お金持ちのアリーチェ  ──没落し婚約破棄され都を追われた成金娘が猫と一緒に成り上がる話──   作:5es

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祈りてしこと

 

 客室として通されたのは、これもティニアの富裕層向けの宿を真似て作られたような部屋だった。

 浴室が備え付けられていて、そこでは弁の操作でいつでも湯が出せるようになっていた。

 運ばれてきた食事は、どろどろの赤色と緑色のペーストで、しきりのついた真四角の皿に入れられていた。

 

 アリーチェは、特にそれらに意識を向けず、茫洋としたまま、ついてきたロボットに手振りで促され、湯浴みをし、着替え、食事をとって床についた。

 

 

 

 

 少し眠っただろうか。この部屋も窓はなかったが、おそらくはまだ夜の明けない時間に目を覚ます。

 

 

 

(どうして私なの、か……)

 

 あの言葉を口にした時、アリーチェは畏れを覚えていた。

 

 

 父親の事については覚悟はしていた。

 だが、この目で彼の船が沈んでいくのを見届けて、商人の娘ではない、何者でも無くなった自分が居る事をはっきりと自覚したのだ。

 

 あの猫に対して呟いたのは、この身にどのような価値があるのかを示してほしいという、救いを求める問いかけだった。

 

 

 

 

 ──なんだそれは?ふざけるんじゃない

 

 

 

 ダンッ!!

 

 アリーチェは半身を起こし、壁に拳を打ちつけた。

 

 

 

 なんという屈辱だ。恥知らずだ。こんな事は許されない。会ったばかりのどこの誰ともわからない相手に自らの存在のありかを委ねようなどと。

 

 奴らが得体の知れない魔術を使うからなんだというのか。そんな事は今までの自分の人生に関係ない。

 魔力持ちだから選んだだって?そんな物はただの都合のいいだけの体質だ。毛を刈られ乳を搾られるのを待つだけの羊と同じ事だ!

 

 

 胸の奥から無軌道な怒りが湧きあがり、渦巻いていく。この恥は雪がねばならない。

 

 あの覗き見をしては他人事のように語る猫に目に物見せてやらねば気が済まない。

 人の家が破綻した途端に掌を返し、知らない顔をしようとするレオナルドをひっぱたいてやらなければ収まらない。

 尻馬に乗って夜会で恥をかかせてくれたマリエッタも、見世物のように周りを囲んで笑っていたあの招待客達も、トゥランまでついてきたと思ったら薄情にもすぐにどこかへ行ってしまった護衛にも!

 

 これまでこちらを軽く見てくれた奴ら全員、足元にひれ伏させ、この私というものを思い知らせてやらなければならない!

 

 

 闇の中、ひとしきり激した情動に身を震わせていると、やがて心が冷たく落ち着いていく中で、わだかまる感情がしかと定まったように感じた。

 

(今は何もかも足りない。計画が必要だ)

 

 アリーチェは部屋の仕掛けを操作して明かりを灯した。

 そしてベッドから降りると、荷物から帳簿を取り出して開き、まっさらな便箋を一枚とって、サイドテーブルに向かい、ペンを片手に書き付けを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、よく眠れたかい?」

 

「ええ、おかげさまで」

 

 

 翌朝、身支度をして客間に向かうと、そこには既にアーテルが待機していた。

 

 

「あなた達の依頼の事だけど、受けてもいい」

 

「そうか、それは助かる。前向きに考えてくれて感謝するよ」

 

 助かるというのは本当なのだろうか。そうである事を期待する。

 

 

 ここで一晩過ごしただけでも、彼らは自分の想像の埒外にあるような、高度な技術を持っている事は実感できた。しかし、昨日聞かされた話が全くの出まかせでないとするのなら、彼らには彼らの対立する構造があり、都合というものがある訳だ。

 

 異なる立場の者がお互いに利益を得られるのが、健全な取引であると言える。だからこそ、交渉という物が成り立つのだ。

 

 

「正式に依頼の受諾をする前に、一つ相談があるのだけれど……

 素寒貧の人間よりも、お金を持っている人間が探索を成功させる方が、あなた達の望むような自然な流れだと思わない?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ティニア連邦国は、実態としては一つの纏まった国として成り立っている訳ではなく、ティニア半島における都市国家群と小規模な独立君主達の、緩やかな同盟だ。

 

 それぞれの都市国家は、有力な商人や付近の小領主、それに古代ティルセニアの流れをくむ貴族などからなる、代表者たちの議会で運営される共和制である。

 

 主に力を持っているのは富裕な商人であり、ティニアは商人達の国であると言われている。

 

 

 帝都ウォルトゥナは、かつては西大陸の全域を支配したティルセニア帝国の首都であった事から、連邦の盟主とされているが、それはほぼ形式的なものだ。未だ力を持った都市国家の一つではあるが、支配的な地位にある訳では無い。

