祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

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長すぎた。推敲は後でがんばる。
アルまど天井で一枚とか終わった。
最強さんが怒涛の五枚とか明らかに鶴野テーブル来たコレ
もうツルノ⭐︎マギカにタイトル変更しろ


ぶつかり合うしか、知らないから

 工場跡から、救急車やパトカー。次々とサイレンの音が遠ざかっていく。その尾を引くように、静寂が戻ってきた。

 

 崩れかけた鉄骨の影。工場跡の上階部分。

 ポケットに手を突っ込んだままの佐倉杏子と、壁に背を預けた虎杖悠仁は、去っていく最後の車両を見送る。

 

 二人の間には、風の音と埃と、そしてまだ消えきらない“殺気”が漂っていた。

 

 だが、虎杖はふいに——ぽつりと呟く。

 

「……虎杖悠仁。俺の名前」

 

 視線は落としたまま。まるで、自分自身に言い聞かせるように。

 

 杏子が小さく鼻を鳴らす。

 

「へぇ。わざわざ自己紹介なんて……回りくどいね」

 

 棒付きキャンディを転がす舌の動きすら止めずに、続けた。

 

「正直さ。どさくさに紛れて逃げるかと思ったよ。あんた、妙に“いい子”ぶってたしさ」

 

 虎杖はそれに苦笑で返した。

 

「……決めてんだ。俺は、魔法少女の”現実”から目を逸らさねぇって」

 

「大層な覚悟だね。でもさ——」

 

 杏子がこちらに顔を向ける。赤い瞳が、夜の明かりにわずかに濁る。

 

「口ではなんとでも言えるもんさ。あんたのことを全く知らないあたしにしてみりゃ、胡散臭せえったりゃありゃしない」

 

 虎杖はそれを否定しない。ただ、苦い笑みを浮かべて頷いた。

 

「確かに……」

 

 虎杖は天を仰ぎ、ゆっくりと夜空を見た。

 雲ひとつない月光夜。先ほどの喧騒を忘れさせるような澄み渡る風情だった。

 

 虎杖はふっと息を吐いて、言いにくそうに呟く。

 

「どう考えたって……言葉だけじゃ、足りねぇよな」

 

 そして、ふと視線を落として遠くへ。ビル群に向けて、言葉を続ける。

 

「マミさんが死にかけたって聞いて、わざわざここに来たんだろ?」

 

「……さあね。ただの通りすがりだよ」

 

 杏子の返しは素っ気ない。だが、どこかぎこちなかった。

 

 虎杖は少しだけ視線を外し、廃工場の暗がりを見渡す。

 

「通りすがりの割には、真剣すぎだろ。俺ん時も槍構えてたし、さやかのことも……本気で言ってた」

 

 その声に、責める色はない。ただ、真実を知りたいという、純粋な気持ちだけが滲んでいた。

 

 杏子は舌打ちをひとつ。返す言葉を飲み込んだまま、黙り込む。

 

 虎杖は言葉を選びながら、静かに続ける。

 

「……俺さ、マミさん以外の魔法少女って、ちゃんと会ったことなくて。杏子や、他の魔法少女がどうやって生きてんのか、知りてえんだ」

 

 言いながら、ふと眉をしかめて首をひねる。

 

「……暁美ほむらって子も知り合いだけど、正直、どこで何してんのか全然分かんねーし。誘っても付き合いわりぃし、マジで掴みどころないっていうか……たまに怖えんだよ、あの人」

 

 苦い記憶を蘇えらせるような、虎杖の声色。

 杏子が、ようやく小さく吹き出した。

 

「ははっ……アイツのこと知ってんのか。それは同感だよ。神出鬼没でマジの“特別枠”さ」

 

 虎杖もつられて笑う。そして、視線を戻す。

 

「なあ、杏子——ゲーセンとか、好きか?」

 

「……は? 嫌いじゃねーけど、それ訊く意味あんの?」

 

「なんとなく。なんか夜の街に慣れてそうだし」

 

 そう言いながら、虎杖はぽりぽりと頬をかいた。気まずさでも迷いでもない、ただ少しだけ探りを入れるような仕草だった。

 

「そういうの得意そうな感じだったからさ。俺もダンスゲーとかやるし、リズム感にはちょっと自信あるんだよ。カラオケも、結構好きだし」

 

 杏子は片眉を上げ、じと目を向ける。

 

「ふぅん……そうは見えねーけど? それにしたって、ダンスであたしに勝てるわけないじゃん。足さばきのキレが、”やりこみ”が違うのさ」

 

「それじゃあ……挑戦ってことで——いいのか?」

 

 虎杖が悪戯っ子じみた笑みを浮かべる。

 

