祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

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長過ぎた。分担して書いたので推敲足りてなかったら直します。



寄り添うことしか、できないけど

 お菓子の魔女、シャルロッテは激昂していた。

 

 奪われた“餌”への執着は尋常ならざるものがあり、つり上がった目尻と異形の口元から、濁った唸り声が漏れ出していた。次の瞬間、その巨躯が弾丸のごとく虎杖へと撃ち出される。

 

 虎杖悠仁は、即座に応じた。血流のうねりにあわせて肉体が軋み、赤燐躍動の残響がなお身体を駆け巡る。

 

 腕に抱えた巴マミの負傷した身体が、均衡を崩す要因となるかと思われたが、その程度で彼の脚は止まらない。

 

 マミを庇いつつ、彼は脚技を繰り出す。反応の隙を突き、幾度も魔女の顎門を跳ね上げ、巨体を蹴り飛ばす。しかし、打撃の効果も束の間、シャルロッテは脱皮とともに損傷を打ち消し、何事もなかったかのように再び迫ってくる。

 

(このままじゃ……仕留めきれねぇ)

 

 その再生能力は尋常ではない。速度もある。脱皮はリボンでの拘束をも難なく振り払うだろう。マミが苦戦を強いられた理由が、ようやく理解できた。

 

 だが——虎杖には、別の手段がある。

 それは、打撃だ。肉体そのものだ。

 拳と脚、呪力、そして命を賭して取り込み修得した術式が、彼の武器である。

 

 魔女が咆哮とともに大口を開き、鋭く襲いかかってくる。虎杖は迷いなく膝を打ち込み、その軌道を外させた。

 

 衝撃を受けたシャルロッテは跳ね飛ばされ、お菓子の内壁を削りながら後退する。次の瞬間、虎杖の姿が掻き消え、追撃を加えた。

 

 風が裂け、重力が捻じ曲がる。宙を駆けるような踏み込みとともに、鋭い蹴撃が魔女に叩き込まれる。一蹴からの三連脚。並の呪霊なら消し飛ぶ威力。——だが、尚も決定打には至らない。

 

 このままでは埒が明かない。重傷を負ったマミを庇いながらの戦闘では、攻め切れない。

 

 その刹那——

 

「!?」

 

 虎杖は、己の腕の中から温もりが消えていることに気づいた。

 

「マミは、私が預かる」

 

 視線を向けた先にいたのは、暁美ほむらだった。

 彼女は血に染まった巴マミの身体を静かに抱き、いつの間にか美樹さやかと共に、虎杖の後方へと距離を取っていた。

 

「っ、ほむら……!」

 

 突如として姿を現したほむらの存在に、さやかは思わず声を漏らす。

 冷たく、鋭い視線がさやかへと向けられる。だが、その奥にあったのは拒絶ではなく——警告だった。

 

「美樹さやか。今の貴女はただの足手纏い。死にたくなかったら大人しくしていなさい」

 

 静かに、けれども確実に突きつけられる言葉は、容赦なき現実の断片そのものだった。さやかの瞳がわずかに揺れる。悔しさとも、痛みともつかない感情が胸を打つようだった。

 

 そして、ほむらは視線を前へ戻す。

 

「虎杖悠仁」

 

 名を呼ぶ声音は静謐で、凛としていた。

 

「いま、あの魔女を討てるのは——貴方しかいない」

 

 虎杖は一瞬だけ、ほむらたちの方を振り返った。

 そして深く、息を吐く。

 

 胸の奥で渦巻くものを解き放つように。

 その視線はやがて、暴れる魔女へと戻される。

 

「……ああ」

 

 短く応じる声の中に、迷いはなかった。

 重く、熱を帯びた足が再び地を蹴る。

 

 呪力の奔流が、周囲の空間を震わせていた。

 

——-

 

 空気が豹変したことを察知するほむら。

 

 ——虎杖悠仁の本領はこれからだ。

 

