祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

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ようやく書けた…推敲は後で頑張る


かつての悪夢を越えて

風見野の工業地帯。その高台に二つの人影があった。一方は黒髪の長髪をたなびかせる、暁美ほむら。もう片方は赤のポニーテールを下げる、佐倉杏子だった。

 

 魔女が落とす報酬、グリーフシードを拾い上げたほむらが、それを手の中で静かに転がす。その仕草には、日頃のルーチンワークをこなす気軽さがあった。

 

「……無駄な消耗はなかったわね」

 

 細く、しかし凛とした声が、霧を孕んだ風の音を切る。

 

 そこからやや離れた、ささくれた鉄骨に腰を下ろしていた佐倉杏子は、片足を伸ばしながら肩を竦めた。

 

「あーあ。……あたしの出番、全然ねぇじゃん。こうも楽勝続きだと、腕が鈍っちまうっての」

 

 空を仰ぐようにして伸びをする杏子。その口調は軽いが、視線の奥には退屈と苛立ちが滲んでいた。

 

「ワルプルギスの夜までに、出来る限り魔力は温存すべきだと説明したはずよ」

 

 ほむらは顔を上げず、淡々と告げた。

 

「……わかっちゃいるけどさ。こんな雑魚相手に省エネ戦ばっかしてても、いざって時動けなくなりそうで怖いね」

 

 杏子は宙にぷらぷらと片脚を彷徨わせると、確認するように掌を開け締めする。

 

 深夜の冷たい突風が吹き抜けるたび、二人の少女の衣装がたなびいた。煌々と照らされる工場の屋上には、暁美ほむらが無言のまま佇み、その視線の先、隣接する未完成の建設基礎には、佐倉杏子がだらしなく座る。

 

 互いの距離は、会話を交わすにはやや遠く——だが、敵対するには近すぎる。

 

 言葉のない間が、二人の間に風のように流れていた。

 

「ところでさあ、どうなったんだよ。ワルプルギスの夜への対抗手段はさ」

 

「……順調よ」

 

 そう言うほむらから、何の脈絡もなく放られたグリーフシード。咄嗟に受け止めた杏子がむっとしたように口を開く。

 

「……順調だって? まだマミとは話してねーよな」

 

 ほむらは、杏子の方を見た。

 

「そうね。虎杖悠仁と——巴マミのペアを見定めるつもりよ」

 

「……は? 何それ。ワルプルギスの夜と戦う時は、あの二人とも組むんだろ? なんでそんな真似すんだよ、意味わかんねー」

 

「いいえ。今のところ、私が正式に組むと決めたのは、虎杖悠仁だけ」

 

「は? ……マミの戦闘力は伊達じゃないだろ。あいつの火力、援護性能、それに判断力……普通に考えたら戦力になるだろうが」

 

 杏子の声が鋭くなる。だがほむらは、一歩も退かず言った。

 

「杏子、貴女——あの巴マミとまともにやり合って、勝てる自信がある?」

 

「はあ? なんだよいきなり」

 

「客観的に見て、貴女ではマミに勝てない」

 

 静かな断定に、杏子は一瞬ムッとしたように睨み返す。だが、その視線の奥で、理屈では納得している己を自覚していた。

 

(……確実に負け越すだろうな。……固有魔法を使えれば話は違うかもしれねーけどさ)

 

 そんな自分を、唇を噛んで押し殺す杏子。

 

「でも、あなたは一度——マミを“降した”。」

 

 その言葉に、杏子はぴたりと動きを止めた。目を細め、低く呟く。

 

「……なんであんた、そんなことまで知ってんだよ」

 

「手を組む人間の過去を調べるのは、当然のこと。 つまらない詮索は、今はなしよ」

 

 ほむらの声には一切の躊躇がない。杏子は不服そうに舌打ちしながらも、それ以上の追及はやめた。

 

「巴マミは、現在、精神的に極めて不安定な状態よ。あなたが抱いている“理想の魔法少女”としての彼女——まず、その幻想を払拭してもらう必要がある」 

 

「……!」

 