「そっちが”チャレンジャー”の間違いだろ? 虎杖悠仁」

 

 自然と声に熱が混じる杏子。

 

「じゃあさ、”前哨戦”ってことで、一本勝負」

 

 虎杖の言葉が落ちる。その刹那、ふたりの間に微かな沈黙が生まれた。

 

 冷たい夜風が工場跡の隙間をすり抜け、カラン、と何かを転がした。

 

「——行くぞ、杏子」

 

 虎杖は無邪気な笑みで杏子を誘った。そこには悪意など微塵も感じられない、ただ相手を”知りたい”という、むず痒い”何か”だった。

 

 杏子は目を細め、黙ったまま虎杖を見つめた。その目はまだ警戒を捨てていない——だが、完全に拒絶してもいなかった。

 

 虎杖は続ける。

 

「なけなしのバイト代で奢っから。ほんの、数時間だけでいい。それから戦っても遅くねぇだろ」

 

 夜風が再び吹き抜けた。まるで、重たい空気を浚っていくようだった。

 

 杏子はため息を吐いた。それは、呆れとも、笑いともつかない吐息。

 

「……ほんっと、信じられねー奴だな。今日初めて会った”敵”を遊びに誘うかフツー。でも、タダでゲーム出来るってんなら付き合ってやるさ」

 

 そう言って、杏子は片足でコンクリの破片を蹴飛ばした。

 

「今日限りだ。ガチのゲーセン勝負。手加減しねーからな」

 

 虎杖は、にっと笑って拳を軽く握る。

 

「いいじゃん。そういうの、燃えるし。……まずは拳じゃねえ、”リズム感”で勝負だ」

 

 杏子はふっと笑う。その目の奥には、微かに残った警戒心と、それを上回る興味の色。

 

「言ったな。後悔して恥かいても知らねーぞ、坊や」

 

 二人の背を押すように、風が吹いた。

 戦いの前の、ちいさな対話の時間——。それは不思議な静けさと、ほんの少しの穏やかな余白を連れていた。

 

———

 

 ゲーセンの自動ドアが開いた瞬間、音の波が押し寄せた。光る筐体、点滅するランプ、鳴り止まないリズム音。空気に混ざるスナック菓子とコインの金属臭が、妙にリアルだった。

 

 その中に、一組の“異物”が現れる。

 

 先に入ってきたのは、飴をくわえた赤髪の少女——佐倉杏子。パーカーにホットパンツ、手ぶらでふてぶてしい歩き方は、まるでこの場所のルールを知らないかのようで。

 

 そしてそのすぐ後ろには、傷の残る頬と鍛え上げられた体。地味めな私服に身を包んだ、けれどどこか“場違い”な男、虎杖悠仁だった。

 

 二人が筐体に近づいていくと、ダンスゲームの前にいたプレイヤーたちが、ちらりと視線を送る。

 

 そして——すっと、音もなく距離を取るように去っていく。

 

 別に、何かされたわけでもない。ただ、そこにある“圧”と“雰囲気”だけで、充分だった。

 

 虎杖が、少しだけ困ったように呟く。

 

「……今の俺らのせいかも。……なんか悪いことしたな」

 

 杏子はふふんと鼻を鳴らして笑った。

 

「あたしと一緒にすんな。どーみてもあんた”だけ”のせいじゃん。顔に傷があってそのガタイ。しかも夜のゲーセン。誰でも避けるって」

 

 その声には揶揄もあったが、どこか探るような色も混じっていた。

 

「——なあ、あんたの形からして、マミと組むずっと前から、カタギじゃないんだろ?」

 

 虎杖はふと思案するも、そこに後ろめたさはないのか、一拍して応じる。

 

「普通に暮らしてた時期が……”ずっと前に思える”ってのはある。まあ……戦い始めたのが最近といえば……そうなるかも、しんない」

 

「ふーん。その割には戦い慣れすぎじゃん?」

 

 杏子から見れば、虎杖は”力の根源”も経歴すらも、何もかもが正体不明に近い。たとえ、触れられたくない”過去の古傷”だろうが鎌をかける。情報を聞き出せれば越したことはないのだ。

 

 虎杖はそんな杏子の意図も知らず、顎に手を当てて苦笑していた。何かを隠すでもなく、誤魔化すでもなく——けれど、すべてをさらけ出す気もなさそうな笑い。

 

 杏子の目に、それは嘘とは映らなかった。むしろ、自分の方こそ、まだ何も見せていない。

 

 そうして、杏子はガラス張りのクレーンゲーム筐体を眺めた。反射で映る自分たちを見やる。

 

 ただの“ペア”には見えない。——けれど、“敵同士”とも少し違っていた。側から見れば、兄妹、或いは、カップルにも見えるかもしれない。

 

