機動戦士Gundam GQuuuuuuX 自由の奴隷 作:スペースデブリ
作業を終えて、遅い時間の帰路に就いたフブキは、静かな通りを一人歩いていた。
イズマの夜の街は人工の光に照らされているが、どこか現実味が薄い。疲労のせいだろうか、歩く足取りはやや重い。
ようやく自宅のアパートが見えてきたころ、その前に停まっている黒い車に気づいた。ボディは艶やかに磨かれ、どこか場違いなほど高級感がある。アパートの住人が持つにはいささか不釣り合いだ。
(……誰かの来客か?)
そう思いながら歩を進めると、車の助手席側のドアが開いた。中から降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着た男だった。髪型も整えられており、何より、身のこなしが普通ではない。
「フブキ・アルジェント様ですね?」
男は一歩前に出て、恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました」
眉をひそめたフブキは、わずかに警戒の色を浮かべたまま口を開いた。
「……誰だ、お前は」
「私どもは、アルジェント様をお連れするように申しつかっております」
スーツの男は、まるで機械のような声音でそう答えながら、車の後部座席へと手を向ける。無理やりではないが、逃がすつもりもない──そんな雰囲気があった。
フブキは再び尋ねた。声を僅かに低くして。
「"誰が"、俺を連れてこいと?」
だが男は答えない。黙して、ただドアを開けて立ち尽くしている。
「……チッ」
小さく舌打ちをし、フブキは大きく息をついた。まるであきれたように、あるいは自分に呆れたように。そして、何かを諦めたように車の中へと身を滑らせた。
ドアが静かに閉まり、黒い車は音もなく走り出した。夜のイズマコロニーに、少しだけ不自然な静寂が残された。
車は無言のまま、都市の中を滑るように走り続けた。車内には低く抑えられたエアコンの音と、時折ラジオから天気や渋滞情報の無線が断片的に流れるだけ。フブキは腕を組み、窓の外に広がる夜景をぼんやりと眺めていた。
沈黙も、強要されれば息苦しくなる。だが、彼にとってはもう慣れた空気だった。
どれほど時間が経っただろうか。車はやがて速度を落とし、静かに路肩へと滑り込んだ。ドアが開くと、外の空気が一瞬だけ入り込む。
「到着いたしました。どうぞこちらへ」
先ほどのスーツの男が淡々とそう言い、車外に降り立ったフブキに先導するように歩き出す。
あたりを見渡せば、整然とした街路と高層のビル群。豪奢な外装の建築が並び、夜間であるにも関わらず警備ドローンが静かに巡回していた。
(……富裕層の区域か)
その中でも、目の前のビルは一際洗練されていた。フブキはさりげなく建物の外壁に目をやり、管理ナンバーを確認する。
一般市民が入るには、まず縁のない階層──上級階級か、資産家、あるいは……。
「こちらです」
スーツの男に続いて、建物の内部へ。受付もなく、セキュリティロックだけが立ちはだかるエレベータへと乗り込む。
男は専用の端末をかざすと、階層が一つだけ表示され、即座に上昇を始めた。
やがて静かにドアが開く。暗すぎず、明るすぎない照明と、重厚な木目のインテリアが出迎えたそこはバーだった。
だが、ただの酒場ではない。明らかに“選ばれた者”のための空間。艶のあるカウンターには、ひとりの男が静かにグラスを傾けていた。
白髪混じりの短髪に、隙のないスーツ。そしてどこか軍人のような背筋の伸びた姿勢。フブキは瞬時に理解した。
(──こいつが、俺を呼んだ)
スーツの男は無言で礼をして下がっていく。フブキはゆっくりとカウンターの一席に腰を下ろした。まるで互いが試されるような、微かな緊張が漂う。
男はグラスを揺らしながら、ようやく口を開いた。
「お久しぶりですね、いや、お会いするのはこれが初めてでしたかね。フブキ・アルジェント大尉。今はもう、ただの一市民、ですか」
乾いた声だった。だが、その言葉の裏には何かを探るような響きがあった。
「大尉か──」
フブキは男の第一声を遮るように、淡々と口を開いた。
