嬉しさ報告させてもらうぜ!
ミレニアムサイエンススクール。
朝の校舎には、いつも通り生徒たちの声が響いていた。
その中を、小柄な少女が鞄を揺らしながら歩いている。
黒い髪に黒い瞳。頭上には、キヴォトスの生徒であることを示すヘイロー。
身長は百四十センチ。
彼女の名前は、天童エース。
ミレニアムの生徒たちから愛され、困っている生徒を見つければ放っておけず、ついつい世話を焼いてしまう少女である。
「おはようございます!」
「あら、エースさん。おはようございます」
「おはよう、エース!」
「おはようございます! 今日も元気そうですね!」
すれ違う生徒たちに挨拶を返しながら、エースは校舎を進んでいく。
その途中、廊下の隅で何やら困っている生徒を見つけた。
「どうしたんですか?」
「えっ? ああ、エースちゃん。いや、ちょっとね……」
生徒が抱えていたのは、いくつもの書類と端末だった。
どうやら、部室に運ぶ途中で端末の調子が悪くなり、作業が止まってしまったらしい。
「なるほど。ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「いいの?」
「もちろんです!」
エースは端末を受け取ると、画面を確認し、いくつか操作を行った。
「これでどうでしょう?」
「おおっ! 直った!」
「よかったです!」
「ありがとう、エースちゃん!」
「いえいえ。困った時はお互い様ですから!」
そう言って、エースは再び歩き出す。
彼女にとっては、いつものこと。
誰かが困っていれば手を貸す。それだけのことだった。
そして、その背中を見送った生徒は、隣にいた友人へと呟く。
「……本当に、あの子って天使みたいだよね」
「分かる。慈愛の聖母って呼ばれてるのも納得だよ」
当の本人が聞けば、きっと顔を真っ赤にして否定するだろう。
そんな噂が広がるほど、エースはミレニアムに馴染んでいた。
* * *
「エース! そこの書類、こっちに持ってきて!」
「はーい!」
セミナーの部室。
エースはユウカに頼まれ、書類の束を運んでいた。
「……本当に、エースがいると助かるわね」
「そうですか?」
「そうよ。あなた、頼んだことを嫌な顔ひとつせずにやってくれるんだもの」
「ユウカだって、いつも頑張ってるじゃないですか。私にできることなら手伝いますよ!」
「……そういうところよ」
ユウカは小さくため息をついた。
その隣では、ノアが楽しそうに二人の様子を眺めている。
「ふふ。ユウカちゃん、すっかりエースちゃんのお姉さんですね」
「なっ!? そ、そんなことないでしょ!」
「そうですか? 先ほどからエースちゃんが少し動くたびに、目で追っていますけど」
「ノア!」
「ふふふ」
エースは二人のやり取りを見て、くすりと笑った。
「仲良しですね!」
「どこがよ!」
「そうですね。仲良し、ということにしておきましょうか」
「ノアまで!」
そんなやり取りをしながら、三人はいつも通りの時間を過ごしていた。
やがて、ユウカが作業を終えると、エースの頭を撫でる。
「はい、お疲れ様。ありがとうね」
「えへへ。どういたしまして!」
その様子を見ていたノアが、そっとエースの後ろに回り込んだ。
「それでは、私からもお礼を」
「え?」
ぎゅっ。
ノアがエースを抱きしめた。
「の、ノア!?」
「ふふ。今日も可愛らしいですね」
「ちょっと、ノア! 仕事中でしょ!」
「おや。ユウカちゃんも抱きしめたいのでしょうか?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「ふふふ」
エースは二人の間で、困ったように頬を膨らませる。
「もう! 二人とも、からかわないでください!」
その声に、セミナーの部室には笑い声が響いた。
* * *
「……エース、まだ?」
「もう少しです!」
ヴェリタスの部室。
ハレは椅子に座り、エースが用意している食事を待っていた。
机の上には、片付けられた資料と、整理された端末類。
以前なら、食べ終わったカップ麺の容器や空き袋が散乱していた場所だ。
それが今では、すっかり綺麗になっている。
「はい! できましたよ!」
エースがテーブルに料理を並べた。
「おお……」
コタマが感嘆の声を漏らす。
「これは美味しそうですね」
「エースの料理は、いつ食べても美味しいですからね」
チヒロも頷いた。
「いただきます!」
