ブルアカ短編集   作:へな

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セイアと紅茶

 

 キヴォトスの空は快晴で、まるで絵の具の原色のような深い青が広がっている。D.U区内に佇むビル、その一室には静かなキーボードの音だけが響いていた。

 先生はパソコンの画面に目をやり、書類整理に没頭していた。窓から差し込む柔らかな陽光は、机の上のコーヒーカップに小さな光の輪を作る。誰もいないシャーレのオフィスは、まるで時間が止まったかのように穏やかだ。

 そんな中、来客を知らせるチャイムが軽やかに鳴る。先生はキーボードから手を離し、玄関に向かいドアを開けると、そこには百合園セイアがいた。

 

 

「おはよう、先生。いい天気だね。ご機嫌いかがかな?」

 

 

 外気によってセイアの絹のような薄い金髪がさらりと揺れる。先生は少し驚いた顔で彼女を見つめた。虚弱な体質のセイアが、トリニティからシャーレまでわざわざ足を運ぶのは珍しい。

 

 

"おはよう、セイア。わざわざ来てくれたの?もしかして、何か重要な話が?"

 

「ふふ、そんなものは無いよ。いやなに、シャーレには当番という制度があるそうじゃないか。私もそれを体験してみたくてね。ああ、今日は当直がいない日なのは把握しているよ」

 

 

 セイアは先生の心配そうな視線に気づき、くすりと笑う。

 

 

「大丈夫だよ、先生。ちゃんと主治医からも許可は出ているし、ティーパーティーにも話は通してあるともさ」

 

 

 先生の顔に安堵の色が浮かぶ。だが、すぐに次の思案が頭をよぎる。当番がいない日は、朝から掃除などを済ませてオフィスワークのみを行なう。そういったスケジュールを組んでいるため、今日はセイアにやって貰うようなタスクはないのだ。

 そのことをセイアに説明する先生。かけている眼鏡の奥には、心苦しそうな瞳が見えた。

 

 

"セイア、実はそういうことなんだ"

 

「私がアポも無しに訪れたのが悪いんだ。そんな申し訳なさそうな顔をしなくても大丈夫だよ」

 

 

 先生はしばし考え込み、ふとひらめいたように口を開く。

 

 

"じゃあ、セイアの紅茶が飲みたいな。オフィスに茶葉もポットもあるんだ"

 

「紅茶?別に構わないが……。先生はコーヒー党だったのでは?」

 

 

 セイアの目に僅かな好奇心が浮かんだ。

 

 

"実は前にセイアの話を聞いて紅茶に興味を持ってね。買ったはいいけど、結局飲まずにそのままなんだ"

 

 

 ユウカに「また無駄遣いですか?」と小言を頂戴した記憶を思い出し、苦笑いする先生。先生はこういった散財癖があるのだった。

 

 

「なるほど、なら紅茶を淹れさせて貰おうかな。なに、トリニティに入学した者は聖書の句を覚える前に紅茶の淹れ方とスコーンを焼くことを覚えたまえ、なんて洒落もあるくらいだ。満足してもらえると思うよ」

 

"はは、楽しみにさせてもらうね"

 

 

 そのまま2人で給湯室に入ると、先生は戸棚からティーポットとカップ、ソーサー、ティースプーン、紅茶の茶葉が入った缶を取り出す。それらが仕舞ってあった戸棚の位置はセイアが背伸びして届くかどうかという高さだったので、おそらく先生の気遣いだろう。先生の優しさを自然と感じるセイア。

 

 

"用意するのはこれくらいでいいかな?"

 

「君は砂糖やミルクは使わないはずだと記憶しているから、大丈夫だ。……しかし、カップとソーサーが2つあるようだが?」

 

"セイアと一緒に飲みたいからね"

 

 

セイアの狐のような耳がピクッとしたあと硬直する。

 

 

「……そ、そうか。君が良いというなら御相伴に預かろう。それと、出来ればスコーンの代わりのお茶請けも一緒に出したいのだが…」

 

"お菓子の類は、今セイアのいる足元の戸棚にあるよ。紅茶に何が合うか私にはわからないから、セイアに任せるね"

 

「わかった。手間を取らせたね、少しだけ時間を貰うから、しばらく仕事に戻るといい。用意が出来たら声をかけさせてもらうよ」

 

 

 セイアはそう言うと、さっそく準備に取り掛かった。

 

---

 

 紅茶の缶を確かめると、なかなか良い茶葉であった。

 

(これは少し値段が張るものだね。噂に聞くセミナーの会計から、随分と小言を貰ったことだろう)

 

 少し微笑みながら、ヤカンにウォーターサーバーの水を入れてIHで加熱する。その間にカップとティーポットに電気ポットからお湯を入れて温めておく。

 セイアは水が沸騰するまで待つ時間は割と好きだ。ヤカンのコトコトした音が、妙な風情を感じさせてくれて、思索にふけるのにちょうど良い。屋根を叩く雨音、焚き木の音、川のせせらぎ…いにしえの賢者たちも、このような音を友として天啓を授かってきたのだろうか。人の知恵を紡いで来た遥かなる歴史に思いを馳せるセイア。

