に行けるようになっても、だ。
「この世界に……他に超常的なものは、いない? まさか……」
そんな馬鹿な、と思った。
自分はこんなにも人間離れしていて、自分の持つ力を多少は理解し扱えるようになった程度ですら現代の軍隊相手でも負ける気がしない自信が付いた程だというのに。
非現実の怪物じみた存在が実在していると、己自身で証明しているのに、他の例がまるで出てこない、調査結果として現れない、それはおかしいと。
そういうものが実在する世界ではないとするならば──それは。
まるで自分だけが、物語の中から現実に引っ張り出された異物でしかないようで。
「わたしは誰? 何? 私はどうして……ここにいるの?」
──答えをくれる人は、ついぞ現れることはなく。
──いつからかやる気を失い、考えるのも面倒だと感じるようになっていって。
──やたら頑丈で、朽ちる様子もない肉体のまま、日々を漫然と過ごすのが当たり前となっていった。
そうして、人の作った街で暮らし始めて、10年か、20年か或いは30年くらいは経ち──カフェテリアでだらけ切った状態の『今』に至る、というわけだ。
面白味の無い、つまらない話だ。
気力が湧かない、やる気がない、そんな自分が好きでもない。
だけど最近は──それでもいいか、と……そう思うようになった自分の内心を自覚していた。
力がある、だから何だ。
人を超えた力を持つ妖怪である、だからどうした。
自分が八雲紫という存在に似ている──だから、それが何だというのか?
結局、何か大きな影響を外部に与えられるような行動力を、自分は持ち合わせていなかったのだ。
そして何というか、こう、疲れた。
衣食住すら究極的には必要ない自分には、汗水流して努力するモチベーションも無い。
そもそも──自分の知る妖怪という存在だって、科学の発達した頃には色々努力しなければその存在を維持できなくなっている筈で。
自分はもしかしたら妖怪ですらないのかもしれないと、最近はそんなことを考えることも多くなってきた。
深い沼の中に沈んでいくかのように、気持ちが落ち込み続けていた。
「はぁ……つまらない」
自分はなんて、つまらないのだろうか──そう吐き捨てると、再びテーブルに突っ伏して寝ようとして。
ふと……頭の奥に引っ掛かるような感覚が、私に顔を上げさせた。
「あー…………あ? 何かしらこれ……うーん?」
初めての感覚だった。
半分ぼやけていた意識が活性化し、感じる違和感の原因を考えるために思考は動き始める。
この身体はスキマの操作以外でも本当にポテンシャルが高く、この頭にはそこらの人間が500人いても決して届かない程に高度な演算・分析能力を秘めている。
尤も──真面目に使おうとしなければ宝の持ち腐れでしかないというか……力の扱い方の習熟をさぼっているせいでそのハイスペックを使いこなせていないのだけれど。
「うん……感じる……これは……裂け目? 穴? 空間……世界が、揺れている? これって……」
何となく大体、ぼんやりと分かったことによれば、だが。
もう暫くするとここから離れていない地点にて──空間に穴が開くらしい。
恐らくは何者かによるかなりの大規模な力の行使であり、自分のものとはまた似て非なる……『異なる世界同士を隔てる境界』に、干渉? ……しているようだ。
「……え、何で?」
異なる世界同士の境界って何よと……自分の考えに自分で突っ込みを入れながら、いきなりの展開に私は焦っていた。
幾ら何でも唐突過ぎるというか、この世界は不思議な力が無い世界なのだと思っていたのに──と、そこまで考えて気付く。
「あ、そうか──別の世界になら……? え、ええ?」
この世界においてはそう言ったものを生み出す土壌が無い、或いは何らかの理由で失われたのだとしても……これは例えばの話だが。
そういう摩訶不思議な現象を起こす法則のある世界が、この世界に干渉してきている……とするならば、一応説明は付くのかもしれない。
となると重要なのは、何のためにそんな大それたことをしでかそうとしているのか。
「この感じなら世界の境界が完全崩壊して滅亡まっしぐら、とはならなさそうだけれど……ん? 何か変なものが……あ!」
そして気付く。
今にも完全に開きかけている境界の、その向こう側から微かに感じる、微弱な気配。
そう、ここ数十年で幾度となく身近に接してきた気配とよく似た──
「これは
何が起きようとしているのか──強大ではあれど全能ではない身ではその全てを理解してはいない、が。
確実に
「……もしも……いえ、今は」
湧き上がる感情に、今はまだ蓋をしておく。
案外大したものではないかもしれないのだと、己の心に言い聞かせて。
しかし──ああ、できるならば。
何か面白いことでも起きないものか──そんな言葉が聞こえた気がした。