祈りの名を、いつか呪いが覆うとしても   作:名もなきうちは

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思った以上に長丁場になりそう。まどマギも呪術も心情描写が秀逸だから、省けなくてどうしても長くなっていく。


話が矛盾しないか、不安。



迷いを越えて、夜を撃ち抜く

 黄昏の商店街。シャッターを下ろした店舗が連なる中、虎杖とマミは人通りの途絶えた路地を歩いていた。

 

「急にごめんなさい。まだ忙しい中、共同戦線なんて言い出してしまって……」

 

「いいって。マミさんには服とか銭湯とか、迷惑ばっかかけたし」

 

 虎杖は苦笑しながら、言葉を続ける。

 

「それに共闘するからには……俺も戦い方を見せなきゃなんねぇとは思う。互いに、分からねぇこと多すぎるってのは、あんまり良くないよな」

 

「……ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」

 

 どこか遠慮がちだった言葉のやりとりが、ふとした拍子に素の温度へと変わっていく。顔を見合わせることはなくとも、並んで歩く歩幅が、少しずつ揃ってきていた。

 

 二人は同盟を結ぶに際して、互いの力量や知識、戦い方をすり合わせるため、実戦形式で魔女に挑むこととなった。

 

 今まさに、その最中だった。

 

 魔女と戦うには、まず居場所を突き止める”捜索”、そして実際に戦う”戦闘”——この二つが欠かせない。

 

 現在の虎杖悠仁と巴マミは、”捜索”の過程で、虎杖が魔女の気配を追えるかどうかを見極めていた。

 

「……こっちだと思う。”呪い”の残穢が濃くなってきた」

 

 虎杖が立ち止まり、路地の奥を睨むように見やった。空気に微かな重さと、胸の奥をざらつかせるような“気配”が混じりはじめる。

 

 対して、巴マミはソウルジェムの輝きを手がかりに、魔女の痕跡を見つけ出す。

 

「やっぱり、魔女の結界に近い……。私のソウルジェムも反応しているわ」

 

 風に揺れる金髪の下で、マミの瞳が鋭く細められる。同じ方向に視線を向ける虎杖も、目元に静かな緊張を宿していた。

 

「……見つけた。かなり強い呪いの気配」

 

 虎杖の言葉に、マミは軽く頷いた。

 

「どうやら……虎杖さんは魔女の追跡が得意みたいね。魔法少女より……気配を察知する能力自体は高いのかもしれないわ」

 

 虎杖はいまいちピンとこないようだった。頬を掻いて微笑する仕草からは、困惑が滲む。

 

「それに貴方の言っていた“呪霊”という存在と、私たち魔法少女の敵である“魔女”……。目的や起源は違っていても、人に襲いかかり、惑わすなんて、何かしらの”因果”を感じてしまうわね」

 

 虎杖は一瞬だけ思案するように視線を落とし——それから、ごく自然に微笑を浮かべて頷いた。

 

「……確かに。むしろ、似すぎて怖ぇぐらい」

 

 言葉は少ないが、その仕草には、静かな同意と、マミの観察眼への敬意がにじんでいた。

 

「結界の性質も似てる。俺のいた世界にも呪霊が発生させる“生得領域”ってヤツがあって」

 

 わずかに歩を緩め、虎杖は遠くを思い出すように語り出す。

 

「強い呪霊は、自分の内側をそのまんま具現化した“領域”を作る。そんで、いわゆる、テリトリーってやつに人を閉じ込めたあと……殺す」

 

 言葉を選ぶことなく、虎杖は淡々と続けていく。

 

「一般人が巻き込まれたら……まず、助からねぇ。中で殺されたら、遺体も残らない。……そういう場所だった」

 

 虎杖は立ち止まり、しばし視線を落とす。

 握りしめた掌が、わずかに軋む。

 

 そこにあるのは怒りでも焦りでもなく、ただ、どうにもならなかった現実をかみしめるような、痛ましい沈黙だった。

 

「だから、魔女の結界も同じで……多分、そうだろうって、直感的に分かる」

 

 その声音は軽くはなかった。遠い過去の現実を、そのまま引きずるような重みがあった。

 

 マミは黙って、その横顔を見つめた。

 

 その青年が語る世界が虚構でないなら、彼のいた場所もまた、人知れず死と隣り合わせの日々だったのだろう。

 

「……ええ、その推測は概ね正しいわ。悲しいけれど、私たちの”現実”もそう。死ねば遺体は永久に異空間の彼方。或いは……魔女の糧になるだけ」

 

 マミの呟きに、虎杖は静かに頷いた。そこに驚きはなく、ただ、不思議な一致に対する納得があった。

 

