祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

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アルまど実装なんて見とうなかった…



この夜は、分かり合えないまま

 

 

 互いの覇気がぶつかり合う。戦士同士の気迫が圧力となって、二人の身体に伸し掛かっていく。

 

 しかし—―。意外にも衝突は始まらず、ふと肩の力を抜くのは虎杖だった。抱えていた緑髪の少女の重みを確かめるように少しだけ身体を揺すったあと、静かに言った。

 

「わりぃけど”喧嘩”なら、あとでいくらでも付き合ってやる。でも——」

 

 ちらりと周囲を見やる。地面には、魔女の口付けで気を失った者。使い魔に触られて負傷した者。死屍累々といった風に、被害者たちが無防備に横たわっている。

 

「まずは、この人たちを安全なとこに運ばねえと」

 

 その言葉に、杏子の肩がわずかに揺れる。

 

「流石、あの甘ちゃんなマミと組んでるだけあるね。……拍子抜けだよ」

 

 虎杖は表情を変えずに訊ね返す。

 

「……マミさんを知ってんのか?」

 

「まあね。誰かさんを庇ってぶっ殺されかけたって、きゅうべぇから聞いてね。……笑いに来たのさ」

 

 虎杖は、ふっと鼻を鳴らした。

 

「……お前、暇なんだな」

 

 その一言に、杏子はあからさまにムッとしたが——毒気を抜かれたように、それ以上は何も言わなかった。

 

 虎杖悠仁は、静かに息を吐くと、目の前に倒れている人たちを一人ずつ見回した。結界が解けた今も、誰一人として目を覚まさない。

 

 工場跡地の床は、砂と埃にまみれている。そのままでは、気を失った彼らの体がどんどん冷え、汚れていくだけだ。

 

「……せめて、もう少しマシなとこに」

 

 虎杖は、抱えていた緑髪の少女をそっと腕に抱き直し、まだ比較的埃の少ない壁際へと運ぶ。

 

 床に落ちていた布や木片を払いのけ、地面に直接触れないようにしながら、そっと横たえる。

 

 それから、他の倒れている人たちにも同じように、一人ひとり移動させていく。

 

 誰にも気づかれないような動作だったが、その姿には、確かに——人を守る覚悟が滲んでいた。

 

 杏子は覇気が消え失せた虎杖を見て、構えていた槍を消失させる。

 

 虎杖は、人々を搬送しながら、淡々と、しかし真剣に言葉を紡いだ。

 

「俺のこと気に入らねぇのは、当然、分かってる。……魔法少女のこと、マミさんから色々教えてもらったから」

 

 虎杖の静かな口調に、杏子の瞳が細く光る。

 

「知ったような口を聞くじゃん。ならさ、魔女退治はあたしら魔法少女がやる。テメェはすっこんでな」

 

 だが虎杖は、静かに、首を振った。

 

「——わりぃ。それは譲れん」

 

 即答だった。

 揺らぎも、迷いもなかった。

 

「は? 舐めてんのか?」

 

 あからさまな苛立ちが、杏子の声に滲む。

 だが、虎杖は一歩も退かなかった。

 

「魔法少女が命を賭けてるってことは、痛いほど分かってるつもりだ。……だからこそ、部外者の俺は尚更、筋を通さねぇとダメだ」

 

 拳を振るうでも、威圧するでもなく。

 ただ、真っ直ぐに、静かに。

 

「俺がムカつくんだろ? 約束はぜってぇ守る。誰にも迷惑にならんとこで、相手になってやる」

 

 数秒の静寂。

 鉄錆びた空気の中、二人の視線が交錯する。

 

 やがて、虎杖は穏やかに言葉を継いだ。

 

「……やるんだろ? 名前、教えてくれ」

 

 杏子は短く吐き捨てた。

 

「……佐倉杏子」

 

 その名を口にしながらも、わずかに視線が揺れていた。

 

 虎杖はふっと、僅かに表情を緩めた。

 

「そっか。……ごめん、なあ」

 

 少しだけ、硬さの取れた声で続ける。

 

「救急車、呼びてぇんだけどさ……。杏子、携帯かスマホ、持ってる?」

 

 思わぬ方向からの問いに、杏子は一瞬ぽかんとした顔を見せた後、そっぽを向いてぶっきらぼうに言った。

 

「……持ってねぇよ」

 

 苛立ちがどこにも向けられず、杏子は舌打ちを一つ落とした。

 

 虎杖は腕に抱えていた被害者を見下ろし、まだ運びきれていない周囲に倒れた人々を一瞥する。

 

