お金持ちのアリーチェ  ──没落し婚約破棄され都を追われた成金娘が猫と一緒に成り上がる話──   作:5es

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ギャンブラーと金貨100枚の話

 

 人気の少ないメネルウァの裏路地を通り、アリーチェは工業区の方へ向かっていた。

 がしがしと、ブーツの踵を踏み鳴らすように歩き、仏頂面で、ぶつぶつと猫に話しかけながら。

 

 

「北方人っていうのはね、昔はそこら中荒らし回ってた人たちなのよ。

 氷海から大陸北西のヴェステリア島、河を伝ってティニア近くまでもね」

 

《ほうほう》

 

「氷海の方では今でも海賊同然、襲える船が居れば見境なく襲うし、他国に出向いて平気で略奪もする。

 こちらから交易に出向いたら荷物だけ取られて放り出されるのもざらだって聞く。

 野蛮人なのよね」

 

《そうなんだ》

 

「商人を名乗ってたりするけど、大体は暴力を後ろ盾にした毛皮や奴隷の売却とか、身内で固まった交換で、大きく商売してもどんぶり勘定でまともな帳簿の付け方も知らない。

 そのくせ正当に取引したティニア商人を詐欺師呼ばわりしたりする、どーしようもない奴らだわ」

 

《うーんと、よくわからないんだけどさ》

 

「何、どうかした?」

 

《君があの金貸しのおじいさんとごついお兄さんから金貨100枚借りるっていうのは、上手く行ったんだよね?それでも今は随分と不機嫌そうに見えるけど、どこかダメなとこあったのかな》

 

 アリーチェは立ち止まって、薄暗い路地裏から建物に切り取られた空を見上げた。

 

「別に…………何も問題は無かった、予定通りよ。ただ──」

 

《ただ?》

 

「自分のことを好き勝手に値段で評価つけられるっていうのは、思ってたよりすごくむかつく」

 

《なるほど》

 

 しかもあいつら値切りやがったのだ。

 実際、計画に従って必要な事をして、一つ上手く運んだ。何が悪いと言うなら、身売りなんて真似をするハメになったという状況が悪い。

 結局は、金が無いのがいけないのである。

 

 懐にある金貨十枚の入った皮袋に手を触れ、感触を確かめる。

 元手はできた。後は増やすだけだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「やあ、2日ぶりだねアリーチェ。座って待っててくれ、いま紅茶を淹れよう」

 

 毛織物工場の事務室に入ると、ハルトに上機嫌で迎えられた。彼自ら部屋の一角にある炉に火を入れ、ケトルで湯を沸かし始めた。

 

「私からの情報、信用してもらえたでしょうか?」

 

「ああ、驚いたよ。全てぴたりと的中だ。メネルウァ中の商人が靴を舐めてでも見たがる内容が、あの紙一枚に詰まってた。確実にその辺のクーリア(情報屋)達の何歩も先を行ってる。種は教えてもらえるのかい?」

 

「その必要は無い。肝心なのは私だけがどの船がいつ帰ってくるかを正しくわかっていて、他の誰もそれを知らないという事。そうでしょう?」

 

「それなら、そういう事でいいさ。それが君の魔法に乗らせて貰う条件と言うならね」

 

 

 海上交易の品目というのは、元々値段が変動しやすい。

 

 ある品物が年二回の特定の船便のみで入荷するとして、その入港が七日遅れれば現地では二割値上がりし、半月遅れれば五割は上がる。そしていざ船が無事につけば平常より大きく値下がりし、難破の知らせでも入れば二倍や三倍ででも取引されるようになるのだ。

 

 内海の悪魔に多くの船が沈められたこの状況で、未来を見通すという事がどんな恐ろしい意味を持っているか、ティニア商人でわからない者は居ない。

 

 

 ケトルが沸き立ち、熱湯が陶器のティーポットとティーカップに移されて温められる。ハルトは一度湯を捨ててからまたティーポットに注いで茶葉を入れ、ティーポットを持ち上げて葉を踊らせ、数分待ってから、二組のティーカップに二度に分けて注いだ。

 

「さあ、どうぞ」

 

(なにか盛られてたりしない?)