ハレは早速、料理を口に運ぶ。
「……うん。美味しい」
「よかったです!」
エースは嬉しそうに笑う。
「それで、今日は何をするんですか?」
「ゲーム」
「またですか?」
「また」
「ふふ。では、私も参加しましょうか」
「私もやる!」
「それでは、今日は四人で遊びましょう!」
エースはハレたちと一緒にゲームを始めた。
時には協力し、時には対戦し、時には理不尽なゲームの仕様に文句を言う。
エースはアウトドア派ではあるが、ゲームも好きだった。
そのため、ヴェリタスの面々と過ごす時間は、彼女にとっても楽しいものだった。
「……エース」
「はい?」
「次、これやろう」
ハレが別のゲームを起動する。
「いいですよ!」
「今度は負けないから」
「私も負けません!」
「……その言い方、ちょっと腹立つ」
「ええっ!?」
また、部室に笑い声が広がった。
その日の帰り際、ハレはエースの袖を掴んだ。
「……また来てね」
「もちろんです! またご飯も作りに来ますね!」
「……うん」
ハレは小さく頷いた。
それが、いつもの約束だった。
* * *
「ふむ。今日も実に素晴らしい働きでしたね、エースさん」
「ありがとうございます、ヒマリ先輩!」
「その素直さ、実に好ましい。私の後継者にしてあげてもよいですよ?」
「えっ!? それはちょっと……」
「おや、遠慮する必要はありませんよ?」
ヒマリは車椅子に座ったまま、優雅に微笑む。
その隣では、リオが端末を操作していた。
「ヒマリ。彼女をあなたの後継者にするという話は、現実的ではないわ」
「あらあら。これはこれは、合理性の権化であるリオ副会長様ではありませんか。今日もまた、人間の心を数値化して満足しているのでしょうか?」
「私は必要な情報を分析しているだけよ」
「なるほど。では、あなたのその冷たい心も、いつか分析して改善できるといいですね」
「……あなたと話していると、時間の無駄だと感じるわ」
「奇遇ですね。私も同じことを考えていました」
「二人とも!」
エースが間に入った。
「せっかく一緒にいるんですから、仲良くしましょうよ!」
「……エースさんがそう言うのであれば」
「……分かったわ」
両者とも、エースの言葉には素直に従った。
それを見たエースは、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった!」
「ふふ。エースさんは本当に不思議な方ですね」
ヒマリがエースの頭を撫でた。
「そうでしょうか?」
「ええ。あなたがいるだけで、あのリオと落ち着いて話ができるのですから」
「それは私も同じよ。エースがいると、ヒマリとの会話も成立しやすい」
「……ふむ」
ヒマリは少しだけ目を細める。
「それはつまり、私たちの間を取り持つエースさんが必要不可欠ということですね?」
「そういうことになるわね」
「ふふ。では、これからもよろしくお願いしますね、エースさん」
「はい!」
エースは二人に笑顔を返した。
その後、リオはエースにアバンギャルド君の新しい設計案を見せ、ヒマリはそれに対して皮肉を交えながらも意見を述べた。
エースは二人の話を聞きながら、楽しそうに相槌を打つ。
そんな穏やかな時間が、そこにはあった。
* * *
「エース! ちょうどいいところに来たね!」
「ウタハ先輩! 何を作っているんですか?」
エンジニア部の部室。
そこでは、巨大な機械が組み上げられていた。
「新型の自律稼働型作業ロボットだよ。今回は、従来のものよりも作業効率を大幅に向上させることを目標にしている」
「おおっ! すごいですね!」
「そうだろう? そして、ここからが本番だ。今回の機体には、私のロマンを詰め込んでいる」
ウタハは楽しそうに説明を始める。
エースはその話を聞きながら、部品を手渡したり、工具を準備したりして作業を手伝った。
「この配線は、こちらに通した方がいいと思います」
「なるほど。確かに、その方が整備性も良くなるね」
「それに、ここに補強を入れれば、動作時の負荷にも耐えられると思います!」
「いい着眼点だ。さすがエースだね」
ウタハは満足そうに頷いた。
エースと一緒に作業をする時間は、彼女にとっても楽しいものだった。
自分の考えたロマンを否定せず、むしろ一緒になって楽しんでくれる。
そんな友人は、ウタハにとって貴重な存在だった。
「よし、完成だ!」
「おおーっ!」