「アンタ、連邦関係者か? 生憎と俺はあんたを知らない。それに“大尉”は軍が俺に与えた階級だ。俺はもう軍を辞めた。あんたが何者であろうと知ったこっちゃないが、“大尉”と呼ぶのはやめて頂きたいな」
男はグラスの縁に指を添えたまま、鼻で笑った。
「ふふ……こちらが一方的に知っていただけですよ。しかし……聞いていた話と随分違いますね。軍にいた頃とは、えらいご変化で。猫でも被っていたのですか?」
ひと呼吸置いて、男はわざとらしく首をかしげてみせた。
「──いや。それが“本来の姿”なのでしょうか? フブキ・アルジェントという男の」
フブキは表情を変えず、スツールから腰を上げた。椅子の脚が床を擦る、乾いた音が空間に小さく響く。
「くだらない雑談をする為に呼ばれたようだな。失礼させてもらう」
そのまま踵を返しかけたその瞬間、男の声が重く空気を裂いた。
「まあ、待ってください。……貴方に頼みたいことがあるんです」
フブキの足が、僅かに止まる。男はグラスを置き、傍にあったもう一つのグラスを手に取って差し出した。
「せめて一杯。話すのはそれからにしましょう」
差し出されたグラスの中身は琥珀色の液体──酒精は強くもなく、弱くもない。真剣な場面で差し出すにはちょうどいい程度の、社交辞令のアルコール。
フブキはわずかに目を細め、その手からグラスを受け取った。けれど口には運ばない。再び椅子に腰を下ろし、ただ静かに一言。
「聞くだけ聞いてやる。話せ」
男はグラスを軽く揺らしながら、沈黙の間を挟む。琥珀色の液体が、氷に触れてかすかな音を立てた。
「……我々は、複合企業体を運営している者です」
声は低く、よく研がれた刃物のような抑揚だった。
「一年戦争では、連邦軍への技術提供もさせていただきました。兵站、整備、パーツ供給……表には出せないことも少々。……国家の戦争には民間の“支え”が必要ですからね」
フブキは応えない。ただじっと男を見つめている。男は構わず、淡々と話を続ける。
「その過程で、あなたのことも知りましたよ。──フブキ・アルジェント大尉。──いえ、"元"大尉」
そこで男は意図的に、軽く語気を強めた。
「地球連邦初のモビルスーツ、RX-78-01。あの"赤いガンダム"のプロトタイプであり、試験運用を目的とした“テストベッド機”。そのパイロットがあなたでしたね。極秘作戦が故に、データはほとんど残っていませんでしたが、01ガンダムのデータを収集する際に、我々に開示されたものの中にあったんですよ──貴方のデータも」
男は視線をフブキから外し、グラスを唇に運んだ。
「“鬼神”──そう呼ばれていたことも」
一口だけ酒を含み、再び目を向ける。
「貴方は現役を退いてもなお、ただの“元軍人”という枠に収まる存在ではない。だからこそ、我々は“貴方にしか頼めないこと”があるのです」
男の言葉には、どこか“確信”めいたものを孕んでいた。フブキの過去を調べ尽くし、その価値を正確に理解している者だけが持つ、静かな自信。
フブキは、微動だにせず、ただ男の言葉の続きを黙って待った。男はグラスの底を覗き込むようにして、わずかに肩をすくめた。
「……地球連邦が戦争に敗れたとはいえ、我々の仕事は相変わらずです。むしろ民間に限れば、今の方が繁盛しているくらいでしょうな。お得意先の大半は、当然ながらジオン──」
言いながら、男は口の端を皮肉げに歪める。
「ですが、それでも地球連邦との縁が完全に切れることはありません。我々の本拠地は地球にありますから。連邦が存続する限り、その繋がりは無視できない」
そう締めくくると、男は小さく吐息を漏らし、再び酒に口をつけた。一拍の間を空け、呟くように続けた。
「……まあ、戦争で企業の多くが潰れていく中、こうして“仕事”があるだけでもありがたい話ですがね」
フブキは、その長話に明らかな苛立ちを見せた。
「くだらない前置きは結構だ。……本題を話せ」
淡々とした口調でありながら、どこか刺すような鋭さがあった。男はその語気にも臆することなく、むしろ楽しげに笑った。
「はは、失礼。酒が入ると、どうも舌が滑りやすくなるようで」
グラスをカウンターに置き、ようやく本題に入った。
「では……率直に申し上げましょう。貴方に──モビルスーツ、その開発に協力していただきたい」
