ARMORED CORE LAST RAVEN ~Unsung Overture~ 作:唯名瞬
狭い部屋に乾いた音が小さく何度も響く。
テーブルの上に置かれた将棋盤を挟んで2人の男が座っていた。
「そら、王手だ」
飄々としたしわがれ声を出す老年の男が差した龍王の駒。対面に座る壮年の男はそれを見ると、顎に手を当てて少しの思案。そして観念したような表情を浮かべて頭を下げる。
「参りましたよ、波門さん」
「おう、玉取らせて貰ったぜ」
「これで49連勝。もうここじゃ波門さんに敵う奴はいませんよ」
「まだまだ経験が浅ぇってこった。昔はおいらなんかよりも上手くて狡賢いヤツは大勢いたもんだ」
称賛の声に波門と呼ばれた男は指に挟んだ駒を器用に転がしながら喉を鳴らして笑う。
色褪せたカーキー色のパイロットスーツに身を包み、からからと笑うその顔には長く生きた証が年輪の如く刻まれている。そして首筋に入れられたコネクタや額に付けられた金属製のプレートもこの男が長く戦場に居続けた証でもあった。
「どうだ? もう一局やるか? おいらの50連勝の花を添えさせてくれよ」
「もう彼此2時間以上やっているんで、ちょっと休ませてくださいよ。その間に波門さんの50連勝を止める策を考えたいんですから」
苦笑いを浮かべて答える男に「どうせ無駄だぜ」とまた笑い、テーブルに座り直した波門は床に置いてあった茶色の大瓶の蓋を開けて呷った。吐いた息にアルコールの匂いが混じる。
「まだどうも慣れねぇなぁ……このねぐら」
「元々軍事基地ではありませんからね。使い勝手が違うのは嫌でしょう」
「雨風凌げて寝られりゃ何処も変わんねぇよ。臭いだよ。臭い」
「そうですか? 俺は全然感じてはいませんが……なんか臭いますか」
「おいらの鼻は敏感なんだよ」
波門は少し顔をしかめてもう一口呷ると、くしゃくしゃになった煙草の箱から1本取り出して火を灯す。煙草を挟む右手の指は皺だらけの手の甲とは違い、皺が一つも無い艶のある指であった。
「んー……もう来たか」
「え、来たってまだ……」
「耳も良いんでな。──ったく、ゾロゾロと連れてきやがって。ま、茶を出す必要はねぇ。降りてきたらさっさとこっちに連れてこいや」
波門は紫煙を吐き出して窓を見やる。鈍色の空の向こうから次第に聞こえてきたのは複数のローター音とジェットエンジン音。
* * *
部屋に入ってきたのは厭世的な雰囲気を纏わせた長身の男であった。
裾と袖の長い白衣に同じ色のズボン。そしてその肌と綺麗に撫でつけられた髪も色素が抜け落ちて雪の様な色をしている。
「お久しぶりです。波門先生。調整手術からひと月経ちましたが、身体のお加減はいかがでしょうか」
波門の対面に座った男は慇懃な口調で尋ねてきた。
白い顔とは対照的にその目は瞳全体が黒く塗りつぶされた様に染まっており、唇は鮮血を思わせる赤。いつ見ても能面みてぇだと波門は内心その男の顔にかつて祖父の部屋に飾ってあった白いお面を重ねていた。
「ご覧の通り、ピンピンしているぜぇ。お薬もちゃんと飲んでいるぞ」
「それは良い事です。ですが……」と男は波門の手元とテーブルの脇へ交互に視線を向ける。「酒と煙草は感心しませんね。身体に障りますよ」
「硬ぇこと言うなって。こいつらとはと長ぇ付き合いなんだ。今更手放せるかよ」
波門はそう言って紫煙を染みだらけの天井に向けて大きく吐き出す。
「で、こんな臭ぇ所に何の用があってわざわざ来た? 医者よ」
「鉄錆の臭いは職業柄慣れておりますので、気にはしていません」
医者と呼ばれた男はそう言って僅かに両の口角を上げる。
「実は先生たちにひと仕事をお願いしていただく、こちらに参りました」
「仕事ねぇ」もう一度紫煙を吐き出して医者の顔を見据えた。「てめぇ個人での依頼か?」
「いいえ、私の雇い主。いや、正確に言えば先生の雇い主と合意の上での依頼です」
「聞いてねぇな」
「今日の午後……つい1時間ほど前に決まった事ですので、先生のお耳にはまだ入っていないかと……やる事はいたって単純ですよ。この近辺で少し暴れてくれればいい。アライアンスもしくはバーテックスの目を引き付けて欲しいのです。それに、この辺りにも身の程を弁えない輩がうろつき始めてきた。その掃除も兼ねてお願い致します」
