【完結】3年後に世界が滅ぶと知ったエイシンフラッシュとトレーナー 作:ポンタ4
母を喜ばせること
それは夢ではなく、現実に、そうすべきものである。
エイシンフラッシュからそう聞いた時、俺は決心をした。
彼女を日本ダービーで勝たせる。
そのための努力は惜しまないつもりである。
クラシック3冠ウマ娘の目標の一つである皐月賞、それも諦めるつもりは一切ない。
その前哨戦でもある京成杯は無事に1着を取り終えた。
彼女は少し満足はしていなさそうであったが、それで問題ない。
そもそもレース運びにおいて常に満足の運びができる方が珍しい。
それに、課題が見つかっている方が伸びしろがある。
彼女の末脚はとてつもなく強力であるが、その強力さ故に脆さ、つまり弱点が見つかっている。
彼女は時々かかってしまう事がある。
周りのそのレースにかける熱量、早いペースにおけるレース展開。
それらが重なってしまうと彼女自身も焦りが出てしまい、その焦りによって彼女の閃光は陰りを見せてしまう。
しかし、条件が揃うことで出る閃光は――――誰も届かない。
届きうるはずがないのである。
京成杯でもその閃光を出したが、やはり彼女自身の焦りが見えたレースであり、皐月賞も同様であった。
例年の皐月賞と比べ、熱量は高く、そしてレースを走るウマ娘の気持ちも高ぶっていた。
それが故にやはり彼女の焦りが出てしまい、その閃光の輝きは薄かった。
しかし、その閃光により、彼女自身は3着となっているのである。
だが、この3着は俺自身の怠慢だと考えている。
彼女の閃光に甘え、その閃光を出せるトレーニングとレース理論を彼女に指導してきた。
しかし実際のレースでは理論や座学だけではない、メンタルの部分も関わってくる。
精神論、というのは基本的には信用ならない話ではあるが、ある一定の所では精神、所謂士気は必要なのである。
士気があれば通常以上の力が出せ、萎縮してしまえば通常以下の能力しか出せない。
エイシンフラッシュは日本ダービーに特別な心情を抱えている。
それは母親が見せてくれたドイツのダービーが関わっているのだろう。
つまり、このままいけば彼女はきっと
勝てない
ならば、トレーナーとして何を為すべきか。
彼女が勝つためには何ができるのか。
自然と俺は生徒会長室へと足を運んでいた。
**
「もう一度聞かせてくれ。君は――――”皇帝”である私に何を頼みに来たって?」
「エイシンフラッシュと走ってほしい、と言ったんだ」
「はは、なるほど」
”皇帝”シンボリルドルフ
三冠ウマ娘である彼女と並走をすることでその重圧はとてつもないものだろう。
しかし、これはエイシンフラッシュにとっても非常に大切なことである。
二冠ウマ娘やダービーウマ娘ではない、三冠をとった彼女だからこそ、エイシンフラッシュの更なる成長に繋がると思い、彼女に提案をした。
シンボリルドルフは真っ先に学園に戻ってきた生徒の一人であり、生徒会長として、皇帝として帰ってきたウマ娘達を支えたいという一心でこの学園にいる。
「私と走りたがるウマ娘は沢山見てきたが、まさか”走らせたい”トレーナーがいたとはね」
「皇帝と走ることによる重圧に耐えられるウマ娘は少ない」
「……彼女はその少ないほう、だと?」
頷いて彼女に答えていく。
「”皇帝”である君の力と経験、それが必要なんだ。ダービーで勝った君の勝利経験、そしてダービーだけでなく、皐月賞や菊花賞を無敗で勝利した経験が」
「君は豪胆無比なトレーナーだね?」
「彼女が勝つのに必要なことだから」
「……なるほど、君の想いは理解した。いいよ。本当はあの子がよかったと思うんだけど…」
「あの子…?」
「いや、気にしないでくれたまえ」
シンボリルドルフの言う彼女、それが誰の事かは分からなかった。
しかし、シンボリルドルフが並走をしてくれる。
これは彼女にとって大きな意味を持ってくれるはずだ。
「明後日、で良いかな?準備もあるのでね」
「大丈夫だ。ありがとう」