 杏子は目を見開く。

 

「彼女は魔法少女とはいえ人間よ、杏子。死にかけた人間が、簡単に立ち直れるわけがない。今は、無理に戦線に引きずり込むより、その“状態”を見極める時期よ。そうでしょう?」

 

 ほむらの言葉に、杏子は苛立ちを含んだ吐息を漏らす。

 

「あいつに限って、そんな訳ねぇよ。……つーかさあ、勝手に決めんなよ。知らされないこっちの身にもなって欲しいもんだね」

 

「そう? 貴女こそ、同盟を結ぶと言った側から虎杖悠仁に突っかかって、挙句の果てに敗北。下手をすれば、前提そのものを崩しかねない愚行を犯したわ。……勝手なのは、お互い様でしょう?」

 

 言葉の棘が、図星を突いたようだった。杏子の眉が僅かに動く。反論の火種が目に宿るも、言い返す言葉が見つからなかったのか、視線が宙を泳ぐ。

 

「……口じゃ勝てねぇよ、あんたには」

 

 渋々といった態度で、杏子は足場の基礎にもたれかかる。風が彼女の赤い髪を揺らしていた。

 

 やがて、杏子は面倒くさそうに息を吐き、重たげに腰を上げた。足場から無造作に飛び降りると、ブーツの底がコンクリートを叩き、乾いた音が静まり返った工業地帯に小さく反響する。

 

 立ち上がりながら両手を広げるその動作は、反論でも抗議でもなかった。

 

 それは反発よりも状況の方が遥かに重要であるという意思の現れ。杏子にとっても”ワルプルギスの夜”の到来は只事ではなかったのだ。

 

「まあ……分かったよ。見守るってのは確かに理にはかなってる。取り敢えず、あんたからはグリーフシードも融通してもらってる以上、多少の無理は聞いてやるさ」

 

 そう言いながらも、杏子の声には釘を刺すような響きが残っていた。情ではなく、あくまで理屈の上での折り合い。しかし、その歩み寄りに嫌悪はなかった。

 

「賢明な判断よ。流石は”佐倉杏子”ね」

 

「褒めてんのか……馬鹿にしてんのか? まあ、どっちでもいいか、そんなもん」

 

 杏子は肩をすくめて笑い、視線を逸らす。その仕草には、釈然としない照れがある。

 

 ほんの一拍の沈黙。煩わしい風が止み、夜の気配がわずかに緩んだ。

 

「あの二人がどんな風に戦うのか、ちゃんと見せてもらうとするよ」

 

 地平の端、遠くの空が仄かに滲む。夜の帳がゆっくりと後退し、東の空に、微かな明るさが差し始めていた。夜明けにはまだ遠い。しかし、それでも風見野は確かに、払暁へ向かっていた。

 

 真紅の双眼はすでに、傍観者のソレではなくなっていた。虎杖とマミの行方——そして、自分がかつて捨てた“何か”を見極めるため、確かな決意を宿す。視線の向かう先、ビル群立ち並ぶその合間から光芒が差し込む。杏子の関心は既に、光差す見滝原へと向いていた。

 

 

———

 

 

 魔女が頻繁に現れるのは、夕暮れ時の繁華街か、或いは、深夜の人通りのない路地裏など。虎杖悠仁と巴マミが動けるのは、学校の終わる放課後の時間帯に限られていた。

 

 そして今、二人は再び肩を並べている。わだかまりを越えた、数週間ぶりの共同戦線だった。

 

「……こっちだな」

 

 ——魔女と呪い。その共通点は多い。虎杖は呪霊探しと同じ要領で、魔女やその下僕である使い魔を追跡出来る。

 

「そのようね」

 

 マミもまた、ソウルジェムを探知機代わりに、魔女の反応を追っていた。けれど、その足取りには未だ迷いがある。——未だ戦いへの懸念を捨て切れずにいたのだ。

 

「この魔女、移動が速すぎる……。そう簡単に追いつけねぇかも」

 

 虎杖がぼやくと、マミも頷いた。ただ、僅かに遅れるその動作は、確かな憂いを帯びていた。

 

——マミの脳裏に過ったのは、この魔女の追い詰め方。

 

(この魔女……習性がある……?)