「どうすっかな……流石に、この人数、全部担いで運ぶのは無理だし。誰かを呼び行ってる間、置いていくにも気が引けんだけど……」

 

 独り言のようにぼやくと、ふと、杏子を見やった。

 

 ——真剣な顔に、少しだけ困ったような苦笑を浮かべて。

 

「暇なんだろ?……手伝ってくれ。頼む」

 

「はあっ!?」

 

 静まり返った廃工場に、杏子の間抜けた声だけが妙に響く。

 

 そうして。——さっきまでの剣呑な空気は、どこかへ消えていた。

 

——

 

 既にやる気などないといった風に、杏子の魔法少女の姿は解かれていた。

 無造作に羽織ったパーカーに、動きやすそうなホットパンツ。結ばれた赤髪が、夜風にふわりと揺れる。膝には傷跡が一つ。街灯に照らされて、浮かんだそれが、やけに生々しく見えた。

 

 佐倉杏子は、崩れかけた鉄骨階段の上で、膝を抱えて座っていた。ぶらぶらと片足を垂らし、遠くを見つめている。口には棒付きキャンディ。時折、しゃぶるように音を立てながら、退屈そうに足を揺らしていた。

 

 虎杖が数メートル先で、倒れている人々を静かに並べ、手持ちのハンカチやジャケットで少しでも傷が土に触れないようにと工夫しているのを見ながら——。

 

 それでも、杏子は助けには動かなかった。

 

「……真面目だねぇ、あんた」

 

 呟くように言ったその声は、どこか遠かった。

 

「損するよ? そんなの」

 

 虎杖はそれに応えず、ただ黙々と一人、救いの手を差し伸べ続けていた。

 

 倒れた人々を壁際に避難させ、ひと段落ついたそのときだった。

 

 虎杖が腰に手を当てて息を整えていると、そばで腕を組んでいた杏子が、呆れ顔で嘆息する。

 

「……ったく、世話焼きすぎなんだよ、あんた。でもまあ、救急車呼ぶってんなら、パシリ使えば?」

 

 そう言って、顎をしゃくった先にいたのは——

 

「こいつにやらせりゃいいさ」

 

 赤毛の魔法少女が差したのは、物陰から顔を覗かせていた白い小動物だった。

 

「きゅっぷい!? パシリなんて酷い言い草じゃないか、杏子」

 

 きゅうべぇが耳(?)をピクピクと揺らしながら抗議の声を上げる。

 

 しかし、杏子は面倒くさそうに肩をすくめるだけだった。

 

 そんなやり取りを見ながら、虎杖はため息を一つ落とした。

 

 そして、無造作にきゅうべぇへ目線を向ける。

 

「おい……そんくらいは、やってくれんだよな?」

 

 問いかけというよりは、当然だろとでも言いたげな、静かな声音。

 

 きゅうべぇはしばらく黙って虎杖を見つめていたが——やがて、目を細めるようにうなずいた。

 

「……分かったよ、虎杖悠仁。連絡くらいなら、引き受けるさ。君が魔法少女の味方である限りは」

 

 その言葉に、虎杖は無言でうなずき返す。

 

 ——救急車の手配、マミたちへの伝言。

 ここから先は、まだ続いていく。

 

 けれど今は、わずかに静けさが戻った工場跡地に、吹き抜ける夜風だけが、疲れた身体を撫でていった。

 

———

 

 退院祝いの余韻がまだ残る、静かな時間。マミの部屋には、ティーカップに残った紅茶の香りがほんのり漂っていた。

 

 まどかとさやかは、使い終わった食器をキッチンまで運びながら、笑顔まじりに話している。少しずつ——ほんの少しずつ、マミとの距離が近づいてきた、そんな柔らかい空気が流れていた。

 

 マミも静かにカップを拭きながら、ふと窓の外に目をやる。空にはすでに星が瞬き始めていた。

 

「虎杖さん……もう、結構遅いわね」

 

 その言葉に、さやかが振り返る。

 

「ってかマミさん、あの人、退院パーティーの後どこ行ったの?」

 

「……多分、また魔女を探しに行ったのよ。黙ってはいたけど……」

 

「えぇ……あんなに人のこと気にかけてばっかで、自分のことほっといて……」

 

 さやかが呆れたように苦笑い、まどかは心配そうに眉を寄せる。

 

 ——そのときだった。

 

「やあ」

 

 静かすぎる声と共に、何の気配もなく、白い獣のような生き物が部屋の隅から姿を現した。

 

「きゅ、きゅうべぇ……!?」

 