 二人の言葉が交差し、足並みが自然と揃う。

 

 やがて、路地の突き当たりで二人は立ち止まり、目の前の異様な気配に、改めて気を引き締めた。

 

 空気が変わる。世界が、ほんの一瞬だけ歪んだような感覚。

 

 「ここが境界線よ」

 

 マミのソウルジェムが黄金に輝くと、顕になる”魔女の結界”。虚空に浮かび上がる不気味な紋様は、威嚇するように波紋を広げる。

 

「……じゃあ、打ち合わせ通り、私は拘束と射撃。それでいいかしら?」

 

「ああ。前衛は任せてくれ。俺に”魔力”ってのはないけど、”呪力”がある。だから、丈夫さには自信あんだよ」

 

 虎杖はごく自然にそう言った。迷いも恐れもない。そこにあるのは、“戦う”という選択を疑わない、まっすぐな意志。

 

 初めての共同戦線。互いの覚悟は、すでに示された。

 

 ならば——実際の戦いで、どれほど息を合わせられるか。それを確かめる時だった。

 

 そして、巴マミにとって——虎杖悠仁という存在を“信じていいか”確認する”ささやかな機会でもある。

 

「……行きましょう、虎杖さん」

 

 巴マミが魔法少女に変身し、準備は整った。

 

 捜索を終えた二人は”戦闘”が待つであろう、結界の中へと足を踏み入れた。

 

 

———

 

 

 空間は、不自然でめちゃくちゃだった。

 

 天窓から広がる空も地面も、壁も影も、すべてが子どものクレヨンで描かれたような線と色彩に塗り潰されている。地面にはカラフルな積み木や壊れかけた遊具が散乱し、歩くたびにコツリ、カタンと不規則な音を立てた。

 

「悪夢に出てくるような”幼稚園”ね」

 

 マミが静かに呟く。その口調は冗談めいていたが、銃口は決して緩んでいなかった。

 

「こんなとこに子供なんか預けたくねぇよ、悪趣味すぎて」

 

 顔を歪める虎杖。マミもまた同調するかのように苦笑いを浮かべていた。

 

 結界の奥。暗がりの先。

 

 遂に、虎杖の目が、正面——まるで“黒板”のような広い壁面を捉える。

 

 そこにはいた。色鉛筆のような質感で塗られた、絵に描いたような”幼児のような何か”が。

 

 両手にクレヨンを持ち、にたにたと笑いながら壁に何かを書きつけている。足元には捨てられたように、鳥頭の玩具車が転がっていた。

 

「この様子……まるで、”落書きの魔女”」

 

 マスケット銃の銃口を向けるマミ。

 

 そのとき、魔女が振り向いた。その目は、無邪気さと無知の象徴。だが、こちらを見つめた次の瞬間、クレヨンがひときわ太く地面をなぞった。

 

 地面が盛り上がる。描かれた線が浮かび上がり、具現化された“落書き”が形を得ていく。

 

 出現したのは、舌を突き出して笑う少女を乗せたおもちゃの飛行機。

 

「来るわよ、虎杖さん! あれが魔女の”使い魔”たち! 魔女の手足となって、人々を傷つける存在よ!」

 

 マミは無数に飛んでくる使い魔を見るや否や、すかさず手持ちのマスケット銃を撃ち、投げ捨てる。

 

 それから、迷いなく続く、喝采の動作。

 

 マスケット銃がずらりと宙に浮かび、使い魔たちの動きを牽制するように配置される。

 

 だが、少女を乗せた飛行機の使い魔たちは銃口を向けられても、決して怯まなければ、恐れる様子すらない。

 

 彼らには理性も知性もなければ、守るべき命すらない”呪い”そのもの。魔女が課したルールに従うだけの演者。役目を果たすだけの尖兵。

 

 使い魔たちは哄笑を浮かべながら、低空で滑空し、積み木の山を蹴散らしていく。障害物などお構いなしに、突進して二人に迫る。

 

 しかし——。鳴る、号砲。

 

 黄金の弾丸たちが、彼らの前進を容赦なく阻む。

 展開されたマスケット銃の斉射により、そのほとんどが墜落していく。

 

 虎杖はその光景に、目を見張る。

 

(マジか……?! 打ち合わせで聞いたとはいえ、やべぇな魔法って……! 魔法少女強すぎねぇか?!)