シンボリルドルフに頭を下げてお礼をしていく。
生徒会長室から出ていき、トレーナー室へと足を運んでいく。
これで彼女が何かを掴んでくれることを祈ろう。
**
当日
既にエイシンフラッシュは赤を基調とした学園指定のジャージに着替えていた。
2人で芝のコース場で待つこと10分。
同じく赤いジャージに身を包み、腰まで伸ばした長髪のウマ娘が2人。
1人は”皇帝”シンボリルドルフ。
そしてもう1人、そこにいたの白色を基調とし、緑色のリボンで一周巻かれた小さな帽子を頭に身に着けている。
彼女は―――――”天衣無縫”ミスターシービー
もしかしてシンボリルドルフがあの子、というのはミスターシービーの事だろうか。
「待たせたね、エイシンフラッシュのトレーナー。彼女は…言わなくても分かるかな?」
「ミスターシービー、ですよね。もしかして…?」
「そう、そのもしかして、だよ。彼女と私で並走に付き合おうと思ってね」
これは願っても居ない幸運である。
3冠ウマ娘であるシンボリルドルフとミスターシービー、この2人と並走が出来るのは貴重すぎる経験だ。
しかし、ミスターシービーは最近レースでは見かけてはいなかった。
もしかしてシンボリルドルフが今回の為にわざわざ探し出してくれたんだろうか。
「はじめまして、エイシンフラッシュのトレーナー。彼女が…エイシンフラッシュ?」
「はじめまして、エイシンフラッシュと申します。まさか…三冠ウマ娘であるお二人と走れるとは…」
「気にしないで、ダービーを走る子と一緒に走れるなんて楽しみだし。だから…”楽しませて”よね?」
2人の三冠ウマ娘の視線がぎらつく。
並走とはいえ勝負である。
その勝負事なのであれば、きっと彼女達は手を抜くことはないだろう。
2人は準備があるとのことで少し離れた場所へ行ってしまう。
「フラッシュ、どうだ?あの2人と走るのは」
「良い経験になるのは分かります。ただ…本当に意味があるのか…」
彼女自身このレース自体の経験は意味があるとはわかっている。
しかし、真の意味は彼女にとって果たして有益をもたらしてくれるのか、それはトレーナー自身にも分からなかった。
確証はない。
だが、彼女ならきっとその本当の意味での経験を得られるはず、そう思っていた。
「きっと良い経験になるはずだよ、本当の意味でも、走りとしても。臆さず頑張って」
「―――はいっ」
彼女が両手を握りしめて答えていく。
いつもより力強い言葉。
彼女自身もきっとシンボリルドルフ、そしてミスターシービー、この伝説とも言っても過言ではないウマ娘2人との並走に緊張しているはず。
15分後、2人はストレッチを終えて戻ってきた。
今回のコースは日本ダービーを模擬したものとして、芝の2400mである。
ゲートを使って実際にはレースはせず、コース場に3人を並べてトレーナーの合図で走り出すというもの。
模擬レースであるため、ちゃんとした装いではないが、これでもきっと感じられるだろう。
内からミスターシービー、エイシンフラッシュ、シンボリルドルフの順番で並んでいく。
「3人とも、準備は大丈夫ー?」
コースから少し離れた所から声をかけていく。
3人とも此方を向いては頷き、そしていつでもいける、というように既に走る体制を整えていた。
「いくぞー、よーい――――スタート!」
大きな声を張り上げ、両手を叩いて、ぱんっ、という音を鳴らしていく
その瞬間、一斉に走り出すと、すぐにその姿は小さくなっていく。
第一コーナーを過ぎたあたりで前から、シンボリルドルフ、エイシンフラッシュ、ミスターシービーとなっている。
3冠ウマ娘に挟まれて走る重圧はとてつもないほどだろう。
遠くからでもエイシンフラッシュの表情に苦しさが見えてしまう。
その様子を眺め、少しだけ俺の心臓が締め付けられてしまうのを感じる。
その締め付けを取るかのように小さな声で「がんばれ」と呟いた。
**
ゴールをした3人に近づいていく。
1着、2着は殆ど同時だったため分からないが、はっきりと言えること、それはエイシンフラッシュが最後ということだけだった。
