ファミリーレストランの窓際席。トレイに運ばれたパフェやドリンクが、戦いの余韻を和らげるようにテーブルを彩っていた。
と、まあこれは反省会とは名ばかりの打ち上げである。
「やっぱ疲れた身体には糖分だよねー」
スプーンをくわえながら、美樹さやかが満足げに頷く。目の前のパフェはもう半分も残っていない。
向かいの席でクリームソーダを飲んでいた鹿目まどかが、クスリと笑いながら言った。
「でも、さやかちゃん、ほとんど戦ってたのはマミさんと虎杖さんだったような……? そんなパクパク食べてたら、太っちゃうんじゃないかな?」
まどかの冗談混じりの指摘に、さやかはスプーンを握ったまま固まる。
「なっ……?! まどかはあたしが食べすぎだって言いたいのかー」
「おおよそ、中学生の女子が食べるような量じゃないかも、しれんね」
虎杖の微笑混じりの突っ込みに、さやかは顔を赤らめて頬張ることを辞めると、まどかと一緒にパフェを分け合って食べ始めた。
そんなやりとりを、マミは微笑ましげに見守っていた。
(……こんな時間が続いてくれればいいけど)
魔女の結界での激闘の直後とは思えない穏やかな空気。それは、マミがずっと願っていた平穏でもあった。
虎杖の存在は、あの過酷な戦場においてさえ、支えとなる優しさを持っている。無理をしているのではないかという不安は消えないままだけれど、それでも彼の笑顔は、皆に安堵をもたらしていた。
ふと、まどかがマミに向き直る。
「マミさん……あの、また魔女が現れたら、私たちも……」
「……ううん、まだ焦らなくていいの。魔法少女になるかどうかは、自分の意思で決めること。私は、あなたたちが後悔しない選択をしてほしいだけ」
その言葉に、まどかは小さく頷いた。さやかも真面目な顔でグラスを傾ける。
やがて会計を済ませ、夜の空気の中へと四人は歩き出した。
———
見滝原へと続く歩道。照明のオレンジが足元に柔らかな影を落とし、通り過ぎる車のライトが遠くに流れていく。
マミは小さく吐息をつき、まどかたちをちらと振り返る。
(この子たちにとって、今日の戦いはどう映ったかしら……)
自分は立派な先輩として振る舞えているだろうか、そんなことを考えている最中だった。
「——-鹿目まどか。少しいいかしら」
冷たい声が、夕暮れの静寂を裂く。
通りの脇、影のように立っていた少女の姿に、一同が凍りつく。
白い肌、黒髪のロングストレート。冷たい眼差しでこちらを見つめるその少女こそ——。
「……ほむら、ちゃん」
まどかはその名を口にした。
暁美ほむらは、つい最近転校してきた謎の魔法少女だ。
彼女は虎杖がこの世界に転移してくる直前にきゅうべぇを襲撃し、それを庇った巴マミとは犬猿の仲となっていた。
そんなマミを尊敬するさやかもまた同様に、ほむらを快く思っていなかった。
しかし、まどかだけは違った。ほむらへの印象は不思議と少し気難しいぐらいの認識だった。彼女の言葉はいつだって真剣で真摯だったから。
「なんの用? 転校生」
さやかは眉を顰めて睨む。
だが、ほむらは一瞥をくれたと思いきや、答えることはない。そこには何者もいなかったかのような振る舞いで、再びまどかを見据える。
(こいつ、またまどかのことを………)
また、あの遠い目だ。
どこまでも”まどか”を中心に考えている冷たい執念。自分など眼中ないと、言わんばかりの傲慢な態度。何故だか知らないが、全てが生理的にさやかの癇に障る。
——-きっと、ほむらとあたしは相容れない。
それを証左するかのように、ほむらはまどかしか見ようとせず、言葉を続ける。
「鹿目まどか。忠告を守っているようね。感心だわ」
さっと額にかかる髪を払うと、まどかに歩み寄ろうとするほむら。その距離が目と鼻の先になろうとしたとき、さやかが割って入る。
しかし、ほむらは怯むまず、それどころか挑戦するかのような態度だった。
——-さやかは紫がかった淡く昏い漆黒の瞳に飲み込まれそうになる。
いつの間にか、気圧されて後ずさる。まるで、見下ろされているような—-。
さやかがそんな感覚に囚われていた最中でも、ほむらは止まらない。
「魔法少女への憧れなんて、所詮一過性の気の迷いよ。家族や友人を尊いと思うのなら、鹿目まどかは今のままでいい。そしてそれは……貴方も同じよ、美樹さやか。後先考えない迂闊な選択が……きっと取り返しのつかない後悔を生む」
まるで”未来を見てきたような重み”が言霊に乗る。それは否応なくまどかとさやかの胸をつんざき、先ほどまで抱いていた”淡い魔法少女への憧れ”が急速に凍りついていく。