 杏子はふと、笑う。

 

「まあ……あんたは人避けとしちゃ最高だね。一人で遊んでるとウゼェ奴が絡んでくるけどさあ、その辺は心配ないって感じ」

 

「マジか……! 人避け扱いとか、けっこう傷つくんだけど!」

 

 虎杖は、また肩をすくめて小さく笑っただけだった。軽口を受け流すような、あるいは内心でなにか考えているような——そんな、読めない笑い。

 

 その沈黙が、数秒だけ二人の間に落ちる。

 

 騒がしいはずのゲーセンの音が、そこだけふっと遠のいたような、妙な静けさ。

 

 周囲のネオンと喧噪の中で、二人だけがまるで別のテンポで動いているようだった。

 

 並んで立つには、少しぎこちない。

 背中を預けるほどの信頼もまだない。

 

 ——その中間の距離。油断しきらぬまま、それでも“向かい合うこと”は選んだような、そんな歩調だった。

 

 空いた筐体の前に立った二人は、無言のままクレジットを投入した。

 

 画面が明滅し、選曲モードへと切り替わる。派手なビートと視覚エフェクトの中で、虎杖がちらりと杏子を見る。

 

「選んでいいか?」

 

「ふん、好きにしな。手加減はしねーけどな」

 

 杏子はやや後ろに下がり、飴の棒を口の端に引っかけたまま、腕を組んで待つ。虎杖は画面を操作しながら、小さく息を吐いた。

 

 ——始まる。そんな気配が、互いの足元から立ち上っていく。

 

 二つの筐体から同曲——アップテンポな曲が始まり、カウントダウンが表示される。

 

 3、2、1——GO!

 

 画面上に流れてくる矢印とビートに合わせて、虎杖がステップを踏む。思った以上にリズム感が良く、動きにブレがない。

 

「おっ……やるじゃん」

 

 杏子の口から、思わずこぼれた声。

 

 彼女も続いて踏み出す。軽やかで、クセのある動き。だが、決して冗談ではなく、真剣な勝負の足さばきだった。

 

 二人のステップが交錯する。上下左右のフットパネルを踏む音が、まるで会話のようにリズムを刻む。

 

 周囲の騒がしさが徐々に遠ざかっていく。

 この瞬間、世界は筐体の前だけで成立していた。

 

 虎杖のステップは力強く、それでいて意外に繊細だった。時折、リズムを外しかけては、ギリギリで持ち直す。

 

 一方、杏子は体のキレと瞬発力で押す。トリッキーな動きも難なくこなし、画面のスコアは互角に並ぶ。

 

 ——一進一退。

 

 だか、ついに綻びが訪れ始めた。

 

 虎杖にとっては、どれも“微妙に知らない”曲ばかり。曲自体は知っていたが、フレーズがわずかに異なる。

 

 そう。虎杖は異世界から来た異邦人。

 

 ここは日本だが、さまざまな部分が同じで、わずかに異なる”並行世界”。

 

「……これ、曲が……ちょい違う!」

 

 呟いた声に、杏子がニヤリと笑う。

 

「どうしたよ坊や? ビビってんのか? 足が遅れてきたんじゃねーの?」

 

 虎杖は肩をすくめた。

 

「いや、違うんだって……ついてけるかは分かんねーけど……まだやってやる!」

 

 リズムがカウントを刻む。次の瞬間、ステップが、音楽と共に火花を散らした。

 

 杏子は、足捌きに迷いがない。身体の動きは流れるようで、ゲームの仕様を熟知している。リズムと映像に同化しているとすら思える。

 

 対する虎杖も、身体能力自体は負けていない。重心移動はスムーズ、バランス感覚も抜群。音感も完璧だ。

 

 けれど——。

 

「ちょ、待て……このタイミング!?」

 

 ビートの取り方が、ほんのわずかに合わない。見慣れない譜面。知らないフレーズ。

 

 彼の身体は動ける。しかし“脳”が、この曲のルールに対応しきれない。

 

 コンボ——パーフェクトの文字が遂に途切れる。タイミングがわずかに外れる。その度に、点数が離されていく。

 

 一方のその頃。杏子は、軽々と流れる矢印を捉え、正確に、滑らかに、そしてどこか小気味よく身体を動かしていた。まるで踊ることに一切のブレがない。

 

 そして——余裕すら見せ始める。

 

 ステップの合間に、ターン。軽やかに腰を落とし、足を大きく開いてリズムを刻む。スコア表示はぐんぐん伸びていき、観客の一人がスマホを構え始める。

 

 ギャラリーが、集まってきた。

 

 中学生らしき数人、仕事帰りのサラリーマン、カップル……どこからともなく人が集まり、その視線はただ一人、赤髪の少女に集中していた。

 

「おいおい、マジかよ……この子、やべえな……」

 

「可愛くて、カッコいい!」

 

「お兄さん負けてるぞー。頑張れー」

 

 さらに、ギャラリーが続々と集まってきた。全ては隣で踊る杏子の独壇場を観るために。

 

 虎杖は額に汗をにじませながら、横目で杏子の華麗なステップを見る。

 

 最早、こうなると虎杖悠仁は完全なる道化だった。

 

(聞いてねえよ、ここまでやりこんでるとか!)