シンボリルドルフの少し後ろにエイシンフラッシュ、そしてその更に遠く離れた所にミスターシービーが居た。
最後のコーナーを抜けた時、エイシンフラッシュはその末脚で抜き去ろうとするが―――――間に合わなかった。
前にいたシンボリルドルフに離され、更にははるか後方にいたミスターシービーに追い抜かれてしまう。
ゴールをし、エイシンフラッシュが息を切らしているところにミスターシービーが近づいていく。
ミスターシービーが何かをエイシンフラッシュに問いかけるのが見えていた。
俺はそれに近づかず、傍観をする。
これは俺の問題ではない、彼女達ウマ娘同士であるから分かることである。
だからこそ、あえて近づかず、その様子を眺めていた。
シンボリルドルフが此方に気づいては近づいてくる。
「ありがとう。」
「なに、気にしないでくれ。これくらいならお安い御用だよ」
「……彼女は乗り越えられる…と思うか?」
「――――心配、だと?」
頷いて答えていく。
今回のこの模擬レース、普通のウマ娘では萎縮してしまう。
それどころか己の走りに自信を無くしてしまう可能性だってあるほどだ。
俺は…彼女の心を折ってしまわないか、それが心配だった。
少しだけ顔を伏せて、自分の掌に視線を移す。
その掌にはトレーナーとしての重圧がのしかかっているように見えてしまった。
「俺は…トレーナーとして彼女を導けているか分からない。初めての担当、初めてのクラシック級。G1の経験ですら皐月賞が初めてでそれ以降は殆どない。――――俺は、彼女に正しい道を記せているのだろうか…?」
皐月賞には負け、そして彼女の事を想って、今回の模擬レースを取り付けた。
だが、それは果たして本当に彼女にとって良かったのだろうか?
これは俺の自分勝手ではないか?
そんな疑問がどうしても頭を過ぎってしまった。
「君が重圧に乗り越えられる数少ないウマ娘、と言ったのであれば彼女を信用するべきだよ」
シンボリルドルフが答える。
少し笑みを浮かばせながら、その瞳はまるで此方を見透かしているように。
ただ見つめていた。
「はは…トレーナーがウマ娘に言われたら世話ないな」
「そんなことないさ、よく頑張っているよ」
「―――そう言ってくれると救われるよ」
少しだけ、彼女の言葉でその掌に乗っていた重圧が軽くなったような気がした。
**
トレーナー室、模擬レースを終えてはミスターシービーとシンボリルドルフと別れて、今日の反省会をエイシンフラッシュと行う。
トレーナー室にある机とソファー、それに対面になって座っては
「今日の模擬レース、どうだった?」
「……わかりません」
彼女の表情は少し困惑してものを浮かべていた。
自分の得たものが噛み砕けず、そしてそれをどう言語化したらよいのか分からないように見えた。
「ミスターシービーさんに追い抜かれ、そしてシンボリルドルフさんに突き放され、ずっと変な感じがします」
「変な感じ?」
「はい…色々な感情が入り混じった感じです」
「それでいいんだよ。フラッシュ」
彼女の掴んだもの、それはきっと彼女の役に立つものだろう。
だが、それを昇華できるかどうかは彼女にかかっている。
彼女はその掴んだものに対して、どう処理をするのか、どう噛み砕いていくのか、それが分からない。
しかし、それで今は問題ない。
きっとダービーの日になれば
「とりあえず今日はお疲れ様。今日は色々と疲れただろうから早めに上がって休もうか」
「そうですね…ありがとうございました、トレーナーさん」
「気にしなくて大丈夫だよ。それがトレーナーの役割なんだから」
彼女がソファーから立ち上がり、トレーナー室から去っていくのを見送ると、自分はノートパソコンが置かれている机の方に足を運ぶ。
日本ダービーに向けたトレーニング、その内容の整理を始めていく。
今日の模擬レースは彼女の実力を測るのにも良く、そして彼女自身の成長にも繋がったレース。
―――――――果たして本当にそうなのだろうか
