喫茶店の空気は、外の世界から隔てられているように静かだった。
落ち着いた照明と木目のテーブル。騒がしかった戦闘の気配は遠い過去のように感じられる。けれど、虎杖悠仁の胸中は静かではなかった。
「ここなら落ち着いて話せると思ってさ。奢りだし、遠慮なく頼んでいいよ」
笑顔で言いながらも、虎杖は店の窓から街並みを盗み見る。
そこに見える景色は、さっきまでいた市街とは明らかに違っていた。建物の様式、道路の構造、看板に踊る文字の雰囲気……何もかもが、どこか馴染みがない。
(結界の外に出たとたん場所が変わった……生得領域の影響で、無理やり移動させられた? それとも……)
違和感の正体はまだ掴めない。だが、自分が“知っている地理”から外れていることだけは確かだった。
虎杖の向かいには、制服姿の三人——巴マミ、鹿目まどか、美樹さやかが座っていた。だが、誰もが表情を硬くしたままだった。特に巴マミの視線は鋭く、終始警戒を解いていない。
「……あなた、何者なのかしら。呪術師と名乗っていたけれど、私はそんな存在、聞いたことがないわ」
「まあ、だろうな……あんまオレたちのことは知られてないし」
虎杖は苦笑しつつも、心のどこかでひっかかるものを感じていた。
「オレたちは“呪い”ってやつと戦ってる。人の負の感情から生まれて、時には実体化して害をなす。呪術師は、それを祓う仕事をしてる」
「……“呪い”が目に見えると?」
「ああ。見えるし、触れるし、倒せる。でもそれを全く知らないってことは……ないはず。最近になって呪いの存在自体は公表されたはずだろ」
マミは黙って紅茶を啜る。そして、静かに首を振った。
「そんな話、聞いたこともないわ。人の感情そのものが怪物になるなんて、非科学的すぎるもの」
「非科学的、ね……まあ、それが普通、か」
虎杖は少しだけ目線を落とす。
自分が何らかの術式に囚われているのか、それとも。そんな不安が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
「ただ、東京を除いて呪霊は出ないって政府は言ってるけど、実際はそうじゃない。情報統制されてる」
「おかしいわ。政府が……そんな発表をしてるの?」
マミが怪訝な顔をする。
「えっ、あの、テレビとかで……そういうの見た覚えないんですけど……」
さやかが戸惑いながら呟く。まどかもうつむいたまま、同じく混乱の色を滲ませていた。
(おかしい……同じ日本にいるなら、知らないわけがない。死滅回遊の被害は隠蔽できるような生易しいものじゃなかった)
「……あの、私たち……本当に“日本”にいるんですよね? なんだか話が壮大すぎて夢みたいで……」
まどかの疑問が、テーブルに静かに落ちる。
「——悪い。少しだけ席外していい?」
喫茶店の外で、虎杖は深呼吸する。こういう時は頭のいい伏黒に連絡するのが一番良い。討伐の報告も兼ねて彼に指示を仰ぐのがベストだろう。
混乱する虎杖はスマホを取り出し、伏黒に連絡を取ろうとした。だが、画面に表示されたのは無慈悲な文字だった。
「圏外……?」
再起動しても、設定を見直しても、電波はまったく繋がらない。さらには乙骨や家入など、呪術高専メンバーたちに連絡を取ろうとするも——
「伏黒も……乙骨先輩も……誰とも繋がらねえ」
胸の奥に、冷たいものがじわじわと這い寄ってくる。
まどかのあの言葉が脳内で反芻される。
(ここ……本当に日本か? それどころか、オレが知ってる“世界”か……?)
疑念が確信に変わるにはまだ材料が足りず、術式による認識阻害である可能性も否定できない。だが、現状が異常であることは間違いない。
そのとき——
「悠仁」
不意に名を呼ばれて振り向くと、白くて小さな生き物が足元にいた。
赤い瞳。丸い輪郭。耳のような飾り。一見してマスコットのようなその姿は、しかし虎杖の直感を鋭く刺激した。
「僕の姿がはっきり見えているなんて驚きだよ、虎杖悠仁。君の存在は実に興味深い」
それが——きゅうべえだった。