 

 この反応。独特な動き。おそらく——魔女は道路を好き好んで移動している。ならば、この魔女の習性を利用し、片方が追い、もう一方が先回りして挟み撃ちにする。それが最も効率的な方法であり、戦術としては理に適っていた。

 

 だが、その策を取るには、一つだけ大きな問題があった。

 

 ———虎杖から離れることになる。

 

 それは、すなわち。

 

 魔女との戦いに、再び“独り”で挑む可能性を孕んでいるということだった。

 

 瞬間、マミの呼吸が浅くなる。かつて、死にかけた記憶。あの恐怖が、身体中を寒気立たせる。

 

 握ったソウルジェムが、微かに汗ばんでいるのを感じた。背筋を冷や汗が伝う。足元が覚束無いのは、気のせいではなかった。

 

 そんな時———。

 

「俺が先回りする。マミさんは、このまま追いかけてくれ」

 

 不意に、虎杖の声が届く。柔らかく、それでいて力強い響きだった。

 

「マミさんも気づいているとは思うけど魔女は”道”を選んで移動してるっぽいし、多分、これが一番早い」

 

 あくまで提案のように聞こえるその言葉には、”守る”も”助ける”もなかった。ただ、ごく自然に”任せた”と伝えてくるような響きがあった。

 

 マミは、はっと顔を上げる。

 

 彼の瞳には、焦りも、憐れみもなかった。ただ、彼女が“戦える人間”であることを、初めから信じている眼差しだった。

 

 ——それが、どこか苦しかった。

 

 だが、同時に。その信頼が、自分をまた“戦場”へ引き戻してくれるような気がした。

 

 夕暮れの繁華街だけあって、大通りは混雑していた。人波が行き交う雑踏の中、虎杖は自然とマミの前へと出る。まるで何も言わずとも、彼女を庇うように。

 

 その背中が、ふとマミの視界に映る。がっしりとした肩。迷いなく進む足取り。

 

 マミの中で、何かが静かに動き出す。

 

 (私は……また、戦うって、決めたじゃない)

 

 小さく息を吸い、ソウルジェムに指を添える。まだ恐怖はある。けれど、それでも。

 

 心の奥の小さな種火が、微かに火を灯す。震える指先が、徐々に力を取り戻していく。

 

 マミは、小さく深呼吸をした。

 

「分かったわ。……二手に分かれるのね?」

 

 その声はまだ完全に強くはなかった。だが、確かに前を向こうとしている響きだった。

 

「———先陣は俺が切るよ。任せといて、マミさん」

 

 その言葉に、マミはふと目を伏せる。

 

 無理に背を押さず、かといって過保護にはしない。虎杖の言葉には、常にそうした配慮があった。あくまで“対等な仲間”として接してくれる彼の気遣いが、今は何よりも有り難かった。

 

 ほんの僅かに、マミの口元に微笑が戻っていた。

 

 虎杖は振り返り笑顔を見せると、視界の彼方——車道の向こうへと消えていく。

 

 誰かを信じて前に進む意志。誰かを守るために、一人先行して自分を削る覚悟が、その背中からは垣間見えた。

 

 

———

 

 

 虎杖と別れてから、数十分が経過した。大通りを独り歩き、都市部を離れるごとに人が疎らになっていく。人気のない、寂れた街のはずれに差しかかった頃だった。遂にソウルジェムが激しく煌めくと、結界に反応して、その明滅が強くなる。

 

 マミは、喉を微かに鳴らし、息を呑んだ。

 

 間違いない。

 

 ———虎杖悠仁は、すでに交戦に入っている。

 

 結界への侵入時には、事前にスマートフォンでメッセージを送る取り決めになっていた。

 

 画面に表示されたのは、簡潔な一文。

 

《先に戦ってるよ》

 

 マミはスマートフォンの画面に目を落とし、メッセージを確認した後、ゆっくりと顔を上げた。そして、目を凝らして正面を見据える。

 