彼女を使って、酷なことを強いて、自分の欲を満たそうとしているのではないか。
三冠が既に取れないからこそ、残りのクラシックにおける日本ダービー、菊花賞を彼女を走らせ、無理に狙いに行こうとしているのではないか。
彼女のずれてしまった道のりを正す、というのは果たしてこれであっているのだろうか。
シンボリルドルフから言われた言葉を思い出し、反芻していく。
”彼女を信用するべき”
エイシンフラッシュはどう思っているのだろうか。
彼女は生真面目であり、自分の組み立てたトレーニングに文句一つも言わずに従ってくれる。
時折、彼女自身からトレーニング内容を提案され、そこから再構築することもある。
彼女は俺にとって―――――――都合の―――
唇を噛みしめる。
――違う
この感情は違う。
彼女と駆け抜けたい思っているのは本心であり、利用ではなく寄り添いたいと思った。
彼女の為を想い、彼女自身の成長になると思い、彼女が成長するためである。
何度も何度も心の中で唱えていく。
彼女のため、と
その違う感情を打ち消すかのように、見ないふりをするかのように、次のレースに向けて
逃避をした
***
日本ダービー当日。
控室にいるというのに歓声が聞こえてくる。
地球最後のダービーではないが、まるでそうではないかという熱狂が伝わってくる。
「フラッシュ、準備は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です、トレーナーさん」
エイシンフラッシュの服装は勝負服、ボディ部分は黒色と白色で彩られており、スカートは赤色と白色のチェック柄。
ドイツの民族衣装である”ディアンドル”というらしい。
彼女の故国への伝統と誇りが纏っている衣装だ。
少しだけ彼女が震えているのが分かる。
当たり前のことだ。
こんな熱狂は暫く聞いたことが無いほどである。
緊張をするな、という方が無理な話だ。
彼女は何度も深呼吸を繰り返し、そしてときおり「toi,toi,toi…」とドイツのおまじないを唱えている。
こんな時、どんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。
そう悩んでいるとピロン、という携帯の通知音が控え室内に鳴り響いた。
エイシンフラッシュが携帯を取り出すとそこには彼女の母親からの応援メッセージ。
同じウマ娘として、特別なレースにかける想いや緊張、それを理解しているのだろう。
母親からのメッセージを彼女は眺め、そして先ほどの緊張の表情が薄れていくのが見えた。
「緊張、和らいだか?」
「はい…」
エイシンフラッシュがそのメッセージを眺めた後、まるで大事な宝物を取られないように携帯を両手でぎゅっ、と胸元に抱きしめていく。
彼女のその表情を見た時に自分も少しだけ、釣られるように和らいだ。
こんこん、と控室をノックする音が聞こえる。
「エイシンフラッシュさん、レースの準備をお願い致します」
「行きましょう、トレーナーさん」
「あぁ」
彼女の表情が先ほどの幼げな子供ではなく、まるで戦いにいく乙女の表情へ変わっていく。
控室から出ていき、彼女についていくように廊下を歩き、そしてパドック前の入り口にたどり着く。
その向かっている間にでも歓声や誰かを期待している声が聞こえてくる。
熱狂
まさにその言葉が似合う。
一瞬、その熱狂に負けてしまいそうになるのか、エイシンフラッシュの足が止まる。
彼女が顔を少し上にあげ、そして息を吐くのが見える。
やはり、緊張している。
「フラッシュ」
「……はい?」
彼女が突然声をかけられ、少し驚いた様子でこちらを振り向く。
「ダービー、楽しんできて」
「…はいっ!」
彼女の顔が少しだけ花開くように笑みを浮かべる。
そして、彼女はパドックへ出ていくとより歓声が大きくなるのが聞こえた。
***
レース場を一望できる少し高めの席に座り、上からウマ娘達を見ていく。
少し離れた場所であるが、その熱気はとてつもなく伝わってくる。
