お金持ちのアリーチェ  ──没落し婚約破棄され都を追われた成金娘が猫と一緒に成り上がる話──   作:5es

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トゥランのアリーチェ

 

 【内海の悪魔、現る!!】

 

 

 号外の新聞には殊更大きな飾り文字で見出しが打たれ、記事が綴られていた。

 

 内海とは、西方諸国の広がる西大陸と南の暗黒大陸の間に挟まれた海域の事だ。

 多くの船が行き交う貿易と交通の要衝で、ここティニア連邦は、内海北岸から大きく突き出た半島にある、都市国家の連合である。

 

 年間を通じて穏やかな海であるのだが、ごくごく稀に、歴史の伝える所では百年に一度、巨大な嵐が発生することがあり、内海の悪魔などと呼ばれている。

 

 新聞は一面しかないビラのようなもので、大した内容は無かったが、沿岸各地の港や船に多大な被害が出ているのは間違いないらしかった。

 

 

 

 屋敷を出てから2日、アリーチェはティニア連邦の帝都ウォルトゥナの東、都市国家の領域を越えた先の山中にあるトゥランの村にたどり着いた。

 

 このトゥランは冒険者であった母ロレッタの出身地である。

 

 ロレッタはアリーチェが物心つく前に行方不明になってしまったが、裕福な商人だった父カルロはその後も村の人間とは懇意にしており、家屋や道の整備、家畜の購入など、様々な便宜を図っていた。

 それで村の宿を唐突にアリーチェが訪ねた時も、宿の主人は快く部屋を開けてくれたのだ。

 

 

 同行してくれた護衛は、村に到着してそのまますぐ別れた。もう契約が無いのだから当然だ。屋敷の者たちも、次の給金が出ないのはわかっていただろうに良く逃がしてくれたと思う。

 

 

 今はそれから一晩明けた午前、宿のホールには他に誰も居ない。この新聞は、宿の主人が麓の町に出て戻る際に気を利かせて持ってきてくれた物だ。

 

 

 

「どうしようもないなあ」

 

 溜息混じりに呟く。自分の状況について考えを巡らせるが、あまりやれる事が思いつかない。

 

 

 

 アリーチェはプレスティ家のただ一人の相続人だ。

 

 父カルロは一代でその資産を築き上げており、血縁を重視するティニア商人としてはまことに珍しいことに、近しい親族などはおらず、ロレッタの他に後妻など迎えることも無かった。ロレッタの家族はカルロと出会う前から離散していたという。

 

 

 ティニア連邦所属の都市に通じる法律において、故人の残した借金は、相続人には受け継がれない。

 正確に言うならば、相続人の責任は遺産の総額の範囲に限られる、とされる。

 

 アリーチェの場合、カルロの遺産から債権者に返済を行った後、なお残された債務についてはこれを相続しない事を選択できる。

 手続きは遺言執行人に指定されていたマカーリオが行ってくれるはずだ。

 

 

 よって、おそらくカルロの商会は巨大な負債を作ったであろうが、法的にはアリーチェは現在、持ち出した身の回りの物を除いて、債務も資産も無しであると言える。

 

 

 だがしかし、今のアリーチェにとってはありがたいこの公正なる相続法は、実態としては厳格に運用されている訳では無い。

 

 金の貸し手が強引に故人の親類縁者に迫り、借金を受け継がせたり、略奪同然に財産を奪う、あるいは身売りに等しい契約を結ばせるなどの行為は頻繁に行われる。

 当然、法文に照らせば違法であるのだが、早いタイミングでなし崩しに取り立てが行われてしまえば認められてしまう事は多い。

 

 

 

 つまるところ、少なくともほとぼりが冷めるまでは、ウォルトゥナを離れているのが正解という訳なのだった。

 

 

 

 

「アリーチェ、魔石の補充終わった?」

 

 

 入口の扉の方から声を掛けられる。

 この宿の娘である、アリーチェより一つ年下のエルダだ。カルロと共に度々村を訪れていたアリーチェとは、昔からの友人のようなものだった。

 

 

「全部終わったよ、ほら」

 

 

 新聞を脇の椅子に置いて答える。

 目の前の大きな数人がけの机の上には雑多な魔道具が広げられていた。

 

 アリーチェは魔力持ちと言われる、通常は100人に2,3人ほどの割合で生まれるという体質の持ち主だ。体が丈夫で若い時間が長いとされ、恩寵持ちとも呼ばれる。

 普通の人間には認識できない、世界に漂う魔力を知覚し、動かす事ができる。

 

 これにより、魔石を用いた魔道具――油を使わないランプやインクの要らないペン、火打ち石を使わなくとも火種になる火口など、便利な小道具に力を込めなおす事ができるのだ。

 

 古代文明期においては、魔力の扱いはこのような小物にとどまらず、偉大な魔導士達がその術をもって天を駆け地を割り、全てを支配したと言われるが、そのような物は今では全くのおとぎ話である。

 

 魔石を使わない魔術も伝え残されてはいるが、ちょっとした手品のような見せ物が見られるだけだ。

 