 つい先ほどまで、街を駆け抜けていた魔女の結界が——今はまるで、その場に縫い止められたかのように静止していた。空間の歪みが、僅かに蠢いている。

 

 夕暮れから宵闇に沈みつつある黄昏時。ビル群の隙間から伺える西日は既に沈もうとしている。赤みがかった差し込む光芒が、マミの顔に深く影を落としていた。

 

 目前に迫る魔女の結界、その入り口。人喰らう異界の門が、虚空に波を立てながら開口する。

 

 マミは一呼吸整えてから、魔法少女姿に変身する。久方ぶりの実戦。結界へ踏み出すその脚は僅かに震えていた。

 

 結界を跨ぐと、世界が塗りつぶされるように、ありとあらゆるものが変化していく。

 

 周囲を見れば——。

 

 果てなき夜道、ぎらつく街灯、遠くに唸る鉄工所の煙突。地平の向こうには、煌々とした摩天楼が乱立していた。しかし、天上見上げれば、星一つすら瞬かない暗黒に覆われている。

 

(この結界の特徴……。まさか———)

 

 マミの目が見開かれた。

 

 ———これはマミが駆け出しの頃、確かに観た既視の景色だった。

 

 その認識と同時に鼓動が早くなる。

 

 敗北の記憶が次々と脳裏を過ぎった。助けを求める男児の慟哭。それを掻き消すように響いていた、エンジンの唸り。侵入者を威嚇するかのごとく喚き散らされる、クラクションの騒音。

 

 ——あの時の巴マミは、銃の一挺すら満足に生み出すことも敵わず、この結界の主である“銀の魔女”と、その使い魔たちに対して、まともなダメージすら与えられなかった。

 

 金属の殻に覆われた敵に、ただのリボンは通じなかった。結果、子供を見捨てることとなり、自身も命の危機に晒され、涙ながらに撤退を余儀なくされた。

 

 背筋を伝う汗は、暑さによるものではない。戦う者の足を竦ませる恐慌だった。

 

(……っ!?)

 

 脳裏に去来する”過去の亡霊たち”がマミの足元から這い上がり、冷静な思考を奪っていく。否応なしに脚が震えて、歯の根が合わない。

 

 ———ぎろりと、無機質な無数の瞳がマミの方を向いた。

 

 一斉に振り返る使い魔たち。全身は黒い霧のようなモヤに包まれてはいるが、その奥には金属であろう輝きが見え隠れしていた。備え付けられた機械部品からは、狂気じみたクラクションが咆哮を上げる。

 

(あ……っ)

 

 向けられる悪意と死の恐怖にへたり込むマミ。その姿は最早、理想の魔法少女とは程遠く——。

 

 戦意を失った巴マミを”餌”と認識した使い魔たちが、群がるようにゆっくりと迫る。伸びる金属腕。そのアームがマミを引き千切ろうと、先端をガシャガシャと鳴らし立てたその刹那———。

 

 凄まじい轟音が、マミの耳に届く。

 

 果てない夜道の地平側で、使い魔がまた一体、また一体と無造作に吹き飛んでいた。マミの頭上さえ遥かに超えて、アスファルトに叩きつけられた使い魔たちが無惨に積み上がっていく。

 

(虎杖……さん?)

 

 結界の奥。数多の使い魔を薙ぎ払う仲間の姿は未だ遠くで判然としない。けれども、マミには想像出来た。勇ましく敵を寄せ付けない虎杖悠仁の姿が。

 

 消えそうだった種火が、力強く再燃する。

 

 マミは飛び上がると、即座にリボンを周囲に展開した。巧みに繰り出される黄金の帯が、使い魔たちを絡めとると、長銃身から放たれた弾丸が、使い魔を難なく破壊する。

 

 それからは解けるようにマミの乱舞が始まった。身体に染み付いた咄嗟の反射が、磨いてきた技術が、窮状を難なく打ち破る。数の理などものともしないマミの魔法が、使い魔たちを容赦なく蹂躙していく。

