作家でありエッセイストである天野はるか/春河童がギャラリーで怪しい老人から絵を買ったお話。

野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から
エッセイ風二次創作

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画商と作家

 書斎に新しく絵を掛けた。真っ白の原稿用紙を前にしながら、ぼんやりと眺める。

 

 プリントやポスターなどの複製画ではない、原画だ。私は初めて、あの作家よりも謎めいた人々である画商から絵を買ったのだ。

 

 しかし、これを絵と呼んでよいものだろうか。買ってからしばらく経った今でも、私は「然り」あるいは「否」の答えを見出せていない。亜麻のキャンバスに油絵具で描かれているのだから、形式上は絵画であることに間違いはない。けれども描かれているもの、それが何かが問題だった。

 

 絵具を贅沢に使ってケーキの表面のように厚塗りされた濃い藍色の背景に、アルファベットのCを左右対称にした記号のようなものがキャンバスいっぱいの大きさに、ぎらぎらと光る黄色で描かれている。

 

 これがポストカードに描かれていたら、写真立てに入れるなどして生活の片隅で愛玩のしようもあったかもしれない。だがこれは大衣サイズ、つまり一辺が半メートルにも及んでいる。腕の長さほどの巨大なCが、派手なものが一切ない私の書斎の中で、どうしようもなくその存在を主張していた。Cによって部屋全体が圧倒されているのだ。

 

 加えて、そのCでさえ、決まったフォントに則って印刷されたものではなく、線全体が震え、痛ましいほどにたどたどしい代物だった。前後不覚の酔っ払いでさえ、もう少しマシな線を引けるだろう。

 

 色彩のコントラストと、どこか弱々しい線は、キャンバスの中で壮大な不協和を引き起こしていて、部屋の明かりの下でさえ、目が痛くなるくらいだった。

 

 私の家にあるどんな家具とも、絵とも、私とさえも、調和しない絵。

 

 けれどもこの絵は間違いなく、私が、私の意志で買った絵だった。

 

 

 私の筆が止まっているのに感付いたのか、マリコが訪ねてきた。開口一番、

「あれ、珍しい。グラフィティ、かしら?はるかもこういうのも好きなのね」

 

 グラフィティ?そうか、グラフィティか!言われてみれば、ストリートアートを油絵で描いたように見えなくもないかも。流石はマリコ、私は視力検査しか連想できなかったことは黙っておこう。

 

「ううん、好きとかってわけじゃないんだけれど」

 

「じゃあ、誰かから貰ったの?」

「ううん、それも違くて。自分で買ったんだ」

 

「好きでもないのに買ったの?」

「そういうことになるのかな」

「ふうん」

 

 マリコはあからさまに不審そうな目付きで私を眺めた。

 

 好き、ではない。むしろ現代アートは苦手だ。

 

「どうにも、春河童先生の趣味に合うようにはとても思えないのだけど」

 

「マリコにはどう見える?」

 

「どうって、うん。わからないわね。独特の力強さはある、かなあ」

「目がチカチカしちゃうよね」

「なんでそんな自覚があるのに仕事場に飾るのよ」

 

 マリコは私と絵を交互に眺めて、やがて得心顔でいった。

 

「どうして買ったのか、聞いて欲しいわけね」

 

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 そう、私は思い付きで必要ないものをよく買うけれど、今回は違うのです。

 

「それはね」

 

―――

 先日、絵を見にいかないかと作家の知り合いから連絡があった。

 

 なんでも、界隈ではそこそこ有名な画商が商売を畳むのを機に、これまで集めてきたコレクションの展覧会を開くそうで、なぜか「春河童先生にもぜひに」と声がかかったのだ。

 

 その画商の方とは面識がなかったし、私は絵画に造詣があると鳴らしているわけでもないので不思議だった。

 

 異分野の美術を鑑賞することはやぶさかではなかったのだけれど、見せてもらったチラシから察するに古美術品ではなく、いわゆる現代アートの区分に属するコレクションのようで、あまり気が進まなかった。

 

 写実的か抽象的かに関わらず、独立した一個の芸術から外れてしまっている作品は、煙に巻かれるような気がして、どうにも好きにはなれない。

 