 

 弾丸の雨を潜り抜けてくる使い魔の数は僅か。虎杖の役目は数少ない撃ち漏らしを砕くのみだ。

 

 虎杖の拳が弾幕をすり抜けてきた使い魔に直撃する。クレヨンじみた見た目とは裏腹に、硬い材質の胴体がひしゃげ、爆ぜるように絵の具じみた飛沫が舞う。また一つ二つと打ち砕き、使い魔たちをマミに近づけないよう立ち回る。

 

「倒せる……けど、また描いてくるな、多分」

 

「そうね。付き合っていたらキリがないわ」

 

 呟いたそばから、魔女が別の壁面に落書きを走らせる。使い魔たちがぐにゃりと湧き出し、二人を包囲する形で出現してくる。

 

「早々に終わらせましょう。準備はいいかしら」

 

「ったりまえだ。マミさんの戦い方、よく分かったし!」

 

「援護するわ、虎杖さん。突破口を作って!」

 

 マミの銃弾が舞い踊る。同時に繰り出された、宙を駆けるリボンが魔女の注意を逸らし、虎杖の動線を切り開くように積み木の山を薙ぎ払う。

 

「……今だ!」

 

 射線の妨害にならないよう、虎杖が使い魔へ飛び込む。崩れる積み木、払うと飛び散る使い魔の飛沫——。

 

 魔女との距離は、あとわずか。

 

 いくつ目かの使い魔が、銃撃で積み木の山ごと爆ぜた。

 

 飛び散る色とりどりのクレヨン片。それはまるで、戦いごっこに飽きた子どもが投げ捨てた玩具のようだった。

 

「……とどめは任せるわ!」

 

 マミの声が——さらに前進せよと、虎杖へ呼びかける。喧騒に塗れても、響き渡る余韻には確かな意志が込められている。

 

 虎杖は呼応するように助走した。

 

 それに続くのはマミの魔法。

 

 彼女が指揮者の如く、優雅に両腕を上げた瞬間だった。

 

 蹴散らされた使い魔たちの亡骸から伸びるリボン。砕けた弾丸がまばゆい光の帯へと変わり、空中で編み上げられるように絡まりながら魔女を覆っていく。

 

 落書きの魔女の創作が、クレヨンが、宙で止まる。金色の帯がその巨躯をぐるぐると絡め取り、手足を縛り上げていた。

 

「虎杖さん!」

 

 マミの叫びに応じて、虎杖は疾走から地を蹴った。積み木を踏み越え、空間の歪みさえも突き破る勢いで跳躍する。

 

 魔女の瞳が見開かれた。無邪気なだけだった顔に、初めて”恐れ”の色が滲む。

 

 だがもう、遅い。

 

「——これで終わりだ」

 

 振り下ろされた虎杖の拳が、真っ直ぐに魔女の腹部を撃ち抜いた。

 

 巨躯に風穴が開く。絵の具のような液体が四散し、リボンで拘束された体がもろくも崩れ落ちる。

 

 色彩の狂った世界が、音もなく瓦解していった。

 

———

 

 夕暮れの風が頬を撫でていく。

 戦いを終えたばかりの二人は、静かな帰り道を並んで歩いていた。

 傾きかけた陽が、長く二人の影を伸ばしている。

 

「虎杖さん……少し、相談があるの」

 

 ふとした沈黙の合間に、マミが口を開いた。

 

「……何かあった?」

 

 問い返す虎杖に、マミは迷いがちに視線を伏せたまま続ける。

 

「新しく、魔法少女の後輩ができるかもしれないの。あのとき助けた子たち……鹿目まどかさんと、美樹さやかさん。ふたりとも、私に“教えてほしい”って……」

 

 その声音には、どこか引っかかるような重さがあった。喜びとも不安ともつかない、複雑な揺らぎ。

 

 「それで、短期間だけでも……魔女と戦う現場を見せるつもりなの。“体験”みたいな形で」

 

 マミはゆっくりと顔を上げる。

 その瞳は真剣だった。

 

「……できれば、虎杖さんにも同行してほしい。万が一何かあったときの護衛として」

 

「護衛……?」

 

 思わず虎杖は足を止める。

 

「それ、危険すぎるだろ。まどかとさやかって、まだ何者でもない非術師……じゃなくて、普通の子なんだろ? マミさんも守らなきゃいけなくなる。手間が倍どころじゃない」

 

 マミは何も言わず、ただ小さく頷いた。

 

「魔法少女は、“願い”でなるものよ。資格さえあれば誰にでも、どんな時にでも、契約はできてしまう」

 

 その言葉には、凍りつくような現実が含まれていた。

 

「だから、知らずに飛び込んでしまえば、それは……取り返しのつかない“悲劇”になるかもしれない」

 