 

 やがて気がつけば、周囲の悪意はすべて霧散していた。マミはその場に着地し、肩で呼吸を繰り返していた。膝に手をついて屈み込むと、張りついた汗が頬を伝い落ちて、アスファルトを濡らした。背には冷えた水滴が何筋も流れていく。

 

 疲労が一気に押し寄せてきた。平常時の戦いなら、ここまで息を切らすことはない。それでも、今の彼女には、必要な一歩だった。

 

 黄色のリボンが風に揺れ、沈んでいた視界の先に、ほんの僅かだが光が差し込んだ気がした。

 

 自分は、確かにまだ戦える——そう思えたことが、マミにとって、何よりの救いだった。

 

 

———

 

 

 “銀の魔女”の結界内。果てしなく続く街道脇に乱立した建造物のとある一角。

 

 その屋上で、二つの人影が、虎杖とマミの戦いを見下ろしていた。

 

「……ったく、見てらんねぇな」

 

 襲いかかってくる使い魔を、槍の一振りで片手間のように払うのは佐倉杏子。忌々しそうに瞼を尖らせた理由は、敵の襲撃ではなかった。

 

 かつての相棒。———巴マミの異変が明らかだったからだ。

 

「動きが硬ぇ。しかも会敵した瞬間尻餅かよ。さっきまでのマミ、完全にビビってたじゃん。……あれでよく立ち上がったもんだよ。ま、自力で助かったけどさ」

 

 そう言いつつも、杏子の手は拳を握ったままだ。口では呆れて見せても、かつての友が追い詰められる姿に肝を冷やしていた。

 

 騒音を発して迫る使い魔に、一瞥もくれず銃口を向けるのは暁美ほむら。タンっと響く銃声。弾丸で貫かれた使い魔は勢い余って階下へと落下していく。

 

 ほむらは何事もなかったように、マミと虎杖の位置を確認していた。

 

「杏子。悪いけれど我慢して。これは見極めるための戦い。最後まで彼らに戦わせなければ意味がない。それに万が一彼らが追い詰められた場合は、私が出れば済む話」

 

 マミの救援に飛び出そうとした杏子を、ほむらが止めたのは言うまでもない。暁美ほむらの固有魔法”時間停止”ならば一瞬にして間合いを詰めて、救援は容易であると説明されれば、杏子は引き下がるしかなかった。

 

「ま、悠仁の方は……正直、危なげねぇな。あいつ、強えよ。組む相手としては、まあ、文句はねえ」

 

「けれど?」

 

「……あんな怯えてるマミを戦わせるなんて、アイツ結構スパルタだなってさ。思ったより冷めてるっていうか……割り切ってるんだな」

 

 ほむらはそれに対し、余計な言葉を挟まなかった。ただ、視線を戦場に落とし込んだまま、冷静に分析を続ける。

 

「そうね。それよりも——あの巴マミが立ち上がるとは、思わなかった」

 

 その言葉には珍しく、感情の綻びが表層に浮かんだ。だが、振り返れば彼女の表情はいつも通り、まるで鉄の仮面のように動かない。

 

「虎杖悠仁の戦闘パフォーマンスは予想通り。ただ、空中機動に関しては大きな課題ね。魔法陣を足場にできない以上、空を飛ぶ”あれ”との戦いには補助が要る」

 

「……ワルプルギスの夜、か」

 

「ええ。魔法少女でない以上、足場の供給と、空中での援護射撃。連携が鍵になるわ。足元に引きずり落とせればそれが一番良いのだけれど」

 

 ———すべては、鹿目まどかを守るため。たとえ虎杖悠仁が善良な人間であったとしても、強敵の前に立たせることを、ほむらは躊躇わない。

 

「でもよ。あいつは飛べねぇ以上、精々、降りてくるワルプルギスの夜の使い魔を倒すのが妥当だろ? いちいち空中まで運んでたらこっちがやられちまう」

 

 そう言って、杏子は目を細めて空を仰ぐ。ワルプルギスの夜は、常に空を舞うのだという。常識の枠で考えるなら、届かないのでは屠れない。

 