 あれほどの膂力を備えながら、なお巴マミを抱えて戦うことを選んだ虎杖——その選択は人道的であるがゆえに、戦術的には不利を背負い続けていた。彼にマミを預けたままでは、シャルロッテに対する決定打が訪れぬことは明らかだった。

 

(まどかに諭されてここまで来てしまったけれど、どうやら正解だったようね)

 

 だからこそ、彼女は一瞬の隙を突いてマミの身を奪い取った。ついでにさやかも共に引き寄せ、安全圏へと移動した。

 

 振り向けば、すでに虎杖の肉体が閃光のように戦場を駆けていた。

 

 その動きは、少なくともほむらの知る限り、既知の魔法少女の能力体系には属さない、身体能力にものを言わせた単純な接近戦術——。だが、それが通用してしまうほど、虎杖の“呪力”と推測される強化能力は異常だった。

 

 (……まるで、身体そのものが”魔力”で再構築されているよう)

 

 虎杖は、巴マミが苦戦した相手に対して、正面から立ち回っている。

 その巨体は虎杖の拳と膝によって何度となく宙を舞い、結界の壁に叩きつけられていた。

 

(マミにとって、この魔女は“相性最悪”だった)

 

 シャルロッテの強みは、異常なまでの再生能力と脱皮構造。

 

 マミの射撃では決定的な破壊に至らず、リボンによる拘束も脱皮で難なく脱する。射線による制圧が利かず、制止も封殺も叶わない——つまり、遠距離戦術を軸とするマミにとっては、まさに天敵だった。

 

 だが、虎杖は違う。間合いに入った相手を、そのままねじ伏せる。攻撃を受ける前提で作られたフィジカルが、呪力と術式という未知の異能によって鍛え上げられている。

 

——虎杖にとって、シャルロッテは“叩きがいのあるサンドバッグ”に過ぎない。

 

 ほむらは確信した。この戦闘はもはや勝負ではない。戦術の相性差が、そのまま勝敗を決していた。

 

 ほむらは物陰に隠れると、視線を落とす。自身の腕の中、血に濡れたマミの身体が虚ろに呻く。

 

 ほむらは早速不得手な”再生魔法”をマミに施すも、そう易々とは回復しない。

 

「……っ、血の量が多すぎる」

 

 片腕の欠損だけではない。魔女の顎に喰われた際、肩口から内臓にかけて広範囲が抉られている。皮膚は裂け、血管がむき出しになり、呼吸も浅い。魔法による応急処置を施していなければ、すでに命は失われていたかもしれない。

 

 このままでは、遅かれ早かれ命を落とす。

 

 魔力の消耗が激しいが故に、ほむらは手持ちのグリーフシードを使いながら、傷口に魔力を注ぐ。

 

 ほむらは額に汗を拭わせると、俯くさやかが目に入る。

 

「美樹さやか、貴女……酷い顔ね」

 

 声をかけると、近くにいた美樹さやかが顔を上げる。涙に濡れた頬、震える指先。だが、その手は確かに、マミの手を握っていた。

 

 気を失いながらも、さやかを心配するような譫言を繰り返している巴マミ。

 

 マミは少しずつだが、生命力を取り戻しつつある。譫言はその兆候だ。しかし、治療をやめれば空気の抜けた風船のようにエネルギーは失われて、生体機能は沈黙する。未だマミの状態は予断を許さない。

 

「こんな……状態でも……マミさんはあたしの心配を……して……っ。でも、あたしは……あたしはっ……!」

 

 嗚咽まじりに崩れ落ちそうになるその肩に、ほむらは静かに言葉を重ねた。

 

「これが魔法少女の現実よ。貴女が望む“奇跡”の裏にあるもの。……上條恭介を救ったところで、貴女自身がこの巴マミのようになれば、それは本当に望んだ未来?」

 

 その声には、嘲りはなかった。ただ、事実を突きつける冷徹な響きだけがあった。さやかは震えたまま、何も答えられずにいた。

 

——

 

 ——その頃、戦局は終局を迎えようとしていた。

 

 あれほど猛り狂っていたシャルロッテの動きに、明らかな鈍化が見られる。

 再生の速度が追いつかない。殴打の衝撃が回復の機構を上回り始めたのだ。

 