 

「おおー、やっぱり便利だねえ。今この村には魔力持ちの人は居ないし、町にいる奴はごうつくばりで折角の魔石ランプもなかなか使えなかったけど、アリーチェがいる間は明かりには困らないね。みんな喜ぶよ」

 

 

 エルダは手にした籠に魔道具を回収していく。村中から集めたらしいがそこまで大した数ではない。魔石の充填を人に頼む場合、一般的な相場としての手数料が定められているが、実の所、これは特に技術も要らず手間もかからない容易い作業だった。

 

 

「新聞はどう?カルロさんの事とか、何かわかった?」

 

「ダメだね。おどろおどろしく書いてるばかりで、まだほとんど何も伝わってないみたい。それにお父様が船を出してたのはもっと西の方だから」

 

「そっか。まあしょうがないね。うちは部屋も余ってて何日居てくれたって構わないし、慌てる事無いよ」

 

「うん、ありがと」

 

 

 屈託のないエルダと言葉を交わして、暗くなっていた気が少し晴れる。

 考えをまとめるにも、もうちょっと気分転換が必要かもしれない。

 

 

「馬を歩かせてくる。厩に居るよね」

 

「外には出してないよ。手伝いは要る?」

 

「大丈夫、慣れてるからさ」

 

 

 扉を開け表に出ると、高原の澄んだ空気が身を包んだ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 手綱だけつけた白馬のネーヴェに乗り、村近くの草地に向かう。

 

 アリーチェが十歳になってから二年ほどの期間、カルロに連れられて西方諸国を巡ったが、ネーヴェはその時からの自分の相棒だった。

 鐙がなくともちょっとした段差があればまたがる事ができるし、鞍を付けなくても歩かせるくらいは問題ない。

 

 

「お前が落ち着く先も考えてやらなくちゃいけないかしらね」

 

 

 ネーヴェの首筋を撫でながら呟く。

 

 馬というのは手がかかる物だ。宿の主人も、アリーチェが泊まる分にはひとまず代金は必要無いと言ってくれたが、馬の世話代までタダにしてもらう訳にはいかなかった。手持ちの金では半年と持たない。

 

 

 アリーチェにとってネーヴェは、個人の所有としてはっきり登記されている、一番高価な財産だ。

 そして農耕馬などにするには忍びない、貴人の乗騎としてもふさわしい良馬と言える。

 手放すにしても、信用できる相手を見つけ、しかるべき居場所を用意してやりたい。

 

 草地につき、ネーヴェを木につないで手頃な岩に座った。

 

 

「良い天気だなあ……」

 

 

 海で吹いた風は自分の家族も生活も吹き飛ばしてくれたというのに、見上げる空は穏やかに晴れ渡り、視線を巡らせれば麓の町から平原の向こうまで見渡せる。

 

 アリーチェはしばし瞑目し、父親と商会の者達の無事を祈った。

 

 

「それで、どうしようかな。魔石が扱えるから、最低限食べるには困らないかもしれないけど」

 

 

 村の農地で作業をしているのが見える。今、この村で子供でもないのに何もせずぼーっとしているのは自分だけだ。仕事を探さなければならない。

 

 魔石の扱いを商売にするには当地のギルドの許可が必要だったか。あるいはどこかの商家に雇いの口を探そうか。何にせよ一度近くのもっと大きな街を訪ねるべきかもしれない。

 日向ぼっこをしながら朧気に予定を組み立てていく。

 

 

 声が聞こえてきたのはそんな時だった。

 

 

《アリーチェ……アリーチェ……聞こえますか……今、あなたの頭の中に呼びかけています》

 

 

「…………?」

 

 何かの幻聴だろうか。心の中で喋ったのを実際の音と勘違いしたのだろうか。

 

 

 

《アリーチェ……アリーチェ……聞こえますか……今、あなたの頭の中に呼びかけています。

 あれ、調整間違えたかな。

 あー、あー、チキンください》

 

 

「えっ、何?」

 

 

 子供のような声が聞こえてくる。思わず立ち上がり、あたりを見回すが人影は無い。

 

《良かった、聞こえてるね。えー、こちらはテルミナリアのアーテル。

 遠くからあなたの頭の中に直接呼びかけています、そこにはおりません。あなたの助けを必要としています》

 

 距離を置いて響きわたるのではなくすぐ近く、誰も居ないのに耳元で囁かれてでもいるようだ。

 

《場所をお知らせしますので、良ければ都合のよろしい時にお一人でお越しください。報酬については応相談とします。それでは》

 

 

 声は一方的に告げるだけ告げて、途切れた。

 同時に、大きな棒のような白い影が遠くの空に現れる。

 

 棒は下の方が三角形に膨らみ、先端は尖っていて……そうだ、あれは矢印だ。

 空に浮かんだ巨大な矢印が、山間の一点を指し示している。

 

「ええ~~……なにあれ……」

 

 アリーチェはただ困惑して、少し不満のこもったような疑問を口にする。謎の声からの返事は特に無かった。

 

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