 

 それでも虎杖は止まらない。リズムは取れずとも、動きは止めない。遅れながらも必死に食らいつき、額に汗を浮かべ、食いしばった歯の奥で呟く。

 

「——勝てるわけ、ねーか……」

 

 だが、それでも諦めない。

 

 最後のステップ。フィニッシュの決めポーズ。杏子は軽やかにターンを入れて、最後の一拍でピタリとポーズを決める。

 

 その瞬間、拍手が起きた。

 

 虎杖は、少し息を切らしながら立ち尽くしていた。

 

「……完敗だ」

 

 笑いながら、白旗を上げるように両手をあげる。

 

 杏子はふんと鼻を鳴らし、ポケットに手を突っ込んだ。そして、周囲の観客たちが思わずどよめく中、最終スコアが表示される。

 

 スコアランキングは圧巻の一位。

 

 蓋を開ければ、杏子の圧勝だった。

 流石、魔法少女の身体能力。

 

「ははっ、見たか!」

 

 棒付きキャンディをくわえたまま、杏子が軽くウィンクする。

 

 虎杖は、額の汗をぬぐいながら、負けを素直に認めるように笑った。

 

「はあ……普通に強えな……。でも、曲さえ覚えりゃ負けねー!」

 

「はいはい、言い訳!」

 

 二人の間には、対話と勝負を通してしか築けない奇妙な“繋がり”が、少しだけ残されていた。

 

「一本勝負っていったけど……アレ、撤回していいか?」

 

「別に構わないけどさあ、連コする羽目になるよ? その覚悟は——あるのかい?」

 

「上等!」

 

 チャリンと、投入されるコインの音。筐体の光は次のプレイ待機画面を映し出す。

 

 ”PRESS START”の文字が明滅し、リズムを刻む。

 

 ギャラリーはいつの間にか散っていた。

 残されたのは、汗の滲む床と、まだ火照る身体。    

 

 画面の光が二人の顔を交互に照らす。

 睨み合うわけでもなく、笑い合うわけでもなく。ただ、淡々と“向き合う”。

 

 ——言葉はもういらなかった。

 

 勝ち負けの先にある何か。

 相容れないまま、それでも隣に立つという選択。

 

 虎杖と杏子のダンスバトルは、静かな火種を残したまま、再び幕を上げようとしていた。

 

———

 

 ゲームセンターの出口を出てから、しばらくは互いに無言だった。ネオンの残響が遠ざかり、代わりに虫の声と川のせせらぎが耳に届く。

 

 人気のない河川敷まで来たとき、杏子がふと足を止めた。

 

 風が吹くたびに、街灯の下に二つの影が揺れる。その距離は、まだ“敵”にも“味方”にもなりきれない中途半端なものだった。

 

「なあ、虎杖悠仁。いや、悠仁、でいいか……」

 

 杏子がぼそりと声を落とす。その声音は、どこか砂利を噛むように乾いていた。

 

「……さっき言ってたよな。魔法少女の現実から目を逸らさない、って」

 

 虎杖は一拍置いて、こくりと頷く。

 

「……ああ」

 

 杏子は食べ終わった飴の棒を頬から引き抜くと、それをくるくると指で回した。

 

「……ずいぶん綺麗なこと言うんだな、あんた」

 

「……当然、そう言うと、思った」

 

 虎杖の口調は軽い。だが、目は笑っていなかった。

 

 杏子はその様子を見て、ふっと鼻で笑う。

 

「いわゆる——理想なんてさ。持ってるだけで済むなら、苦労しねーんだよ」

 

「そう、かもな」

 

 そう言って、天を仰ぐ虎杖はどこか寂しそうだった。遠くの星々を眺める姿は、杏子の言葉を噛み締めているようにも思えた。

 

「あたしは、それがどんだけ“重てぇ”もんか、知ってるつもり。だから、あの”後輩2号”が舐めた口を聞いたとき……許せなかった。マジでぶっ潰してやろうって思ったのさ」

 

 杏子は既に溶けてなくなった飴の棒を放り投げた。河川敷に置いてあった錆びたゴミ箱に入り、カランと音を立てる。

 