 あれほどダメージを受けても余裕を見せていたシャルロッテ。その底知れぬ不気味な笑顔も、今や消え失せて苦痛に歪む。

 

 逃げ出そうと結界の奥へ這いずる魔女の尾を、虎杖は無言で掴み上げた。

 

 「——おしまいだ」

 

 低く、凍てつく声。

 

 ——何かが、始まる。

 

 そして次の瞬間、甲高い音が鳴り響く。

 

 “斬撃”。

 

 それは、魂ごと断ち切る術。

 

 お菓子の魔女、シャルロッテは、音もなくその場で細切れになって崩壊した。

 

 魔女の結界が、音もなく霧散を開始する。非現実的な虚構が薄れて、菓子の色彩は褪せていく。暁美ほむらは、崩れゆく虚空を見つめていた。そこに立つ虎杖悠仁の背が、静かに揺れている。

 

 彼の足元には、もはや魔女の原型を留めぬ“断片”が転がっていた。幾重にも脱皮を繰り返したその異形の魔女は何らかの“斬撃”により、数多に切り裂かれたのだ。

 

 (……本当に、仕留めた)

 

 その確認に、わずかに安堵の息を漏らしかけた——そのとき、ほむらは気づく。

 

「……これは……」

 

 足元に転がっていた“グリーフシード”。

 それは明らかに異常な“破片”の集合だった。

 

 通常、魔女を討伐すれば残されるはずの、浄化可能な“核”。だが、そこにあったのは呪力によって断ち切られ、砕け、再生の見込みすら絶たれた“欠片”だった。

 

 (回収不能……?)

 

 その事実に、ほむらの表情がかすかに曇る。これは、彼が行使した技の性質によるものだろう。魂そのものに干渉し、修復の可能性を奪うほどの威力。

 

 そしてそれは同時に、魔女という存在を“根源”から破壊する、あまりにも危険な力でもあった。

 

(伏魔御厨子……そう呼んでいたかしら)

 

 この少年の持つ“呪力”と“術式”は、まだ全容が掴めていない。それでも彼女は直感していた。この力は、人間のそれではない。

 

 そして——

 

「……」

 

 虎杖が、マミの元へと歩み寄ってくる。薄れゆく結界の外。危険が及ばないよう待機させていたまどかもこちらに気づくと合流した。

 

 虎杖の表情に、勝利の色はなかった。ただ、深く沈んだ怒りの残滓と、胸奥に渦巻く“焦り”と“痛み”がわずかに滲んでいた。

 

「グリーフシードは……ごめん。相手、めちゃくちゃしぶとくてさ。壊しちまった。マミさんの容体は……大丈夫なのか?」

 

 その問いに、ほむらはわずかに目を伏せ、首を振った。

 

「放っておけば命に関わる。……応急処置だけで済ませるには限界があるわ」

 

「そうか……ありがとう。助かった。暁美、さん」

 

「ほむらちゃん、本当にありがとう……」

 

「……別にお礼を言われるような事はしていない。私は後方支援が最善であると判断した。ただ、それだけよ」

 

 頭を下げて礼を述べる虎杖とまどかに、ほむらはそっけなく応じた。

 

 そんな中、悲痛な声を上げ続けるのはさやかだった。彼女は、まだ震える声で、マミの隣に膝をついていた。まどかもまた、さやかを落ち着かせるように、寄り添っていた。

 

 「マミさん、マミさん……! 死なないで!」

 

 さやかの呼びかける声は切実だった。だが、マミの目はうっすらと開かれたまま、焦点が合わない。血の気の失せた顔色。脈は浅く、呼吸も弱い。いくら魔法少女といえど、医療機関で治療する必要がある。

 

「きゅうべぇ……! お願い、マミさんを、何とかできないの!?」

 

 さやかが泣きながら問いかけると、足元からひょっこりと、あの白い獣が姿を現した。

 

「それは簡単なことだよ、美樹さやか」

 