《特に異常は無いよ》

 

 念の為、アーテルに確認の上で口をつける。

 

「良い葉を使ってるんですね」

 

「趣味なんだ。先の嵐の影響でしばらく買えなくなるだろうけど、風味が落ちるまで取っておいても仕方がない」

 

 ちょうどアリーチェも気分がざわついていたところだった。

 出された温かい紅茶を飲み、その熱と香りを取り込むと、胸の内が落ち着いてくる。

 

「──ふう、くつろぐにはこれが一番だ。

 それでだ、まず聞いておこう。

 この船の情報、他にも知ってる人は?」

 

「私と、ハルト様だけです」

 

「そうか。まあ値動きを見ても知られてるような気配は無かったからね。信じるよ。

 それじゃあ、他のもっと大きな商家や、メネルウァの行政官ではなく、僕の所にこの話を持ってきたのは何故だい?」

 

「まず、私はメネルウァ市民ではありません。メネルウァの運営に対して義務を負うものでは無いし、都市政府に報告をしてこれに見合う見返りがあるとは思えない。

 そしてまた、メネルウァ市民でない私には、この街での協力者が必要です」

 

「それが、僕だと」

 

「ええ、メネルウァの商人組合員であり、多岐にわたる品目についての売買の実績があり、そしてメネルウァ証券取引所に出入りしていた経験のある人です」

 

「つまり、僕の以前の顛末を承知の上で訪ねてきたわけだ」

 

「はい、父カルロから聞いております」

 

 ハルトは賭博じみた証券取り引きにのめり込み、損失を重ねて工場を傾かせた過去がある。カルロとの縁も、彼の親族に頼まれて立て直しに協力した際に出来たものだ。

 真面目にやっていれば堅実で悪くない経営者だが、あれはその内またやらかすのではないかとはカルロの評だった。

 

 そしてアリーチェが求める協力者とはつまり、メネルウァ商人として確かな立場を持ちながら、一緒に身代を賭けた博打に付き合ってくれる人物だ。

 

 

「これでも昔の事は反省してたんだ。僕は下手くそだったし、あれから工場の運転資金に手をつけた事は本当に無いんだよ」

 

「しかし、賭ければ必ず勝てる勝負があって、それをしなければ確実に先が無いのなら、どうでしょう。やらない理由は無いのでは?」

 

 

 ハルトは紅茶を飲み干し、少しの間目を瞑ってからまた口を開いた。

 

 

「──親戚の叔父が居てね。

 トンマーゾ・メルクリオって言って、昔はメネルウァ評議会の議員だったんだけど、こいつが実にいけすかないヤツなんだ。

 工場が破綻したら、おそらくそいつの手に渡ることになる。

 職人達は最低限の賃金で使い潰されるだろうし、僕も一生下働きの扱いになるね」

 

「お名前は存じています。十年程前の、職人達の反乱騒動の原因を作ったという方だとか」

 

「そう、そのトンマーゾさ。一族の爪弾き者だ。

 反乱騒動じゃ牢に繋がれる事は無かったらしいが、ティニアには居られなくなった。今は北のルーヴェランを拠点にしていて、またメネルウァにちょっかいを出したがっている。

 僕はあいつにだけは譲りたくない」

 

「そうですか、お力になれるといいのですが」

 

 アリーチェはそう言ってカップを傾ける。

 

「君の船の予測は、どれくらいの範囲まで効くのかな」

 

「二週間ほど先まで、ほぼ確実に」

 

「この間来た時は、僕に出資してくれると言っていた。

 実際にはどういうやり方を考えているんだい?」

 

「私とハルト様で合名会社を作りましょう。利益の分配は互いに五割、期間は二ヶ月、私からの出資はメルラン金貨100枚。ジャンマルコ・ダンディーニ様に借り受けてきた、出せる全額になります」

 

 この場合の合名会社というのは、期間を決めて特定の事業の為に複数人で資金と労力を出し合い、利益を取り決めに従って分配する契約だ。

 

 金貨100枚というのは、慣習として、出資の最低ラインである。これを下回っている場合、後から裁判に掛けられ、正当な構成員として認められない事もある。

 本当のゲームに参加するための資格となる金額だ。

 野望に燃えた零細の商人が、なんとか金貨100枚を捻り出して一山当てようと目論むなどというのはティニアの一つの典型だった。

 

 

 ハルトはアリーチェの差し出した借金の契約書の写しを確認して頷く。

 

「君も本気という事だね。

 僕の方では、すぐに動かせる金額が、かき集めて250メルランくらいかな。工場を持たせるには、まず一ヶ月以内に500メルラン、そして、その後の支払いの為に2000メルランも稼げれば安泰だ」

 

「では、とりあえず5000メルランの利益を上げることが目標になりますね」

 

「簡単に言うね」

 

「でも、できる。そう思うでしょう?」

 

 ハルトは、くふふ、と含み笑いをもらした。

 

「できる、できるとも!本音を言えば君がまた訪ねてくるのが楽しみで仕方がなかった。しかも、三日とは言わず十日以上先までわかるっていう!

