8月1日。つまり現在。夏休みが始まったが世界は隕石により終わる前から終わっていた。そもそも学校なんてものは一週間前から機能していなかったくらいだ。手始めに終わったのは配送業者だった。日常的に食料その他を運んでいる飛行機やトラックは真面目に働く人がいなくなり、生活にはすべてのものが欠落した。一部の善良な人が食料を作ったり、自衛隊が食べ物を配ったり道路上の障害物を退けてくれたりしたが、本当にぎりぎり生きていけるくらいである。個人でやっている飲食店ははじめは営業していたが、材料が届かなくなったり、飢えることを懸念した人々が店に殺到し食べ物を食べずに持ち帰ったりなどして閉店せざるを得ない状況になった。以前より繋がりにくくなったがインターネットはまだ生きており、さまざまな怒りとおふざけを見ることができた。道路ではガス欠で動けなくなった車をどかすレッカー車がなかなか見つからず、次第に誰も道路を走らなくなったので、自転車屋が繁盛した。その通貨も、今はもうほぼ意味をなしていないのだけれど。
「とーほく、遊びに来たぞ」
「最近は毎日来ますね。音街」
「終末だぞ。隕石が落ちるのがおそらく明日。好きな人と過ごしたいのは当然でしょ」
そういってぼんやりと窓辺から終わっている世界を眺めていた私の手を音街は握って、外へと連れ出そうとした。
「どこに行くんですか。あまり子供だけで出歩くのも危ないですよ」
「危なくてもいいよ。もうどっちみち終わりなんだから。新しく詩を書いたんだ。それを、どっかで一緒に読んでほしい」
私は音街の詩が読みたかったし、どうせ明日には世界が終わるというのは自明だったので、それを了承した。
道路上は荒れ果てていた。まだ地球には直接的な実害が出てないのにもかかわらずである。世界が終わるのが冗談ではなく本当なのだということに気づいた人たちが、それぞれ思い思いに余生を過ごした結果だ。前に聞いた音楽の歌詞に「全人類がすきなことやったら世界は滅亡するけど」という文言があったのを思いだす。
音街の温かい手に繋がれた手の感触に意識を向ける。じりじりと焦がす太陽と、遠目に見えるひときわ大きい隕石と、音街の華奢な手のひら。全てが同列と私は感じた。
「太陽がきれいだな、とーほく」
「そうですね」
「今日はとーほくもきれいだぞ。儚げで。今日とーほくに逢えてよかった」
「音街はすぐそうやって簡単に人を褒めるんですから」
「他の人にはあんまり言わないんだけどな。とーほくって、なんかいつのまにかいなくなっちゃう気がして、こういうことを言っとかないと後悔するような気がしちゃうんだ」
あてもなく歩いた私達の体は、私達の肌を焼く太陽にいよいよ疲れを見せてきて、途中小さな公園の木陰で小休憩を取った。小休憩と称したが別にここが最終目的地でも良かった。
音街が背中に背負っている小さなリュックサックから2L容量の大きい水筒を取り出して、口をつけた。音街が口に含んでいる水分を喉でぶつぎりにする音を3回聞いたころ、音街は口を手の甲で拭い私にそれを渡した。
今更間接キスなんてどうとも思わない。私はありがたく音街から水筒を受け取った。口に含んでわかったが、中身はポカリスエットだった。
しばらく二人で木陰に座りながら、どこにいくでもない視線を飛ばしていた。音街が飛んでいるセミやトンボを指差して私の名前を呼びながら、じりじりと距離を詰めているのに私は気づいた。このめちゃくちゃな暑さでわざわざ近寄ってくる理由も、私はにわかに気づいていた。
音街はとうとう私の手を握り、私の横顔を覗いた。
「なんですか?」
と私は音街に問う。
「とーほく……」
音街は少しだけ躊躇ったように言葉を詰まらせて、私の顔を再び覗き見た。私はあえて無言を貫き通すと、音街は決心したように口を開いた。
「ウナ、死ぬのが怖いんだ。何回考えても、何回眠っても、何回とーほくのこと考えて忘れようとしても、ずっとずっとついてまわるんだ。死にたくない。もっといろんなことを書きたい。とーほくと一緒にいたい。きれいなものをたくさんみたい。泣きたくて、泣けなくて、悲しいのに……こんなにも悲しいのにどうしても泣けなくて、爆発しそうなんだ」
「私はもう、諦めてます」
私が返答すると、音街は頷いた。
「そう。なんでとーほくがそんなに落ち着いてるのかがわかんないんだ。とーほくだって死にたくないはずなのに」
私は音街の言葉に一瞬思考を傾けて……つまるところ私のこの感覚を言うべきか否かを考えて……まもなく結論を出した。
「世界が終わるのは、私のせいだからです。私が作者に負けたから」
「作者……ってどういうこと? 負けたって? 世界が終わるのは東北のせいって、なんで」
「私も、あなたも、友達も家族も日本も世界も地球も隕石も、すべて作り物だからです。音街。私達は物語の中の人間として生きている。たった一人の人間の、自尊心やエゴを満たすための存在なんですよ。その事実を、私は生まれてからずっと感じていました。なぜか、わかるんです」
音街は私の言葉をきいてしばらくの間絶句していた。
「とーほくの頭がおかしくなった……」
おおむね、期待していたとおりの返答だったけれど、私は悲しくなった。音街だけは、やはり心のどこかで私のことを信じてくれるような気がしていたのだ。だから私は悲しくて、寂しくて、それを隠すために少しうつむいて、スマホの画面を覗き見てなんでも無いかのように努めた。
冗談ですよ、と言葉を紡ごうとした矢先、音街が声を出した。