あちこちから今日の出走ウマ娘について会話が聞こえてくる。
「いやー!今日のダービーは熱いねぇ!あんたはどうだい!?気になるのはやっぱり――――」
「1番人気のあの子もいいけど、やっぱり俺は――――」
「いやいや、分かってないな。内に枠がある3番人気の―――――」
あちこちから今日の有力ウマ娘について聞こえてくる。
しかし、その中でエイシンフラッシュの話は聞こえてこない。
いや、たまに聞こえるが、すぐに他のウマ娘に埋もれてしまう。
それだけ彼女が期待をされていない現れである。
その会話の少なさに無意識に自分の手を強く握りしめてしまう。
彼女をもっと輝かせたい、彼女を勝たせたい、それがどうしても強くなってしまう。
パドックでウマ娘達が簡単に歩いては、アピールを終えていく。
そこには黒鹿毛の彼女、エイシンフラッシュが見えた。
少し遠くであり、表情は良く見えないが、なにやら闘志のようなものを燃やしているように見える。
―――あの皇帝と天衣無縫におけるウマ娘2人の模擬レースはこのダービーに役に立つだろうか。
後は神のみぞしるところである。
出走するウマ娘達はゲートへ連れられ、入っていく。
エイシンフラッシュは1枠1番。
最も内枠であり、正直なところかなり有利な所を取れたと思っている。
彼女は既にゲートの中に入り、自分の胸元に手を置き、少しだけ顔を伏せている。
良く見えないが何かを唱えている。
きっとドイツのおまじないだろう。
―――――――――――心臓が痛い
皐月賞とは比較にならない。
自分の心臓の鼓動、緊張で乱れ始めた自分の呼吸を嫌というほど感じてしまう。
ダービーは特別、それを嫌というほど感じる。
自分ではなく、エイシンフラッシュが走るというのに、彼女以上に緊張しているのではないか、そう思ってしまうほど鼓動を感じる。
妙に喉が渇く。
ゲートインが終わるまでの間、唾を飲み込む音、そしてそれが喉を伝わる感触でさえ感じる。
自分の感覚が普段より敏感になっている。
最後のウマ娘が入り、ゲートイン完了。
【スタートしました!】
ゲートが開き、一斉にウマ娘達が駆けだす。
ゲートが開いた瞬間、観客たちによる歓声が湧きたつ。
俺自身座って見ているが、自然と両手を指を絡めて握りしめ、まるで神様に祈るかのような体制になっている。
第二コーナーをカーブ。
エイシンフラッシュは中団グループで走っている。
【最初の1000mを経過いたしました!1000mを通過してタイムは62秒!
さぁ、淡々と流れております!】
1000m、62秒。
少しまずいか。
若干のスローペースであり、これが続くとなると最後の直線で逃げのウマ娘達の力は残っている。
そうなるといくらフラッシュの末脚でも――――
いや、そんなことはない
彼女の閃光は必ず、必ず届きうる
【大ケヤキの向こうを過ぎていく!少しずつではあるが動いている!】
ゆっくりとその走る塊が膨らみはじめ、勝負をしかけていく。
【さぁ!ここで後方から迫っている!脚色はよさそうだ!
内からは7番が上がってくる!だが外からも9番が上がってくるぞ!】
後方のウマ娘達が上がってくる。
椅子から立ち上がり、エイシンフラッシュの立ち位置を確認する。
彼女の前にはウマ娘、だが焦ってはいけない。
彼女の走りを視界にとらえ続け、ひたすらに小さな声で「頑張れ」と何度も、何度も何度も届かないのに呟いてしまう。
すこし苦しそうなエイシンフラッシュ。
前はまだ開かない。
最後のコーナーを抜け直線。
―――――僅かだが開いた
「いけ!!フラッシュ!!」
体を前のめりにして大きな声を出す。
彼女がそれに呼応するかのように一気に貯めていた力全てを放出する。
一歩、一歩踏み出すたびに芝を蹴り上げ、そしてその蹴り上げた芝は抉れて、足を前に踏み出すたびに彼女のスピードは速くなっていく。
【ここで、エイシンフラッシュが上がってきた!皐月賞3着ウマ娘、エイシンフラッシュだ!抜けた!エイシンフラッシュ抜けた!