 さやかが驚きに背筋を伸ばす。

 

 その目は、ただ無表情にまどかたちを見つめていた。

 

「虎杖悠仁が助けを求めている。廃工場跡で、魔女と交戦した後、大勢の一般人が倒れていて動けない」

 

「……え?」

 

 まどかの目が見開かれる。

 

「彼は言ったよ。“人がいっぱい倒れてる。救急車を呼んでくれ”って」

 

「それって……魔女の結界のせい……?」

 

「……ええ、可能性は高いわ」

 

 マミが小さく頷く。

 

「今はもう魔女は倒されている。でも、現場の人たちは動けない状態ね。おそらく、意識を失ったり、怪我をしているわ。問題は……虎杖さんは身元もはっきりしていない異世界の人よ。下手に救急車を呼んで事情聴取でもされたら……大問題になるわ」

 

 沈黙が落ちる。空気がひときわ冷たくなった気がした。

 

 ——そして。

 

「その通りだよマミ。ともかく、急ぐ必要はないと思うよ。安全は確保されているし、被害者もほぼ軽傷だからね。……ああ、それと」

 

 きゅうべぇの尻尾がゆらりと揺れる。

 

「”見滝原中学の生徒”がいたよ。まどかとさやかの友人——“志筑仁美”さ。彼女も被害者の一人だった。ボクが見たんだから間違いないよ」

 

 ——沈黙。

 

「……っ、仁美ちゃん!?」

 

 まどかの声が震える。

 

「うそ……仁美が、魔女に……?!」

 

 さやかは、立ち上がりかけたまま、動けなくなる。拳を握る手が、微かに震えていた。

 

「大丈夫。慌てないで」

 

 マミの声は穏やかだが、その奥にある決意は固い。

 

 虎杖の言伝には被害場所の特徴が含まれていた。最近潰れたばかりの大型街工場——それだけでも、見当はつく。

 

 マミはカップを片づける手を止めると、すぐに身支度に取りかかった。

 

「私が現地へ行くわ。それから……状況を確認してから通報する。あなたたちは——」

 

「行かせてください! マミさん!」

 

 さやかが、前のめりに身を乗り出す。

 

「わ、私も……仁美ちゃんがほんとに無事なのか確かめたい、です!」

 

 まどかの声も強い。

 

「……もう、夜遅いわ。そろそろ、ご家族の方々が心配する頃でしょう?」

 

「でも……でも、あたしは……!」

 

 さやかは言葉を詰まらせながら、それでも諦めずに続けた。

 

「まだ本調子じゃないマミさんも心配なんです!」 

 

さやかは言葉を詰まらせながらも、口を開く。

 

「……マミさん、あたし、魔法少女でもないのに……こんなこと、言うのは変かもしれないけど」

 

 拳を強く握りしめる。その手が、かすかに震えていた。

 

「仁美がそんなことになってるのに、見てるだけなんて嫌なんだ……! 何にもできないのは……悔しいの……!」

 

 そして、ぽつりと漏らす。

 

「——あたしが、魔法少女だったらって、思った。でも、現実は思ったより……重くて、それでも……」

 

 まどかが、そっとさやかの肩に手を置いた。まっすぐな視線で、親友の目を見つめる。

 

「さやかちゃん。わたしも、同じ気持ちだよ」

 

 二人の覚悟が静かに重なっていく。その姿を、マミはしばらく黙って見つめていた。

 

 そして、ティーカップを片付ける手を止め、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。

 

「……ほんと、あなたたちは、強いわね」

 

 その言葉に、まどかとさやかの目が見開かれた。

 

「わかったわ。行きましょう。ただし——ちゃんと連絡を済ませてから、ね」

 

「はいっ!」

 

 二人の返事は重なり合うように、強く響いた。

 

———

 

 廃工場跡地に、足音が響く。鉄骨の軋む音と共に、巴マミが姿を現した。風に揺れるブロンドの髪とともに、その背には凛とした魔法少女の気配が漂う。

 

 その後ろには、まどかとさやかの姿があった。二人とも顔をこわばらせながら、志筑仁美の無事を祈るように辺りを見回していた。

 

「マミさん!」

 

 虎杖が、思わず声を上げた。彼の手には、まだ動かぬ仁美の姿がある。

 

「退院したばかりで悪い……助かった」

 

「いいのよ。これくらい当然の緊急事態だもの」

 

 マミは、まっすぐ虎杖のもとへと歩み寄り、彼の前に膝をついて仁美の容態を確認する。その眼差しには迷いも不安もなかった。

 

 ——と、その時だった。

 

 鉄骨の上から、無遠慮に声が落ちてくる。

 

「へぇ……包帯姿なんて……あんたらしくもない」

 

 赤髪が風に踊る。高い位置に腰かけた佐倉杏子が、下を見下ろしていた。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、片足だけをだらりと垂らしている。

 

「やっぱ、マミさん、知り合い?」

 

 虎杖が訝しげに問いかける。

 

「ええ。以前……二人で組んでいたの」

 

 マミの答えに、さやかが息を呑む。

 

(え……この柄の悪そうなやつが、マミさんの……?)