 

 有力な都市国家はその中心都市周辺のみならず、他の都市を飲み込んで広大な領域を有し、まさに一つの国と言えるだけの自立した勢力圏を成している。

 

 

 

 トゥランの村を出発してから三日、アリーチェはそのような有力都市のひとつである、メネルウァの近くまで来ていた。

 

 

 メネルウァはティニア北東を流れるアルパ河の河口にある大都市だ。流域の平野部一帯を領土とする強力な都市国家を築き、トゥランとセトランスもその支配域に含まれている。

 

 内海交易においては特に重要な位置を占め、東方から運ばれてきた品はこのメネルウァで取引されて、河を遡上して西方諸国各地に運ばれる。

 世界の東西を結びつける、西大陸の玄関口だ。

 メネルウァの商人は、あらゆる品物が集まるこの都市こそが世界の中心であると言ってはばからない。

 

 

 

 

 メネルウァへと通じる川沿いの街道から少し外れたところに野原があった。アリーチェはそこで適当な木にネーヴェを繋ぎ、白い花を選んで根元から摘んでいた。

 

 十分な数が集まると、茎を結んで繋ぎ、輪を作っていく。

 やがて白い花輪が完成すると、ネーヴェを連れて川縁に向かった。

 河は緩やかに流れてきらきらと陽光を照り返し、水上を渡る風が海から仄かな潮の香りを運んでくる。

 

 アリーチェは大きく振りかぶって花輪を投げた。そして白い輪が静かに水面に落ち、ゆっくりと流れていくのを見ながら、歌を唄う。

 こうして海に消えた船乗り達に道を示し、天界に送り出す。ティニアの古い慣習だ。

 

 歌い終え、しばらく黙祷する。

 そして川面を眺めつつ、昔の事を思い出していた。

 

 

 

 アリーチェが物心ついてから、カルロは何かと機会がある度に、仕事に連れ回していた。

 商談や会見の際にも、倉庫や市場で商品を検分するにもアリーチェを伴い、一段落つくたびにあれはどこの誰で何の手続きをしていただとか、穀物や香辛料、衣類、武具などの見分け方や値段はどうだとか聞かされ、アリーチェはそのような実際的な話をおおむね楽しんでいた。

 早くから家庭教師がつけられて算術や語学を習っていたが、カルロは折を見て自ら貨幣の種類や両替の仕方、為替の基本などを教えようとしたものだった。

 

 つまりはアリーチェは女性ながら最初から商人として仕込まれていて、自身も全くそれを納得し、これこそ自分の世界だと思っていたのだ。

 

 

 

 

 周囲を見回し、すぐ近くには人の気配が無いことを確認してから、馬の背に声を掛けた。

 

 

「そろそろ行きましょうか」

 

 

 鞍の上で丸くなっていたアーテルは、起き上がって猫のように伸びをする。

 

 

「もういいのかい?」

 

「ええ……でもあなたは、これからしばらく街ですごすのにそのままじゃない方がいいかな」

 

 

 アリーチェは荷物から、大きな赤いハンカチを取り出した。

 アーテルの後ろに回り、首元にスカーフのように結ぶ。真紅の布地に黄金色の縫い取りがしてあり、少し派手だが飼い猫の目印には丁度いいだろう。

 

 

「どう、苦しくない?」

 

「問題ないよ」

 

「よし、じゃああなたは私の使い魔ということで頼むわね」

 

 

 使い魔とは、魔力持ちの人間が持つ事のある、動物の友の事だ。長年連れ添った猟犬や偶然出会った鴉など、対象は様々であるが、極稀に天啓のように心が通じあうのだという。

 もっとも、それで人のように喋れるようになったり魔術を使いだしたりなどする訳ではないのだが。

 

 

「そういえば、一つ確認し忘れてたけど。私の頭の中に呼びかけてたけれど、あなたって心が読めるの?」

 

 

「ああ、それは違う。脳神経マトリクスを解析して表層意識に言語情報を流すなんていうのは結構な手間がかかるんだ。

 あれは固有魔力波長に合わせた信号で頭部の骨をわずかに振動させて……まあ要するに、ごく小さな音を頭の中で出したというだけだよ」

 

「そう。それじゃ街で私に話しかける時もそうしてね」

 

「OK、大丈夫。ちゃんと猫みたいにしとく。ヘマはしないさ。後、僕にこっそり話しかけたい時も、口の中で小声で呟いてくれれば聞き取るよ」

 

(別に見てる限りだと、普通に猫なんだけどなあ)

 

 

 以前に猫を飼っていたことがあり、ここ数日の同行の間でもつい同じ様に扱ってしまいそうになる。

 

 アリーチェはネーヴェにまたがると街道に戻り、下流の方に馬首を向ける。

 目指すメネルウァの市壁は、もう視線の先に見えていた。

 

 

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