祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

16 / 23
第二章 守りたかったんだ、ほんとは
誰かのために、そっと


 

 

 午後の陽光が照らし出すも、寒の戻りで肌寒い今日この頃は、吐息が白く染まる。つい先週まで春服だった道行く人々の姿は、再び冬物へと戻っていた。

 

 虎杖悠仁は、巴マミの退院を迎えるため、病院のロビーへと足を踏み入れる。

 

 流石に埃まみれの普段着では失礼だと、虎杖はバイト代で新調したばかりのダウンジャケットとジーンズに身を包んでいた。

 

 荷物を抱えたマミが姿を現す。セーターの下に包帯を巻き、左腕をかばうように歩く姿が痛々しい。だが、魔法少女だからこの程度で済んだとも言える。

 

 本来なら、半年はかかる重傷が一週間も経たずに完治寸前。実際、医者も奇跡だといい、驚愕で椅子ごとひっくり返った。それぐらいの回復速度だ。

 

 虎杖はすぐさま駆け寄り、荷物を引き取った。

 

「無理すんなよ。部屋まで迎えに行くって言ったのにさ」

 

 笑いながら荷物を受け取る虎杖に、マミも小さく微笑み返す。

 

「……ありがとう、虎杖さん。ごめんなさい、情けないところばかり見せてしまって」

 

「何言ってんだよ。生きて帰ってきただけで、十分だろ?」

 

 虎杖は周囲を見渡す。負傷からの退院だというのに、親族の姿はない。虎杖自身も家族を失った身だ。だからこそ、言葉にできない寂しさを、自然と察してしまっていた。

 

——けれど、マミは何も言わず、笑った。

 

 虎杖は軽く荷物を担ぎ直す。

 

「そんな腕で……一人で帰るなんてダメだろ」

 

「大丈夫。……一人は、慣れてるから」

 

 ロビーのガラス越しに、外の冷たい空気が滲む。曇った窓が、春とは思えない寒さを物語っていた。

 

 虎杖は、マミの薄手のカーディガンに目を留める。

 

「……外、思ったより寒いぞ」

 

 ポケットを探ると、持参していたロングコートを取り出す。

 

「コート、持ってきた。着といた方がいいって。……傷、冷やしたらヤバいしさ」

 

 そっと広げながら、虎杖は視線を合わせる。

 

「……着せても、いいか?」

 

 押し付けがましくない、まっすぐな問いだった。

 

 マミは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに小さく頷いた。虎杖は丁寧に、マミの肩にコートをかける。片腕をかばうマミに、無理な動きをさせないように、慎重に。

 

「……暑かったら、ちゃんと言えよ」

 

 静かに言い添え、コートの襟を整える。

 

 春先の寒風を遮るコートの温もりが、マミの頬をほのかに赤く染めた。

 

 こうして二人は、マミのマンションへと向かうバスに乗った。

 

———

 

 バスの座席に並び、冷えた窓ガラス越しに流れる景色を眺める。

 

 虎杖は、ポケットからそっと小さな包みを取り出した。

 

「これ。……ちゃんと取ってきたから」

 

 包まれていたのは、グリーフシード。戦えない間も、虎杖が危険を引き受けてきた証だった。

 

 マミは一瞬、手を伸ばしかけ、けれど——ためらった。

 

(……違う。これは、甘えてはいけない)

 

 甘えればきっと楽になれる。だがそれでは、戦う理由すら、誰かに預けてしまうことになる。

 

——それだけは、絶対に嫌だった。

 

 マミは、自分の胸の奥にそっと手を当てる。

 

 震える指先で、もう一度だけ覚悟をなぞるようにして、包みを受け取ろうとした、その時。

 

「その腕……」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 虎杖の袖の隙間から、赤く腫れた擦り傷がのぞいていた。

 

「これ?」

 

 虎杖はきょとんとした顔で自分の傷を見下ろすと、何でもないように笑った。

そして、軽く手をかざす。

 

 微かな光が滲み出し——傷は、みるみるうちに滑らかに消えていった。

 

「前にも話したじゃん。ちょっと呪力流してやりゃ、こんくらいすぐ治る」

 

