キリがいいので短め
巴マミの退院祝いの後、虎杖はいつものように魔女の捜索に専念していた。もう、時刻は既に夕暮れ。沈みかけた陽が、街並みを鋭く切り裂くように赤黒く染めている。
虎杖悠仁は、静かに歩を進めていた。
鋭く、微かな残滓を追う。呪力感知と同じ感覚。だが、この世界で漂っているのは呪霊ではない——“魔女やその手下である使い魔”の気配だった。
(……こっちか)
導かれるように、虎杖は人気のない路地裏へと入り込む。
通りを抜け、たどり着いたのは——。
つい、この間まで稼働していた工場跡地だ。
虎杖がここについた頃、もう夕日は落ちていた。
古びた鉄骨が月光を弾き、破れた屋根から吹き込む風が低く唸りを上げている。所々に転がったドラム缶、折れた足場、砂埃が舞い上がる床。
不自然に寂れ荒んでいる。
まるで、何年も放置されたように——。
その中央に——数人の男女が、何かに操られたように集まっていた。
彼らの首筋には、淡く禍々しい”魔女の口づけ”の紋様。虎杖は目を細める。
(……間違いねぇ。魔女の結界に引きずり込まれる寸前だ)
その中に、制服姿の少女がひとり。
——志筑仁美。
虎杖にとってはまだ見知らぬ少女。
だが、その無表情で立ち尽くす姿は、奇妙な胸騒ぎを呼び起こした。
ふと、制服に目が止まる。あれは見滝原中学の装いだ。
(……よりにもよって……まどかや、さやかと同じ制服!)
嫌な予感が脳裏をかすめる。コツン、と誰かの足音が乾いた床を叩く。操られた者たちが、まるで糸を引かれるように、建物の奥へと足を進めはじめた。
このままでは——間違いなく、誰も生きては帰れない。
虎杖は迷いなく踏み出した。
(やるか……!)
赤黒い夕陽を背に、虎杖悠仁の影が、音もなく廃工場へと滑り込んだ。
工場内では、制服姿の少女たちを含む数人の人間が、奇怪な存在に囲まれていた。
白い羽根を持つ、球体関節の人形たち。マネキンに羽を生やしたような様相のそれらは得体の知れない笑みを浮かべながら、人間たちに手を伸ばす。
触れた瞬間だった。
輪郭を溶かすように、人間としての原型が失われていく。
(——やべぇな、こいつら……!)
虎杖は躊躇わなかった。
地を蹴り、間合いを詰めると、最も近くにいた異形に拳を叩き込む。べしゃり、と鈍い音とともに使い魔が吹き飛ぶ。なんとか阻止は出来た。だが、数では虎杖が圧倒的に不利だった。
「クソっ……!」
もう一体を蹴り飛ばしたその瞬間、別の使い魔が少女の一人に手を伸ばす。
(間に合え——!)
虎杖はその少女を抱きかかえ、強引に引き剥がした。
やはり、これは制服——見滝原中学のものだ。まどかたちと同じ学校……だが、顔には見覚えがない。
緑髪の少女は虚ろな目をして、ぐったりと虎杖に寄りかかる。
(——まずい。このままじゃ……)
辺りを見渡した瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。工場跡地の壁が、絵の具のように溶け、異様な色と模様に塗り替えられていく。
(……こいつらの”生得領域”!)
現実感が剥がれ、異質な空間が立ち上がる。水中のような重い空気が虎杖にへばりつく。まるで、回転する円形の水槽に投げ込まれたようだった。
水槽の壁面はぐるぐると遊ぶように廻る。壁にはメリーゴーランドのように上下する木馬が飾られ、同じくして回転する無数のモニターには、人の顔、人の声、人の悲鳴が、断片のように映し出されていた。
「……!」
虎杖は少女を背負ったまま、勢いを殺さないよう、絶壁をつたって走る。
逃げ道はない。すでに結界に呑まれた。ここは——魔女の巣だ。
使い魔たちが、不気味な笑顔を浮かべながら虎杖を取り囲んでくる。
(悪いけど、のんびりしてる余裕はねえんだよ……!)
結界の中で、虎杖悠仁は戦い続けた。
次から次へと湧き出す使い魔たち。その後ろでは、輪郭を奪われて崩れた人間たちが、今にも連れ去られそうになっている。
(くそっ……こいつら、際限なく——!)