「でも、そっか……だからとーほくはいつもこんな感じだったのか……いつも必死で、急にボクシングなんか始めて、でもなぜか闘ってる相手は別にいるような、そんな印象を感じて……」
音街が私の手を握った。私はなにがなんだかわからないまま音街を見ると、音街は私の目をじっと安心させるような眼差しで見て、それから私の背に手を回して抱きついた。私達は地面に倒れ込み、草の青い匂いと、容赦なく私達の体温を上昇させる大気の温度に私はくらくらした。
「ごめんなとーほく、一人でずっと辛かったよね。ウナはいつでもとーほくの味方だぞ。とーほくの言ったこと、全部信じる。とーほくは嘘を言わないし、頭がおかしくなってなんかないし、なってたとしても、ウナも一緒におかしくなる。ウナはとーほくが好きだから」
音街は愚直にもそんな言葉を吐いた。そのめちゃくちゃな返答に、私は声をだして笑ってしまって、その笑い声が徐々に涙混じりになっていくことに気がついた。
「とーほく、ずっと泣かなかったろ。ウナでいいなら、なんでも聞くから」
私は悲しいような、それでいてそれ以上に嬉しいようなよくわからない感情に包まれて、音街の胸元でしばらくの間泣いた。
しばらくの時間立ってから、私は誰にも言わなかった私の半生を音街に打ち明けた。音街は私の話を全て聞き終えた後、にっこり笑って立ち上がり、私に手を差し伸べた。
「とーほく、話してくれてありがと。じゃあ、さっそくいこっか」
「いくって、どこにですか」
「決まってるじゃん」
音街がにやりと笑うのと、私が音街の手を借りて立ち上がるのが同じタイミングだった。それは奇しくも、私が拳を振り上げたとき世界が終わるニュースが流れたときと、よく似ていた。
「世界を救いにだよ」
音街はそんな言葉を堂々と吐いた。
――――――――
音街と終わった世界を淡々と歩く。
世界を救いに行く、とはどういうことなのだろうか、ということをずっと考えていて、結局結論が出ないまま私は音街の後を歩いた。音街はいやに軽い足取りで――散乱している瓦礫や木の枝を器用に避けながら進んでいく。
「ウナたちは、ひょっとしたらいろんなところに、いろんなウナたちがいるのかもしれない」
ふいに音街がそんなことを言った。
「どういう意味ですか?」
私がそう言葉を返すと、音街は振り返って私の顔を見た。にっこり笑顔で、音街は言う。
「つまるところ、二次創作ってやつ。ウナ達もひょっとすれば、根っこの創作ではなく、誰かの創作に便乗して作られた存在なのかもしれない」
私は考えてもいなかったことを音街に言われ、考え込んでしまった。二次創作。私はそういうものを書いたことがなかったから、発想が追いつかなかった。思えば、そういうものを読んだこともない。私が読むのはもっぱら、書店で売っているような書物ばかりだった。
「どうしてそう思ったんですか?」
「いろいろ。例えばさ、ウナはとーほくが書く小説に憧れてて、とーほくと同じ景色を見てみたかったから、とーほくが読んだことのある本はウナも大体読んだんだ。この世界には、本当に色々な発想で作られた作品たちが、かなりのクォリティを持って存在している。「人間失格」も、「金閣寺」も、「砂の女」もね。それで思ったんだ。それらの作品群は一人の手によって書かれたものじゃない。私たちの作者の生きる世界にもともとあったものなんだと思う」
音街は楽しそうだった。このなにもかもが終わった世界で、音街の中でだけなにかが始まっているかのように、音街ははきはき喋った。虚勢ではない、本当に音街は楽しんでいる。
「そして、ウナはライトノベルや二次創作もたくさん読むからわかるんだけど……世界を見てみるとさ、いままでは変に思わなかったけど、ウナ達ってかなりライトノベル的なキャラクターじゃない。ウナの髪色とかさ、とーほくが気に入ってる包丁の髪飾りとか、とーほくがいつも来ている着物とか。まわりの人たちはそこまで個性のある容姿じゃないのにさ、それを変にも思わない。おかしいよね。世界観と、ウナたちの個性に、ギャップを感じる。それは、作者が生きている現実世界に、既にどこかに存在しているウナたちというキャラクターを持ってきたからなんじゃないかなって、思うんだ。もっとも、あっちでは隕石なんか落ちてないだろうけど」
私は音街の言葉に頷きながら――照りつける日光が厳しくて、手で目の上を遮った。視界の隅に見える巨大な隕石は、朝方より大きく見えた。
「二次創作だったとして――それはどういう意味があるんでしょう。私はあまりそういうのを読まないので」
「二次創作は、ビジネスで書かれない。賞も狙わない。創作者の、こうしたい、ああしたいとかいう、欲望に忠実に描かれる。あるいは承認欲求かな。つまり……舵取りが不安定なんだ。そこにつけいる隙がある」
「音街は、何を考えているんですか……?」
「ないしょ」
音街は私から顔をそらして、また進行方向を向いて歩き始めた。私は音街の後を追うことしかできず、なにもわからないまま、諦めていた世界に、わずかばかり期待が生まれてしまいそうになるのを必死に抑えて、ひたすらに歩いた。
本当は、私は音街を信じたかった。だけれど、なにもかもがうまく行かない結果になったとき、みじめに死んでいくだけなのがあまりに辛くて、私は音街のことを信じきれなかった。私を信じてくれた音街。明朗で聡明な音街。私はまた流れてきた涙を拭って、歩いた。鼻をすする音が聞こえたのだろう、音街が後ろを歩く私に手を差し出したので、私はその手を握って、今度は二人並んで歩を進めた。