 虎杖は限定的だが傷を治せる。

 魔女討伐後の反省会で知っていたが、実際の治療を見るのは初めてだった。

 マミの胸がぎゅっと締めつけられる。

 

(虎杖さん……)

 

 こんなにも軽やかに、さも当然のように、異常を生きる。

 しかし、その笑顔の裏に隠された戦いと痛みを、マミは痛いほど感じ取ってしまった。

 

 無邪気な背中に、知らない傷が幾重にも刻まれている。

 

 誰にも見せずに、誰にも頼らずに——。

 

 それでも、誰かのために立ち続ける彼の在り方が、胸に迫った。

 

 マミはそっと俯いた。

 

(……私は、こんな彼に、何一つ返せていない)

 

 重たい沈黙ではない。けれど、確かに胸を満たしていく静かな想いがあった。

 バスは柔らかく揺れながら、二人を運んでいく。何も語らない時間が、ほんの少しだけ、二人を優しく包んでいた。

 

 窓の外には、淡く滲む春の陽光。

 マミはそれを見つめながら、そっと胸に誓った。

 

——せめて、強くあろう。

 

——せめて、隣に立てる自分であろう。

 

 そしてバスは、次第に目的地へと近づいていった。

 

——

 

 バスが停まり、二人は並んで降りた。外気は春とは思えないほど冷たかった。

 虎杖は何も言わずに歩幅を緩め、マミに自然と合わせる。マミもまた、それに気づいて、歩みを重ねていく。

 

 住宅街を抜け、ほどなくして、マミのマンションが見えてきた。見るからに手入れの行き届いた集合住宅。白い外壁と多目のガラス張りが特徴で、煌びやかな雰囲気を持っていた。

 

 エントランスを抜け、エレベーターに乗る。

 

 狭い箱の中、二人きり。

 

 ごうん——と低い音を立てて、ゆっくりと上昇していく。マミは、虎杖の横顔をちらりと盗み見た。

 

(……こんなふうに、男の人と並んで家に帰るなんて)

 

 慣れていない。むしろ、魔法少女として過ごしてきた日々に、そんな時間はなかった。

 

 虎杖は、何も気負った様子を見せず、無邪気に階数表示を見つめている。その自然体な姿に、マミはふっと胸の奥の緊張をほどかれるような気がした。

 

——ピン、とエレベーターが到着を告げる音。

 

 廊下を歩き、マミは自室のドアの前に立つ。キーを取り出して鍵を開け、扉を引いた。

 

「——どうぞ」

 

 小さな声とともに、ドアが開かれる。

 虎杖は一歩引き、遠慮がちに荷物を持ったまま立ち止まった。

 

「えっと、荷物運んだら俺、外で待ってるから」

 

 その言葉には、押しつけがましさも、照れもなかった。ただ、マミへの配慮だけが真っ直ぐに込められていた。

 

 マミは、驚いたように彼を見つめた。

 

(……こんなふうに、私の気持ちを、当たり前みたいに尊重してくれるのね)

 

 胸が熱くなる。

 

「それは、かえって失礼だわ」

 

 そう言うと、マミは包帯を巻いていない方の手で、虎杖の袖をそっと引いた。

 

「……仲間でしょう? 虎杖さんは」

 

 その言葉に、虎杖は一瞬きょとんとした後、あどけない笑顔を見せた。

 

「……そっか。ありがとな、マミさん」

 

 マミはわずかに頬を赤らめ、視線を逸らす。

 

 虎杖は、にこにこと荷物を担ぎ直し、そして二人は並んで、マミの静かな部屋の中へと踏み入った。

 

 午後の光が、優しく床に射し込んでいた。

 

———

 

 玄関を閉めると、マミはふっと小さく息を吐いた。まだ片腕が自由にならない不自由さに戸惑いながらも、それ以上に、自宅に誰かを招き入れた緊張で心がざわついていた。

 

「どうぞ、上がって。靴はそこに置いていいから」

 

 マミの言葉に、虎杖は素直に頷き、靴を脱いで揃える。どこかぎこちない動作が、かえって丁寧だった。

 

 リビングは明るい光に満ちていた。白とベージュを基調にした、清潔感のある空間。家具も落ち着いた色合いで統一されていて、どこか”マミらしい”品の良さが漂っている。

 