 作家は元来自由なもので、また自由でなくてはならない。解釈や理解を受け付けないことでさえ作家の自由だ。でも、鑑賞する人から逃れようとする姿勢はいかがなものだろうか。

 

 小説やエッセイ等の文字媒体では同じようにはいかない。文字が特別というわけではなく、絵画や動画と違って、文字による作品は読者に『読む』というより能動的なアクションを絶えず求め続けるために、読めないものを書くわけにはいかないからだ。

 

 もちろん読むのが難しい作品や、かつては読めないように書くことが試みられた時代もあった。文学界にさえ、シュルレアリスムに連なる流行の波が繰り返し襲い掛かった。けれど、そういった作品たちは今では名前だけが独り歩きしていて、もう誰も中身を読もうとしない。

 

 私の思い込み?売文業の端くれとしての矜持?とにかく、わからないままでストレスばかりたまる現代アートと私は相性が良いとはとても言えなかったのだ。

 

 そこで波風を立てないように丁重にやんわりと辞退しようとしたところ、意外にも、腕を強く引っ張るように誘いの報せは強くなった。思えば、この時点で固辞しておけば良かったのかもしれない。

 

 来る日も来る日も誘いの便りが届き、油断すると郵便受けがあふれるほどであったから、私はとうとう根負けして現地に赴くことにした。ところが、声をかけてきた知り合いは急に都合が悪くなったと私ひとりを残して行方をくらます始末。相手の素性もわからなかったからマリコや観音さんに同伴を頼むわけにもいかず、単身で乗り込むことになった。

 

 会場は東京と埼玉の境、再開発の進む町の一角にあった。ギャラリーにカフェが併設された最近の美術館のような流行りのスタイルで、建物自体も作品であるとのこと。いやはや、芸術と実用品の境界について考えさせられます。

 

 剥き出しのコンクリート、やたらと大きなガラス窓、散りばめられた幾何模様。灰色の獣が大口を開けて待ち構えている。どうにも嫌な予感がして落ち着かない。

 

 とはいえ、ここで引き返してまた誘いの矢文を雨あられのように降らせられても参ってしまう。さっと回って、来た証拠代わりにリーフレットでも貰って帰ろうと決心を固め、獣の胎の中へと足を踏み入れた。

 

 さすが名のある画商の晩年のコレクションというだけあって、品のよい格好をした、しかし他人を値踏みする目を隠そうともしない紳士淑女が集まっている。

 

 その中でもひときわ異彩を放つ老紳士がいた。たっぷりの白髪は整えられて、アルミホイルをくしゃりと丸めたようなしわだらけの顔の上に乗っている。美しいツートンカラーのモーニングに身を包み、小柄ながらも流麗なペンギンのようで存在感は抜群だった。

 

 一目でこの展覧会の主、くだんの画商だとわかった。そして彼が私を待ち構えていたとも。

 

 老紳士は私の姿を認めると、やはりペンギンのように靴のかかとをツカツカといわせながら悠然と近付いてきた。

 

「もし、春河童先生ではございませんか?」

 

 見た目や服装の割には尊大な態度を感じさせない、むしろへりくだったようにも聞こえる、物腰のやわらかな声だった。老紳士に口頭で春河童などと呼ばれると、なんともこそばゆい。

 

「はい、そうですが」

 ここにきて誤魔化すわけにもいかないので、正直に答える。

 

「おお、これはこれは。本当に来て下さるとは!私、美術商のサカキと申します」

「どうも、作家をやっております春河童と申します」

 

「お噂はかねがね。この度はお引き受けくださり、大変ありがたく存じます」

 

 サカキと名乗った老紳士はしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、たぶん、笑顔になった。さっそく雲行きがあやしい。

 

「ごめんなさい、お話がよくわからないのですが」

「私最後の展覧会の評論をお受け頂けると伺っていたのですが」

「ひょ、評論!?」

 

 書評だって仕事の依頼でもなければ避けたいのに、よりによって絵画の、現代アートの評論だなんて!サカキ氏も私の戸惑いに気付いたようで笑顔だったものがゆっくりと消える。

 

