外に出ると、朝の風が頬を撫でた。木々の間を抜ける風はまだ冷たく、春の訪れが遠いことを告げている。
サクリアは小さく深呼吸をした。どこか乾いた空気を、胸いっぱいに吸い込む。
「……少しは気が紛れた?」
メアリが隣で歩きながら聞く。
「まあ、少しはな。でも、なんか落ち着かない」
サクリアは両手をポケットに突っ込み、視線を空へと向けた。雲はなく、澄んだ青が広がっている。
「……昨日のこと、まだ気にしてるの?」
「気にするなって言われてもな。俺、あの時……何か、おかしかった。意識が飛んでたんだ。気づいたら相手が……」
言葉の先が続かない。メアリもまた黙って、その横顔を見つめる。
「怖かったよね」
静かな一言だった。
サクリアは振り返らず、ただ黙っていた。確かに、あの瞬間、何かが自分の中から溢れ出した。龍人の力でもなく、人の時とは考えられないもの――まるで“異質”な何か。
「でも……それでも、私は怖くなかった。だって、それでバラム様を助けたんでしょ?」
「……助けたって言えるのか分からない。気づいたら相手を潰してて……それが“力”なら、俺は……」
その瞬間、メアリが彼の前に回り込んで立ち止まった。
「サクリア!」
彼女は珍しく、強い声を出した。
「あなたが何者でも、私は――あなたを信じる。だって、ずっと一緒に話して、笑って、喧嘩もして……そんなあなたを、私、ちゃんと知ってる」
その言葉に、サクリアの肩がわずかに震えた。
「……メアリ」
「何かが怖いなら、1人で抱えないで。私がいる。いつだって、聞くから」
風が木の葉を揺らす音が、言葉の余韻を包むように響く。
サクリアは目を閉じ、静かに息を吐いた。
「……ありがとう。少し、救われた気がする」
メアリはにこりと笑う。
「うん。じゃあ、ほら、そろそろ戻ろ?」
「そうだな」
2人は歩き出す。肩を並べ、同じ歩幅で。
朝の散歩道を引き返す頃には、冷たかった風も少しだけ和らいでいた。サクリアとメアリは言葉を交わさずに歩いていたが、その沈黙は不安や気まずさではなく、どこか穏やかなものだった。
村の木造の家々が見えてくると、メアリがぽつりと口を開いた。
「今日、久しぶりに日記を書こうかな。昨日のことも、今朝のことも……ちゃんと残しておきたいから」
「日記、書いてるのか?」
「うん、昔から。でも誰にも見せてない。恥ずかしいし……」
そう言ってメアリは少し照れくさそうに笑う。サクリアもふっと笑みを返す。
「秘密を守るのは得意だからな。絶対見ないよ」
「うん、信じてる」
村の中心にある広場まで戻ると、朝の仕事を始める龍人たちの姿がちらほら見えた。皆どこか穏やかで、昨日の緊張が少しずつ解けていく空気が感じられる。
「じゃあ、私は家に戻るね。お母さんが朝食を残してるかも」
「ああ、付き合ってくれてありがとな」
「ううん。また後でね?」
「またな」
メアリが軽く手を振って家へ向かうと、サクリアは自分の住まいへと羽ばたいていった。彼の住む家は、村の外れに近い静かな場所にある。木々に囲まれたその小さな一軒家は、バラムが用意してくれたものだった。
扉を開けると、ほんのりと残る木の香りが鼻をくすぐった。靴を脱ぎ、床に足をつけた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。
「……はぁ」
荷物の置かれたままの室内。整ってはいるが、どこか“生活感”に欠けるその空間に、サクリアは自分の孤独を思い出した。
誰かと一緒に笑って、話して、時にはぶつかって……そんな時間が、ほんの少し前までは当たり前じゃなかった。
(メアリと会ってなかったら、俺は今でも……)
あの時に現れた短剣、形状の変化、己すらも知らない力。人間だった頃とは全く違う体験が起こり過ぎた。
「……いつか、また戦わなきゃならない時が来るのか」
独り言のように呟いた声は、部屋の中で消えていった。
けれど、その言葉に応える者はいない。
ただ静かに、木々の揺れる音だけが、彼の耳に届いていた――。