 その声はいつも通りの調子で——冷淡で、理知的だった。

 

「君が“契約”すればいい。それだけで、マミの命は救われる」

 

 「……!」

 

 その言葉に、虎杖の表情がぴくりと動く。

 

 ほむらは即座に前に出た。

 

「——待ちなさい」

 

 鋭い声音だった。虎杖が歩み寄ろうとするのを、ほむらが手で制した。

 

「慌てないで美樹さやか。巴マミはまだ間に合う。彼女は魔法少女で、簡単には死なない」

 

 その言葉に、さやかの瞳が揺れた。

 

———

 

 混濁していた結界の色が、細切れになったシャルロッテの残滓と共にゆっくりと褪せていく。甘ったるい空気が完全に霧散し、砕けた菓子の破片が風に流されていく。

 

 不穏な空気が色褪せて、土の感触が完全に帰ってくる。遂に病院の中庭に一同は帰還していた。穏やかな噴水のせせらぎがその証拠だ。

 

 さやかは現実に戻ってきたことに安堵すると、ぎゅっと膝の上で手を握る。

 

「転校生……悪いけど、マミさんは、私を信じてくれた。だから、私——」

 

 きゅうべぇの姿が、さやかの肩の傍らに滑るように現れる。

 

「やはり、魔法少女になる覚悟を決めたようだね。素晴らしいことだよ、美樹さやか」

 

 虎杖の足が止まる。視線が、さやかときゅうべぇを真っ直ぐに捉える。冷たい空気が、ひときわ強く胸を貫いた。

 

「さやか、待ってくれ……それ、本気か?」

 

 声に怒気はない。ただ、沈殿した疑念と、止めようのない焦燥が滲んでいた。

 

 きゅうべぇが首を傾げる。

 

「彼女の意思を尊重するべきじゃないかな?」

 

「……そうやって、簡単に覚悟を煽るなよ。命懸けるって、そんな軽いことじゃねぇんだ」

 

 虎杖は歩み寄りながら、さやかを見据えた。腕の中では、ほむらの手で応急処置を施されたマミが静かに息づいている。

 

「……さやかがマミさんのこと助けたいって思ってたの、ちゃんと伝わってきたよ……。だからさ、自分を投げ出してでも……って気持ちも、わかる気がする」

 

 一拍、沈黙。

 その間に、虎杖の視線がどこか遠くを見ていた。

 

「——でもな、その前にきゅうべぇに聞かなくちゃならないことがあんだよ」

 

 言葉を選ぶ虎杖の声音には、苦悩が滲む。そして、さやかを守るように、その前へと一歩踏み出した虎杖は、視線をゆっくりと横へ滑らせた。

 

 白く無表情な“獣”——きゅうべぇを、真っ直ぐに見据える。

 

「……一つ、聞かせてくれ」

 

 静かな声音には、微かに圧が混じっていた。怒鳴りもせず、威圧もせず——けれど、明らかに何かを見抜こうとする眼差しだった。

 

「……お前が言ってる“ソウルジェム”って、もしかして……」

 

 言いかけて、虎杖は一瞬だけ言葉を飲み込んだ。

 だが、目は逸らさない。

 

「……それってさ、人間の魂を詰め込んだ“容れ物”なんじゃないのか?」

 

 空気が、ぴたりと止まった。

 

 さやかとまどかの顔色が変わる。

 

 きゅうべぇは、小さく首を傾げたまま、どこまでも無感情に答えた。

 

「……随分と鋭いね、虎杖悠仁。どうしてそう思ったんだい?」

 

 虎杖は、手元のマミへ一瞬だけ視線を落とすと、絞り出すように口を開いた。

 

 風が、遠くで揺れていた。病院の中庭には夜の冷気がうっすらと滲んでいる。沈黙が、まどかとほむらの間に広がる。そして、その中心に立つ虎杖悠仁が、低く口を開いた。

 

「……最初に見た時から、引っかかってたんだ」

 

 まっすぐな声音だった。迷いを押し殺したような、けれど決して怒鳴ることはなく、ただ淡々と、しかし深く沈んでいた。

 