「もしや、ご存知なかった?」

「ええ、知人に絵を見に行こうと誘われたもので。お恥ずかしながら、今日は鑑賞のためだけに参った次第です」

「それはまた、大変失礼致しました。伝達不足、私の不徳の致すところでございます」

 

 サカキ氏は深々と頭を下げた。

 

「それに私、絵画は全然詳しくなくって。いや他にも何かに詳しいというわけではないのですが、評論だなんてとても」

 

 初対面の相手に頭を下げさせるわけにもいかず、私は余計なことを口走ってしまった。

 

「またまたご謙遜を。こうした画廊やギャラリーでの展覧会は今でこそ珍しくないものですが、19世紀末に明治美術会の開催した第一回展が先駆けと言われております。この第一回展の批評を森鴎外氏と原田直次郎氏が発表したことが美術批評の道を切り拓いたわけでございまして」

 

 面を上げないままのサカキ氏の言には熱が入っていた。

 

 それにしても森鴎外って。そんな人と並べられても困るのだ。当時の、なんでも守備範囲であることを標榜していた知識人たちと違って、今では作家も各々の専門分野に細分化されているのだから、困るにきまっている。

 

 その作家だって山のようにいるわけで、私なんかより美術を語れる作家はいくらでも見つかるはずなのだ。

 

「失礼。ともかくとして、美術批評と作家は切っても切り離せない関係にございます」

「と申されましても、お声掛け頂けたのは大変光栄なのですが、私には荷が重いというか、力不足というか、もっと相応しい方がいらっしゃるのではないかなあ、と」

「左様でございますか」

 

 もっと食い下がってくるかと身構えたのに、意外にもサカキ氏はひどく残念そうに俯くだけだった。ただでさえ小柄な老人が縮こまってしまい、まるで私が叱りつけたかのようで、このままに立ち去るのは後味が悪く、忍びない。

 

「評論のことは申し訳ないのですが、せっかくなので見て回ってもよいですか?」

 

 サカキ氏はようやく面を上げて

 

「それはもう是非、ごゆっくりとご覧ください」

 

 絞り出すかのような、精一杯の声だった。

 

 私は彼から逃げるようにしてギャラリーの奥へと進んだ。

 

 「見て回る」と口にした直後に、手取り足取りコレクションの解説をされることを想像して内心焦ったけれど、幸いなことにサカキ氏は入口の方で私を見送り、付いてはこなかった。

 

 本心から伝達不足を悔やんでいたからだろうか。それとも、画商という特殊なショーマンシップを要求される職を長年経験した賜物なのだろうか。不動産の営業のように高慢で高圧的でないことには好感がもてた。

 

 いったい、評論のことはともかくとして、サカキ氏は好人物だった。奥ゆかしくて商売っ気が感じられない。想像していた絵画のブローカーとはまるで違う。画商にあって画商にあらず。

 

 ただ出入口で彼が私を待っていることは確実なわけで、私の気持ちは晴れなかった。作品を見れば何か気が変わるかもしれない。その一縷の希望もすぐさまに絶たれた。

 

 サカキ氏のコレクションはすべて現代アートで、うん、思っていた通りに一筋縄ではいかない作品ばかり。

 

 どれも絵画だったから、どうにか鑑賞のしようがあった。壁にバナナが貼り付けてあったり、巨大なかぼちゃが床に鎮座していたりしたら、私は老紳士のことなんか構わずに匙を投げていたに違いない。

 

『鉛の光景』

 1950年代の作品。絵具の代わりに鉛粉と油を混ぜて、厚塗りされたキャンバスは灰色の一色に染められている。連作6点はどこまでも灰色だ。絵筆を使わずに手で塗られたそうだけど、作者が27歳の若さで亡くなっているのは関係があるのだろうか。あまり近付いて見たくはなかった。

 

『レプリカの昼と夜』

 1960年代の作品。フランス五月革命に影響を受けたそうで、広告ポスターをコラージュした上に、赤いスプレーで「これは革命ではない」と記されている。そうか。作品の背面には「血で描く必要はない、すでに十分流れている」とメッセージが付されているそう。