「そんな事か。だが、バーテックスはともかく、アライアンスもか。連中の動きをどうにかすんのはてめぇの雇い主の仕事だろ? 何やってんだ」
「そうしたいのですが、生憎アライアンスは一枚岩ではなく、私の雇い主でも抑えられないところがどうしても出てきてしまいますので、まあ困ったものです」
怪訝そうな視線を向けた波門に対して医者は目元を少し歪めるだけであった。
ただ、自分の与り知らないところで互いの雇い主同士で何やら企んでいるのは分かった。医者もそれは承知だろう。この男の立場的に一通りは把握している筈。
先の紛争で多くを失った者同士どこまで足掻けるか。その末を見ておくのも悪くはない。自身もある程度関わりを持ってしまった。目を逸らしたまま死ぬにはまだ早い。
「まあ、いいさ。AC乗りがACに乗らないで、ここで将棋して昼寝ばっかしたってつまんねぇからな。せっかくだ、大物釣り上げてやろうじゃねぇか」
両の太腿を勢いよく叩いて立ち上がった波門はテーブル脇の大瓶を掴んで一口呷る。アルコールが喉を焼く感触。酔えなくなった身体になってもこの感触だけは変わらない。昔の身体であればこれが胃に落ちたのちに頭がぼうっとして次第に気持ちよくなれた。
アイツにはこれが分からねぇだろうなと医者の顔を視界の端に捉える。煙草も酒もそういった嗜好品には一切興味を示さない。寧ろ不要のモノと切り捨てている。そして身体もそのように適合させたと聞いている。
勿体無いなと少しばかり同情を覚えるが、あの医者の価値観は常人とはかけ離れていたのは思い出してもう一口呷ると窓際に近づく。
「……その依頼を伝えに来ただけじゃねぇだろ? あの輸送機に何を載せて来た?」
波門は窓の外を見やる。視線の先には輸送機とMTを載せた2機の<クランウェル>の姿が見える。
「依頼を受けるにあたって、先生の部隊へ補充戦力をお持ちしました」
波門の隣に音もなく立った医者も同様に窓の外を見やる。補充戦力というのは<クランウェル>から切り離された<CR-MT85M>だけではない。どうやら輸送機の腹の中で眠っているらしい。僅かに開いたハッチからはコンテナに紛れて灰色の逆関節型ACの姿も波門の強化された視力で小さくもはっきりと捉えていた。だが、それではないのは分かっている。あの機体は医者の物だ。
「お見せしますよ。先生がお気に召すかは分かりませんが」
医者はそう言って足早に部屋から去っていく。どんなものか。少なくとも既存のMTよりかは役に立ってもらわないといけない。「どんなものかねぇ」と呟いて波門も部下と共に部屋を出た。
外に出ると、ちょうど輸送機の後部ハッチから大型のコンテナが出てくるところであった。それが3つ。
「MTじゃねぇな」
コンテナの形状を見て波門はそう断言した。
「その通りです」
隣に立つ医者はそう返すと、3つのコンテナの上部ハッチが同時に開く。中のキャリアが起立を始め、その姿が見えてきた。
コンテナから出てきたのはAC。白いカラーリングと各所に施された金色のアクセントが特徴的だった。
コアはキサラギ製の<RAKAN>。前の紛争の中期頃から市場に出回り始めたものだ。自身の愛機である<陣雲>のコアもそれなので波門は見慣れている。だが、それ以外は見たことの無いパーツで構成されていた。軽快な動きをしそうな細い二脚にマニピュレータどころか肩から下の無い腕部。頭部は一見するとセンサー類が付いている様には見えなくて、のっぺらぼうの様な印象を受けた。それが3機、波門たちを見下ろす。
「新型か」
「キサラギの試作AC<RUSYANA>といいます。武装は両腕部のパルスガンのみですが、既存のモノよりも出力、連射力は優れており、火力は高い。実戦投入は前の紛争時に何度かしていますので。各種動作についても問題ありません」
「乗り手は? ここにいるおいら以外のパイロットはACに乗った事がねぇぞ」
「ご心配なく」
医者はそう言うと、右手を上げる。キャリアの固定が外れた3機の<RUSYANA>が跳躍。基地の敷地を縫う様に動き回る。
その動きは波門たちが知っている二脚型の動きではない。歩行システムを使わずに浮遊して動くさまはフロート型によく似ている。波門の顔が無意識に強張る。