助ける為、蹴り上げる。また蹴りを叩き込む。一体、また一体と倒しても、すぐに新たな使い魔が生まれる。
(マミさんだったら……リボンでまとめて拘束して、銃で一網打尽にできたかも……)
虎杖は一瞬だけ、そんな考えがよぎった。だが、自分にはそんな器用な戦いはできない。出来るのはただ、目の前の脅威を叩き潰して、人を守ることだけだ。
「……よし」
パシンと頬を叩き、意識を引き締める。
(長期戦覚悟だ……やるしかねぇ)
悠々と宙を漂い、こちらを見下ろす”ハコの魔女”を、虎杖は真っ直ぐに睨み据えた。
——その瞬間だった。
頭上から重たい衝撃音。閃光のように赤い槍が煌めき、宙を滑る魔女のモニターを容赦なく貫いた。
「な——っ!?」
驚愕する虎杖の前で、魔女はモニターごと叩き落とされる。水槽のようにきらめく地面に激突し、無数の破片を撒き散らす。
魔女は断末魔のようなノイズを発すると、結界ごと崩壊していった。やがて、廃工場跡地の冷たい空気が戻ってくる。
——静寂。
粉塵の中、槍を肩に担いで現れたのは、一人の少女だった。
吊り上がった赤い瞳。鮮やかな赤髪を黒いリボンで結ったポニーテール。赤を基調にしたドレスのような魔法少女の衣装。胸元には、鮮やかな赤の”ソウルジェム”が燦然と輝いている。
「……っと。こりゃ楽勝だったな」
唇を吊り上げた赤毛の少女の名は——佐倉杏子。
かつて、巴マミと袂を分かった魔法少女。
杏子は魔女から排出されたグリーフシードをひらひらと弄びながら言った。
「あんたが馬鹿みたいに囮になってくれたおかげさ」
悠然とした態度に、虎杖は眉をひそめた。抱えたままの少女——志筑仁美を、そっと後ろへ庇う。
「……わりぃ、助かった」
素直に礼を口にした虎杖へ、杏子はあからさまに呆れた顔で肩をすくめる。
「礼なんざ言うとか、あんた、バカかい?」
そう言いながら、何気なく長槍を投げ放つ。その軌道は、虎杖の顔を掠めながら、背後に残っていた使い魔の残党を一閃し、地に伏せさせた。
(容赦ねぇな)
本命は、確かに使い魔たちを仕留めるための一撃だった。だが、その意図は明らかに——挑発。
虎杖の頬に細い裂傷が走り、じわりと滲む血。
杏子は、それを面白がるように見下ろす。
(このヤロウ……)
自身が傷つくのは覚悟の上だ。たが、背に抱えた少女や周りに倒れ伏せる人たちは無関係であり、魔女の被害者だ。
今の投擲は、下手をすれば死人が出てもおかしくない。あまりに無造作で、あまりに荒っぽいやり口だった。
虎杖は、ぐっと呼吸を整えると、背後に庇った少女を一瞬だけ見やり、そして——静かに、だが確かな怒気を孕んだ声で言った。
「俺は丈夫だからいい。でも——」
低く、唸るような声音に、言葉を続ける。
「……この子に当たってたら、死んでたぞ」
その一言には、怒鳴り声でも脅しでもない、ただ、譲れない一線を静かに突きつける重みがあった。
杏子は、虎杖を一瞥すると、鼻を鳴らして肩をすくめた。
「戦場ってのは、そんな悠長な世界じゃねーんだよ」
まるで当然のことのように、淡々と返すその口調には、どこか、深く凍ったものを滲ませていた。
そんな杏子に対して。
虎杖は、一歩も引かなかった。どこまでも真っ直ぐに、彼女を見据える。
一瞬だけ、杏子の瞳が細められる。まるで、目の前の青年を計りかねるように。
「……チッ」
杏子は舌打ちして、わずかに顔を背けた。
「知らねーかもしんねーけどさ。あんた、魔法少女の間じゃちょっとした有名人だよ」
虎杖は、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。
(有名人……? 俺が?)
この少女によれば、虎杖悠仁という存在は、魔法少女たちの間では知られる存在だという。
男でありながら魔女に引けを取らず、しかも一般人を守りながら戦う——。そんな”異端”は、否が応でも目立つ。
「とにかくさあ。一般人を守りながら魔女と戦ってたら、命がいくつあっても足りねーのに。……しかも、魔法少女でもねーやつが、あたしらの取り分を奪っていくってんだから、ホント救えねー」
鋭く、突き刺すような視線。虎杖は息を整え、視線を外さず、静かに問いかけた。
「……なあ、お前は、何が言いてぇんだよ」
杏子は、にやりと唇を吊り上げ、冷たく吐き捨てた。
「”うざい”って言えば分かるかい?」
——吐き捨てるようなその一言。
戦う理由も、生き方も、根本から違う。そんな隔たりが、そこにはあった。
虎杖は、ぎり、と奥歯を噛み締めながら地面を蹴り、ゆっくりと立ち上がった。
目の前の赤い少女から、決して目を逸らさずに。
二人の間に、バチバチと火花が散るような緊張が走った——。