どこにでもいる普通のウマ娘。
何処かで見たその謳い文句を当時の自分は小馬鹿にしていた。だって、あたしはどこにでもいるんじゃない。唯一無二のウマ娘なんだ。レースでもダンスでも注目を集めて、輝いて、憧れを集めるウマ娘なんだから。
そう思って調子に乗ったあーしに、現実ってやつをぶつけてきたのはあーしの世界の外だった。
あーしがいる世界は、地球の、日本の、その中のほんの一握りでしかなくて、それがどれだけ小さいなんて考えた事もなかった。
地方と中央。
テレビで見た憧れたあの輝かしいレースは、全部中央にあった。あたしは地方だ。地続きのくせに、中央は高くて分厚い壁があった。幼いあーしは、そんな世間の当たり前にも気づいていなかった。
無邪気にレースで一着、あの輝く舞台で一着をって両親に語ってた。優しい両親はあーしの頭を撫でながら「未来のスターね」って、背中を押してくれた──そう思っていた。
今ならわかる。子供の夢を壊さないための言葉だったのかもしれない。でも、そう考えてしまう時点で、もうそれを無邪気に受け取れなくなってしまっていた。
…どこからだったかな、現実を感じたのは。
小学校のレース?いや、自慢じゃないけど学校じゃああーしは速かった。まあ、負け無しじゃあなかったけど。
兎も角、あーしはそこらじゃ有名だった。お母さんのダンス教室のお陰でダンスも出来て足も速い、この先も順風満帆って奴だと思ってた。
そういえばルディとミニーは小学校からあーしとつるんでいた。
…ああ、あーしが負けたのはフジマサマーチってウマ娘で、すっごく速くてかっこ良かった。
で、現実を感じた話ね、確か小学校の頃、交流会があったの。地方の学校に中央の子が来るって言うのがね。
来てくれたのはカツラギエースさん。当時のジャパンカップを手にした凄いウマ娘で、小学校の皆がはしゃいでた。なんなら先生もはしゃいでた。
テレビで見たウマ娘が目の前にいる。それだけで、胸がうるさい。ルディもミニーもはしゃいでる。あーしだってはしゃいでた。カツラギエースさんの姿は、走る前から違ってた。走る姿はもっと違ってた。速いとか上手いとか、あーしの言葉じゃ追いつかない。
ああ、あーしはあの場所まで行きたいんだって、その時のあーしは疑いもしなかった。
だけど、その後だ。
交流会が終わってカツラギエースさんを見送ったあーし達は偶々職員室の前で聞いてしまった。
「カツラギエースを見ると、やっぱり分かるよな。地方と中央は天と地の差ってやつがよ。走りやオーラってやつを感じるだろ?フジマサマーチやノルンエースだって、ここじゃ速いが中央じゃ厳しい──」
──反射だった。
考えるよりも脚が、あーしをあの場から遠ざける。
訳が分からなかった。いや、分かりたくなかった。
速いと褒められた脚で息を荒げて走った。ハァハァと荒い息遣いが耳に残る。なんで、こんなに苦しいんだろう。
そして、一歩進む度に現実はその一歩を呑んでいった。何処まで走っただろうか。
辺りは見知らぬ景色ばかり、そう気がつけば笠松を越えて走っていた。初めてこんなに走った。熱が急激に冷まされる。でも、心は荒れていた。
褒められた脚で、あの輝く舞台に憧れのの人(カツラギエース)みたいに立つつもりだった。
その思いが教師の何気ない言葉で、それも耳に入っただけの言葉で罅が入り、汗で冷え始めてしまった。そして、あーしは折れてしまった。
それに、気づいた。
今までのレースへの憧れが今は湧かない。何でこんな傷付いているのだろう。
分からない、分からないけど気持ちが落ち着かない。ああ、朝は楽しみでいっぱいだった。昼はわーきゃー騒いでた。
でも今はそんな気が全く起きない。どうして、どうして?