 今すぐにでも合名会社契約を結ぼうじゃないか!」

 

「ええ、喜んで」

 

 アリーチェは既に契約書を用意していた。

 ハルトは何度か読み直した上で必要な事項を記入していく。

 

「この、ジーロ・メルクリオという方は?」

 

「僕の妹で、工場の共同経営者だ。今は何とか支援者を見つけられないかと他所の街の親戚や知り合いの所を回っていて、戻ってくるのは来月以降になる。代理人として委任状を預かっているよ、これだ」

 

 見せられた書面を確認するが、確かにそうなっている。

 

「無断の形になってしまうが、今は僕の決定が絶対だし、工場をトンマーゾに渡したくないのはジーロも同じはずだ。契約に支障は無いよ。」

 

「その様ですね、わかりました」

 

 

 記入が終わり、アリーチェとハルトの名前がサインされる。

 最後に二人の印章が押され、契約書が完成した。

 

「これでしばらく僕らはパートナーだ。もう堅苦しい言葉使いも要らないよ。

 よろしく、アリーチェ」

 

「そうね。よろしく、ハルト。期待してる」

 

 立ち上がって握手をかわす。

 

「任せてくれ。ようし、これから忙しくなるぞお……」

 

 ハルトは興奮冷めやらぬように歩き回り、机の書類をひっくり返し始めた。

 こうして見ると、根っこに博徒の気質があるというカルロの見立ては正しかったのだろう。

 だが、それでいい。

 大体、絶対に勝てる賭け事の前に心が浮き立つ事のない人間なんて居ないのではないか?

 

 現にアリーチェだって、この様にわくわくし始めているのだから。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 メネルウァ中央証券取引所は、西方諸国でも限られた大きな交易都市にのみ存在する、商人集会の施設の一つである。

 実際の形としては、四角い広場に屋根を付けて壁で囲っただけのシンプルな建物だ。

 

 季節によっては中心にどーんと目玉の商品の見本が置かれ、その他には現物は持ち込まれない。小麦も鉱石も武具も羊毛も、全ては紙とペンで取引される。

 

 金貨銀貨すらも必要ではない。

 預金の証書や債権、どこの銀行の特定の銀貨でのみ支払われる為替手形だとか利回り何%の都市債だとか、通貨自体が様々に形を変えて受け渡される。

 

 各所に机が置かれ木札が吊るされ大きな黒板が立てられ、数分前に記された相場に上から線が引かれては乱暴に数字が書かれて更新され、布告人が大声で宣言する。

 

「シナモン16の18!サフラン21の26!クローブ7の65!シルフィウム12の12!」

「羊2梱、15金、買いだ!」

「セルヴァン杉7月一艘120から!」

「130!」

「135!」

「160!」

「タルナ葡萄酒一斗14!底!」

 

 各種の商品については、メネルウァの港の倉庫ですぐそのまま受け取れる受領証から、何ヶ月先のどこそこの街での先に決められた金額での売買契約などと、品目ごとに仲買人や交易商が固まって集まり、その道の人間以外には意味不明なまでに略された数字や注文が飛び交っている。

 

「西方同盟船団の先触れの一隻が入港した!内訳あるぞ!」

 時折ニュース売りのクーリアが駆け込んで来ては人が群がる。一手の情報力の違いが金貨数十枚の差益となってあらわれるのだ。

 これから先の未来、まだ届いていない船、まだ決まっていない配当、まだ起こっていない戦争をもとに、紙切れ一枚に賭けられている。

 

「いやあ、盛り上がってるね。内海の悪魔が通り過ぎてからこっち、ずっと荒れ場だ」

 

「あそこに居るの、半分以上はただの投機家よね?」

 

 ハルトと契約を結んだ翌日、十時の鐘が鳴ってすぐ。

 門の外から見える取引所の中は、取引開始の時刻から既に人でごった返していた。

 

「ああ、その通りだ。朝から晩まで取引所に入り浸って、せこい利ザヤ稼ぎを繰り返しながら一発の大儲けを狙ってる。僕らもそのお仲間という事になるね」

 

「うーん、それはそうだろうけど。こうしてこの目で見るのは初めてなのだけど、あまり行儀のよろしい感じでは無いわね」

 

「取り引きにおいては本来誰もが平等だからこその僕らのチャンスって事だ。

 でもまあ、確かにああいった手合に目をつけられて無駄に材料が値上がりして迷惑をかけられたのは一度や二度じゃない。カモにしても胸の傷まない獲物だ。刈り取ってやろうじゃないか」

 

 中央証券取引所に参加できるのは、メネルウァの商人組合に属した人間か、商人組合に届け出て認められた人間であり、アリーチェは入場できない。

 

 ぱりっとしたメネルウァ商人の正装姿のハルトは、眼鏡をくいと上げて背中越しにアリーチェに手を振ってから、意気揚々と門のアーチをくぐり、人ごみに混ざっていった。

 

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