 しかし、ほむらの発言が、空気を裂いた。

 

「———虎杖悠仁の”術式”は魂すら切り裂くかもしれない」

 

 目を丸くする杏子。

 

「もし、彼がワルプルギスの夜に触れることが出来れば大きなダメージを与えられる可能性があるのよ」

 

「なんだって……? んなもんあり得ねぇ。……根拠が欲しいね」

 

「いずれ話すつもりでいたけれど、良い機会ね」

 

 ほむらは当時の状況を説明しつつ、固有魔法である盾から、”何か”を取り出した。

 

 それはマミを追い詰めたお菓子の魔女の亡骸。———既に残骸と化した”グリーフシード”だった。鋭利なカッターで幾重にも切りかれたように、細切れに断裂したソレを見た瞬間、杏子は目を見開く。

 

「なんだって……? 魔女を倒した時点で”グリーフシードがバラバラ”? そりゃ確かに”普通の技”じゃねーな」

 

 こくんと、頷く暁美ほむら。

 

 あの、”魔女の魂”すら切り裂いたであろう”虎杖の技”ならば、”ワルプルギスの夜”に甚大な被害を与えられる可能性は高い。

 

 砲撃、銃撃、果ては“ミサイル”すら通用しない——人智を超えたあの怪物に対抗するには、物理法則を逸脱する“伏魔御厨子”の力が不可欠だと、ほむらは踏んでいた。

 

 ——あくまで、数ある戦術の一手として、ではあるが。

 

「成程、それがあんたの切り札って訳だ」

 

 杏子の言葉と共に、風が吹いた。煙のように残る魔女の気配は未だ消えない。けれども、魔女の悪意は虎杖たちへ集中し、二人が立つ屋上にはひとたびの静寂が訪れる。

 

 杏子は口を閉ざし、黙って結界の奥を見つめていた。そこにいる二人——虎杖と、巴マミ。その背中を見届けるかのように。ほむらもまた、瞬きひとつせずに傍観する。

 

 彼らがこの”世界”に何をもたらすのか。その結末は、まだ誰にも見えなかった。

 

 

———

 

 

 虎杖は既に魔女を追い込んでいた。使い魔の妨害を払い除けると、距離を取ろうとする結界の主人。強い呪いの気配は思惑通り、徐々にマミが待つであろう方へと追いやられていく。

 

 何時もの巴マミなら、既に罠を張り、一網打尽にするような機転を利かすタイミング。だが、一向にマミは現れない。

 

(マミさん……)

 

 挟撃になるはずだった。だが——未だ、敵の背後から援護の気配はない。

 

 使い魔を牽制しながら結界の奥へ踏み込み続けるうち、虎杖の胸には、かつてない種類の“重さ”が宿っていた。

 

 ——任せていいのか。本当に、あの時、送り出して良かったのか。

 

 彼女がこのまま来なければ。最悪の場合、恐怖で動けなくなっていたら。本調子でない、彼女が苦しみ傷ついていたら。最悪、逃げてくれれば、まだ良いが。

 

 様々な考えが、背筋をじっとりと湿らせた。

 

 (……夜蛾先生や五条先生も……こんな気持ちだったのかな)

 

 巴マミは強かった。だが年下であり、孤独。なおかつ支えを必要としていた。だからこそ、かつて自分を助けてくれた人たちのように、彼女に手を差し伸べた。一人で立ち上がれるように——そう願って。

 

 ———しかし、その判断がもし誤りだったら。

 

 そう思い至ったとき、虎杖は初めて“導く側”としての孤独を知った。

 

 虎杖悠仁は、遂にマミの援護なしに魔女の元まで辿り着く。悪意を目の前にして、拳を握る。  

 

 硬質な足音を立てて、立ちはだかるのは結界の主——銀の魔女。

 

 動きは緩慢で鈍い。だが、見るからに重量を備えた鉄腕は強力であると、一目で理解出来た。虎杖はいなす様にして直撃を避けつつ、拳を振るった。

 