そんな様子に耐えきれなくなったマミが一歩進み出ようとするが、ほむらの視線は次の瞬間、虎杖へと移る。
「それに、あなた——虎杖悠仁。呪術師と名乗っていたわね」
マミと虎杖は目を見開いた。咄嗟に警戒の色が走る。が、それよりも先に疑問が口を突く。
「……なんで、オレの名前を知ってる?」
その問いに、ほむらは感情を揺らすことなく、淡々と応えた。
「当然でしょう。……貴方は思いの外目立ち過ぎている。魔女を狩る『男』なんていたら否応なく噂になる。そして、その男は見滝原で黄色の魔法少女と”手を組んでいる”。それは各地に点在する魔法少女にとって興味の対象よ。用心することね」
ほむらは虎杖へ、馴染みのない通信機を見せた。
「は? ……この機械、まさか……。盗聴器か?」
虎杖が問いかけると、ほむらは内ポケットから小さな機械を取り出し、パチリと指先で弾く。
「そうよ、これは紛れもなく通信機。発信機はあなたの上着の裏地にある」
「……マジで……?」
虎杖は、目を見開いたまま、自分の服の内側を探る仕草を見せた。数秒ののち、心底驚いたように呻く。確かに、そこには見覚えのない機械装置があったのだ。
そこまでするのか、というほむらのなりふり構わなさに一同は騒然した。
巴マミは目を見開き、まどかとさやかの顔は青くなっている。
「ちょ……! それって犯罪じゃん! めちゃくちゃだよ転校生っ!」
「……全然、気づかなかった」
虎杖は注意力の甘さへの呆れと、相手への警戒が入り混じる。しかし、そんなことより。
——-いつ、どうやって取り付けた?
虎杖は未だ新たな世界に順応しきれておらず、日々気を張り詰めていたはずだった。自惚れでなければ、盗聴器をつける隙なんて、あるはずない。
呪術師としての職業柄か、ほむらへの分析が、感情より優先される。
(魔法少女には確か……固有魔法だっけか。願いに応じた術式みたいなのが備わってるってマミさんが言ってたな。もしも、東堂の術式じみた”魔法”だった場合、警戒したって無駄ってパターンもあるか……)
ほむらは虎杖の反応をひとしきり観察したのち、手をかかげる。
手に平にあったのはソウルジェム。魔法少女であるための確かな輝き。
突如、ほむらは変身して、淡く輝いた。
光の中で、黒と紫の衣装を身に纏ったほむらはすかさず盾を構える。
巴マミは飛び退きながら魔法少女に変身し、虎杖は咄嗟に身構える。対応は素早く二人に隙はなかったはずだった。
「な……?」
刹那。上着の内側に取り付けられていた発信機が、虎杖の胸元から、いつの間にか消えている。
発信機は瞬間移動したかのように、ほむらの手元に現れる。
それを手のひらで弄ぶように見せつけながら、ほむらは無言のまま虎杖を見つめていた。
空気が一瞬、凍る。
まどかとさやかは声も出せず、マミでさえ思わず息を呑んだ。
虎杖は言葉を失い、胸元の感触が消えていることを再確認するように、そっと手をあてた。
——それは、まるで“時間そのもの”が盗まれたかのような感覚だった。
いつ、どうやって。気配も兆しもなかった。ただ結果だけが、ここにある。
ほむらの瞳が、わずかに細められる。そこには威圧ではなく、分析者の冷静な興味があった。
そして彼女は、まるで計測器のように正確な口調で告げ始める。
「魔女の結界に、何の前触れもなく現れて、異なる理を語り、私たちには存在しない“呪い”や“呪術”を扱う。技は——-穿血、黒閃。赤燐躍動だったかしら?」
虎杖とマミの焦りにつけ込むかのように、ほむらの畳み掛けが続く。
「仲間の名は伏黒、野薔薇、東堂。他多数。だいたいのことは調べがついている。貴方が頻繁に魔女結界を探すのも、転移した時と同じような状況を”再現”できるからでしょう?」
虎杖は少し面食らったように目を瞬いた。
自身が“異世界の人間”であると見抜かれるだけなら、まだ想像はついた。けれど、この数日間の動き——どこにいたか、誰と話したか、どんな戦い方をしたか、そして何より、帰還方法を探していたという内面まで——ほむらの口ぶりは、すべてを知っているかのように正確だった。
「……マジかよ。そこまでバレてんのか」
無意識にこぼれた声は、どこか苦笑めいていた。
虎杖悠仁は異邦人であり、異質な存在である自覚はあった。けれど、ここまで自分の“足跡”を辿られていたことには驚かざるを得なかった。
まるで、透明な水の中に投げ込まれた小石の波紋を数えていたような、静かで執拗な追跡。虎杖は目の前の少女が、自分のことを一瞬たりとも見逃していなかったのだと察する。
——だからこそ、その視線の意味を真っすぐに受け止めた。