 マミの視線が宙を彷徨う。その胸中に浮かぶ光景は、彼女自身が過去に見てきたものなのだろう。

 

「でも……もし、魔女との戦いを自分の目で見て、怯えて、踏みとどまれるなら——きっと、契約は避けられる。そう思いたいの」

 

 虎杖は彼女の横顔を見つめた。

 淡く照らす夕日が、金の髪をゆっくりと揺らしている。

 

 そこにあるのは、優しさだけではない。

 覚悟と、痛みと、それでも手を差し伸べようとする意志の色だった。

 

 そして、虎杖の胸にもまた、過去の影が去来する。

 

———もし、あのとき。

 

 誰かに”やめろ”と言われていたら、指を呑む前に踏みとどまれたのだろうか。けれど、自分は選んだ。そして、多くの人を巻き込み、傷つけもした。

 

 ならばこそ、今ここで、誰かの選択に寄り添うこともまた、自分の選ぶべき道なのかもしれない。

 

「……わかった」

 

 虎杖はまっすぐ前を見据えたまま、静かに言った。

 

「俺もまだ分からねぇことばっかだ。魔女も、魔法少女のことも。もちろん、マミさんのことだって、そうだ」

 

 一度言葉を切り、息を整えるように視線を落とす。

 

「でも……マミさんと一緒に戦えば、きっと何か見えてくると思う。だから、さ──」

 

 顔を上げ、真っ直ぐマミを見た。

 

「俺にも手伝わせてくれ。彼女たちの選択が、ちゃんと“選択”になるように」

 

 虎杖は魔法少女のことは勿論、まどかやさやかのことを何も知らない。彼女たちの願いも、想いも。

 

 そして——-この世界の成り立ちすらも。

 

 知らないままで、”誰かの選択”に口を挟むことは、きっと傲慢だ。

 正しさを語るなら、その前に、まず知らなければならない。それは、虎杖自身が、痛いほど思い知らされてきた。

 

 虎杖悠仁は、“知るために”歩き出す。人を助けたいという、”自分の信念”を確かめるために。

 

 一瞬、風が吹いた。

 

 マミの髪が揺れ、そして、彼女は驚いたように目を瞬かせた。それは、どこか拍子抜けしたような反応だった。だがすぐに、口元が柔らかく綻ぶ。

 

「……ありがとう、虎杖さん」

 

 そう言ったマミの声には、微かに照れたような、息を抜いたような響きがあった。ほんのわずかに視線を逸らし、頬に手を添えるその仕草から——虎杖は、なんとなく察していた。

 

 彼女は、きっと反対されると考えていたのだ。

 けれども、それでも踏み出したマミの”覚悟”に、虎杖は応えたかった。

 

 取り除かれた不安。その余韻が、ささやかな笑みに滲んでいた。

 

 虎杖悠仁は巴マミと共に”魔法少女の在り方”に、もう一歩踏み込もうとしていた。

 

——-

 

 放課後の見滝原中学校。夕焼けが校舎を赤く染める中、巴マミは正門の前で制服姿の二人を待っていた。

 

「おまたせしました、マミさん!」

 

 元気よく声をかけてきたのは美樹さやか。その後ろで、鹿目まどかが遠慮がちに微笑んでいた。

 

「こんばんは、二人とも。……無理に付き合わせてしまってごめんなさいね」

 

 マミの柔らかな声に、まどかが首を振る。

 

「そんなことないです。前に助けてもらってから、ちゃんと自分の目で見てみたいって思ってたんです」

 

「私も、ほっとけないっていうか……。あんなのが、また街に現れるって聞いたらさ」

 

 さやかの言葉に、マミは少しだけ目を細めて微笑んだ。

 

 二人が望むのは魔法少女について知ること。

 

 放課後、三人で集まったのも如何に魔法少女が大変なのか、現地見学で実感してもらうためだった。

 

(あの子たちはまだ戦えない。けれど、心の中にある“正義感”は確かに強い)

 

 だからこそ、無理にはさせたくない。けれど——

 

「魔女との戦いは過酷よ。ただ、それでも叶えたい願いがあるなら、私は否定しない」

 

 まどかとさやかの目は真剣だ。二人とも一言一句聞き逃さないよう、身構えている。マミは続ける。

 

「……いつか、あなたたち自身が選ばなければならない時が来る。その時は、焦らず、自分の心で決めてほしいわ」

 

 二人は少し緊張したように頷いた。

 

 そのままマミたちは見滝原駅前へと向かう。日も傾き、通勤客や学生たちの帰宅ラッシュが始まっていた。

 

 その雑踏の中、ベンチの脇に立つ青年の姿が見えた。

 

