響け!北宇治中学校サッカー部   作:和江と別府

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第2話

「サッカー部、見学だけでも行ってみない?」

 

 放課後、教室で荷物をまとめていた久美子に、川島緑輝が声をかけてきた。

 その声はいつも通り明るく、けれどどこか自然体で、押しつけがましさはなかった。

 

「……見学?」

 

「うん。練習だけちょっと見て、気が向かなかったら帰ればいいし!」

 

 そう軽く言ってから、緑輝はいたずらっぽく笑った。

 

「でも、きっと黄前さん、好きになると思うよ」

 

 その根拠のない自信に、久美子は一瞬だけ吹き出してしまった。

 

 ……見に行くだけなら、いいかもしれない。

 

*

 

 校庭の端。小さなベンチに腰かけながら、久美子はグラウンドを見つめていた。

 夕焼けが落ち始め、芝の上に長い影が伸びる。サッカー部の声とボールの音が、風に乗って耳に届いた。

 

 ドリブル。パス。声出し。スライディング。

 

 一つ一つの動きが、胸の奥をざわつかせる。

 懐かしさ。憧れ。そして——少しの痛み。

 

 そのとき、鋭いパスを受けてゴール前を駆ける選手が目に入った。

 力強いステップでディフェンスをかわし、軽やかにボールを蹴り込む。

 ネットが揺れた。

 

「おーっし! 今の、決まったよねっ!」

 

 高らかな声とともに、弾けるような笑顔で跳ねる少女。

 ——加藤葉月。オレンジ色のヘアゴムが、彼女の明るさそのものを象徴していた。

 

「すごい……」

 

 思わずもれた久美子の声に、隣の緑輝が嬉しそうに笑う。

 

「うん、あれが加藤葉月さん。明るくてパワフルで、実は久美子ちゃんと同じ2年生なんだよ」

 

「同学年……なんだ」

 

「そうそう。それから——ほら、中央にいる子。昨日、屋上から見てたでしょ? あれが高坂麗奈さん。同じクラスで、同じく2年生」

 

 視線の先には、ピッチの中央で真剣な表情を浮かべる少女の姿があった。

 無駄のないパス。冷静なコーチング。空気を引き締めるような緊張感。

 

 久美子は、見てすぐにわかった。この人は、ただ“上手い”だけじゃない。

 「勝つために必要なもの」を、すべて持っている——そんな選手だった。

 

 そして、その視線がふとこちらを向く。

 目が合った瞬間、久美子は思わず背筋を伸ばしていた。

 

(同じ2年生、なのに……)

 

 心が、ほんのわずかに揺れた。

 

*

 

 その日の帰り道。久美子は空を見上げた。

 夕焼けはもう、藍色に染まりはじめていた。

 

 ただ練習を見ていただけなのに、胸の奥が、ずっと熱を帯びていた。

 動き出した気持ちを持て余したまま、彼女は小さくつぶやく。

 

「……もう一回、やってみたいのかな。私……」

 

 その声は誰にも聞こえていなかった。

 けれど確かに、自分自身の奥深くに届いていた。

 

*

 

次の日。授業が終わるチャイムが鳴った放課後。

 久美子は迷っていた。机に手をかけたまま、荷物もまとめず、動けずにいた。

 

「今日も、行く?」

 

 声をかけてきたのは、緑輝だった。まるで最初から分かっていたかのような、やさしい笑顔で。

 

「……少しだけなら」

 

 そう答えた自分の声が、思っていたよりもあっさりしていて。

 久美子は、胸の奥がわずかにざわつくのを感じていた。

 

*

 

 グラウンドの端。見学のつもり——だったのに。

 

「ちょっと、そこの! そこの転校生!」

 

 突然、弾むような声が飛んできた。

 

「見てるだけなんてもったいないって! ボール、蹴ってみよ! 軽くでいいから!」

 

 手を振っていたのは、加藤葉月だった。

 夕日に透けるオレンジ色のヘアゴムと、弾ける笑顔が眩しい。

 

「え、私? でも……」

 

 戸惑う久美子の背中を、緑輝がそっと押した。

 

「ボールを蹴るだけなら、いいでしょ?」

 

 それは逃げ道をふさぐような強さではなかった。

 ただ、背中をやさしく支えるだけの、あたたかな後押し。

 

*

 

 ——ボールを蹴るなんて、いつぶりだろう。

 

 そんなことを考える間もなく、久美子は軽くステップを踏んでいた。

 

 葉月のトラップを受けて、右足でパスを返す。

 自然と、身体が動いた。

 

「おっ、いいね! パス、きれい!」

 

 葉月の明るい声に、思わず久美子は照れくさそうに笑う。

 

(……体が、覚えてる)

 

 ボールを蹴る感覚。芝の匂い。汗の気配。

 全部、遠くに置いてきたはずのものたち。

 

 そこへ、低く真っ直ぐな声が割り込んできた。

 

「無駄なステップが多い。姿勢も崩れてる」

 

 ドキリとして振り返ると、いつの間にかそばに立っていたのは——高坂麗奈だった。

 その瞳が、真剣に久美子を見据えている。

 

「蹴る前に、ちゃんと周囲を見て。あなた、プレースタイルは中央向きよね?」

 

「え、……なんで分かるの?」

 

「クセが出てる。体の使い方と視線の向きで、だいたい分かる」

 

