道中でまさかとは思っていたけれど、たどり着いた先は音街の家だった。音街が玄関のドアを開けると音街のお母さんが出迎えてくれた。お母さんは少しやつれたように見えて、それでも、音街が昨日より元気に見えたのだろう、「ウナ、きりたんちゃんと遊んで楽しかったの?」と和やかな声をかけた。音街は「まぁ、そんな感じ」と特に気にもしていないふうで、私は音街の部屋を連れて行かれる。木造の階段を上がった先右の扉。そこが音街の部屋である。
私は音街の部屋で用意されたクッションに腰を下ろして……音街はベッドに腰を掛けた。音街が「あついね」といい扇風機のスイッチを押す。がーと独特の音を鳴らして扇風機の羽が回り、首を振って私や音街に生ぬるい風を提供する。しばらくして音街のお母さんが氷が入りキンキンのオレンジジュースを持ってきてくれた。私はそれをありがたく飲みながら、結局音街はどうするつもりなのか、考えた。
「とーほくって、物を書くとき、最初にどういうことを考えて書く?」
音街が唐突にそんなことを聞いた。私はその質問の意図がわからなかったので、少し動揺した。
「えっと……まず、根本に書きたいものが発想として生まれます。裏切りや葛藤、愛とか。次に、それがどうやったらより映えるかを考えます。愛ならばすれ違い、裏切りならば友情、葛藤ならば罪と利益。主人公の人格もこのとき一緒に作ります。次に世界を作って……」
音街が手をあげて私の言葉を遮ったので、私は音街の言葉を待った。おそらく、今の返答で大体良かったのだろう。音街は何かを私に伝えようとしているのだ。
「とーほくはさ、物を書いている途中、自分がいなくなる瞬間が、ない?」
「自分がいなくなる……瞬間ですか」
「そう。キーボードを叩いている最中。キャラクターの発言も世界の変化も、本来の話の流れも振り切って、必然だけが残る世界。世界も人も作者の思惑から解き放たれ、各々が生きているように動く瞬間。とーほくという自我がなくなって、精神は一極に集中し、打鍵の音だけが響き、ただ水が流れるみたいに当然に、物語が出来上がっていく瞬間」
私は、その言葉でようやく、音街が言いたいことがわかった。……そういうことか。
「つまり……私達の行動により、もしかすれば作者の本来の予定を覆すことができる、というわけですか」
「そういうこと。とーほくの理解がはやいとこ、好きだよ」
なるほど。音街はすごいことを考える……しかし、仮にそうするとして、何をすればいいのか私にはわからなかった。音街の目をちらりと伺うと、音街は私の考えていることがすでにわかっているように笑った。
「今がすでにその最中だよ、とーほく。本当は世界はどうしようもなく終わる予定だった。なんてったって作者がやる気をなくしてるんだもん。とーほくがボクシングを初めて専門的なことを考えちゃって、怠惰な作者の作品を作るカロリーがあがっちゃった。二次創作ならなおさら続ける理由もないしね。もう作者にとって、この作品はどうでもいいんだ。適当にオチをつけて、駄作として終わるのさ。もう、感覚で続いているんだよ、ウナたちの人生は」
不意にウナがベッドの上で私に手招きをした。私は言われるがままに立ち上がりウナに近づく。ウナは近づいた私を無理やりベッドに押し倒すと、私の体を抱きしめた。首を振る扇風機の風が私達二人の髪をわずかに揺らした。
「なんですか……音街」
「ウナさ、とーほくのこと好き」
「それは毎日聞いてます」
「そんなレベルじゃないんだよ。本当に、ウナの人生にはとーほくしかいない。それだけ心が震えて、ずっとずっと好きで好きで好きで。この感覚がなんなのかもわからない。刹那的な恋でもあるし、じわっと浸透する慈愛でもあるような。とーほくがウナ以外の人と仲良くしてると嫉妬しちゃうし、それでもとーほくが幸せならいいかもって思う自分もいる。愛してる。……でも、聞くまででも無いんだけど、とーほくのことは何でも知ってるつもりだから、本当にただの証明でしかないんだけど、ウナは、とーほくから好きって言葉をもらったことがなくて、それがちょっと寂しい」
音街はそう言って、私を抱きしめながら、目を閉じて深い呼吸をした。私は音街の体を抱きしめ返して、2、3回音街の呼吸をじっくり感じてから、口を開いた。