 いっそ革命ではない云々より、背面のメッセージを表に書けばよかったんじゃないかな。絵画よりは詩作の方が向いているんじゃないだろうか。作家本人は暴動に巻き込まれて失踪したそうだけど、創作の意図よりも価値を見出そうとした人物の作為が感じられてしまって、いけない。

 

『母のいない部屋』

 1970年代の三部作。油彩で描かれたモノトーンの室内に家具がひとつと、女性の影。それだけならわかりようもあったのに、各作品には「問い」「答え」「沈黙」の文字が浮き上がるように直接書き込まれてしまっている。絵画の中に問いがあったら、他にどう解釈もしようがない。

 

『商品棚の天使たち』

 1980年代の連作10点。写真のように精密に描かれたコンビニの商品棚。おにぎりに「祈り」、菓子パンに「贖罪」、弁当に「昇天」などの宗教チックな言葉が刷り込まれている。

 これは、ダメだ。ダメでしょう。だって祈り味のおにぎりや贖罪味の菓子パンを真面目に論じろという方が無理な話だ。

 可能な限り好意的に捉えれば、消費されることと信仰されることが表裏一体であることを示している、のかもしれない。でもそれより私は、今後コンビニで変てこな名前の商品を見つけたらこの作品を思い出してしまうであろう可能性を呪った。

 

『ログアウトされた自画像』

 2000年代。無地の背景に、表情の欠落した男性の相貌が描かれている。顔の半分は壊れてしまった写真データのように崩れていて、片目は読み込み中を意味するのだろうか、カーソルの砂時計に置き換えられている。

 キャンバスにデジタルの記号を持ち込みながら、すべてアナログの手描きで制作されているようで、ああ、2000年代の空気だと感じる。一方で、人工知能が芸術分野を縦横無尽に駆け巡る現代からすると、懐古趣味が過ぎる。私も生きた時代が骨董品扱いされるのは、身がつまされる思いだった。

 

 他にも、視力検査の記号のようなものを描いた無題の作品や、風景画と新聞記事を混ぜた作品など、色々なものがあった。

 

 やっぱり私に絵画の評論なんて向いてない。抱いた感想が文字になって発表された日には、ありとあらゆる人から芸術オンチと後ろ指を指されるに決まっている。美術批評は作家としてのスキル以外にも、特殊で高度な技術が必要だとはっきりとわかった。森先生だって今を生きていたら、プロデュース業で食べていたに違いない。

 

 こういった手合いの作品たちを私なりに解剖してみようと正面や左右からしげしげと眺めていると、何やら不穏な会話が聞こえてきた。

 

 身なりの良い、けれど軽薄そうな男たちが話し込んでいる。

 

「まずまずだな。老人のコレクションにしてはやたらと青い作品が多いのが気になるが」

「そりゃあサカキ氏の展覧会なのだから、当たり前じゃないか」

「というと?」

 

「知らないで来たのか?サカキ氏といえば夭折した作家の作品ばかり取り扱っていることで有名じゃないか」

「けっ。じゃあなんだ、青い作品じゃなくて、本当に若い作品なのか」

 

「ああ。どこから見つけてくるのか、30代を超えるあたりで死んでしまった作家ばかり。昔からそうだっていうんだから、『人殺し』とも噂されているようだぜ」

「それは随分な趣味じゃないか、中世の画商じゃあるまいし」

 

 サカキ氏の態度からは『人殺し』などとはにわかに信じられなかった。でもよくよくキャプションを確認してみると男たちが言っていた通り、どの作品も作家が30歳になる前に発表されたものだ。作者が早くに亡くなったことさえ、仄めかされている。

 

 寒気立つ話だ。確かに、成功の有無に関わらず、生前より死後の方が評価されるというのはよくあること。その付加価値を狙う画商がいても不思議はない。

 

 しかし実際に手をかけているわけではないにしても、夭折した作家の作品ばかりというのは、芸術の端っこにいる身としては他人事に思えなかった。

 

 誰にも正当に評価されずに志半ばで倒れた作家たち。死んでも死にきれず、さりとて、その痛みを表現することも永久に叶わない。辛く、苦しい。

 

 先のうわさ話が本当ならば、ここはギャラリーなんかじゃなくて、墓地や死体安置所の方がよほど近い。生きている作家よりも死んだ作家の方が多いのだから、他のギャラリーだって実態は同じ、そんな理屈ではないのだ。人を殺しているかもしれない恐ろしさより、おぞましさが勝った。