「すげぇな、あんた。……オレのこと、ずっと見てたんだ」
「ええ、置きっぱなしのスマートフォン。迂闊な独り言には今後注意することね」
ほむらは一切表情を変えない。そこには敵対してでも、虎杖を分析しようとする静かな覚悟があった。
「なんで……そこまでするんだ?」
虎杖はそんなほむらの執着の理由が知りたくなった。
ほむらは——貴方の言葉が嘘ではないと仮定して——そう前置きすると、虎杖に問う。
「救済という釣り針を垂らし、自分は満足して最後はこの世界から去る。そんな行いを貴方は、どう受け取る?」
「無責任。それに、生半可な覚悟で首を突っ込むなってことか……?」
「ええ、理解が早くて助かるわ虎杖悠仁。未来永劫戦い続けなければならない魔法少女とって中途半端な救いなんて毒でしかない。なら、最初から関わるべきではないのよ」
虎杖はしばらく沈黙していた。まどかたちの視線が自分に集中しているのを感じながら、それでもすぐに言葉は出てこなかった。
それでも——
「……俺は、見て見ぬふりなんて、しない」
静かに口を開いた虎杖の声には、どこか苦味が混じっていた。それは、彼自身が抱える矛盾と向き合った証だった。
「言ってることは正論だ、暁美さんだっけか。……帰る方法を探してるのも本当。オレはこっちの世界の人間じゃない……なのに首を突っ込んでる。誰かを救おうとして、それが中途半端な優しさになるなら——それって、やっぱり、どうしようもない俺の我儘だ」
吐き出すように言って、虎杖は自嘲気味に笑った。
「でもさ、誰かが、魔法少女やそうじゃない人たちが傷ついてるのを放っておけるほど、器用にできてない。……責任が持てるかは分からないけど、できるとこまでやる。少なくとも、それが“呪術師”ってやつの在り方なんだ。今さら、何を言われたって変える気はない」
しんと静まりかえった空気の中で、虎杖の言葉だけが、夜の街に溶けていった。
その横顔を見つめるマミは、息をのんでいた。
(虎杖さん……)
いつか、彼はこの世界を去るかもしれない。
でも——その言葉の端々から溢れていたのは、今、この瞬間に誰かを助けたいという、どうしようもなく真っすぐな気持ちだった。
暁美ほむらはそんな虎杖の姿をじっと見つめていた。冷たい瞳が、わずかに揺れる。
「……好きにすればいいわ」
ようやく口を開いたほむらは、静かにそう言った。
「でも覚えておいて。魔法少女を救えるのは、魔法少女だけよ。……そして、貴方の“覚悟”が及ばないところに踏み込んだ時——その代償は、いずれ誰かが払うことになる」
まるで、それを知っているかのような声色だった。
そのまま、ほむらはくるりと背を向ける。敵意は一切感じられない。変身を解き、制服姿に戻るほむら。
マミも一息ついて変身を解く。向かい合いの緊張が緩み、静かな空気が戻ってくる。
「鹿目まどかも、美樹さやかも。……今は、まだ選ばないで」
振り返ることなく、そう告げて彼女は夜の街へと消えていった。
その背中には、ただ冷たさだけではない——何かを諦めきれずにいる痛みのようなものが滲んでいた。
⸻
まどかとさやかを家に送った二人。虎杖とマミは帰路に着く。
二人で共に歩くのは、虎杖の気遣いだった。
虎杖はしばらく黙っていたが、マミに不思議と不快感はない。
普段なら、魔女退治を終えて、帰る一人道。おかしな男性に絡まれることも、ままある。
そんなことを知ってか、寄り添う優しさが今のマミにとっては身に染みるようだった。
そっと隣を歩くマミが、ぽつりと言った。
「虎杖さん……私、やっぱりあなたのこと、少しずつ知っていきたい」
「……え?」
「今はまだ、全部じゃなくていい。でも、いずれちゃんと……あなたがどういう人なのか、どこに帰るのか、その時に何を思うのか……」
歩きながら、マミは夜空を見上げる。
「……知っていたいの。ちゃんと、向き合えるように」
それは、かつて”仲間”と向き合うことから逃げてしまったマミの、ささやかな決意でもあった。
虎杖はその言葉を静かに受け止め、少し照れたように笑う。
「……オレも、ちゃんと話すよ。バイト代もこれから貯まるだろうし、今度こそ甘いもんでも奢りながら、さ」
「ふふ、それは楽しみにしてるわ」
二人の帰り道は言葉数は少なかれど、終始穏やかで、互いの関係に確かな”楔”を打ち込む。
夜に溶ける声のように、答えのないまま、それでも前に進んでいく二人の背中に——迷いはあれども、その歩幅は不思議と重なり合っていた。
なんじゃ、これ。俺の中の虎杖が勝手にマミを攻略していく……
ただ、恋愛とかそういうのは解釈違いなのでナシ