 

 マミの過去の吐露が脳裏をよぎる。あのとき語っていた“仲間”が、まさかこんな大雑把な形をしているなど、さやかは夢にも思わなかった。

 

「昔の話だろ?」

 

 杏子が、ひらりと飛び降りる。そのまま悠然とマミたちへと近づきながら——唐突に言い放つ。

 

「こっぴどくやられたんだってな、マミ」

 

 包帯が巻かれたマミの肩がピクリと揺れる。

 

「佐倉さん……。なんの用かしら。虎杖さんに危害を加えるようなことをするなら、たとえ貴女でも、容赦できないわ」

 

 毅然とした声。けれど、その奥にはかすかな痛みが宿っていた。

 

「ふん。一人だったら、あんたがやられる訳がねぇ。聞いたよ、魔法少女体験コース? 笑わせるね。足手まとい連れて庇って殺されかけたなんて——間抜けもいいとこじゃん」

 

 杏子の笑みに、皮肉と苛立ちが混じる。

 

「誰かのために戦うなんてさ、遅かれ早かれ潰れるよ。そんなのはバカのやること。……あんたは強いんだから、もっと賢い生き方しなっての」

 

「マミさんを悪く言うな!」

 

 堪えかねたように、さやかが一歩前に出る。

 

「マミさんは、初めて魔女に襲われたとき、あたしたちを助けてくれた! 大怪我負ったときも庇ってくれなきゃあたしは……死んでたんだ!」

 

 怒りに震える声。それでも杏子は、鼻で笑っただけだった。

 

「へぇ。そっちが“後輩二号”か。きゅうべぇから聞いたよ。魔法少女になるって言った手前、契約しないでビビって逃げたんだってな?」

 

 その言葉に、さやかが一瞬息を飲む。

 

「はは。よくもまあ、恩人のマミの前にツラ下げて出てこられたもんだね。命も賭けられねぇくせに、魔法少女になろうなんて、甘ったれにも程があるだろ?」

 

 静かに、しかし確かな怒りの発露。

 

「要するにさ」

 

 ——間。

 

 空気がぴたりと張り詰めた。

 

 マミも、さやかも、まどかも、虎杖さえも、ほんの一瞬だけ言葉を飲む。

 

 杏子の視線が、さやかを真っ直ぐに射抜いていた。

 

 この一言で、全てを壊す覚悟があった。

 

「うぜぇんだよ、あんたは。——マジで殺すぞ」

 

 さやかは気圧された挙句、反論の言葉を見つけられなかった。唇を噛み、目を逸らす。

 

 マミが、黙ってその肩に手を添える。だが、その瞳は、冷たく杏子を射抜いていた。

 

「佐倉さん……それ以上は、やめて」

 

 その言葉に、杏子の笑みが引っ込む。

 

「あんたも甘やかしすぎなんだよ。魔法少女の現実を知った途端、うだうだしてる”雑魚”なんざ構ってやる必要なんてねーのさ」

 

 さやかは俯いたままだった。マミは静かに睨み返し、杏子はまだ挑発的な笑みを崩していなかった。

 

 怒号と沈黙の間に、ひとつだけ違う色の声音が響いた。

 

「さやかちゃん……」

 

 まどかの声だった。

 

 その声には、怒りも否定もなかった。ただ、寄り添おうとする、静かな優しさがあった。

 

 俯くさやかの肩に、そっと手を添える。震える指先を、ゆっくりと包み込む。

 

「——大丈夫。私は、さやかちゃんのこと……ちゃんと見てるよ。私が怖がってるのに……さやかちゃんは進もうとしたんだもん」

 

 そのひと言が、張りつめた空気の中に、小さな灯をともした。

 

 さやかは言葉を返せなかった。ただ、その手を振り払うこともせず、唇を噛んだまま、まどかの存在を確かめるようにうなずいた。

 

 まどかの瞳は、虎杖にも、マミにも、そして、今会ったばかりの杏子にも向けられていた。

 