「マミが命張って守ったってのに、未だ魔法少女にすらなってねえってのは、釣り合いが取れてねー。不義理にも程がある。そんなヤツらがマミの近くを彷徨いてると思うと反吐が出んだよ」

 

 虎杖は未だ反論する様子も見せない。ただ、杏子の目を見た。そして、吐露も、発露も、頷いて聞き入れる。

 

「あんたもあんただ。……魔法少女でもねえヤツが首突っ込んで人助けなんぞにうつつを抜かしてるところを見て無性に腹が立った」

 

 虎杖は否定の言葉にすらも、反応しなかった。訊き返しもしない。ただ、黙って向き合っていた。

 

「——グリーフシードも必要ねえのに、何で魔女や使い魔を狩る? 何で、マミを助ける? ……ツレかなんかなら分かるが、そう言う感じにも見えねえ。それじゃあ……何の得にもなりゃしないだろ?」

 

「……決めたんだ。誰の為でもない……俺自身の為に、そう生きるって」

 

 虎杖は真っ直ぐ杏子の目を見据えている。眼光に迷いの色は一切ない。

 

 むしろ——。

 

 杏子の肩が、動揺でわずかに揺れる。それは、怒りとも苛立ちともつかない、心の底に眠っていた渇望。——かつて目指した理想の残滓が泡立つような感覚。

 

「……言葉だけで戦えるなら。それで魔女を倒せるなら。強さなんか……魔法なんかいらねえ」

 

 そして、彼女は前に出る。わずかに足を引いて、静かに構えを取った。

 

「理想が本気なら、戦いで語ってみなよ。あたしは、口よりそっちのが信用できる。何より——」

 

 手元に出したソウルジェムの紅き輝きが、水面を染め上げて乱反射する。閃光が身体中を包み、魔法で構築された戦装束が顕になっていく。

 

 そして、虎杖に突きつけられる長槍の切先が決意を示した。

 

「———喧嘩するって言った手前、落とし前はつけさせてもらうよ」

 

 虎杖も、応じるように構えを取る。

 

 しかし、拳を構える虎杖の目は、決して挑発ではなかった。ゲームセンターに誘ってきた時の”人を知ろう”とする意志。信念に近い何か。

 

 夜の闇に、川のせせらぎが重なる。離れた街道をまばらに走る車両の光。互いの影が、ゆっくりと地面に寄っていく。

 

 杏子は、それを見ていた。まるで、自分の中の何かが問われているような——そんな気がして。

 

 信じたものを踏みにじられた記憶。助けたはずの誰かに、背を向けられた過去。

 

 “未練”なんてとっくに捨てたと思っていたのに——。

 

 出会ってまだ間もない、目の前の青年の言葉が、なぜか耳から離れない。

 

 故に、迷いを打ち払う一声が杏子には必要だった。

 

「覚悟しな——悠仁」

 

「望むところだ」

 

 

 夜の河原に、風が吹く。葉が揺れ、街灯がちらつき、二つの影が重なりかけたそのとき——。

 

 交錯するのは、言葉にならなかった問いと答え。

 打ち合うのは、信じたいものと、信じられないものの“温度差”。

 

 これはいわゆる”試し”。けれど、手加減はない。杏子は、かつての己を思い出させる、青年の“甘さ”の奥にある、何かを見極めようとしていた。

 

 最初に動いたのは、佐倉杏子だった。無言のまま、足元を弾くように跳ね、赤い影が風を切る。

 

 虎杖は一瞬で身構え、迫る気配を迎え撃つ。だが——。

 

「っ!」

 

 槍の一撃は思ったよりも速く、重かった。

 槍の石突が地面をえぐる音と同時に、虎杖の肩越しへと風が抜ける。

 踏み込みと同時に、最小限の力で撓る槍——まるで生き物のような“しなり”だ。

 

 (多分、腕力なら……並の呪術師じゃ相手にもならねぇ……!)

 

 虎杖は受け流すでも捌くでもなく、踏み込みを逆利用して飛び退く。その間に、杏子は柄の中ほどでくるりと槍を回し、再び間合いを取った。

 

「——手、抜いてないよな?」

 

 挑発ではない。ただの確認だった。杏子の眼光は、虎杖の動きを正確に読み、冷静に値踏みしている。

 

「もちろん。……こっちこそ、ちゃんと試してもらわねぇとな」

 

 虎杖が応じ、今度は自ら地を蹴った。重心を落とし、鋭く踏み込んだ──打撃一閃、拳が風を裂く。

 

 杏子は後方に跳ねる。だが、それは誘いだった。

 

 次の瞬間、槍の中段がカシュッと音を立てて分かれ、三節棍じみた構造が鞭のようにしなりながら襲いかかる!