 しかし、遠くからわずかにキーボードを叩く音が聞こえたことで、セイアの頭の中は滑るように音の発信源の人間へシフトしてしまった。

 やがて沸騰が近くなると、セイアはカップとティーポットのお湯を捨て綺麗に拭き取る。そしてポットに茶葉を適量入れると、ちょうど沸騰したヤカンを手に取りポットに注いでいき、フタをして数分蒸らす。

 その間に戸棚の中から紅茶に合いそうな菓子を軽く選別すると、オーバルプレートに入れる。そしてトレイに乗せると、充分蒸れたティーポットの中をスプーンでかき混ぜ、ソーサーの上に乗ったカップに注いでいく。

 丁寧に淹れた紅茶は香しい匂いが漂った。

 

 

「先生、出来たよ」

 

 

 セイアは先生に一声かけると、トレイに乗せてソファの前のテーブルに丁寧にサーブする。

 先生はオフィスチェアから腰を上げると、ソファまで来て感嘆の声をあげた。

 

 

"わぁ、良い香りだ。それに色も。……ところで、飲む時のマナーってあるの?"

 

「ふふ、君が安らげる飲み方が正しいマナーだ。何も気にすることはないよ」

 

 

 セイアの言葉に、先生は安心したように笑う。

 二人はソファに腰掛け、紅茶を口にした。

 

 

"美味しい……"

 

 

 先生の声には純粋な喜びが込められていた。セイアもカップを傾け、静かな時間を味わう。この穏やかなひとときが、彼女の心に温かな模様を刻んでいった。

 

---

 

「さて、ご馳走様。洗い物をしたら私は仕事に戻るね」

 

 

 先生が立ち上がろうとすると、セイアが慌てて止める。

 

 

「先生、それは私がやろう。押しかけてきた身だ、少しは手伝わせてくれ」

 

"そう?……じゃあお願いしようかな。終わったらゆっくり寛いでいてくれてかまわないよ"

 

 

先生の言葉に、セイアは一瞬目を丸くする。

 

 

「ふむ、お邪魔になるから退散しようかと思っていたのだが、良いのかい?」

 

"うん、セイアに側にいて欲しいんだ"

 

「……っ」

 

 

 セイアは顔を俯かせ黙りこくると、そそくさと紅茶のカップを洗い場に運び始める。それを見た先生はパソコンの前に戻ると仕事を再開する。洗い場から聞こえる水を流す音に、キーボードを打つ音が混じった。

 

 やがて洗い物を終えたセイアはソファに座ると、静かに本を開き読書をはじめる。しかし、なかなかページが捲られる気配はない。文字を読み進めてはまた最初に戻ることを繰り返す。セイアの頭の中には先ほどの先生の言葉が頭を巡っていた。脳内にその言葉が浮かぶ度に頬が熱くなり、集中力が乱れる。

 結局、最初の一ページがめくられるのに10分ほどかかるのであった。

 

 やがて、オフィスには静かにキーボードを叩く音と、ゆっくりページをめくる音のみが聞こえる。この穏やかな空間に、セイアはどこか満ち足りた気持ちになる。

 

(ずっと、この時間が続いて欲しい)

 

 そんなことを考えているうちに、微睡みが音もなく忍び寄り、彼女はいつの間にか眠りに落ちてしまった。

 

---

 

 目を開けると、身体にはブランケットがかけられている。考えるまでもなく、先生の気遣いだろう。

 

 

"セイア、おはよう"

 

 

 インスタントコーヒーを片手に給湯室から出てきた先生が声をかける。

 

 

「ん……すまないね。勝手に押しかけておいて、のんきに昼寝とは。淑女として失格だ」

 

"遠出して、きっと自覚のない疲れがあったんだよ。気にしないで"

 

 

 先生の顔にはどうやらおべっかの色はない。本当にそう思っているようだ。

 先生の持っているマグカップに目を向けるセイア。

 

 

"ああ、これね。実はさっき紅茶を淹れてみたんだけど、セイアのとは比べようのない味でね。淹れ方でここまで違うとは思わなかったよ。だから、いつものをね"

 

 

 苦笑する先生。

 

 

「私が寝ていなければ、淹れてあげられたのにね。本当にすまない……」

 

"いや、本当にそんなことはないよ。紅茶はセイアの淹れたものだけを飲みたいんだ"

 

 

 セイアの頬が真っ赤に染まる。彼女は慌てて先生から視線を逸らした。尻尾が忙しなく動く。先生は本当に、自覚なくこんなことを言うのだ。

 

 先生はオフィスチェアに腰掛け、コーヒーを一口飲んだ後に穏やかにセイアに話しかける。

 

 

"実はもう仕事もひと段落したんだ。セイアさえよければ、この後どこかに行かない?"

 

 

 まだ日も高い。セイアにオフィスに留まってもらったのは、今日は仕事がすぐ終わるのがわかっていたからなのだろう。先生の思いがけない申し出に、喜びに満ちた内心を隠しつつセイアは少し挑戦的な顔を浮かべた。

 

 

「喜んでお受けしよう、先生。ふふ、エスコートは期待していいかな?失態を晒したとはいえ、これでも一応トリニティで教育を受けた淑女なんだ」

 

"はは…D.U.を適当にブラつくだけのつもりだったんだけどね。まぁ、お手柔らかにね?"

 

 

 その日から、シャーレのオフィスには紅茶の香りが漂うことが多くなった。セイアの穏やかな時間は、まだ続きそうだ。

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