 虎杖は、荷物をソファの脇にそっと置いた。

 

「……うわ、めっちゃオシャレだな。ホテルみてーだ」

 

 感心したようにリビングを見渡す虎杖に、マミは思わず笑ってしまう。

 

「そんな大したものじゃないわ。ただ……落ち着けるように、とは思っているの」

 

「めっちゃ落ち着く! てか、居心地よすぎる!」

 

 虎杖の率直な感想に、マミは肩の力が抜けたように微笑んだ。

 

「……お茶、淹れるわね」

 

 そう言いかけたマミだったが、包帯を巻いた腕を見て、虎杖はすぐに気づいた。

 

「あ、マミさん座ってて! 俺やるよ。ポットとか、キッチン借りていい?」

 

「えっ、虎杖さん、お茶淹れられるの?」

 

 マミが意外そうに目を丸くすると、虎杖はえへへと笑って後頭部を掻いた。

 

「まあ、見よう見まねだけど。料理もするし」

 

「ふふ……じゃあ、お願いするわね」

 

 マミはソファに腰を下ろし、虎杖は元気よくキッチンへ向かった。

 

 カップとティーポットを探し、水をやかんに入れ、火にかける。

 

 ——だが。

 

「ええと、これでいいんだっけ? マミさんって本格派だったり?」

 

 お湯が沸く前に茶葉を入れようとした虎杖は、食器棚に並べられたティーセットを一瞥していた。

 

 マミが諭すように説明する。

 

「ふふ、ポットは先に温めるの。お湯が沸いたら、まず空のポットに注いで温めるのよ」

 

「やっぱ、本格派だ!」

 

 虎杖は目を丸くして、素直に従った。

 

 マミは立ち上がり、そっと虎杖の隣に寄る。ほんの少しだけ距離が近づき、柔らかな紅茶の香りが二人を包んだ。

 

「……こうして、しっかり蒸らしてから注ぐと、渋くならずに美味しく淹れられるの」

 

「へー、すげー……。……な、なるほど。ティーマットとか使って保温するってことか?」

 

 虎杖が真剣な顔で頷く。

 

 その無邪気さと、一生懸命さに、マミは思わずふっと笑ってしまった。

 

(——本当に、不器用なところがないのね、この人)

 

 慎重に、けれど自然に。そうして、二人でいれた紅茶の香りが、リビングいっぱいに広がっていった。

 

 そして——。

 

 玄関のチャイムが、軽やかに鳴った。

 

「おっ、来たかも!」

 

 虎杖が顔を上げる。マミは頷くと、微笑みながら玄関に向かった。

 

 まどかとさやかを迎えるために——。

 

———

 

 マミの部屋には、虎杖が準備した紅茶の香りが漂っていた。小さなティーカップと、ケーキの箱がテーブルの上に並べられている。

 

「ごめんなさい! 虎杖さん。待たせちゃったかな?」

 

 まどかが、紙袋を両手に抱えながら小さく頭を下げた。さやかも手に持ったもう一つの袋を掲げる。

 

「じゃーん! ケーキ、奮発して買ってきたんだからね!」

 

 元気な声が部屋に弾んだ。虎杖は笑って手を振る。

 

「全然平気。俺もさっき、マミさんに紅茶教えてもらってたとこだし」

 

 虎杖は、片手を自由に使えないマミをさりげなくサポートしていた。

 

 カップを並べたり、ポットを持ち直したり——細かな気配りを、特別なことのようには見せずに、自然に振る舞う。

 

 そんな虎杖の隣に立ったマミは、ティーポットを手にしながら、ふわりと微笑んだ。

 

 どこか、はにかんだような、けれど確かな温もりをたたえた笑みだった。

 

 和やかな空気の中、まどかとさやかは持ってきたケーキをテーブルに並べる。

 

 そんな時、まどかが頭を下げる。

 

「虎杖さん、マミさん。ごめんね、ほむらちゃんも呼んだんだけど、忙しいって断られちゃったの……」

 

「あたしも転校生にあんな態度とってさ……。今更だけど、やっぱりお礼を伝えなきゃって思ったんだ……」

 