 「あの石みたいな“ソウルジェム”……見てると、違和感が拭えなくて」

 

 虎杖は遠くを見つめるように目を細めた。

 まどかが、静かに息を飲むのが聞こえる。

 

 「なんでだろうって考えて……それで思った。もしかして——あれが、魂なんじゃないかって」

 

 中庭の噴水でせせらぐ、水音だけが聴こえる。

 ただ、冷たい夜の風と、四人の間に横たわる秘密の重さだけが確かだった。

 

 「最初は、ただの勘違いだって自分に言い聞かせた。そんなわけないって。でも……」

 

 言葉が一度、喉で詰まったようだった。だが、虎杖はそれでも前を向く。

 

 「……俺には、魂が“理解る”んだ。呪術師だから、そういうのに、敏い。……確信に近いよ」

 

 まどかの目が、驚愕に揺れる。そして、ほむらの視線もまた、鋭さを帯びて虎杖に注がれていた。

 

「あれは、身体の中にあるべきで……外にあるべきじゃないものだった」

 

 虎杖の声は、最後まで静かだった。その静けさが、返って胸の奥に重くのしかかる。 外に出された魂。もしそれが事実なら——それは、命そのものを“物”として扱うことと同義だった。

 

 まどかの肩が、小さく震えている。

 無理もない。あの虎杖ですら、不快さに顔を歪めているようだった。

 虎杖悠仁の”呪術師としての確信”が続く。

 

「それに魔法少女って、ソウルジェムさえあれば体がどれだけ壊れても動ける……違うか?」

 

 それは、問いではなかった。

 虎杖の声は冷たく、低い。

 

 その言葉を受けて、さやかの足が揺らぐ。わずかに後退した踵に、土が滲む。

 信じていた何かが、音を立てて崩れ始める。

 

 さやかは、ゆっくりときゅうべぇの方を振り返る。

 

 「ねえ……きゅうべぇ。それ、本当なの? 魔法少女になったら、体の外に魂が出ちゃうって……」

 

 震える声で問うさやかに、白い獣は一切の迷いも見せなかった。無表情のまま、ただ当然のように事実を告げる。

 

「そうだよ。正確には、君たちの魂は“ソウルジェム”という形に変換される。効率的に魔力を使うには、肉体から魂を分離するのが最適なんだ。僕たちインキュベーターにとっては、極めて合理的な処置だよ」

 

「う、嘘だよ……何かの間違いじゃ……!」

 

 まどかが、何かを言いかけて、言葉を飲み込む。淡々と語られる“合理”の裏にある非情さが、言葉の重さとなって胸に降りかかった。

 

 虎杖の拳が、音もなく握られる。

 

 それに気づいた様子もなく、きゅうべぇは更なる言葉を紡いだ。

 

「しかし、驚いたよ。虎杖悠仁——君ほどの存在は、僕たちの記録にもない。魂すら”観測”できるキミの性能はある意味魔法少女すら凌駕している」

 

 その声には、感嘆も軽蔑もなかった。ただ、珍しいサンプルを前にした研究者のような無機質な響きだけがあった。

 

「薄々、キミが“何らかの器”であることは一目でわかった。でも、まさかここまでの“機能”を有しながら、なお自我すら確立されているとは。言うなれば……“ソウルジェムの外殻に、人間性を付与した鳥籠”といったところかな?」

 

 虎杖の目が険しく細められる。冷気が肌を刺す中で、内側に燃え始めた感情を発露する。

 

「とにかく——君を“作った”存在が、いかにこの地球の標準規格から逸脱しているかは、よくわかったよ。実に興味深い。是非、一度お目にかかりたいものだね」

 

 きゅうべぇの口調は最後まで穏やかで、歪みひとつない。それが、なおさら不気味だった。

 

 そして——。

 

 さやかは、治療に専念するほむらと未だ意識戻らないマミを見て、恐る恐る瞠目した。

 

「じゃあ……つまり、マミさんも、ほむらも……」

 