「おーい、こっちこっち!」

 

 作業着の名残が袖に残るシャツと、くたびれたパンツ姿の虎杖悠仁が、いつも通りの明るさで手を振っていた。早速、バイド業に精を出しているようだった。

 

「仕事終わったとこかしら? 疲れているんだったら無理しなくても……」

 

「モーマンタイ! こんなんで疲れてたら、呪術師なんてやってらんないって」

 

 軽口を叩きながら、虎杖はまどかとさやかに目を向けて微笑む。

 

「二人とも、今日もよろしくな」

 

「あ、あの……虎杖さんでしたっけ? 今日はちょっと雰囲気違いますね」

 

 まどかが少し照れくさそうに言う。さやかは、じっと虎杖の靴元を見て首を傾げた。

 

「……あれ、靴……片方だけ新品じゃない?」

 

「うっ……やっぱバレたか。かなり恥ずいから見なかったことにして……」

 

 虎杖が照れながら頭をかくと、マミが小さく笑う。

 しかし、その笑顔の奥には、ほんのわずかな陰りがあった。

 

 ——心なしか、虎杖の様子がいつもより、よそよそしく思えたから。

 

 昨日、魔女を倒したあと、一緒に服を買いに行ったときも、どこか上の空だった。

 

(魔女と戦ってくれるのはありがたい。でも——)

 

 虎杖が日々どこで寝て、どんな食事をしているのか。そういった生活の一つ一つに、マミは言葉にできない不安を抱いていた。

 

 こんな生活を続けていたら、いくら頑丈そうな彼でも早々に限界を迎えてしまうのではないか。

 

 なりふり構わず虎杖を自宅に泊めればいいのかもしれない。けれど、生活資金も無限ではない。

 

 ——学費、食費、来年迎える入学金。

 

 両親を事故で失ったマミの現実は、綺麗ごとだけでは立ち行かない。

 

(……正義の味方、か。そう呼ばれるには、あまりにも弱いな、私)

 

 男の人を養える力はマミにはなく、また側に置ける勇気も世間体もない。そう打算的に考えてしまう自分が嫌になりそうだった。

 

「……行きましょうか。魔女の気配を探すには、まず人の流れが集まる場所から、ね」

 

 四人は歩き出す。その背後を、白く小さな影——きゅうべえが音もなくついていった。

 

 揺れるしっぽもなければ、瞬きもない。感情を読み取れない瞳だけが、静かに虎杖の背を見つめていた。

 

 その静けさは、まるで風の止んだ夜のように——妙に胸に残る、不気味な余韻を残して。

 

———

 

 陽が落ち、見滝原の街が夜の気配をまとい始めたころ。繁華街の裏手、小さな公園の外れにある寂れた歩道橋の下——。

 

 異変は、静かにそこに潜んでいた。

 

「……感じるわ。結界の気配」

 

 そう口にしたのは巴マミだった。歩みを止め、足元の舗装を見下ろす。どこか歪んだ気配が、空間そのものを波打たせている。

 

 マミたちが視線を向けると、そこには、何でもない空間に黒い縁取りの“裂け目”のようなものが浮かんでいた。中心には紋様と呼ぶべき印が見て取れる。

 

「当たりね。皆、見つけたわよ」

 

 マミが指差したソレは魔女が人々を喰らい、呪いを濃縮させる異空間への門。

 

 人智から外れた、純粋な“呪い”の世界——その入口。

 

 まどかとさやかは緊張した面持ちで、その場に立ち尽くす。

 虎杖の佇まいも臨戦へと移行し、その視線は油断なく結界に向けられている。

 

「鹿目さん、美樹さん。これから入るのは……魔女の作った、常識の通じない“異空間”。私が先行して様子を確認するけれど、くれぐれも油断しないで。中は、現実とはまったく違うルールで動いているから」

 

 マミはそう言って、ソウルジェムを掲げた。その瞬間、黄金の光が彼女の体を包み、制服は豪奢な魔法少女の衣装へと変わる。

 

「よっしゃ。いくかっ!」

 

 虎杖はマミの変身に呼応して、拳を手のひらに打ちつけた。

 

「……あ、あの、本当に見学して大丈夫なんでしょうか……?」

 

 まどかが不安そうに虎杖を見つめる。比較的勇敢なさやかも、今は口をつぐんでいる。

 

「大丈夫。オレはこういうの慣れてるし、マミさんもめちゃくちゃ強えから心配すんなって」

 

 虎杖の言葉は明るく、笑顔も柔らかい。けれどその瞳の奥に、ほんのわずかな翳りが見えたのを——マミだけは見逃さなかった。

 

 虎杖の立ち振る舞いからして、それが魔女に対する恐怖ではないことは明らかだった。

 

——言うなれば、迷い。揺らぎ、だろうか。

 

 それに、相方として連れ立って来たきゅうべえもここ数日言葉数が減って、後方で虎杖を見据えていることが多くなった。

 

 普段と変わらぬ、つぶらな赤い瞳。けれどその目に浮かぶ意図が読めず、マミはふと胸の奥がざわつくのを覚えた。

 

(きゅうべえ……あなたも、彼のことをどう見ているの?)