 誰かが傷つくことも、誰かが傷つけることも、できれば避けたかった。だからこそ、まどかは一歩引いて、みんなの“心”を見ていた。

 

「マジでダセェな。”魔法少女ごっこ”で慰め合い傷の舐め合いかい」

 

 だが、そんな心情など杏子はつゆも知らずと言った風だ。

 

「っ……こ、このっ!」

 

 さやかが前に踏み出そうとした——そのとき。

 

 虎杖が、ふいに一歩前に出た。

 

「……なあ」

 

 その声は、怒りでもなく、呆れでもなく——ただ、静かだった。

 

「言いたいことがあるのは分かる。言われて悔しいのも、言わずにいられないのも、なんかすげぇ分かる」

 

 ゆっくりと杏子とマミの間に入り、両手を広げるでもなく、ただその場に立つ。

 

「でも、わりぃけど……今は後にしてくんねぇか?」

 

 視線を下げる。そこには、未だ意識を失ったままの人々がいる。血の気の引いた顔。かすかにうめき声を漏らす声。

 

「倒れてる奴らが、まだ苦しそうに息してんだよ。他の人だって、誰も……まだ、助かってねぇ」

 

 虎杖は少しだけ笑って、ぽりぽりと後頭部をかいた。

 

「……頼む。今は、そっちを優先しよう。住所不定の俺じゃどうにもなんねーんだ」

 

 その言葉に、空気が少しだけ、和らいだ。

 

「チッ……」

 

 杏子は鼻を鳴らして顔を背ける。

 

 マミも、肩の力を抜くように目を閉じ、頷く。

 

「……ええ。そうね。まずは、助けることが先だわ」

 

 さやかも、瞳に浮かべた涙をそっと拭った。

 

 まどかもまた、杏子の言葉を戒めとした。

 

——そして、夜が過ぎていく。

 

 さやかが涙を拭う。杏子は気まずそうに肩をすくめ、虎杖は深く息を吐く。マミも、騒がしかった場を静かに見渡して、スマートフォンを取り出す。

 

 その中で——まどかは、ただ一人、言葉を発さず、皆の姿を静かに見つめていた。

 

 争いも、衝突も、誰も望んでいないはずなのに。けれど、誰かが苦しみ、誰かが責められる。誰かの正義が、誰かの悲しみに触れてしまう。

 

 それでも、見ていたいと、思った。

 

 この痛みの先に、きっと何かがあると信じたい。

 

 誰かを救うその方法を、”魔法”に頼らずに考えたい。

 

 魔法少女は願いを叶えた代償として、戦いの末に生命を落とし、そうでなくても、いつかは魔女を産んでしまう。

 

 だからこそ、”契約”には落とし穴がある。

 

 ——何か、別の方法があれば……。

 

 そう鹿目まどかは願っていた。

 

 小さな手を、そっと胸の前で握る。

 

(私にも……できること、あるかな)

 

 夜の風が、さやかの涙を乾かし、マミの髪を揺らし、杏子の背を押すように吹き抜けていく。

 

 まどかは、一歩遅れて——その風の中を、ゆっくりと踏み出した。

 

 ——そのすぐ傍らで。

 

 誰も気づかぬ影のように、白い獣の姿があった。

 

 きゅうべぇは、まどかたちのやり取りを一言も発することなく、ただただ眺めていた。いつもの無表情。赤い双眸には感情の色はない。ただ、観察する者のそれだった。

 

 戦いも、対立も、衝突も——彼にとっては無意味な感情の発露。

 

 まどかの小さな手が、胸の前でぎゅっと握られるのを見て、きゅうべぇは小さく首をかしげた。

 

「……実に理解し難い」

 

 ぽつりと、誰にも届かぬ声で呟く。

 

「この状況で、どうして彼女たちは“争い”を避けようとするんだろう。合理性を捨ててまで」

 

 そこに悪意はなかった。ただ、疑問があった。

 

 ——それが、最も厄介な形での、無関心。

 

 彼は感情というものを持たず、痛みも同情も、決して理解しようとはしない。だが、その行動を“計算”し続けている。

 

 “鹿目まどか”という存在が、なぜここで立ち止まり、泣いている者の傍に寄り添うのか。

 

 ——なぜ、未だ”契約”に対して傾く気配がないのか。

 

 それを知るために、きゅうべぇは黙って、”彼女たち”を見続けていた。

 

 次の契約の材料となる“感情の波形”を、音もなく記録するように。

 

 誰にも気づかれず、誰にも咎められることなく。

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