響け!北宇治中学校サッカー部   作:和江と別府

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第2話

「サッカー部、見学だけでも行ってみない?」

 

 放課後、教室で荷物をまとめていた久美子に、川島緑輝が声をかけてきた。

 その声はいつも通り明るく、けれどどこか自然体で、押しつけがましさはなかった。

 

「……見学?」

 

「うん。練習だけちょっと見て、気が向かなかったら帰ればいいし!」

 

 そう軽く言ってから、緑輝はいたずらっぽく笑った。

 

「でも、きっと黄前さん、好きになると思うよ」

 

 その根拠のない自信に、久美子は一瞬だけ吹き出してしまった。

 

 ……見に行くだけなら、いいかもしれない。

 

 

 校庭の端。小さなベンチに腰かけながら、久美子はグラウンドを見つめていた。

 夕焼けが落ち始め、芝の上に長い影が伸びる。サッカー部の声とボールの音が、風に乗って耳に届いた。

 

 ドリブル。パス。声出し。スライディング。

 

 一つ一つの動きが、胸の奥をざわつかせる。

 懐かしさ。憧れ。そして——少しの痛み。

 

 そのとき、鋭いパスを受けてゴール前を駆ける選手が目に入った。

 力強いステップでディフェンスをかわし、軽やかにボールを蹴り込む。

 ネットが揺れた。

 

「おーっし! 今の、決まったよねっ!」

 

 高らかな声とともに、弾けるような笑顔で跳ねる少女。

 ——加藤葉月。オレンジ色のヘアゴムが、彼女の明るさそのものを象徴していた。

 

「すごい……」

 

 思わずもれた久美子の声に、隣の緑輝が嬉しそうに笑う。

 

「うん、あれが加藤葉月さん。明るくてパワフルで、実は久美子ちゃんと同じ2年生なんだよ」

 

「同学年……なんだ」

 

「そうそう。それから——ほら、中央にいる子。昨日、屋上から見てたでしょ? あれが高坂麗奈さん。同じクラスで、同じく2年生」

 

 視線の先には、ピッチの中央で真剣な表情を浮かべる少女の姿があった。

 無駄のないパス。冷静なコーチング。空気を引き締めるような緊張感。

 

 久美子は、見てすぐにわかった。この人は、ただ“上手い”だけじゃない。

 「勝つために必要なもの」を、すべて持っている——そんな選手だった。

 

 そして、その視線がふとこちらを向く。

 目が合った瞬間、久美子は思わず背筋を伸ばしていた。

 

(同じ2年生、なのに……)

 

 心が、ほんのわずかに揺れた。

 

 

 その日の帰り道。久美子は空を見上げた。

 夕焼けはもう、藍色に染まりはじめていた。

 

 ただ練習を見ていただけなのに、胸の奥が、ずっと熱を帯びていた。

 動き出した気持ちを持て余したまま、彼女は小さくつぶやく。

 

「……もう一回、やってみたいのかな。私……」

 

 その声は誰にも聞こえていなかった。

 けれど確かに、自分自身の奥深くに届いていた。

 

 

次の日。授業が終わるチャイムが鳴った放課後。

 久美子は迷っていた。机に手をかけたまま、荷物もまとめず、動けずにいた。

 

「今日も、行く?」

 

 声をかけてきたのは、緑輝だった。まるで最初から分かっていたかのような、やさしい笑顔で。

 

「……少しだけなら」

 

 そう答えた自分の声が、思っていたよりもあっさりしていて。

 久美子は、胸の奥がわずかにざわつくのを感じていた。

 

 

 グラウンドの端。見学のつもり——だったのに。

 

「ちょっと、そこの! そこの転校生!」

 

 突然、弾むような声が飛んできた。

 

「見てるだけなんてもったいないって! ボール、蹴ってみよ! 軽くでいいから!」

 

 手を振っていたのは、加藤葉月だった。

 夕日に透けるオレンジ色のヘアゴムと、弾ける笑顔が眩しい。

 

「え、私? でも……」

 

 戸惑う久美子の背中を、緑輝がそっと押した。

 

「ボールを蹴るだけなら、いいでしょ?」

 

 それは逃げ道をふさぐような強さではなかった。

 ただ、背中をやさしく支えるだけの、あたたかな後押し。

 

 

 ——ボールを蹴るなんて、いつぶりだろう。

 

 そんなことを考える間もなく、久美子は軽くステップを踏んでいた。

 

 葉月のトラップを受けて、右足でパスを返す。

 自然と、身体が動いた。

 

「おっ、いいね! パス、きれい!」

 

 葉月の明るい声に、思わず久美子は照れくさそうに笑う。

 

(……体が、覚えてる)

 

 ボールを蹴る感覚。芝の匂い。汗の気配。

 全部、遠くに置いてきたはずのものたち。

 

 そこへ、低く真っ直ぐな声が割り込んできた。

 

「無駄なステップが多い。姿勢も崩れてる」

 

 ドキリとして振り返ると、いつの間にかそばに立っていたのは——高坂麗奈だった。

 その瞳が、真剣に久美子を見据えている。

 

「蹴る前に、ちゃんと周囲を見て。あなた、プレースタイルは中央向きよね?」

 

「え、……なんで分かるの?」

 

「クセが出てる。体の使い方と視線の向きで、だいたい分かる」

 