 さやかの唇が震えた。顔が青ざめる。手の中の何かがひび割れるような音が、胸の奥に広がっていく。

 

「美樹さやか、貴女の想像の通りよ」

 

「もう転校生もマミさんも”抜け殻”だってこと?! そんな……話、聞いてない……!」

 

 きゅうべぇは、首を傾げる。

 

「言っていないだけで、隠していたわけじゃないよ。君たちは“願いを叶える”ことを望んだ。僕はその方法を提示したに過ぎない。魂の在り処よりも、代償よりも、願いの方が重要だった、違うかい?」

 

 さやかの肩が震える。

 

 虎杖は、ぐっと拳を握った。

 

「……そんなに大事なことを、あっさり言えるんだな」

 

 虎杖の声は低く、きゅうべぇに対し明確な苛立ちを帯びていた。

 

「契約の仕組みを黙ってた。魂を外に出すってことを“合理的”の一言で済ませて、それでも正しいって言えるのかよ……」

 

 きゅうべぇは瞬きもしない。

 

「正しさとは、視点によって変わる。暁美ほむら、キミもそうは思わないかい?」

 

 そう返したきゅうべぇに、今度は暁美ほむらが冷ややかな視線を向けていた。

 

「それに魔法少女はキミたちの言う”抜け殻”になろうとも、日常生活に支障はない。むしろ、何がそんなに不満なのか、ボクは理解に苦しむよ」

 

 黙したまま、ほむらは答えない。あるのはきゅうべぇに対する敵意だけだ。

 

 沈黙の中で、さやかは俯いていた。血濡れたマミの顔に雫が落ちて跳ねる。

 

 「でも、それでも——そんなのって……じゃあ,マミさんはそれを知らないで……?」

 

 揺らぐ。その決意も、信念も、今まさに崩れようとしていた。

 

 ——沈黙。

 

 虎杖は、さやかの前で静かに言葉を落とす。

 

「……この契約、まだ”裏”があるに決まってる」

 

 さやかの表情が、恐怖とも疑念ともつかぬ色に変わる。

 

「……それでも、さやかは——その道を選ぶのか?」

 

 静かに、けれど深く、問いかける声は強制でも怒りでもない。ただ、目の前の少女の覚悟を、真正面から受け止めようとする青年の声だった。

 

 さやかの視線が宙を彷徨っていた。手の中には、砕けた意思のかけらが残っているような感覚。

 

「……でも、あたしは、マミさんに“なる”って……約束したんだよ……。それで、マミさんはあたしを庇って……傷ついちゃったんだ」

 

 思い出すのは、あの一言だ。

 

 “美樹さんが、一緒に戦ってくれるなら——もう、何も怖くない”そう言ったマミ。血に濡れ、意識の朧な彼女が、あの瞬間だけは心から笑っていた。

 

 それを見た自分は、何を思った?

 

 (——あたしも、あんなふうに、誰かを守れるって、信じたかったんだ……。頑張ってる人が報われるって思いたかった)

 

 だが、その理想は砕かれる。魔法少女とは、“人間ではない”存在に成り果てること。その事実が、さやかの内なる決意を静かに侵食していく。

 

「でも……それでも……っ」

 

 震える声で吐き出すように言う。叶いたい”願い”がある。

 

「恭介が……苦しんでるの。あたししかいないの……あたしが、助けてあげたいのに……!」

 

 その声に、虎杖悠仁は静かに呼吸を整え、言葉を紡いだ。

 

「助けたいって気持ちは、間違ってない。……でもさ、さやか自身がボロボロになってまで誰かを救うなんて、俺は見てらんない……」

 

 さやかの顔が上がる。驚きと、戸惑い。

 

 虎杖は一歩、彼女に近づいた。怒りでも、否定でもない。ただ、真正面から彼女と向き合うという意思だけを抱いて。

 

「さやかが危険な目にあったら……幼馴染だっていう恭介はどうすんだよ? さやかが命懸けで助けたって知って……本気で、喜べると思うのか?」

 

 さやかは、口元を押さえた。嗚咽を堪えるように、うつむいた。

 