 

 もはや芸術鑑賞どころではなかった。自然と足早になり、気が付くとギャラリーを一周してしまっていた。案の定、出口にはサカキ氏の姿が。

 

「いかがでしたか?」

「ええ、難しかったですね。何ぶん不勉強なもので」

 

 サカキ氏は老人らしく「は、は、は」と短く笑い、

 

「もしよろしければ、コーヒーでもいかがでしょうか」

 

 併設されたカフェの一角、予約の札が置かれた広々としたスペースを指した。

 

 あいにく、『人殺し』の異名を持つ老人を前に、誘いを断るほどの勇気を私は持ち合わせていなかった。

 

 

 マグカップから香り高い湯気が昇る中、サカキ氏はおもむろに切り出した。

 

「評論のことはどうかお気になさらず。ただ、せめて作家先生にご感想だけでも頂戴できれば老境の慰めになると思いまして」

 

 そのように言われてしまったら、無碍に返すこともできない。本人が口では求めているとしても、わざとらしい慰めの言葉はかえって失礼にあたるだろう。私は観念して、思ったままに応えることにした。

 

「ごめんなさい、正直に言って私、現代アートには疎くて。もっと言えば、あまり好きじゃないんです。作品の意図よりも作為的な意図を感じてしまって、ピンとくる作品はありませんでした」

「なるほど、なるほど。春河童先生は現代アートはお好きではありませんでしたか。それに作意よりも作為とは」

 

 人生の集大成であるコレクションを否定されたにも関わず、サカキ氏は怒りの感情をおくびにも出すどころか、しわくちゃの顔で愉快そうに「は、は、は」とまた小さく笑った。

 

「あの、失礼なことを言ったのに恐縮ですが、怒られないのですか?」

「とんでもございません。好き嫌いは人それぞれ。それどころか、私でさえ好きで現代アートを扱っているわけではございませんので」

「はあ、そういうものですか」

 

 隣ではその現代アートが展示されているにも関わらず、突飛なことを言い出した。

 

 作家でさえ日銭のために好きでもないジャンルに手を出し、そちらの方が売れてしまうというケースは少なくない。同様に画商も単にビジネスマンであって、好き嫌いに関係なく、伸びそうな作家や作品に投資するものと割り切っているのだろうか。

 

 こうなってしまってはサカキ氏は好々爺にしか見えず、人殺しだの夭折作家の収集家だのは思い違いのような気がしてきた。

 

「失礼ついでお聞きしたいのですが、青の背景に黄色の記号でしょうか、ひとつだけ無題の作品がありましたよね。あれは他の作品とは何か違う背景があるのですか?」

 

「ほう」

 

 もっと面白い話を引き出せるかもしれないと皮算用して、余計なことを口走ったのが間違いだった。

 

 サカキ氏は今日はじめて見る表情、先ほどの笑顔が幻だったかのように、別人の表情をつけていた。しわくちゃだった顔からふたつの光が、見開かれた鋭い眼光が私を射す。好奇と興味、値踏みされているような、湿度の高い視線。

 

「いや、すみません。他とは違ったなあと思っただけで」

「さすが、作家先生でいらっしゃる」

 

 サカキ氏は目を見開いたまま、小さく頷いた。

 

「時に春河童先生、初対面で恐縮ですが、私が世間様から何と呼ばれているかご存知ですかな?」

「いいえ」

 異様な気配をたたえた老紳士を前に、人殺しと言う訳にもいかない。

 

「人殺しです」

 

 言った!この人自分で言った!凍りつく私を意に介することなく、彼は続けた。

 

「作家は本人がそう望まずとも、死後に評価、再評価されるものです。彼ら彼女らの苦心は想像するだけで胸が張り裂けんばかりですが、事実は事実。私は若い頃からこれに目を付けて、夭折した作家の作品ばかりを集めてきました。人の価値は死によって高められるのです」

 

 恐ろしい言葉だった。男たちの話は本当だったのだ。しかし、それだけではなかった。

 