しかし、後ろから追ってくる!だが追いつかない!】
300m、迫ってくる
全てが無音になり、何も聞こえない。
耳鳴りがしたようにキーンと音を鳴らしている
【いや!迫ってきている、少しずつ迫っている!だが、エイシンフラッシュも足を伸ばす!】
100m、ラスト最後の力のふり絞り。
【なんと!エイシンフラッシュ!エイシンフラッシュが栄冠を掴んだ!エイシンフラッシュが逆襲をした!】
エイシンフラッシュは駆け抜けた。
1着で。
あたり一面から歓声が上がる。
その歓声によって先ほど無音だった世界は音を取り戻していく。
―――勝った?
そのまま立っていた足に力が抜けて椅子にへたり込むように座ってしまう。
「勝った…勝ったんだ、フラッシュが――――」
直ぐに力の抜けた足に発破をかけ、無理矢理にでも動かしてパドック前への関係者廊下へ向かう。
階段を下りて、関係者入口に足を運んでいく。
息が切れている。
あの熱気に当てられ、俺自身も興奮している。
その興奮によって自分の呼吸の仕方を忘れてしまうほど、レースに食らいつくように見ていた。
廊下へ辿り着くとそこには既にエイシンフラッシュが居た。
「おめでとう!フラッシュ!」
息も絶え絶えで彼女に声をかけていく。
彼女はその声に気づくと此方に視線を向ける。
胸元でぎゅっ、と握りこぶしを作っており、その”1着で勝った"というのを己の中で噛みしめていたようだ。
「ありがとうございます、トレーナーさん。私…やりましたっ」
「あぁ、君が1着だ。本当におめでとう!」
彼女の前に立ち、そして何度も勝利したことに彼女に祝いの言葉を投げていく。
その言葉に彼女は嬉しそうに、そして感慨深そうに視線を少し伏せては、何度も何度も頷く。
良かった、本当に。
彼女が特別視していたダービー。
それに勝てたことが本当に良かった。
俺自身もその彼女が勝てたことに喜びを隠せないでいる。
ふと、彼女が
「トレーナーさん」
と呼んできた。
「どうした?」
先ほどの喜びとは違う感情の声色。
何か心配事でもあったのだろうか。
俺の表情が少し硬くなるのを感じてしまう。
「その――――私、変なんです。まだ勝ちたい、もっと勝ちたいという欲が出ています」
「―――ははっ、なんだそんな事か」
「そ、そんなことってなんですかっ…!?」
彼女が少し不貞腐れた様子を見せる。
あぁ、あの2人との走りは彼女にとって有益であった。
それも――――――とてつもないほどに。
「フラッシュ、走るのは好きか?」
「…?その…分からないです。ウマ娘として…」
「じゃあ…まだ勝ちたい、そうだよね?」
「――――はい」
彼女に芽生えた感情。
それは誰にも負けたくない、勝ちたいという激情。
今まで冷静で、そして予定からずれるという例外に対して弱い不器用なこの子が覚えた感情。
「勝ちたいって思うのは――――走りが好きだから、じゃない?」
***
「今思うとあのダービーで君の走りにまた惚れ直した気がするよ」
「もう…恥ずかしいですよ、トレーナーさん」
日本ダービー、彼女が勝ったその日に彼女と写真を撮った。
撮ったその写真は彼女が勝負服を着ており、彼女と並んで控え室で撮ったもの。
彼女は笑顔を浮かべ、そして俺自身も横で微笑んで撮った写真である。
この日から二人の間で写真を撮る際に笑顔や並んで撮ることが増えてきたように思えた。
ダービーを終える前から笑顔で写真を撮ることもあったが、どこかぎこちない所があった。
ふとトレーナー室の壁時計に目を移せば時刻は12時30分。
2人であの日の話に花を咲かせ、気づけば昼食時である。
「そろそろお昼ごはんにしようか」
「そうですね、準備しましょうか」
一度机の上に置いていたファイルを全て対面にあるソファーに置く。
彼女はその間にお弁当を取り出し、その青と白色のチェック柄で装飾された布を解いていくと中からはプラスチックの白い箱。
そう、これが彼女と決めた最後の晩餐である。