「見たことある動きだ」
「そうですか」
「こんなモンよく準備できたな」
「我々に便宜を図りたい集団はまだいますからね。それにこの機体はまだ性能強化の余地はある。その為に少しでも多くのデータが欲しいという向こう側と戦力を揃えておきたい我々とで利害は一致します」
機敏に動く<RUSYANA>を視線だけで追いかけていた医者は口元を歪めると、右手を再び上げた。3機の<RUSYANA>は速度を緩めて元居た場所に戻って来る。
「パイロットは既にあの中にいます。後は調整だけ」
「調整……こいつの中身はもしかしてAIか」
波門の問いに医者は「……まあ、そういうことです」と袖で口を覆って笑った。
「この機体の機動力をスペック通り出すとヤワな肉体では耐えられませんので」
「その尖り具合、キサラギらしくて良いじゃねぇか。まぁ嫌いじゃねぇよ。そういうノリは」
「元々はナービスが発掘した自立兵器のデータを”拾って”開発したそうですが、少々頑張り過ぎましたね」
「自立兵器……か」波門はそう呟いて<RUSYANA>を睨みつける。あの動きを見て妙に気に食わなかったのはその所為かもしれない。自分の中にある赤い記憶が呼び起こされる。
「調整が終われば、あとは先生の命令通りに動いてくれます。どうかこれを有効にお使いください」
医者は波門の浮かべた表情に何も察することなく穏やかに言い放つ。
「んで……こんな施しをしてくれたんだ。何か見返りでも求めてくんのか?」
「とんでもない。そんなことはありませんよ。寧ろこれが済めば先生にもっと良い見返りを渡すことが出来ます」
「そりゃ嬉しいねぇ。そんな大判振る舞い、何しようってんだ?」
「──これは先生にも有益なモノになると思っております」
医者は波門の顔を見据える。底の無い闇を思わせる瞳は何も映さない。
「不滅の身体」
澱みも無く言い放った言葉。波門はただ目を細めるだけだった。
何度か聞いたことがある。医者はそれを求めて他者をそして自らも実験体にしている事も。その異様な風体も人体実験の末に得たもの。伊達でこの様ななり姿をしている訳ではないという事だ。
「……カップ麵じゃねぇんだ。そんなモンがホイホイ出来るかよ」
「出来ますよ」と波門の言葉を遮るように医者は言い放つ。
「先生はもう見られたでしょう。旧世代の技術を。先生が見たのは兵器だけでしょうが、これがもたらす力は兵器だけではない」
医者は自分の指先を波門に見せつける様に動かす。波門と同様に皺ひとつない艶を帯びた指。生身ではない人工的なモノ。
「ひとりの人間が仮に何事もなく人生を全うすればその寿命は長くても100年程。これが今の人類の限界です」
指先の動きが速くなる。
「この世界を、そして人類という種が更に発展を遂げるにはこの時間はあまりにも短すぎる」
更に速くなる指先。目に見えない鍵盤を弾く様な滑らかな動き。
「もう何百年もアップデートされていない人類の限界を引き上げる。この旧世代の遺産にはそれを可能にする力がある。そう、人類はこの技術を享受しなければならない。制御しなければならない」
更に早くなる指先。フレームが軋む音を立て始めた。
「この技術と向き合うためにも人類も進化をしなければならない」
指先が止まり、医者の口元がゆっくりと三日月の如く吊り上がる。
「私は人類を次のステージに上げたいのです」
そう口に出した医者の瞳の奥に初めて光が灯った様に見えた。それが希望か狂気かは分からないが、自分には理解できない領域にこの男は立っている事だけは波門には分かった。
思わず目を逸らしたくなる。元々常人とは一線を越えた価値観の持ち主だと思っていたが、やはり自分とは相容れないタイプの人間だ。
「不滅か、今のおいらにゃ到底分からねぇものよ」
「そうでもありませんよ。先生」と医者は吊り上がった口元を変えぬまま波門の胸の内を覗き込むように囁く。
「先生にもこの恩恵を受けて頂きたいのです」
ぞくりと神経をざわつかせる声。本性が出て来た。いや、元々剥き出しにしていた本性をこちらへ本格的に向けて来たのだと直感した。
医者は自分の身体を実験体のひとつにしようとしている。