 あまりに迷いのないその言葉に、久美子は口をつぐんだ。

 自分より少し背の高い彼女は、“分析”というより“確信”としてそれを語っていた。

 

 ——同じ2年生、なのに。

 いや、だからこそ、差が痛かった。

 

 けれど、それ以上に胸に残ったのは、麗奈が自分を「プレイヤー」として見てくれたことへの、不思議な嬉しさだった。

 

 

 帰り道。久美子は、あの瞬間を思い返していた。

 

 芝の上でボールを蹴った、あの感覚。

 わずかな振動と手応えだけで、胸の奥が熱を持つなんて。

 

「……やっぱり、好きだな」

 

 そのつぶやきに、もう迷いはなかった。

 

 翌日、放課後の教室。ざわめきが引いて、生徒たちが次々に部活へ向かう中、久美子はまだ自分の席に座っていた。

 

 昨日、足で感じたボールの感触が、まだ足元に残っている気がする。

 加藤葉月の声、緑輝のやさしい後押し、そして——高坂麗奈の、鋭く迷いのない視線。

 

 (中央向き……って、言われた)

 

 あれはまるで、自分がもう一度「選手」として呼び戻されたような言葉だった。

 

 それでも、久美子は迷っていた。

 

 またあの場所に戻って、同じことの繰り返しだったら——

 また、「通用しない」って突きつけられたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。

 

 ——だけど。

 

 「それでもやりたい」と思ってしまった気持ちからは、もう目をそらせなかった。

 

 

 部室の前で立ち止まる。

 手をかけた瞬間、鼓動が速くなるのがわかる。

 

「……はあ、落ち着け、私」

 

 深呼吸をひとつ。ノックはせず、そっと扉を開けると——先に来ていた緑輝がぱっと顔を上げた。

 

「久美子ちゃん! ……って、名前で呼んじゃっていい?」

 

「う、うん。全然」

 

「やった! じゃあ……今日は見学?」

 

 どこか期待を込めた声。久美子は、一拍おいてから小さく首を振る。

 

「……ううん。入部、したい」

 

 緑輝の目がまるくなり、次の瞬間、ぱあっと花が咲いたような笑顔になる。

 

「ほんと!? やったー! ようこそ、北宇治中サッカー部!」

 

 その明るさに、救われるような気がした。久美子は、小さく笑った。

 

 そこへ、遅れて入ってきたのは高坂麗奈。

 何も言わず、久美子を一瞥してから、短くうなずいた。

 

「入部、するんでしょ。……なら、覚悟して」

 

「え?」

 

「北宇治は甘くないから」

 

 それだけを言って、麗奈はスパイクの紐を結び直した。

 

(……なんか、ちょっとムカつく)

 

 でも、どこか、嬉しい。

 彼女はきっと、自分のことをちゃんと「プレイヤー」として見てくれている。

 

放課後の教室。ざわめきが引いて、生徒たちが次々に部活へ向かう中、久美子はまだ自分の席に座っていた。

 

 昨日、足で感じたボールの感触が、まだ足元に残っている気がする。

 加藤葉月の声、緑輝のやさしい後押し、そして——高坂麗奈の、鋭く迷いのない視線。

 

 (中央向き……って、言われた)

 

 あれはまるで、自分がもう一度「選手」として呼び戻されたような言葉だった。

 

 それでも、久美子は迷っていた。

 

 またあの場所に戻って、同じことの繰り返しだったら——

 また、「通用しない」って突きつけられたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。

 

 ——だけど。

 

 「それでもやりたい」と思ってしまった気持ちからは、もう目をそらせなかった。

 

 

 次の日、部室の前で立ち止まる。

 手をかけた瞬間、鼓動が速くなるのがわかる。

 

「……はあ、落ち着け、私」

 

 深呼吸をひとつ。ノックはせず、そっと扉を開けると——先に来ていた緑輝がぱっと顔を上げた。

 

「久美子ちゃん! ……って、名前で呼んじゃっていい?」

 

「う、うん。全然」

 

「やった! じゃあ……今日は見学?」

 

 どこか期待を込めた声。久美子は、一拍おいてから小さく首を振る。

 

「……ううん。入部、したい」

 

 緑輝の目がまるくなり、次の瞬間、ぱあっと花が咲いたような笑顔になる。

 

「ほんと!? やったー! ようこそ、北宇治中サッカー部!」

 

 その明るさに、救われるような気がした。久美子は、小さく笑った。

 

 そこへ、遅れて入ってきたのは高坂麗奈。

 何も言わず、久美子を一瞥してから、短くうなずいた。

 

「入部、するんでしょ。……なら、覚悟して」

 

「え?」

 

「北宇治は甘くないから」

 

 それだけを言って、麗奈はスパイクの紐を結び直した。

 

(……なんか、ちょっとムカつく)

 

 でも、どこか、嬉しい。

 彼女はきっと、自分のことをちゃんと「プレイヤー」として見てくれている。

 

 

 夜。机の上、昨日のノート。

 角のところに書いた一文のすぐ下に、久美子はペンを走らせた。

 

 ——『まだうまくなれるかはわからない。でも、もう一度だけ、信じてみたい。』

 

 新しい一歩を踏み出すには、まだ少し怖さもある。

 それでも、自分で自分を見捨てることだけは、もう二度としたくなかった。

 

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