呪いより、空腹が強敵
——誰かを守る。危険な呪いがいるなら、祓う。それが俺の役目だ。
そう息巻いて異世界らしき場所に現れた虎杖悠仁だったが、到着から二日目にして、その誓いは現実の壁にぶち当たることとなった。
「……金ねえ」
路地裏のベンチで待ち合わせの時間を潰しながら、虎杖は財布の中身を確認してはため息をついていた。
財布には、この世界では使い物にならない紙幣と、偽造品と疑われかねない見た目の硬貨しかなかった。しかも、身分証も戸籍も存在しないため、まともに働くことすらできない。
——どうすんだよ、これ。
虎杖は肩を落とす。
空は高く、夕焼けに染まりつつある街の輪郭がぼんやりとにじんでいた。通りを行き交う人々は、当たり前のように日常を過ごしている。その流れの中で、異邦人である自分だけが取り残されているような、そんな気分だった。
そんな中、虎杖の手の中にあるものだけが、自分とこの世界をつなぐ“証”のように思えた。
この世界では呪霊と似た存在——魔女を倒すと”グリーフシード”と呼ばれるアイテムが残る。
そんなグリーフシードの使い道は非常に重要な意味を持っていた。
魔法少女の魔力核となる”ソウルジェム”。その穢れを取り除く作用があるのだと言う。
「ったく……財布の金が使えねぇって、マジでどうすっかな……」
そんな愚痴をこぼしていると、待ち合わせ通りの時間に制服姿の少女が歩いてくるのが見えた。
巴マミ。虎杖悠仁がこの世界で初めて会った魔法少女だ。
「お待たせ、虎杖さん」
「おっ、マミさん!」
マミは微笑みながら歩み寄り、虎杖の手からグリーフシードを丁寧に受け取った。
「本当に、あなた……これを自分で使うつもりはないの?」
「いや、オレには必要ないし」
「分かってはいたけど……魔法少女と違ってグリーフシードが必要ないなんて羨ましいわ。呪術師って便利なのね」
「そう? 俺は魔法少女みたいに物は作れんからケースバイケースだと思う。ただ、グリーフシードを手に入れる為に毎回アレを相手にするのはしんどいかも……」
流れていく通行人を見据えながら二人は他愛のない雑談をする。
相手にした魔女の外見とか。怪我はなかったのか。そんな話しの最中。
「あ、そうだ。魔女と言えば、コレだよな。忘れるとこだった」
虎杖はポケットからまたグリーフシードを取り出した。どうやら倒した魔女は一体ではなかった。
「えっ? グリーフシードを一日で二つも……? 本当に大丈夫なの?」
「平気だよ、慣れてっからさ」
魔女の単独撃破——それも1日で二体。虎杖の腕前はマミの想像以上だった。
——魔女退治は1人で大丈夫。そう、虎杖が言い出した時は耳を疑ったが、ここまでの成果を出されては、マミから何も言うことはなかった。
「とにかくさ、役に立つなら、使ってくれよ。魔法少女は魔力を使うとソウルジェムが濁っちゃうんだろ? しかも自然治癒しないんなら尚更だ」
その言葉にマミは一瞬黙り、ふっと視線を伏せた。
(……この人、本当に見返りを求めていないのね。グリーフシードは、魔法少女にとって命をつなぐほど大切なものなのに。お金といった報酬なんかより、ずっと価値がある。それを、何のためらいもなく譲ってくれるなんて……)
だが、ふと虎杖の服装に視線がいった瞬間、マミの表情はぴたりと止まった。
「……虎杖さん。その格好……」
「え、やっぱ変?」
「変どころじゃないわ! 改造してる制服は少し破れてるし、シャツは泥だらけ。靴は壊れてるし……えぇと、それ、昨日も着てたわよね?」
「だって洗濯する場所ないし……」
「それにしても二日でそんなビリビリになるなんて……と、とりあえず……! お店、寄りましょう!」
そう言うやいなや、マミは虎杖の手を取って近くの商店街へ向かった。
その後、古着屋でTシャツとズボンを購入。惣菜パンとスポーツドリンクまで追加で手渡され、虎杖は感極まった表情で深々と頭を下げた。締めには銭湯にまで寄り、心身ともに虎杖は綺麗になった。
「……あんた、女神か?」
「私はただの善意の一般人。と、泊めてあげることは……無理だけど、それくらいなら手伝えるわ」
「ありがとう……。一生忘れねぇ……!」
帰り道。パンをむしゃむしゃ頬張る虎杖の背中に、マミは小さく微笑みを浮かべた。
こうして、呪術師・虎杖悠仁の見滝原での第一歩は、まさかの“物々交換”から始まった。
———
夜の公園。人影は少なく、街灯の下には、ベンチに座る二人の影が静かに伸びていた。虎杖の服選びや銭湯、それに食事まで——一人の見知らぬ人間のために駆けずり回ったのは、巴マミにとって本当に久しぶりのことだった。
これだけ誰かと、他愛のない会話を交わしたのも、いつ以来だろうか。
マミは紙コップの紅茶を手にし、虎杖は缶コーヒーを開けながら、しばし黙って夜空を仰いでいた。
「……少し、いいかしら、虎杖さん」
静かに切り出された言葉に、虎杖は視線を戻す。
「なに?」
「貴方は…この街で、どうするつもり? この一日で魔女の脅威を目にして、実際に戦った者として、”改めて”訊きたいの」
一拍の間を置いて、マミは問うた。優しさでも詮索でもなく——ただ、隣にいる者としての、当然の問いだった。
「魔女は倒すよ。多分、この街にいるとか、いないとか関係なく」
虎杖は、即答する。返答に迷いはない。
——燃え盛るような熱情ではない。けれど、凍てつく夜にも揺らがぬ焔のような“意志”が、確かにそこにはあった。
「一つ、提案があるの。私と正式に協力関係。同盟を組まない?」
「当然。受けるよ」
虎杖の返答はやはり早かった。迷いも、駆け引きもなかった。
「何戦か魔女とやり合ったけど……あいつら、相当厄介だった。前に話した“呪霊”ってやつらと俺も戦ってきたけど、魔女のほとんどは、そこらの呪霊より強いって感じる」
「そこらの呪霊……?」
「ピンキリすぎて一概には言えないけど、感覚的には、魔女って、呪霊よりも……“厄介”って言葉が一番しっくりくる。理由は……たぶん、まだ俺が魔女のことをよく知らないからかもしれん」
虎杖は、缶の縁を見つめながら言葉を継ぐ。
「情けねぇ話だけど、今は“何もわかってない”状態だ。そんで、魔女の情報、教えてくれるっていうんならさ……マジで助かる」
数多の戦いを乗り越えてきたかのような、その語調には確かな芯があった。
マミは目を細める。呪いと魔女——異なる脅威を前にしてきたこの青年の言葉は、決して軽くない。心のどこかに、己と同じものを抱えていると感じる。
「……じゃあ、今夜からあなたは、私の“仲間”ということでいいのかしら」
虎杖は一瞬だけ驚いたように目を丸くし——それから、いつもの素朴な笑みで頷いた。
「うん、改めて、よろしく」
彼は立ち上がり、迷いのない動作で手を差し出す。マミもまた、躊躇うことなくその手を取った。
指先に伝わるのは、たしかな熱。
久しく感じた確かに“隣に立つ誰か”のぬくもりだった。
「……こちらこそ。これから、よろしくね。虎杖さん」
静かに握られた手と手の間に、言葉では言い尽くせない感情の波が、そっと流れていった。
月明かりが、二人の影を静かに重ねていた。