チャールズ·エドワーズ 1701年〜1795年(享年94歳)
イギリス商人、アメリカの発明家、軍人、政治家。
チャーリーの愛称で呼ばれた。
·誕生 イングランド ドーバー
·死没 アメリカ サウスカロライナ チャーリータウン
·軍歴 1775年〜1783年 所属軍 アメリカ独立軍
·最終階級 海軍中将
·政治家 チャーリータウン町長(1728年〜1774年)
アメリカ合衆国上院議員(1783年〜1789年 1任期)
【概要】
奴隷貿易最大の成功者。
高い航海術で約10年の奴隷貿易商人ながら15回もの大西洋三角貿易の航海を成功させている。
利益率は平均で800%、最大で2560%を達成している。
町長としては無人の土地であったチャーリータウンを1から建設し、アメリカ有数の工業都市にすることに成功する。
個人で最大2万人の奴隷を保有していた。
実用的蒸気機関の発明、蒸気船の発明、蒸気トラクターの発明。
時流に乗り続けた18世紀最大の成功者とも評される。
【生涯】
1701年(18世紀初頭)イギリス、ドーバーの町の漁師の家庭に産まれる。
小さい頃から両親の手伝いをしながらコーヒーハウスのマスターと知り合いになり、そこで文字や算術を覚えたとされる。
10歳頃から父の漁の手伝いに参加し、チャーリーが船に乗ると大漁になると言われるようになる。
15歳の時に奴隷貿易に初参加。
水夫として経験を積み、16歳の2回目の航海の時には料理長に昇進し、当時イギリスで最短記録の3ヶ月と15日で大西洋三角貿易を成功させた一員として新聞に取り上げられる。
この時に手にした資本で、チャールズは売春宿を経営し、そこそこの成功を納める。
1720年、南海泡沫事件の混乱にて数万ポンドを稼ぎ、売春宿を畳んでジャパン号を購入して貿易商人となる
ジャパン号は中型の船であったが、その船に毎回400人近くの奴隷を乗せてアメリカに渡り、約10万ポンド近くの金額を荒稼ぎする。
奴隷だけでなく、幅を取らない貴金属輸送がこの利益を叩き出したとされている。
1722年ジパング号を購入、1723年大型船マーキュリー号を立て続けに購入し、貿易の規模を拡大する。
この時にほとんど乗船していた船員が固定メンバーであったことから、チャールズの船長としてのカリスマが優れていたと分かる。
1727年、チャールズは突如自社を畳み、ジャパン号とジパング号を売却、マーキュリー号を客船に改造し、アメリカに旅立った。
同年、バークレー郡の1500ヘクタールの土地を購入し大農園を建設。
翌1728年、チャーリータウン建設。(当時の人口は5000人とされ、4500人がチャールズの奴隷であったとされる)
1729年、チャールズ船上レシピ上、中、下の約600のメニューが書かれたレシピ本を発行。
このレシピ本がアメリカの各植民地だけでなく、イギリスでも流行し、料理ブームが到来する。(イギリス最後の飯が旨い時期)
1730年、実用的蒸気機関の発明、特許を取得。
1731年、蒸気機関を用いた自動織機の開発に成功。
1732年、量産した自動織機を用いた工場をチャーリータウンに建設し、各地から綿を購入して安く品質の良い布を輸出するようになる。
サウスカロライナの南部にジョージア植民地設置。
これによりサウスカロライナの治安は安定し、工場の町になりつつあったチャーリータウンの人口が爆増。
チャーリータウンの男女は美しいという噂が広まる。
1734年、サウスカロライナのグルメという本を発行。
サウスカロライナで栽培出来る食材や取れる食材を用いた料理を発表。
サウスカロライナの郷土料理となるピーカンパイやホッピンジョンと言った料理もここから始まったとされる。
1735年、蒸気トラクターの開発に成功。(高価なのでこの時期に広まることは無かった)
1738年、モートリー湖にて蒸気船の実験に成功。
1740年、モートリー湖から沿岸部に出るための川の拡張工事を開始し、1743年に成功する。
この工事で船でチャーリータウンからチャールストンまで行き来が可能になり、物流が活性化する。
1745年チャーリータウンの人口が3万人を突破。
サウスカロライナで2番目に大きな町となる。
1748年、武器工場を建設。
1749年、移民を支援する財団を創設。
1750年、チャーリータウンがイギリスの新聞に掲載され、楽園の様な植民地と紹介される。
それに伴い移民が増加。
特に7年戦争期間(1756年から1763年まで)はドイツ系の移民が大量に流入し、チャーリータウン内でドイツ系のコミュニティが成立するくらいドイツ系住民が移住する。
チャーリーは町長として治安悪化を懸念しながらも、この混乱を乗り切り、ますますチャーリータウンは繊維産業及び工業化に拍車がかかる。
1765年、チャーリータウンにて児童労働法と女性の賃金改正法がチャーリー町長によって通される。
世界初の児童労働の制限ということで注目を集める。
1770年、チャーリータウンの人口が10万人を突破する。
1772年、アメリカの国家としての独立を求める『インディペンデント』を発行。
その他にも『共通認識』『アメリカの食文化』『独立の進め』を発行し、これらがベストセラーとなる。
1774年、大陸議会に参加し、意見を述べる。
1775年アメリカ独立戦争勃発に伴い、独立軍に参加するように植民地議会を説得し、独立軍に参加。(活躍は別項目)
1783年戦争終結に伴い退役。
最終階級は海軍中将。
戦争での活躍により名声が高まり、退役後は上院議員となる。
大統領候補と言われるが、高齢のため辞退し、6年議員生活を終えるとチャーリータウンに戻り余生を過ごす。
1795年、チャーリータウンの自宅にて息を引き取る。
死因ははっきりしないが、老衰と思われる。
【独立戦争での活躍】
独立戦争当初、老人であり、軍歴も無かったチャールズは期待されていなかったが、実費をはたいて作ったマーズ号、ヴィーナス号、ジュピター号の装甲艦を駆使してイギリス海軍を圧倒。
約半年の間にアメリカ沿岸部に上陸しようとしていたイギリス軍の軍艦24隻、輸送艦15隻を撃沈させる。
それだけにとどまらず、工業都市となっていたチャーリータウンでは独立軍の武器の3割が製造されており、他国からの支援を取り付けるまでの間の独立軍の武器製造拠点として稼働していた。
最終的にチャールズは名誉大佐から中将まで昇進し、軍艦100隻以上を沈め、イギリス軍に大打撃を与える功績で、アメリカの国民的英雄となる。
【奴隷商人としてのチャールズ】
記録上彼は15回の航海で5万人の奴隷を販売したとされているが、彼の操っていた商船をどう解析しても15回の航海で1万人の輸送が限界であったであろうとされているが、彼が50万ポンドの蓄財及び出資者に支払った金額も合わせると100万ポンド以上稼いだのは記録として残っている。
奴隷を安く仕入れ、高く売りさばく手段を持っていたのか謎は残っているが、近年の研究で、彼は宝石を大量に転売していた可能性が高いという研究が明かされている。
特に4回目の航海で宝石を大量に購入していたとされているが、この他にも宝石を購入するのを繰り返し、書類に計上しないで密輸することで蓄財していた可能性が高い。
また、船長としてこれだけの奴隷を売却を短期間でした人物は居らず、イギリスでは幸運なチャーリーという歌がドーバーで作られたりもしていた。
【関連事項】
·奴隷貿易
·アメリカ独立戦争
·蒸気機関