でも、これだけは気付いていた。もう、無邪気に走れない事を、硝子で守られた小さな熱量が、罅から漏れた汗で消えてしまったのだから。
それからは荒んだ心を誤魔化すみたいな生活だった。
流行りの服、ネイル、髪型、化粧。目についた物は、何でも試した。周りから綺麗と言って貰える様に。そうしたら、なんだか気が紛れたから。
走らなくても、まだ自分は見てもらえる物がある。そう思いたかったのかもしれない。
ルディとミニーとも引き続きつるんで遊んだ。ウマホも買って貰って写真を投稿した事もあった。ゴールドシチーさんの様には行かないけどウマいねを付けて貰ったりしていた。
そんなあーしの生活にレースはどんどん端に置かれていた。学校の体育でのレースも今までなら全力だった。
けれど、今では疲れない程度の走りだ。それでも速かったので一着を貰うこともあった。その時もあまり嬉しく無く、上面だけのピースを掲げていた。
そんなあーしも、小学校の卒業が近づいて、進路を考える時期になった。そこらの学校あるいはカサマツトレセン学園だろう。
以前までだったらトレセン学園一択だった。
でも、この時のあーしはトレセン学園に行ってもと言う考えがあった。ルディとミニーも似たような感じだった。
しかし、あーしはカサマツトレセン学園に入学した。理由は特に無い。
強いて言えば、フジマサマーチが行くからかもしれない。
あーしが本気を出しても勝てなかった相手で、あーしが折れた後もずっと走っていた変わり者。
でも、その姿がなぜかあの人に重なった。カツラギエースさんに。
もちろん、あの人ほど速くない。ただ走っているだけだ。
でも、眩しくて、少し憐れで、だからこそ、最期まで見たいと思ったのかもしれない。
ともあれ、入学したトレセン学園だ。此処はレースで走るウマ娘が来る場所であって、やる気の無い者は弾かれる。
なんて事は無く、周りも同様にやる気がなかった。
あーしはあの一件で知ったけれども。地方と中央の格差については周知の事実である訳で、高望みも無ければ夢も無い。
どうせ中央には敵わない病が蔓延しているのだった。
そんな中でもフジマサマーチは真面目だった。彼女は東海ダービーを目指しているらしいので応援はしている。
春だと言うのにあーし達は全然そんな感じじゃなかった。
そんな淀んだ朝をぶち壊すみたいに、一人のウマ娘が横を通り抜ける。
その姿は灰被り…いや、泥被り?そんな見た目だった。
一瞬で走り去るその姿をあーし達は眺めているだけだった。
速い、一瞬だってのに目が離せなかった。
驚愕と唖然、思考の放棄が落ち着いて来ると昔の様に分析してしまう自分の頭が戻ってくる。脚の運びが不規則だったり、重心が低い、深いのか。観察する癖が蘇る。
そこまで考えてあーしは頭を振って考えを止めた。考えたくない、あのフジマサマーチよりも速いのがこんな地方にいる事を考えたくなかった。
あーし達は同じクラスだった。フジマサマーチもだ。
ハゲた先生の話をウマホを見ながら聞いていると、バンッの音と共にドアが開かれ、あの泥被りが更に泥を被ってそこにいた。
一緒のクラスだったのか、その時はそれだけだった。
でも、なんか眩しくて、ムカついていた。
だから、少しイタズラした。ルディとミニーも行った。
でも、あいつには届かなかった。
部屋も紐も脚も全部届かなかった。そして、フジマサマーチも届かなかった。
灰被りで泥被りのオグリキャップ。
なんなんだろうか?あーしよりも速くてマーチよりも速い。レースで見せたあの眼光、そして、あの脚力はあーしの知る中でも上位だ。
怖い、あいつとオグリキャップとレースをした時、あーしは恐れた。そして、マーチも倒したオグリキャップは本当に眩しかった。
その時から、あーしはオグリキャップを目で追うようになった。部屋も片付けて、下手くそなダンスも練習に付き合った。
上手くなったダンスは少し誇らしかった。
そして、レースでのオグリは相変わらず眩しくて、中央に行くそれが寂しかった。けど、オグリは地方で燻ぶる器じゃない事も理解している。
あの頃憧れた輝きをオグリは持っている。
だから、遠方になっても応援し続けた。トレーナーがお金出してくれないし
フジマサマーチの東海ダービーが終わった頃。
マーチの目標の東海ダービー、結果で言えば4着だった。
オグリ以外ではわりかしクールに振る舞うマーチもこの時ばかりは悔し涙を見せていた。
…あーし?応援に行ったに決まってる。だから、マーチが悔しい様にあーしも悔しく思っている。
なぜなら、マーチはオグリの分も走ったのだ。それでも勝てないレースの怖さかな。オグリは中央の高松宮杯を勝ったのに、自分は負けた。マーチは気丈にも2度目の涙は見せなかったけど、そう考えていてもおかしくないかな。
でも、秘密にオグリに電話したのは見逃せない。
あーしは気遣ってかけてないのにズルい。
そういえば、またオグリのグッズが増えた。どうしよう、寝る場所が無いよ。マーチに置いて貰おうか。
時は進んで、オグリのジャパンカップの後。
北原に誘われて中山レース場にマーチ達と来ていた。
オグリのスクーリングの為らしい。まあ、内容はそこまで重要じゃない。
オグリに久しぶりに会えたそれで良い。本当にあの眩しさのまま大きくなった。面倒見ていた身としても誇らしい気持ちだった。
…ちなみに誰もオグリに先着できなかった。流石。
思い出に胸をはせながら、あーしはオグリのラストラン、有馬記念を見返していた。
劇的な展開もそうなのだけど、何よりもオグリをずっと見てきたからか何だか感慨深い気持ちが先行してしまって、11回目もダメそう。
最初は嫉妬かな、それもすぐに変わっていった。
表現は難しいけどどんどん目が離せなかった。
世話を焼きたくなった。オグリの魅力かも知れない。
どんどん遠くなって行くのに向こうは気にしない様子なのが嬉しいやら心配やら。
コンコンとノックの音が聞こえる。
「ノルン、早くしないと置いて行かれるぞ」
「オグリもベルノも北原ももう来てるよー」
「──あ、ごめんごめん。すぐ行くから」
今日はマーチの高知レース場でのレース、みんなの予定が合えたから一緒に行くことなっていた。
久しぶりの面々にワクワクを思い出し、開いていた日記をそっと閉じるのだった。