「こんな老いぼれをどうしようってんだ? えぇ?」
「その老いぼれの身体に刻まれた記憶が重要なのですよ、先生」
再び医者の指先が動く。
「齢80を越えても戦い続けられたその肉体。本来なら既に限界を迎えた筈の肉体でも戦えるように先生は何度も強化手術とその調整手術を繰り返してきました。しかし──」
指先が波門の肩に触れる。
「──もうお気づきになられているでしょう。貴方の身体が手術に耐えられるのはあと1回か良くて2回。3回目は絶対に無い」
その言葉に返す事は出来ない。掴まれた肩に食い込む指の力が強くなる。
「地上回帰直後からこの世界で傭兵として生き続けた男、長月波門。貴方の記憶は正にこの世界の生き字引。老いで喪われるには惜しすぎる」
増々食い込んでくる指。波門は肩を回してそれを振りほどく。
「まぁ待てよ。そう興奮しなさんなって、一服させろや」
懐から煙草を取り出して口に咥えようとするが、医者の手がそれを取り上げて投げ捨てる。放り投げられた煙草は綺麗な曲線を描き、小さな水溜りへと落ちた。
「身体に障ると言いましたよ、先生。少しは控えて頂きたい」
「老いた身体だ。好きにさせてくれよ」
小さく舌打ちして水溜りに浮かぶ煙草を名残惜しそうに眺める。
「先生はそんなものよりも求めているものがあるじゃないですか」
医者の見下ろす様な視線が突き刺さる。黒に塗り固められた瞳は大きく開かれ、鮮やかな赤の唇は閉ざされている。
その先の言葉は何となく分かった。波門自身、それが正解であるのは理解している。だから、医者よりも先に声が出た。
「戦場」
その言葉に医者は深く頷く。能面の様な顔がこれ程まで気色悪く感じられるのは初めて会った時以来だ。酔っぱらえるものならば激しく酔っぱらいたい。今ならば出来るのではないか。酒も持ってくるんだったと波門は後悔する。
「ああ、おいらにゃそこしかねぇ。分かっているよ」
自然と笑いが込み上げてくる。全てお見通しらしい。傭兵である以上、抑えられない闘争を求める本能。
自分の死に場所は布団の上ではない。戦場がある限り、果てるのもそこでだ。
「いいぜ、どれくらい暴れてやればいいんだ?」
「──1ヶ月、いえ2週間。それくらいでいいでしょう。そうすれば準備が整います」
「あいよ。まあ死なねぇ程度に頑張ってやるよ。──そしたらお願いがある」
「なんでしょう?」
「その不滅の身体とやらの施しは、いの一番においらにやらせてくれ。もう持たねぇおいらの身体だ。捨てる覚悟は出来た。記憶もそいつにくれてやる」
医者の顔が納得したように小さく頷き、ゆっくりと口が悦びの形に開く。
「お約束します。波門先生」
* * *
<RUSYANA>の調整を終えて、医者は輸送機と共に去っていく。
いつの間にか鈍色の雲が晴れ、茜色の空に変わっていた。
その空の色に波門は特攻兵器と自分がかつて流した血の色を重ねた。
「こんなものを渡して、奴らは何を考えているのでしょうね」
格納庫代わりにしている地下坑道へ収まっていく<RUSYANA>の姿を見た部下が機体と不安と興奮を入り交ぜた微妙な表情を浮かべてきた。
実戦投入された実績はあるACとはいえ、まだ試作機。それも無人機。それを新品のMTと一緒にタダで譲ってくれたのだから気味悪がるのは分からなくもない。
「いいさ、使ってくれと言っているんだ。有効に使わせてもらおうじゃねぇか」
箱にあった最後の1本を口に咥えて火を灯した。口の中に広がる苦味を思い切り吸い込む。肺にしっかりと吸わせたそれは再び喉を通っていく。
「不滅の身体……ねぇ……」
紫煙と共に吐き出した言葉。現実味の無い話だ。今までの自分であればそう一蹴出来ただろう。だが、あの医者の言葉だ。突飛した外見と価値観を持っているが、あの真っ赤な口からは嘘を出したことない。
戦場。それは傭兵が最期まで闘争本能が萎えない限り求めるものだ。不滅の身体とやらが本当に可能ならばもっと永くそれを求められる。
老いても求め続ける本能。それを満たし続けてくれる身体。可能ならば悪くない話だ。
「結構じゃねぇか」
喉を鳴らして笑う。自然と込み上げてしまうのは新しい身体への期待か、老いた身体への自嘲か。
波門にはもう分からなくなっていた。