 

(おいおい……マジか)

 

 伸びた槍先が、意表を突いて虎杖の背後を狙う。

 虎杖はすんでのところで体を捻り、外側の軌道へと跳ぶ——その時にはもう、杏子が目の前にいた。

 

「“距離”を測ったな」

 

 彼女の左足が地面を蹴る。

 連撃。槍の刺突。さらに反動を活かした回し蹴り。

 

 その脚が——虎杖の防ぐ腕にぶつかった瞬間だった。杏子の顔にわずかな驚きが走る。

 

(……何、これ……!?)

 

 蹴りを放った脚に、じんと痺れるような鈍痛。

 衝撃が殺された感覚——それは、単に鍛えられた筋肉ではない。

 

 まるで地に根を張った大木のような、動かぬ柱にぶつかったようだった。

 

(間違いねぇ。……防御力だけなら、こいつ——)

 

 魔法少女すら優に凌ぐ、と杏子は思った。

 

 これは魔力じゃない。肉体でもない。“得体の知れない何か”が、攻撃の威力を削ぎ落としている。

 

 虎杖悠仁。——こいつは、“本物”だ。

 

 “手を組んでいる暁美ほむら”が言っていた”虎杖悠仁の異世界人説”が現実味を帯びてくる。

 

 拳が返ってくる。杏子は一歩引いて紙一重で避け、再び間合いを取った。

 

 “押して倒す”虎杖。

 “測って崩す”杏子。

 

 二人の呼吸がぶつかり合うたびに、夜の空気が震えた。

 

 拳をかわし、杏子はひと息で距離を取った。直感で分かる。

 

 見た目とは裏腹に、虎杖の肉体は異様な”堅さ”だった。もしも、それが攻撃に転じた場合、破壊力となることは想像に難くない。

 

 ——やはり。あの間合いは危険すぎる。

 

 槍で受けても、受け流しても、勢いごと押し切られる。真正面から打ち合えば、まともに立っていられない。

 虎杖悠仁の肉体は、ただの人間のそれではない。技術でも魔力でもなく、言語化し難い“何か”が、彼の身を包んでいる。

 

 杏子は舌打ちをひとつ。構えを切り替える。中心を低く、刺突と牽制を重視する型だ。強引な打ち合いではなく、間合いの外から削る。その方が自分にとって確実だった。

 

 (——筋力だけじゃねぇ。あれは何だ。魔力の気配もない。なのに、攻撃が通らないのは”呪力”ってヤツのせいらしいが、ほむらの発言はマジだったのか……)

 

 思考の最中、虎杖が動いた。

 

「——!」

 

 飛び込んできたのは拳ではない。掌から離れた小石だった。

 

 目くらまし。

 

 視界を遮られ、杏子の反応が一瞬遅れる。構えが緩む。

 

 その隙を突き、虎杖が一気に間合いを詰める。

 

(……来る!)

 

 杏子は咄嗟に地を踏み鳴らす。音もなく、地を這う鎖が立ち上がった。足元から伸びた鎖の結界が、絡みつくように虎杖の進行を塞ぐ。

 

「っ……!」

 

 虎杖は即座に反応し、体を捻って鎖の射線から脱する。接触は免れたが、踏み込みは阻まれた。

 

「……仕込みやがって。やるな」

 

 口元に悔しさを滲ませる虎杖。

 

 杏子は短く鼻を鳴らした。

 

 「搦手でくれば勝てると思った? そっちのほうが、よほど甘いね」

 

 声には明確な刺があった。どこか不機嫌で、皮肉すら混じっている。

 

「それに……あんたの“それ”、どうなってんのさ。人間の体が、魔力もないくせにあんな頑丈なわけないだろ」

 

 問いかけではなかった。怒りすら滲ませた、噛みつくような声だった。

 

 虎杖は、肩をすくめるようにして応じる。

 

「鍛えてるからな。……まあ、ちょっとだけ普通じゃねーのは、確かかもな」

 

 言葉に虚勢はない。ただ、淡々とした調子が杏子には気に食わなかった。己の問いに対しても、何ひとつ説明を加える素振りすらない。そうした曖昧さが、彼女の神経に触れる。

 

 杏子は視線を逸らし、再び槍を構え直した。

 

「……ったく」

 

 鼻を鳴らすその声音には、苛立ちと、微かな苛立ちの裏返しが潜む。どこか、自身でも制御しきれぬ感情が、拳と共に心の奥で燻っていた。

 

 夜風が、二人の間を吹き抜ける。

 

 交わされる言葉は少ないが、熱は着実に増していた。まだ“本気”には至っていない。だがそれは、刻一刻と近づいていた。

 