「私も当然のように、音街が好きですよ。あなたになら、なにをされたって許してしまう」
「よかった……やっぱり、実際に返事を聞くまで怖いもんだね、こういうのって」
音街は私の頬に軽くキスをした。私も同じことをすると、音街は軽く笑って、私から離れた。
「さて、全部の準備は整ったよ」
「準備って、なんのですか?」
「世界を救う準備さ」
音街はベランダに飛び出すと、大きくそびえる隕石に向かって、両手を広げた。
「今から、あの隕石をぶっ飛ばす」
「そんなこと……できるわけ無いでしょう」
「できるよ。だってとーほくとウナは誰よりもベストマッチな二人だし、ウナはなんとかできる自信を持ってるし……なにより、もう大団円の流れだろ。世界の謎を解いて、愛を確かめあって、自信満々に滅亡を止められると言ったら、もうハッピーエンドしか無いんだよ、物語って」
B級だけどね、と音街は笑い、隕石に向かって大きく叫んだ、大きい風が吹く。確かになにかが起こりそうだった。その様子がなんだかちょっとおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
風が更に大きくなる。地上の砂を巻き込み砂塵のまじる風が吹く。音街はその中で堂々と仁王立ちをしていたけれど、その砂埃が鼻をかすめたのか、空高くそびえる隕石を前に、音街は顔を震わせた。
「……へっっぷし!」
大きいくしゃみだった。音街の声は大気を震わせ、自分の髪を大きく跳ね上げた……そして…そして! 隕石が目にも止まらないスピードで遠ざかる。どんどん隕石は小さくなり10秒後には半分の大きさ、30秒後にはさらにその半分、2分もたつと、隕石はもう見えなくなった。
しばしの間、私達はぽかーんとその場にただずんでいた。それからはっとしたようにテレビをつけると、テレビは緊急速報で持ちきりだった。
「隕石が突如として地球から離れていきました……世界は救われました! 世界は、救われました!」
はは……と小さな笑い声が聞こえた。音街の声だった。
「くしゃみで、地球を救っちゃった」
音街がそうぽつんとつぶやき、一瞬の間があったあと、私達はお互い、くつくつと笑った。笑いはだんだんと大きくなり、止まらなくなった。外からは生きる人たちの各々の大きい歓声が聞こえていた。
「あははっ……! くしゃみで、救われるんですかっ! ……地球って」
「ありえないや……物理とか、ぜったいおかしいって……く、ふふっ……」
B級どころじゃないよ、と音街は言い、それから私達はおかしさを耐えきれずに笑った。まったく……誰がこんなオチを想像しただろう。私にも想像できなかったし、音街もそうだろうし、これを書いている作者もそうだろうし、これを読んでいるあなただってそうだろう。くだらない……まったくもってくだらない……だけれど、おかしい。面白くてしょうがない。
「ほんと、こんなんで終わるんですか。私のいままでの人生はなんだったんですか」
「いいじゃんいいじゃん。ウナたちは生きてるんだし。ウナも東北も設定も物理学も物語も、みんなでヘタれて終わろうよ」
音街はそういいながら、私の手を握って、外に出てみようよ、と私を誘った。私はそれを了承して、手を繋いだまま二人で外へと繰り出した。
「とーほく、もしよかったら、一生二人で暮らそうよ。結婚とかそういうのはどうでもいいからさ。とにかく一緒にいよう。ボクシングも続けよう。物書きも続けよう。二人で楽しく、暮らそう」
終わらなくなった未来を歩きながら音街はそんなことを言った。断る理由が一つもなかったので、私は音街の言葉に頷いた。
「ええ。ずっと一緒にいましょう」
その言葉を吐いた瞬間、自分が言葉になっていく感覚がふいに薄れていった。作者が私を作るのをやめたのだ。どうやら物語はいよいよここで終わりらしい。私は物語が終わってもひとまずいきなり世界が断絶しないことに安心した。才能のない終わり方だけど、私はもう許してやるつもりでいる。
さようなら。作者さん。私の人生は続いていくけれど、あなたの人生にも素敵な出会いとくだらないオチがつきますように。私はそう願った。