その瞬間、場の空気がほんのわずかに張り詰めた。酒の香りすら、どこか遠ざかったかのように。男の目には、今や一片の冗談もなかった。
「……モビルスーツ? 正気か?」
グラスを持ち上げかけた手を止めたまま、フブキは男をじっと見た。視線は冷たくもなく、怒気を含んでもいない。ただ、明らかに“疑念”を含んでいた。まるで、本気で言っているのかと問うように。
男はその目を正面から受け止め、頷いた。
「ええ。もちろん、貴方がそう簡単に首を縦には振らないことも承知しています」
言葉を選びながらも、男の声には一点の揺らぎもなかった。
「しかし我々としましても、生半可な者にこの役目は任せられません。試作段階とはいえ、極めて重要な開発計画です。言い換えれば“並の腕”では乗りこなせないスペックなのです」
男はそこで少しだけ間を置き、フブキの表情を探るように一瞥した。
「貴方なら、できると確信しています。あの赤い彗星と渡り合い、生き残り──そして連邦初の試作MS、RX-78-01──01ガンダムを乗りこなしていた貴方なら」
その語りには虚飾がなかった。もはや賛辞というより、必要な条件を満たしているという“客観的な評価”であった。
フブキはふと目を伏せ、グラスの中で波紋を描く琥珀色の液体を見つめる。数秒の沈黙が落ちる。
「……仮にだ。そのモビルスーツとやらに乗るとして──俺は何をすればいい?」
その言葉は問いというより、自身に向けられた独白にも聞こえ、そして……その先に何があるのか。
男は、フブキの反応を見て口の端を上げ、笑う。しかし、その笑みは嬉しいと同時に、悲しんでいるようにも見える。
「やはり貴方は戦いを捨てきれていないのですね……」
そう呟きながら、男は再びグラスに口をつけ、ゆっくりとテーブルに戻すと、言葉を継いだ。
「……もちろん、試験機ですから様々な局面を経験していただきます。機体の制御データ、操縦負荷、応答性、各種挙動……そして、“戦闘”に関しても」
フブキの指が止まった。男の声音が、あまりにも自然に“それ”を含んでいたせいで、逆に違和感が残った。
「……戦闘、だと?」
静かだが、確かな疑念を帯びた声音。グラスから手を離したフブキは、わずかに眉をひそめ、男を見据えた。
「お前たちは企業だろう、民間の。……何と戦えと言うんだ?」
男は少しだけ唇を噛むようにして微笑んだ。
「……仰る通り、我々は民間です。しかし、時に“裏側”も担わねばならないのですよ。敵はジオンかもしれないし──連邦か、それ以外かもしれない。今この時代、何が起きてもおかしくはない」
そして、低く囁くように付け加えた。
「戦争は、終わってなどいないのです。大尉──いや、フブキさん」
その言葉は確かな実感を孕んでいた。戦後の虚構の平和、その裏に渦巻く新たな火種──それを誰よりも早く嗅ぎ取っている者の声だった。
男は再びグラスを軽く揺らし、琥珀色の液体が氷に触れる音を楽しむようにして、静かに語り始めた。
「現に、地球連邦が戦争に敗れた後、組織を離れ──好き勝手に動いている者たちがいるのです。旧連邦軍出身の武装集団、世間では彼らを“連邦残党”と呼んでいます。ジオンからも離反者が出ているようですね」
フブキの表情は変わらない。だがその目だけが、わずかに細められた。
「彼らにとって、戦争はまだ終わっていない。いや……終わらせるつもりはないのかもしれない」
グラスを口元に運び、男はゆっくりと傾けた。氷がカランと音を立て、少しだけ残った酒が喉へと流れ込んでいく。
「ならばこちらも、それを“利用”しない手はありません。彼らを実戦試験の標的として、“有効活用”させていただく。貴方のような“本物”のパイロットがいれば、これは実に有意義な戦闘データになりますからね」
男の目が、獲物を前にした猟犬のように光った。
「彼らと会敵した場合、撃破して頂きたい。手段は問いません。もちろん、試験機ですから……万が一、ジオンが介入してくるようであれば、その対処も併せてお任せします」
その言い回しは、依頼ではなかった。提案に見せかけた“既定事項”断れば何かが待っているような、そんな空気すら纏っていた。
フブキは静かに、テーブルの上のグラスを見つめていた。
(残党狩り、そしてジオンの牽制……試験機の名のもとに、戦争の延長戦をやらせるつもりなのか?)