その白い箱の蓋を開けると中からは黄色や緑、中には茶色が混じっているが、様々なものが挟まれたサンドイッチが入っている。
サンドイッチには卵やレタス、ハムを挟み、中には照り焼きチキンが挟まっており、中々のボリュームである。
更にそこからもう一つ、銀色のスープジャーを取り出していく。
取り出したスープジャーの近くにはステンレス製のスープカップを二つ並べる。
スープジャーを傾けてスープカップに注いでいくと鮮やかな赤茶色の液体に人参やソーセージ、そして豆、玉ねぎも一緒に注がれていき、その液体は湯気が立っている。
これはドイツの庶民的スープであるアイントプフ、という料理だ。
各家庭で独自の味がある、日本でいう味噌汁に近いものである。
このサンドイッチとアイントプフ、これらが俺とエイシンフラッシュの最後の晩餐だ。
最後の晩餐にしては少し寂しい気もするがこれは豪華な食事では作ることに時間がかかりすぎて3年間を振り返ることができなくなってしまう、という理由である。
勿論、この地球最後の日に店を開けている場所などあるはずもなく、仮にあったとしてもそれを探すのに時間が取られるのは惜しい。
ということで前日から準備をし、当日になってすぐ二人で作ってはこのトレーナー室に行こう、となったわけである。
注がれたスープとプラスチックのスプーンを受け取り、そして彼女と横並びでソファーに座る。
「いただきます」
2人で手を合わせて、そう呟いてはまずはスープに手を伸ばす。
保温性の高いスープジャーに入れているため、カップからその熱は伝わってくる。
スプーンを使い、具材を持ち上げては口の中へ。
トマトベースの味にしており、口の中に広がる濃厚な味わいに舌鼓をする。
そして、液体に口を付けて少し飲んでは
「ふぅ…」
とまた2人で息を吐いていく。
その同じ動きをしてしまうことに少し照れくささを感じてしまう。
サンドイッチに手を伸ばしていき、俺は照り焼きチキンとレタスが挟まったサンドイッチ。
彼女はレタスにスクランブルエッグが挟まったサンドイッチ。
2人で口を付けて食べていく。
美味しい。
彼女と過ごす、この最後の晩餐。
ゆっくりと咀嚼をして味わいながら食べ進めていき、ただゆったりとしたこの時間。
最後の日、というのにまるで何も無さそうに、それこそこれがいつもの日常のように談笑しながら食事を進めていく。
あの時はこう考えていた、私はこう思っていました
あそこは良かった、綺麗でしたね
ずっと君といれて楽しかった、私も幸せでした
そんな思いで話をしては食事も進んでいく。
最後の一切れのサンドイッチ、それを向いては半分に手でちぎっていき
「フラッシュ、半分こ」
「ありがとうございます」
彼女が受け取って、そしてはむっ、とそれにかぶりつく。
口内に広がる卵の仄かな甘さとシャキシャキとしたレタスと玉ねぎの食感が楽しく感じてしまう。
そうしてスープもサンドイッチも全て食べ終えると
「ご馳走様でした」
2人でそう告げて簡単に片づけをしていく。
フラッシュは机の上に広がっている布やスープジャーなどを手にとっては蓋をして、しまっていく。
俺はポケット型のウェットティッシュを取り出しては机の上を拭いて掃除をしていく。
食事を終え、お互いにお腹が膨れてきたところで対面のソファーに置いてあるファイルを手に取る。
クラシック級。
このダービーの後のことを振り返るのはトレーナー自身少し苦い気持ちもあった。
ちらり、と隣に座っているフラッシュに視線を移しては
「……ここ、あまり良い思い出がないんだけど…」
「私は好きですよ、トレーナーさんの想いが知れたので」
「ん…それはそうかもしれないけどさ」
少しだけ気恥ずかしさが勝ってしまう。
彼女と親睦を深めたクラシック級のクリスマス。
そしてクラシック最後のレース、菊花賞。
俺が彼女へ想いを吐露し、そして彼女が受け入れてくれた苦い記憶。
彼女の優しさを感じた記憶である。