「しかし、この事実を利用しようとするのは画商だけではありません。かつてある作家がいました。描いた作品が一向に評価されず、赤貧に喘いだ彼は思い悩んだ末に自らを救う方法を思いつきます。

 

 彼は定期的に自分を殺すことにしたのです。継続した評価を得られる可能性を失いましたが、夭折という箔は相応の対価をもたらしました。

 

 加えて、絵画の流行のサイクルは非常に早い。10年おきに新しい技法に挑戦すれば、同じような絵を描いて気取られることもない。彼は小さな成功を積み重ねることなく、リセットを繰り返した。

 

 彼はそのような生活に満足していましたが、ある時にふと気付きました。自分は何のために絵なんかを描いているのだろうか。お金が欲しいのであれば、もっと良い稼ぎの仕事はいくらでもある。作家なんて続ける必要はなかった。

 

 であるならば、何か描きたいものがあったはず。けれども、思い出すには遅すぎた。いくら生と死をやり直しても、それは名義上のこと。寄る年波には勝てません。彼はどうして描きたかったのか、何が描きたかったのか、ついぞ思い出せなかった」

 

 サカキ氏の話が終わる頃には、あれだけ激しかった眼光はすっかり失われていて、元の老紳士に戻っていた。彼は深く息を吐きだしてマグカップを手で覆った。

 

「サカキさん」

「今のは。今のは、ある作家の話です。あの無題はその誰かが、まだ若かりし頃に描いた未熟な作品だったかもしれません。私も色々と集めたもので、もう忘れました」

 

 評価されたい。評価されない。ではどうすれば評価されるのか。

 

 胸が張り裂けんばかり、じゃない。この人の胸は本当に張り裂けてしまったのだ。そうして、誰しもが想像して実行には移さない、壮大で途方もない計画をやってのけた。

 

 画号をあれだけ変えた北斎でさえ、生きたのはひとりの人生だ。目の前にいる老人は、いったい何人の人生を生きたのだろうか。いったい何度生まれて何度殺したのだろうか。

 

 それも人知れず、誰にも知られずに。

 

 『人殺し』の異名は伊達じゃなかった。彼は本当に人殺しなのだから。それが架空の人物であれ、画風であれ、自分自身であれ、彼は人を殺した。抽象的な殺人であっても、それは繰り返した分だけ、本物になる。

 

 この人は天才ではなかったのかもしれない。天才ではないのかもしれない。

 

 それでも私は恐れでなく畏れを抱く。いかなる形であれ、ひとつの芸術に何人もの人生を捧げた彼に敬意を抱く。そう、彼は敬われるべきなのだ。評論なんて、とんでもなかった。

 

 だから、

 

「ごめんなさい。やっぱり批評のお話はお受けできません。私は他人の芸術を、生きた証を評するには、あまりにも未熟なのです」

 

 サカキ氏はゆっくりと頷いてみせた。

 

「ですが、ここはギャラリーで、貴方は画商です。どうかあの無題を、私に売ってくれませんか?」

 

 彼はたぶん、「差し上げる」と言いかけて、それを呑み込んだ。

 

 芸術の形は違えど、私たちは共に作家なのだから。無償のやり取りは、ありえなかった。

 

―――

 

「それはね」

 私は躊躇った。

 

「やっぱり、秘密」

「ええ!?何よはるか!もったいぶっちゃって!」

 

 わからないままの方が、良いことだってあるのかもしれない。

 

 マリコは不満そうにため息をついた。

 

「まさかあの春河童先生が秘密趣味に走るなんてね」

 

 なぜ、あの老紳士が私を呼んだのか、なぜ一生をかけて守り抜いてきた秘密を私に明かしたのか、今でもわからない。

 

 老い先が短いと悟ったからだろうか、気の迷いだろうか、私はそうは思えなかった。

 

 秘密は明かされることを待っている。ただし、誰にでもではなく、決まった時、決まった人に、人知れず、静かに待っている。

 

 私は小さな、しかし、とっておきの秘密を受け継いだのだ。

 

 この絵の価値は、今や私だけのものになった。独立した芸術ではないことに変わりないのだから、私の趣味ではないけれど、それでも今は十分だった。

 

 

 

(画商と作家 終)


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