 

 どこか探るような視線だった。長く共に過ごしてきたはずなのに、彼の考えることは時折、マミにとっても読めない。

 

 それでも——彼は、これまで何度も自分を助けてくれた存在だ。不安を抱きすぎるのは、きっと今の状況に気を張っているせいだろう。

 

 言いようのない不安が胸に募るも、マミはそんな様子をおくびにも出さない。

 

 これから後輩になるかもしれない二人に、弱い姿を見せてしまうわけにはいかなかった。

 

「行きましょう。私が先導するわ。虎杖さん、二人を後ろから守ってくれる?」

 

「任された。後ろには雑魚一匹通さねえよ」

 

 かちりとスイッチが入ったように、虎杖の顔から迷いが薄れていく。

 

 ——マミは知っていた、この表情を。

 

(……虎杖さん。やっぱり、無理をしているの?)

 

 ただ、勝つために。生きるために。守るために。

 迷いを心の底に押し込んで、誤魔化す顔。

 

(いけない。他人にかまけて気が散っているのね、私。でもやらなきゃ。いつものように)

 

 マミが一歩、裂け目の中へと踏み込む。

 

 次の瞬間——世界がねじれ、色彩が裏返った。

 

 足元の舗装は不規則なモザイクに変わり、底なしの大空が不気味なほどに広がっていた。宙には無数の机や椅子が、まるで重力を無視して浮遊している。

 

 ここはもう、“日常”ではない。

 

 巴マミと虎杖悠二、そして二人の少女の前に広がるのは——

 

 魔女の結界、“委員長の魔女”の支配する異界の罠。

 

「やられた……!」

 

 マミが声を上げた。

 

 突如足元が消え、一行は底なしの大空へと自由落下を始める。

 

 今——戦いの火蓋が切られた。

 

 マミは周囲を見渡す。

 結界の中とは、常識も人智も通じない、魔女の作り出した異空間。

 虎杖風に言えば、確か、生得領域だったか。

 

 無造作に並ぶロープには女生徒のセーラー服が吊るされ、さらには宙を漂う机と椅子の群れが、不気味なまでに無音で浮かぶ。これでは足場はあってないようなものだった。

 

「っ……お、落ちちゃうっ……!」

 

「まどかっ!」

 

 さやかは悲鳴をあげるまどかを咄嗟に抱きしめて、名前を呼ぶ。その声は空間に吸い込まれるように拡散していくだけで、落下は止まらない。二人の体はふわりと宙に放り出されたまま、支えを失っていた。

 

「落ち着いて、私のリボンを掴んで!」

 

 マミの声が響き、彼女の放った魔法のリボンが空中で複雑に絡まり、足場のような形を作り出す。すかさずまどかとさやかを包み込むようにリボンが支え、二人の体を宙に留める。

 

 続いて二人へ渡されたのは、使い魔程度なら寄せ付けない、マミの魔力が込められた特製リボンバットだ。

 

「助かった……!」

 

「ありがとう、マミさん!」

 

 一方、虎杖はといえば——足場もない空間の中、落下の勢いを制御しきれず、反転した机に背中をぶつけてからくるりと一回転、さらに椅子を蹴って逆方向へ飛び上がった。

 

「空中戦とか聞いてねえんだけど……!」

 

 けれど、その叫びとは裏腹に、虎杖の動きは驚くほど冴えていた。

 

 機動力を失うかと思われたこの環境において、彼は周囲のオブジェクトを次々と蹴り台にして、空間の中を縦横無尽に駆け抜ける。

 

 宙吊りになっているロープを軸に飛び、時には落下すら利用するように、体勢を崩しながらも自在に回転し、跳躍する。

 

——おおよそ人間が出来る動きではない。

 

(虎杖さんは……この魔女結界とは相性最悪なはず。けれども、恐れないこの動き……!)