 踏み込みを阻まれた虎杖悠仁は、一度深く息を吐く。

 

 次の一手を読むように、杏子の槍の動きを観察しながら、ふと——かすかな違和感を覚えた。

 

(……変だな)

 

 槍の使い方は、無駄がない。刺突、薙ぎ払い、間合いの支配。どれも洗練されている。

 

 だが、それだけだ。

 

 彼女は“魔法少女”である。ならば、マミのように——己の“固有魔法”を使ってこないのはなぜか。

 

 マミはリボンを駆使して敵を絡め取り、状況を有利に進め、時には不利すら覆す。

 

 暁美ほむらもそうだ。

 

 あの盾をかざした瞬間、何かが起こったように胸元から盗聴器を回収された。

 

 ならば杏子にも、何かあるはずだ。

 

 虎杖は、少し間を取ってから、やがて口を開く。

 

「……なあ、杏子。”固有魔法”は? 使ってこないのか、それとも……もう使ってんのか?」

 

 その問いは、牽制でも探りでもなく、真っすぐな警戒だった。

 

 杏子はぴたりと動きを止めた。そして、ほんの僅か——視線が泳ぐ。

 

 それはわずかな一瞬。だが、戦い慣れた虎杖には充分すぎる揺らぎだった。

 

 思考を巡らせることが出来るような——大きな猶予が生まれたのだ。

 

(使っていない? いや、この反応……”使えない”ってことか……?)

 

 杏子は、口元をわずかに歪める。

 

「……そっちは、”術式”とかってのを隠してるつもりかもしれないけどさ、ネタは上がってんだ。それに——」

 

 長槍の石突を地に突き立てて、一拍。

 

「こっちにも、色々あるんだよ」

 

 そして、淡々と吐き出す。

 

 それは苛立ちというより——苦悩の色が滲んでいるように、虎杖には見えた。

 

 だが、敢えて問い返さなかった。杏子の言葉。その端々にある”戸惑い”を虎杖は察する。

 

 願いと祈り。——魔法少女の根幹を為すその力。

 

 その力を使えない、または使わないのだとしたら、手抜きをしているのは——佐倉杏子の方になる。

 

——ならば。

 

 虎杖はぐっと腰を落とし、杏子を分析する。

 

 杏子の槍捌きや体術はかなりの速度だ。破壊力も一級呪術師並。むしろ、それ以上の可能性もある。

 

 また、魔法を活用しての戦術幅は、呪術師など比較にならないほど広く、将来性は魔法少女に軍牌が上がるかもしれない。

 

 ——“術式”も既に知られている。恐らく、暁美ほむらが話したのだろう、披露した赤血操術は警戒されていると考えるべきだ。

 

 しかし——現時点で、佐倉杏子には明確な欠点があった。

 

 (杏子は、そこまで対人戦に慣れてねえな)

 

 魔法少女は対魔女に特化している節があり、技は大振り気味で大雑把だ。

 

 いくら、佐倉杏子が恵まれた才能を持ち得ても、高専で日々訓練する虎杖に対人技では劣る。

 

 見える勝ち筋。その光明。死地を乗り越えてきた、虎杖の勝負勘は”ここ”だと告げている。

 

「杏子がさ。何で固有魔法を使わねえのかは分かんねぇけど」

 

 虎杖の雰囲気が変わり、その声が風を裂く。彼の足元から地を伝った”何か”が静謐な河川の水面に波紋を広げていく。

 

「もし、このまま、お前が本気になれないなら、この戦い——勝つのは俺だ」

 

 それは挑発でも、高ぶりでもない。

 ただの“事実”の宣言だった。迷いなき鋭い眼光。佐倉杏子が知る最強——巴マミにすらない、大樹のような貫禄。

 

 杏子の眉が、わずかに吊り上がる。

 

「……ッ、言ってくれるじゃんか、坊や」

 

 その声音には、怒気というより——針のような苛立ちがあった。

 

 勝ち負けではない。“本気”でぶつかること自体に意味を見出せなくなった自分に対する、苛立ち。

 

 だが虎杖は、彼女のその迷いすら見逃さなかった。

 

「別に、力比べがしたいわけじゃねえ。でも、杏子が本気で来てくれねぇなら、意味ねぇよ、この戦い」

 

 それは、突きつける言葉だった。

 

 敵意ではなく、信頼を得るためにこそぶつける拳。目の前の誰かを、諦めたままで終わらせないための言葉。

 

 杏子は、ひとつだけ短く笑った。

 

「……本気で来なきゃ、意味がない、ね」

 

 彼女の足元に、再び槍の切先が滑り出す。しかし、その構えは、最初に虎杖に向けたそれとは違っていた。

 