「じゃあ……あたしはどうすれば、いいの……?」

 

 その問いに、虎杖は即答できなかった。

 

「……まだ、答えを出すな。全部知ってからでも遅くない。きゅうべぇが言ってないこと、きっと他にもあるはずだから」

 

 胸の奥が軋むように痛んだ。美樹さやかは、震える指で顔を覆い、堪えていた涙が音を立てて零れ落ちていくのを感じた。

 

 虎杖の言葉は、責めるでも、強制するでもなかった。ただ、真正面から自分の“気持ち”と“覚悟”を見つめて問いかけてきた。

 

 それが——苦しかった。

 

(恭介やマミさんを助けたいって、本当に……それだけだったのに)

 

 でも、だからこそ。その“願い”が、自分の命を差し出すことでしか叶わないのだと知ったとき——怖くなった。

 

 自分が壊れてもいいと、本当に思えていたのか。きゅうべぇに、あのとき契約を迫られた瞬間、本心は——足がすくんで動けなかった。

 

(……私、逃げたんだ)

 

 言い訳は、たくさんできる。タイミングを逃した、きゅうべぇが何も教えてくれなかった、マミの容態を見て動揺していた。

 

 でも、それは全部後付けだった。

 

 選ばなかった。怖くて選べなかった。それが、今の自分だった。

 

 でも——

 

(それでも……生きてる)

 

 目の前には、必死にマミを助けようとしてくれた人たちがいる。虎杖も、まどかも、ほむらも——そしてマミも。

 

 誰一人として、自分を責めたりしなかった。

 涙は止まらなかった。

 けれど、その涙の意味は——少しだけ変わっていた。

 

 このとき、美樹さやかは、まだ魔法少女にはならなかった。けれど、それは「諦め」ではなく——「選び直すための猶予」だった。

 

———

 

 天井が、静かに滲んでいた。薄い光の下、機械の微かな電子音が空気を刻む。

 

 巴マミは、目を開けたまま、しばらく動けなかった。

 

 痛みも、喪失感も、遠いようで、妙に近い。左肩に重くのしかかる感覚。それを確かめるように視線を向ける。包帯に覆われた腕が視界の端にあった。

 

 (……ある)

 

 ただ、動かない。それでも、ないと思っていたものが“ある”という事実は、静かな衝撃だった。

 

 ふと、ベッドの傍に気配を感じる。

 

「マミさん……!」

 

 声の主は、鹿目まどかだった。目元が赤く、手には握りしめたハンカチ。

 その横で、美樹さやかが、椅子に身を預けたまま静かに眠っている。手は、マミの掛け布団の端を離さず握ったままだった。

 

 その様子を見て、マミはそっと目を細める。

 

「……ありがとう、二人とも……」

 

 その声はかすれ、まどかの目に新しい涙がにじむ。

 

 そして——その視線の先。

 病室の入り口に立っていたのは、虎杖悠仁だった。

 

「虎杖さん……」

 

 マミが名を呼ぶと、彼はわずかに頷いた。

 

「……無事で良かった、マミさん」

 

 その言葉は端的で、淡々としていた。だが、瞳の奥に残る陰りが、どれだけの葛藤があったかを物語っていた。

 

「助けに来てくれて……ありがとう。それに、ごめんなさい。美樹さんまで巻き込んでしまって……」

 

「謝んないでよ」

 

 思わず遮った虎杖の声に、病室の空気が一瞬だけ止まった。

 

「さやかのこと、守ろうとしてたじゃん。……俺、ちゃんと見てたよ」

 

 静かに言葉を紡ぎながら、彼は目を逸らさなかった。

 

「俺たちだって、何もできないわけじゃない。マミさんが無事でいてくれるだけで、それだけで助かる人間、救われる人間がいるんだ。……本気でそう思ってる」

 

 それは慰めでも、賞賛でもなかった。ただ、事実としての言葉だった。

 

 マミは小さく息を吐き、目を伏せる。

 

「……まだ、怖いの。魔女に噛み付かれたとき、私、本当に……死んでしまうかと思った……」

 