 本来なら、この場にいても良い少女——暁美ほむら。

 虎杖も、まどかも、さやかも、それぞれが彼女へ声をかけた。だが、ほむらはその全てを断った。

 

「……ごめんなさい。私には、果たさなければならない目的があるの」

 

 短く、しかし揺るぎない断りだった。

 

 ——それでも、虎杖たちはそれ以上を求めなかった。無理に引き留めることは、彼女の”覚悟”への侮辱にほかならないと、皆、自然に悟っていた。

 

 そうして、今日この場には四人だけが集まった。

 

「マミさん、ケーキ全般は好きって聞いてたけど、いちごタルトは好きだったよね?」

 

「ええ、覚えててくれたのね……ありがとう、鹿目さん」

 

 マミが優しく言うと、まどかはちょっと照れたように笑った。

 

 さやかも一緒に笑顔を見せるも、その瞳の奥にはわずかな陰りがあった。

 

(……私だけ、まだ……)

 

 さやかは、ふとマミの左腕に巻かれた包帯に視線を落とす。魔法少女として戦う覚悟を決めきれない自分。それがどこか後ろめたかった。

 

——加えて、マミには知らされていない魔法少女の真実。

 

 まどかは、そんなさやかの様子に、ふと気づく。けれども何も言わず、そっと隣に座った。

 

 マミもまた、さやかの葛藤に薄々気付いている。しかし、それを指摘するのは酷だと思い、微笑みを崩さないでいた。

 

 それに、マミもまた自分自身を責めていた。

 

 魔女に敗れた自分は、皆に失望されたのではないか——。

 そんな不安に、胸を締めつけられていた。

 

 ——気遣い合って、かえってぎこちなくなる空気。

 

 そんな中。

 

 虎杖は、紅茶のカップを一つ手に取り、ふわりと笑った。

 

「せっかくだしさ、まずは景気よく——乾杯しよ!」

 

 軽やかに言うと、みんなの目を見回した。

 

 まどかが小さく笑い、さやかも気まずさを誤魔化すように肩をすくめた。

 

「うん! そうだね! マミさんの退院祝いだもん!」

 

 さやかが元気よく乗っかると、マミもふっと肩の力を抜いたように笑った。

 

 カップを手に、みんなが軽く掲げ合う。

 

「「マミさん、退院おめでとう!」」

 

「ありがとう、みんな……!」

 

 微かな涙ぐみを堪えるように、マミはカップを合わせた。——静かに、けれど確かな絆が、そこにはあった。

 

 虎杖は、集まれたこのひとときを大切にしたかった。賑やかに笑い合う三人を見守りながら、心の中でそっと思った。

 

(……こういうの、やっぱ悪くねぇよな)

 

 ふと、伏黒や野薔薇と過ごした日々が脳裏をよぎる。肩を並べ、くだらないことで笑い合い、ときに命を懸けて背中を預けた仲間たち。

 

——挫けそうなとき、必ず隣に立ってくれた存在。

 

 今ここにある光景も、ほんの少しの偶然が違えば——誰か一人でも、ここにはいなかったかもしれない。

 

 この時間は、確かにここにあるのだ。

 

 マミの柔らかな笑顔。

 まどかの優しい瞳。

 さやかの、少し照れくさそうな笑顔。

 

 全部が、壊れそうなほど脆くて、でも確かに温かかった。

 

 虎杖は、カップを軽く傾け、そっと紅茶を一口飲む。

 

 ケーキを前に、はしゃぐさやか。それを少し心配そうに見守りながらも、隣に寄り添うまどか。マミは微笑みながら、そんな二人を静かに見つめていた。

 

 時折。滲むようなぎこちなさは、ままある。

 それでも、互いを想って、小さく歩み寄り、肩を並べる。

 

 さやかが照れ隠しのように笑い、まどかがそっとフォローする。マミもまた、さやかに責めるような目を向けることはない。

 

 ——誰もが、不器用に、でも必死に。

 

(……守りてぇな、こういうの)

 

 心の中で、誰にも聞こえない小さな誓いを立てながら。

 

 虎杖悠仁は、静かに目を細めた。

 

 ——午後の陽光が、四人の上に穏やかに降り注いでいた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。