 

 マミの驚きが、思わず思考を奪った。

 

 彼女ですらリボンで足場を作るという制約を強いられている。それなのに、虎杖は感覚だけで“空間のリズム”に適応し、結界の癖に順応していた。

 

 そんな彼を、結界の奥からじっと見下ろすものがいる。

 

 黒いセーラー服と四つの腕。そして、首なしという不気味な様相。

 放たれる気配と威圧感は、彼女が結界の主人であることの証左であった。

 

 四つ腕を巧みに動かし、張り巡らされたロープを辿る姿は蜘蛛を連想させる。

 魔女が罠にかかった獲物を捉えんと、肉薄する。

 

「来るわよ……!」

 

 マミが銃を構え、魔女へ向けて引き金を引く。銃弾が空を裂き、魔女の影を貫こうとするが——

 

 ガチン、と甲高い音を立て、椅子や机がその軌道に割り込んでくる。銃撃を弾いたのは、魔女の股下から吐き出された障害物だ。中には下半身だけの使い魔たちも混じって、マミの弾丸を防ぐバリケードと化していた。

 

「……虎杖さんっ!」

 

「おうっ!」

 

 だが、虎杖がその隙を見逃すはずがない。バリケードになった使い魔を足蹴に、魔女へと跳び、机を足がかりにして拳を振り抜く。

 

「オラアッ!!」

 

 しかし、その拳が届く寸前。魔女は逃げるように上昇する。同時にスカートの真下から新たな“使い魔”たちが現れる。

 

 様々なセーラー服姿の、人形のような異形たちが宙を滑るようにして虎杖を近づけまいと応戦する。

 

「くっ……!」

 

 虎杖は拳で一体を打ち砕き、すぐに体勢を立て直す。だが、地面がないこの空間では、反動も着地もままならない。

 

「虎杖さん、援護するわ!」

 

 マミが宙に展開した銃を回転させ、リボンで補助しながら次々と撃ち放つ。銃弾は滑らかな軌道で敵を貫き、虎杖の周囲を一掃する。

 

「助かるっ!」

 

 二人の連携は、見事だった。

 

 虎杖がリボンの足場を利用し囮となり、マミが後方から正確に援護する。

 

 まるで、もともとそういうチームだったかのような動き。

 

 その様子を見ていたまどかとさやかは、思わず言葉を失っていた。

 

「これが……魔法少女なんだ……!」

 

 マミを見つめるまどかの眼には、きらきらとした憧憬が宿っていた。

 

 いつの間にか、まどかとさやかの間に座っていたマスコット。きゅうべぇは雄弁に語る。

 

「そうだよ、鹿目まどか。あれが魔法少女。絶望を覆す希望の象徴さ。契約すればキミはマミ以上の魔法少女になるだろうね」

 

「私が……本当にあのマミさんと?」

 

「ボクが保証する。キミの因果律は常識で測れないほど逸脱している」

 

「じゃあ、じゃあ、きゅうべえ、あたしは?」

 

「残念ながら、さやか。まどかと比較してしまえば……どんな素質も霞んでしまうよ。優秀なマミですらまどかの才能には及ばない」

 

「まどかって、そんなに凄いんだ……」

 

 まどかを見るさやかの目が丸くなっていた。

 無理もない。言われたまどか自身もきゅうべぇの発言に驚いている。

 なぜ、取り柄もないただの町娘にすぎない自分に、規格外の才能が宿るのか。

 まどかは疑問だった。

 

 でも。——もしも、きゅうべぇの言うことが事実であれば。

 

 まどかは二人の奮戦を見ながら、きゅうべぇの言葉を反芻する。

 あれほど脳裏に焼きついていた——異形たちへの恐怖を薄れさせながら。

 

 まどかとさやかが戦いを見守る中—-。

 

 空間の奥で、委員長の魔女は攻勢を強める。スカートの裾が大きく広がり、その中央から大量の“使い魔”をしつこく吐き出し始めた。

 

「数が多すぎるわね」

 

「でもさ、ワンパターンだろ。あいつの逃げ方も、守り方も、だいたい分かった」

 

「……何か方法があるの?」

 

 マミは問うと、虎杖は間髪入れず首を振る。

 

「必ず隙はつくる。だからトドメは任せた!」

 

 虎杖はそう叫びながら、迷いのない動きで使い魔の群れへと飛び込んだ。

 

(今は——迷いは捨てろ。皆を守るって決めたんだから)

 

 虎杖の脳裏に過る、あのソウルジェムの在り方。魂と思しき、外付けの核。

 何かが、おかしい。

 

 だが、今は余計な雑念を消すべきだ。

 

 統一、集中、疾く、強く。

 

 彼の決意と呪力が、血潮を巡り、指先へと集積されていく。

 