「戦争が終わったと信じ込んでいるのは、何も知らぬ民衆だけですよ……そうは思いませんか? フブキさん」
フブキはしばし沈黙した後、再び口を開いた。
「……戦争は終わった。連邦が敗れ、ジオンが勝った。それが全てだ。俺は、その世界を静かに生きている。……俺でなくても、腕のいい奴は腐るほどいるはずだ。ジオンにだって、連邦にだって、いくらでも」
淡々とした口調。その瞳に怒気はなかった。ただ、心の底から“関わりたくない”という静かな拒絶だけがあった。だが、男は一切怯むことなく、グラスの中の氷を転がしながら微笑を浮かべた。
「確かに、各陣営にはいわゆる“エース”と呼ばれる方々がいます。例えばジオンの“赤い彗星”──彼はまさにエースの象徴でしたね。そして、連邦側には“魔女”と渾名されたユニカムもいた。……彼らは、いずれもMAV戦術の体現者です」
男はフブキの方へ軽く身を乗り出す。
「しかし、我々が目指しているのは、MAVの時代を終わらせるものです。
“2機1組”という制約すら不要とする、新時代のMSとパイロットの関係。
たった1機、たった1人で敵陣を貫ける“絶対的な個”を、証明する」
言葉は丁寧だが、その響きは“宣告”に近かった。まるで、フブキがここに座った時点で、すべてが決まっていたかのような。
「……噂程度ですが、貴方と同じように単独で、あのドズル・ザビを単独撃破したというパイロットも居るそうです。しかし、“鬼神”と恐れられ、仲間を持たず、援護もなく、それでも1人戦果戦い続けた貴方は、我々の探す“答え”に最も近い方だ、フブキさん」
静寂が二人の間に流れる。やがてフブキは、ゆっくりと背もたれに体を預けた。
「……2機1組というのは、戦術として確立されたものだ。索敵と支援、進行と牽制。機体が高性能であろうと、それだけで覆せる話じゃない。それを打ち破る? ──お前は、一体何を作ろうとしてる?」
フブキの声には、驚きよりも冷静な分析と懐疑が込められていた。元士官としての視点ではなく、一年戦争を生き抜いた“実戦”の眼がそう言わせていた。
「そうですね……確かに、常識を覆すというのは、容易ではありません。
しかし、我々は“現代の常識”に囚われる気はありませんよ」
そう言って、男はグラスを傾け、残りの酒を飲み干した。そして、グラスをテーブルに静かに置く。
「……残念ながら、これ以上の詳細は“企業秘密”ということで。ただし──貴方が協力してくださるのならば、我々も情報を開示する用意があります。すべては“信頼”の積み重ねということで、いかがでしょう?」
その笑みは柔和であったが、どこか“断絶”のようなものを感じさせる。
フブキは、黙ってその男を見据え続けた。
「……俺はすでに職を得ている」
フブキは静かに言いながら、手元のグラスに視線を落とした。そして、琥珀色の液体を一口、喉へと流し込む。
「戦争が終わった今、俺にはもう──“戦う理由”がない。今を蹴ってまで、アンタたちの誘いに乗ることはない。俺は、俺の場所で静かに生きていく。……それだけだ」
毅然としたその声音は、かつて“鬼神”とまで呼ばれた者の意志を宿していた。対する男は、その言葉を受け止めたかのように一度だけ目を伏せ、やがて再びフブキを見て、同じようにグラスを傾けた。
「──そうですか。残念です」
短く、しかしどこか名残惜しそうにそう呟くと、男はグラスをテーブルに戻し、背もたれにゆったりと体を預けた。
「貴方が、このまま埋もれていくのは惜しいと思ったのですが……」
フブキは何も答えなかった。ただ、静かに視線を逸らすだけだった。
「……話は終わりだな?」
フブキは淡々とそう告げると、未練など一切感じさせない手付きでグラスをテーブルに戻した。椅子を引き、立ち上がる。男に一礼すらせず、そのまま店の扉へと向かい──静かに、その姿を夜の街へと消していった。
その後ろ姿に、男は一度も目を向けない。ただ、手元のグラスを傾け、琥珀の液体を無言で口に含む。
そして哀愁を含んだ声で、低く呟いた。
「……見るに耐えませんね」
ジャケットの内ポケットから、艶のない黒のデバイスを取り出す。通話回線を確保すると、迷いもなく接続を押した。
「……私です。──はい、交渉は決裂です。……ええ、以降は予定通りに。頼みましたよ」
通話を終えると、再びグラスを掲げる。琥珀の酒が、月光のような色合いで揺れていた。
「……一度、手を血で染めた者は──もう二度と、“暴力”という名の力を手放すことはできないのですよ。私も、貴方もね」
それは、自嘲か、諦念か。誰に向けた言葉でもなく、ただ静かに、バーの中に落ちていった。