 黒煙のようなモヤに覆われた体躯が、確かにひしゃげる。強打の衝撃に大きくよろめく魔女。けれども、撃破にはまだ程遠い。 

 

 魔女は苛立つ様に機械音の唸りを上げる。騒音鳴らす頭部と思われる金属部分は、よく目を凝らしてみれば、二輪車両のハンドルバーだと分かる。

 

(こいつ……この手応えと動き、まるで機械……いや——こいつら……バイクか)

 

 さらに黒煙の合間にちらつくチェーンと歯車。唸るエンジン音に、爆音を撒き散らす”使い魔”たち。虎杖の脳裏に浮かんだのは、ありふれた暴走車両の姿。この異様な魔女と使い魔たちの構造と性質からして、その連想は極めて自然なものだった。

 

 そんな交戦の最中にあった虎杖。突如、その視界の端に、一筋の金の光が走る。

 

 間違いない———マミの魔法だ。

 

 虎杖の目に、わずかな安堵が浮かんだ瞬間。銃口の先は明確に——誤っていた。

 

 銀の魔女の装甲の側面をかすめるように、黄金の銃弾が横切る。その射線は明らかに不自然だった。

 

 (っ……!?)

 

 虎杖は咄嗟に身を捻り、バイクのパーツで構成された脚部を蹴り払うと同時に、紙一重で銃弾を回避した。頬にうっすら浮かぶ裂傷。

 

 爆風。火花。まさかの誤射——。

 

 あの距離では、言葉も、表情も、届かない。ただ一つ、虎杖には確かに伝わっていた。

 

 ——震え。

 

 その一撃に宿っていたのは、迷い、焦り、そして怯えだった。

 

 虎杖は魔法少女ではない。テレパシーで言葉を届けることもできず、声をかけて諭すことも叶わない。

 

 平時であれば、虎杖とマミの優れた戦闘センスが噛み合い、連携は呼吸のように自然に成立していた。だが今のマミは、まだ立ち上がろうとするその途中。そんな不安定な時期に。何より———戦い疲れた兵士を戦場に連れ出すようなこの所業が、如何に残酷か。

 

 先ほどの誤射は、まるでマミの悲鳴を物語る様で、虎杖の胸を傷ませた。

 

(わりぃ、マミさん……でも)

 

 ——非情な行い。そうだと覚悟した上で、巴マミをこの過酷な戦場に連れてきた。

 

 魔法少女が”自力”でグリーフシードを回収できなければ、その先に待つのは”破滅”だからだ。

 

 宿儺を宿していた虎杖だからこそ、理解できる魔法少女の境遇。

 

 もしも、あの時、虎杖自身が戦場から逃げていれば、間違いなく秘匿死刑だった。魔女化のリスクを知らずに背負う、今のマミもまた似た様な状況に置かれている。

 

 ———故に、誰かのために戦える巴マミを失意の底で終わらせたくない。

 

——長く生きて笑っていて欲しい。

 

 虎杖は迷いを断ち切るように、わずかに構えを低く落とす。

 

 ならば、見せる時だ。

 

 すぐ隣に、命に換えても支えたいと思っている仲間がいること。

 

 ———かつて、自分が“東堂葵”や”脹相”にそうしてもらったように。

 

(今なら分かる気がする。——宿儺を取り込んだ俺に生きて欲しいと言ってくれた……伏黒の気持ちが)

 

 虎杖の決意を込めた蹴撃。それは黒煙ごと装甲を抉り飛ばした。威力の余波は鉄塊に大きな亀裂を生み、”銀の魔女”を後退りさせた。ずっと続いていた憤慨する様な機械音が、すっと鳴り止んだ。

 

虎杖の双眸が、ただ静かに魔女を射抜いていた。

 

 

———

 

 かたかたと、長銃身が小さく音を立てる。

 マミは魔女の姿を視認した刹那、瞬時に銃を創り出し、引き金を引いた。反射的な行動だった。虎杖が既に魔女と交戦している——ならば、自分も即座に援護しなければ。

 

 だがその矢先。

 

 ——銃口が、僅かに逸れてしまった。

 

 自身の意志とは裏腹に、手が微かに震えていた。あれほど鍛え上げてきた射撃。何千、何万と撃ってきた、絶対に外さないと自負していたこの距離、この標的。

 

 それでも——今の巴マミには、撃ち抜くことができなかった。

 

 発射された弾丸は、魔女の装甲をかすめ、空しく金属音を残して虚空へと消えた。

 

 (また……外した……?)