 あまりに迷いのないその言葉に、久美子は口をつぐんだ。

 自分より少し背の高い彼女は、“分析”というより“確信”としてそれを語っていた。

 

 ——同じ2年生、なのに。

 いや、だからこそ、差が痛かった。

 

 けれど、それ以上に胸に残ったのは、麗奈が自分を「プレイヤー」として見てくれたことへの、不思議な嬉しさだった。

 

*

 

 帰り道。久美子は、あの瞬間を思い返していた。

 

 芝の上でボールを蹴った、あの感覚。

 わずかな振動と手応えだけで、胸の奥が熱を持つなんて。

 

「……やっぱり、好きだな」

 

 そのつぶやきに、もう迷いはなかった。

 

*

 翌日、放課後の教室。ざわめきが引いて、生徒たちが次々に部活へ向かう中、久美子はまだ自分の席に座っていた。

 

 昨日、足で感じたボールの感触が、まだ足元に残っている気がする。

 加藤葉月の声、緑輝のやさしい後押し、そして——高坂麗奈の、鋭く迷いのない視線。

 

 (中央向き……って、言われた)

 

 あれはまるで、自分がもう一度「選手」として呼び戻されたような言葉だった。

 

 それでも、久美子は迷っていた。

 

 またあの場所に戻って、同じことの繰り返しだったら——

 また、「通用しない」って突きつけられたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。

 

 ——だけど。

 

 「それでもやりたい」と思ってしまった気持ちからは、もう目をそらせなかった。

 

*

 

 部室の前で立ち止まる。

 手をかけた瞬間、鼓動が速くなるのがわかる。

 

「……はあ、落ち着け、私」

 

 深呼吸をひとつ。ノックはせず、そっと扉を開けると——先に来ていた緑輝がぱっと顔を上げた。

 

「久美子ちゃん! ……って、名前で呼んじゃっていい?」

 

「う、うん。全然」

 

「やった! じゃあ……今日は見学?」

 

 どこか期待を込めた声。久美子は、一拍おいてから小さく首を振る。

 

「……ううん。入部、したい」

 

 緑輝の目がまるくなり、次の瞬間、ぱあっと花が咲いたような笑顔になる。

 

「ほんと!? やったー! ようこそ、北宇治中サッカー部!」

 

 その明るさに、救われるような気がした。久美子は、小さく笑った。

 

 そこへ、遅れて入ってきたのは高坂麗奈。

 何も言わず、久美子を一瞥してから、短くうなずいた。

 

「入部、するんでしょ。……なら、覚悟して」

 

「え?」

 

「北宇治は甘くないから」

 

 それだけを言って、麗奈はスパイクの紐を結び直した。

 

(……なんか、ちょっとムカつく)

 

 でも、どこか、嬉しい。

 彼女はきっと、自分のことをちゃんと「プレイヤー」として見てくれている。

 

放課後の教室。ざわめきが引いて、生徒たちが次々に部活へ向かう中、久美子はまだ自分の席に座っていた。

 

 昨日、足で感じたボールの感触が、まだ足元に残っている気がする。

 加藤葉月の声、緑輝のやさしい後押し、そして——高坂麗奈の、鋭く迷いのない視線。

 

 (中央向き……って、言われた)

 

 あれはまるで、自分がもう一度「選手」として呼び戻されたような言葉だった。

 

 それでも、久美子は迷っていた。

 

 またあの場所に戻って、同じことの繰り返しだったら——

 また、「通用しない」って突きつけられたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。

 

 ——だけど。

 

 「それでもやりたい」と思ってしまった気持ちからは、もう目をそらせなかった。

 

*

 

 次の日、部室の前で立ち止まる。

 手をかけた瞬間、鼓動が速くなるのがわかる。

 

「……はあ、落ち着け、私」

 

 深呼吸をひとつ。ノックはせず、そっと扉を開けると——先に来ていた緑輝がぱっと顔を上げた。

 

「久美子ちゃん! ……って、名前で呼んじゃっていい?」

 

「う、うん。全然」

 

「やった! じゃあ……今日は見学?」

 

 どこか期待を込めた声。久美子は、一拍おいてから小さく首を振る。

 

「……ううん。入部、したい」

 

 緑輝の目がまるくなり、次の瞬間、ぱあっと花が咲いたような笑顔になる。

 

「ほんと!? やったー! ようこそ、北宇治中サッカー部!」

 

 その明るさに、救われるような気がした。久美子は、小さく笑った。

 

 そこへ、遅れて入ってきたのは高坂麗奈。

 何も言わず、久美子を一瞥してから、短くうなずいた。

 

「入部、するんでしょ。……なら、覚悟して」

 

「え?」

 

「北宇治は甘くないから」

 

 それだけを言って、麗奈はスパイクの紐を結び直した。

 

(……なんか、ちょっとムカつく)

 

 でも、どこか、嬉しい。

 彼女はきっと、自分のことをちゃんと「プレイヤー」として見てくれている。

 

*

 

 夜。机の上、昨日のノート。

 角のところに書いた一文のすぐ下に、久美子はペンを走らせた。

 

 ——『まだうまくなれるかはわからない。でも、もう一度だけ、信じてみたい。』

 

 新しい一歩を踏み出すには、まだ少し怖さもある。

 それでも、自分で自分を見捨てることだけは、もう二度としたくなかった。

 

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