 そう呟いた声はかすれ、喉の奥で震えていた。両手の指先が、毛布の端をぎゅっと握りしめる。睫毛の影に隠れた瞳は、どこか遠く、過去を見つめているようだった。

 

 その言葉に、虎杖は言葉を返さなかった。ただ、一歩だけ前に出た。距離を詰めるでもなく、突き放すでもなく。隣でも、真正面でもない、“寄り添える範囲”に。

 

 ——それが、彼なりの距離感だった。

 

「……今度は、ちゃんと支えるから」

 

 その声だけが、静かにマミの胸に届いた。

 

———

 

 病室の扉が静かに閉まる。

 薄いカーテン越しに差し込む昼光が、柔らかく床を照らしていた。

 虎杖悠仁はその場に立ち、しばしの沈黙を守る。

 先ほどまで目を覚ましていた巴マミの表情が、未だに脳裏に焼きついて離れなかった。

 

 彼女は強かった。重傷を負いながらも他人を気遣い、助けようとする意志を曲げなかった。

 

 しかし——その強さの裏には、確かな疲弊と、微かな諦念の影があった。

 

 虎杖は思う。誰かを守るという決意は、時に人を支えもするが、同時に容赦なく削りもする。マミの姿は、それを雄弁に物語っていた。

 

(……ナナミンも、こうして迷っていたのかもしれない)

 

 かつての七海建人。自分が“宿儺の器”であるという事実を理解しつつ、それでも自分を人として扱ってくれた”大人”。

 

 その懐の深さの裏に、どれほどの葛藤と責任があったのか——今の自分には、想像が及ぶ。

 

 虎杖は知っている。助けるということは、ただ優しさだけではできない。

 

 ただ正しさを押しつけることではない。

 

 その人の未来に、自分もまた責任を負う覚悟が求められる。

 

 マミを支える。

 

 まどかの不安に寄り添い。

 

 さやかの選択を見守る。

 

 きゅうべぇという存在を見極める。

 

 自分にできることがあるのなら、それをやり遂げるだけだ。

 

 (俺は……ちゃんと、支えになれてんのかな……)

 

 扉の向こうに横たわる少女の、静かな寝息を想像しながら、虎杖はそっと拳を握った。優しさと強さの境界で揺れる彼の決意は、もはや誰かに委ねられるものではなかった。

 

 次に進むべき道は、自分の意思で選び取る。そうでなければ——導いてくれた人たちに、顔向けができない。

 

(マミさんが、またあんな風に無理をしないで済むように……)

 

 何かを背負い込んで、ひとりぼっちで崩れていく姿を、もう誰にも見せたくない。守るだけじゃ足りない。歩けるようになるまで、ちゃんと支えなければならない。

 

そして——

 

(そのためにも、俺は……知らなきゃならない)

 

 ソウルジェムの構造。魂の転移。”呪い”の蓄積。それらが何を意味し、どんな結末を導くのか。核心にはまだ届いていないが。

 

——きっと、“あの人”なら知っている。

 

(暁美ほむら。……お前なら、全部わかってるんだろ)

 

 虎杖は静かに歩き出す。この世界の“真実”に、いまこそ触れるために。

 

 虎杖は顔を上げる。病室のドアに手をかけ、ゆっくりと廊下へ出た。

 

 その先。非常口の光の下、寄りかかるように壁に立つ人影があった。

 

 交わる視線。

 

「……待ってたんだな、暁美さん」

 

 暁美ほむらは、目を伏せたまま答えなかった。だが、虎杖にはわかっていた。彼女もまた、問いを待っていたのだ——魔法少女の、そして“その先”の真実を。

 

 彼の視線の奥に、重い問いが灯る。美樹さやかに、真実を話すべきか。そして——その“選択”を、彼女に託す覚悟が、自分にあるのか。

 

 答えはまだ出ない。

 

 だが、歩き出すことはできる。

 

 虎杖は、無言のままほむらの隣へと歩み寄った。

 

 この世界の“現実”と向き合うために。

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