 使い魔たちが迫り、虎杖の視界が埋め尽くされるその刹那。

 

「……今だ!」

 

 右手を前へ突き出し、左手を添えるように合わせる。かの技の名は—-。

 

「穿血——!」

 

 圧縮された血が掌の間に現れ、次の瞬間には、音速をも超える一条の赤い閃光となって放たれる。

 

 それは鋭い槍となって空間を走り抜け、目の前に群がる無数の使い魔たちをものともせず貫く。

 

 さらには、最奥で待つ委員長の魔女の胴体まで届き穿ち抜く。

 

 魔女の身体が大きく仰け反り、空中で一瞬、動きを止める。主を守護していた使い魔たちの統率が乱れ、糸が切れるように瓦解していく。

 

「今よ——ティロ・フィナーレ!」

 

 マミの声が空間に響いた。

 

 展開された巨大な銃が空中に姿を現し、魔力の光を放ちながら装填される。

 

 放たれた光弾が、穿血によって穿たれた魔女の核心を、迷いなく貫いた。

 

 眩い閃光と爆風。魔女の身体が音もなく霧散し、結界は静かに崩壊を始める。

 

 景色が明滅し、崩壊の兆しが空間全体に広がっていく。間も無く、マミたちは現世へと帰還できるだろう。

 

「……決まったわね」

 

 マミが銃を肩に下ろし、淡く微笑んだ。

 虎杖は、その横で息を吐きながら頷く。

 

「おう! ナイスタイミング!」

 

「こちらこそ。見事だったわ、虎杖さん」

 

 虎杖が手を挙げると、マミもそれに応えてハイタッチした。

 

 まどかとさやかが、リボンの足場から顔を出す。

 二人の表情には、恐怖と、それ以上の尊敬の色があった。

 

「すごかったね、さやかちゃん!」

 

「本当だよ! 一時はどうなるかと思ったけど…さ。ていうか、ビームだよ、ビーム! 並行世界の人類強すぎでしょー! 服とか格好はちょっと微妙だったけど!」

 

 歪んだ教室の断片が消え、色が反転して、やがて四人の足元に現実の夜が戻ってきた。

 

 虎杖は肩で息をしながら、空を見上げた。ほんの少しだけ、疲れた笑みを浮かべる。

 

 そんな彼を見ながら、マミはふと表情を和らげた。

 

「……ねえ、虎杖さん。ああいう“飛び道具”があるなら、もうちょっと早く教えてくれても良かったんじゃないかしら?」

 

「え、マジ? ああ、うん……ごめん!」

 

 きょとんと目を瞬かせてばつの悪そうに頭をかく虎杖。

 

「穿血、って言ってたわよね? てっきり近接しかできないと思ってたから……私、リボンたくさん使っちゃったのよ?」

 

「うわ、それはホントごめん……でも結果オーライってことで!」

 

 マミは謝り倒す虎杖を一瞥して、からかうように笑う。

 

「ふふ。冗談よ。助けられたのは本当。でも——次はちゃんと作戦立てましょう? 他にもどんな技が使えるか知らないままじゃ、さすがに心臓に悪いわ」

 

「うん、だよな……それはオレも思った。じゃあさ、今度反省会しよう! 甘いもんでも奢るし!」

 

 勢いよく宣言する虎杖に——

 

「えぇっ!? 虎杖さんって……お金持ってたの!?」

 

「うそっ!? この前、レジ袋枕にして寝てたってマミさん言ってたのに!?」

 

 さやかとまどかのダブルツッコミが飛ぶ。

 

「……あ゛っ。そういや、オレ、宿無しだった……タンマ、今のなし!」

 

 両手で顔を覆って崩れ落ちる虎杖。マミはたまらず笑みをこぼした。

 

「ふふ……でも、その気持ちだけで十分よ。ありがとう、虎杖さん」

 

「くぅ……いつかマジで奢るからさ……! それまで、ツケといてくれ!」

 

「ええ。ケーキ、楽しみにしてるわね?」

 

 戦いを越えて得たものは、勝利だけではなかった。

 久しく忘れかけていた、分かち合う達成感がマミの胸をすく。

 

 それに——-思い耽ることが多かった虎杖も、今だけは翳りがない。

 少しだけ心の距離が縮まった気がして——マミの胸の奥にあった不安も、今はほんの少し、和らいでいた。

 

 ただ——その分かち合う喜びが、ほんのわずか、胸中にしこりを残す。

 

 マミは、かつて共に戦った仲間へ、思いを馳せていた。

 




ほむら「結界の外でずっとスタンバッてました」
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