 わずかに、重くて鈍い。けれども確かに“前を向いた”構え。

 

「覚悟しなよ、悠仁。お前が思ってる以上に、あたしは強えよ」

 

 虎杖は頷いた。拳を握り、重心を沈める。

 

「分かってる」

 

 夜の風が、再び吹き抜ける。草木が揺れ、遠くの水音がふたりの緊張を際立たせる。

 

 ——今度こそ、“本気”だ。

 

 拳と槍。

 覚悟と痛み。

 理想と現実。

 

 交わるはずのなかった二つの軌道が、今、確かに一点に収束していく。

 

 風が止まったようだった。河川敷の闇に、わずかな湿気を含んだ静寂が降りる。視線の先、虎杖悠仁が微動だにせぬまま、全身を構えて沈めている。

 

 対する佐倉杏子の胸中には、明確な苛立ちが渦巻いていた。

 

 その苛立ちは、目の前の青年に向けられたものではない。

 

 自身が封じ込めていた“何か”——今は失われた祈りの残滓が、虎杖の眼差しに呼び覚まされたことへの反発だった。

 

「……舐めるなよ、坊やのくせに!」

 

 低く吐き捨て、槍を構える。刹那、足元の草が、踏みしだかれる音と共に跳ねた。

 

 交錯の瞬間は、音もなく訪れる。

 

 拳と刃。躊躇なき動作が、互いの命をすれ違わせる。

 

 それは、もはや試しではない。他者の在り方を、己の痛みで知ろうとする——無言の、応答の一撃だった。

 

 杏子は数回の駆け引きの末、辛うじて、虎杖の拳を槍の柄で受ける。

 

 虎杖悠仁のパワーは既に理解している。ならば、単純に”魔力を込めた槍”を生み出せば良いだけの話。

 

 槍の柄が衝撃で軋みを上げる。凄まじい虜力は岩をも砕かんとするような威力だった。

 

 しかし、魔法少女は奇跡を成す存在だ。たかが、岩石を砕く程度の力では全く揺るがない。

 

(——勝った!)

 

 杏子が心中で猛る。

 

 虎杖悠仁の拳を受け流して、そのまま、槍を分解する。ヌンチャク、或いは三節棍のように分たれた槍先がしなり——。

 

 虎杖を切り裂く一閃が決まるはずだった。

 

 だが、遅れる衝撃。槍が、切先が。突如、はね上げられる。

 

 ——逕庭拳。それは、打撃による衝撃後に、遅延する呪力の衝突。虎杖が得意とする崩しの一手。

 

 両腕が上がり、杏子の構えが崩された瞬間。

 それを予測していたかのような鋭い震脚が既に——。

 

 地が陥没するほどの”溜め”に、杏子は死を覚悟する。

 

 そこから繰り出される絶命の一撃。——しかし、それは杏子の腹に届く寸前で止まった。

 

 風が吹いた。止まった拳の熱が、未だ杏子の腹の皮膚を焼いていた。その微かな残響が、確かに彼女の心を揺らしていた。

 

 拳が止まったままの距離で、杏子は目を伏せる。

 

「……何が、お前をそこまで動かしてんだよ」

 

 その声は責めでも皮肉でもなかった。

 ただ、どうしてもわからない“答え”を、掘り起こすような——素直すぎる問いだった。

 

「誰かのために掲げた理想や願いなんて……後悔しか生まねーのに」

 

 虎杖は、拳をゆっくり下ろす。語気を強めることも、理屈を並べることもしない。ただ、いつものように、ひとつ息を吐き、夜の空気を吸い込んで——杏子の横顔を見た。

 

「……俺は後悔しても、今生きてる人の力になりてぇって思ってる」

 

 静かな声だった。けれど、その音の奥には、積み重ねた死と選択、そして、赦されざる過去が潜んでいた。

 

 「それが”正しい”かどうかなんて……俺には、もう分かんねぇけど」

 

 言い終えると、虎杖は杏子に背を向けて、数歩だけ草の揺れる河原を歩いた。

 

 街灯の明かりが、二人の影を川面に落とす。風が鳴り、何も言えずにいた杏子の目に、ふと痛みとは違う色が滲んだ。

 

「……これで、引き分けってことで」

 

 虎杖は軽く肩をすくめながら、杏子を見やる。

 

「そっちがゲーセン一勝、こっちがタイマンで一勝。それでいいか?」

 

 夜の河川に映る月光がやけに眩しく思えた。乱れた杏子自身の心とは裏腹に、せせらぎの音はどこまでも穏やかで優しい。杏子は舌打ちすると槍を降ろして、力なく項垂れた。

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