 

 直後、腹の底から冷たい何かが這い上がってくる。あの時と同じ。あの結界で、助けられなかった男の子。恐怖に飲まれ、銃すらまともに生み出せなかった己。

 

 ——それが、今もなお、自分の内側にこびりついている。

 

 マミは、唇をきつく噛み締めた。次に引き金を引く手が、すぐにでも砕けてしまいそうだった。

 

 けれど、その時だった。

 

 視界の隅に、虎杖悠仁の視線があった。何も言葉はない。ただ、僅かに身を引き、魔女の進路を誘導するような動き。あれは——。

 

 (……分かってる。あなたは、私に託したのね)

 

 鼓動がひとつ、大きく打った。

 

 言葉なんていらない。叫ばなくても、確かに伝わった。あの眼差しは、怒ってなどいない。見限ってもいない。ただ、“任せた”——そう、語っていた。

 

 涙が零れる前に、マミは振り払うように両目を閉じた。そして、静かに呼吸を整える。頭上のソウルジェムが、わずかに温かくなったような気がした。

 

 (私だって……魔法少女よ。だったら、答えなきゃ)

 

 目を開ける。そこには、もう震える手はなかった。

 

 黄金のリボンが舞い、一束に収束する。構築された新たなマスケット銃を片手に、今度こそ確実に照準を定めていく。

 

 まずは、冷静に狙うべき敵を見定める。魔女の動作は鈍い。回避の挙動もない。装甲は虎杖の攻撃によって剥がれ落ちている。ならば、後はただ、いつものようにトリガーを引くだけだ。

 

 ———あの覚悟に応えるために。

 

 放たれた弾丸は、夜を裂くような音を立てて走った。狙い済ました一撃は、虎杖が砕いた装甲の隙間に吸い込まれるようにして着弾する。

 

 急所を砕かれて、激しく痙攣する魔女。断末魔と呼べる騒音をかき鳴らすと、糸が切れたように倒れ伏す。その巨躯は、やがて駆動していた機械を停止させて沈黙した。

 

 魔女の喪失と共に、消えていく虚なる世界。黒雲に覆われた空と果てなき街道が消え、現実の景色と瞬く星々が頭上に帰ってくる。

 

 虎杖が道の向こうから走ってきた。息を切らしながらも、どこか安堵の色を伺わせていた。

 

「……やった、わね」

 

 マミが先にそう言った。少しだけ肩を上下させていたが、その笑みは仄かに明るかった。言葉に力はなくとも、その表情には——かつての誇らしさが戻りつつあった。

 

 虎杖は立ち止まり、何も言わずにマミの顔を見た。ただ一瞬、瞬きをして、それから——ふっと、笑う。

 

「……やっぱすげぇな、マミさん。あんな距離、俺じゃ絶対ムリだわ」

 

 その言葉に、マミは少しだけ目を伏せた。

 

「ごめんなさい。途中……誤射、してしまって……」

 

 その言葉に虎杖は首を振る。

 

「いいって。今回付き合わせたのは……俺の我儘だった。お互い様だ」

 

 マミは言葉を失ったまま、しばらく黙っていた。けれど、最後にはそっと頷く。まるで、これまでを振り返るように。

 

「——ありがとう、虎杖さん。……今夜は、少しだけ、魔法少女でいられた気がする」

 

 互いの間に流れた沈黙は、もう痛みではなかった。ただ、戦いを終えた者同士にしか共有できない静寂。

 

 街の灯りが、遠くの地平で瞬いていた。すべてが終わり、ようやく見えた夜景は、仄かで優しく煌いているような気がした。

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