起動したロボットが、ゆっくりと腕を持ち上げる。
そして、作業台に置かれていた工具を掴み、指定された場所へと運んだ。
「成功ですね!」
「ああ! 大成功だ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
「また次も手伝ってくれるかい?」
「もちろんです!」
「ありがとう。君となら、もっと面白いものが作れそうだ」
ウタハはそう言って、エースの頭を軽く撫でた。
「……そうだ。今度は安全装置にも力を入れてみようか」
「安全装置ですか?」
「ああ。ロマンを追い求めるのは楽しいが、使う人が安心できなければ意味がないからね」
「それは大事ですね!」
「そうだろう?」
ウタハは笑った。
この時はまだ、彼女がその言葉を何度も思い返すことになるとは、誰も知らなかった。
* * *
「エースさん! あと一周、頑張って!」
「は、はいっ! まだまだいけます!」
校内のトレーニングコース。
エースはスミレと並んで走っていた。
「いいペース! その調子!」
「スミレこそ、全然疲れてないじゃないですか!」
「当然! 日頃の鍛錬の成果だよ!」
「私だって負けません!」
最後の直線。
二人は競うように速度を上げ、ほぼ同時にゴールへと飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……!」
「ふぅ……。今日もいいトレーニングだったね!」
スミレは爽やかな笑みを浮かべる。
エースは膝に手をつき、呼吸を整えていた。
「いやあ……やっぱりスミレはすごいですね」
「エースさんも十分すごいよ。今回はいつもより長いコースを走っていたのに、最後までついてくるなんて」
「えへへ。スミレと走るのは楽しいですから!」
「そう言ってもらえると嬉しいね!」
スミレはエースの肩を軽く叩いた。
「これからも一緒に鍛えていこう!」
「はい!」
その後、二人は水分補給をしながら、次のトレーニングについて話し合った。
エースにとって、スミレは一緒に身体を動かせる大切な友人。
スミレにとっても、エースは自分の努力を理解し、最後まで付き合ってくれる大切な仲間だった。
* * *
「エースちゃーん!」
「わっ!?」
突然、背後から抱きつかれた。
振り返ると、そこにはアスナがいた。
「アスナ先輩!?」
「えへへ。今日も可愛いね~!」
「もう! 急に抱きつかないでください!」
「えー? いいじゃん!」
その様子を見ていたカリンが、呆れたように息を吐く。
「アスナ先輩、あまりエースを困らせるな」
「えー、カリンも抱っこしたいんでしょ?」
「なっ!? そ、そんなことは言っていない!」
「ふふ。カリンも素直ではありませんね」
アカネが微笑みながら近づいてきた。
「エースちゃん、今日はお時間がありますか?」
「はい。特に予定はありませんよ?」
「でしたら、少しお付き合いいただけませんか?」
「何をするんですか?」
「それは秘密です」
アカネは意味深に笑った。
その後、エースはC&Cの四人と一緒に買い物へ出かけた。
途中、エースたちは服屋に寄り、アスナに服を選ばれ、カリンにサイズを確認され、アカネに髪を整えられる。
ネルはその様子を腕を組んで眺めていた。
「お前ら、またエースで遊んでんのか」
「だって可愛いんだもん!」
「可愛いのは分かるけどよ……」
ネルはエースの頭に手を置いた。
「お前も嫌なら嫌って言えよ?」
「嫌ではないですけど……ちょっと恥ずかしいです」
「だってさ。ほどほどにしとけよ」
「はーい!」
アスナは返事をしながらも、エースを抱きしめたままだった。
ネルは小さく笑う。
「まったく。お前ら、こいつのことになると甘いよな」
「ネル先輩もですよ?」
「うるせえ!」
そんなやり取りに、アカネがくすりと笑った。
そして、帰り道。
エースはアカネと並んで歩いていた。
「アカネ!」
「はい?」
「今日もありがとう。楽しかった!」
「……こちらこそ、ありがとうございました」
アカネは少しだけ視線を落とした。
「エースちゃんといると、不思議と気持ちが楽になるんです」
「そうですか?」
「ええ。以前の私は、同年代の方と話すことが少し苦手でした。自分の気持ちをどう伝えればいいのか分からなくて……」
「今はどうですか?」
「今は……エースちゃんや、ユウカ、ノアと話すのが楽しみです」
アカネは微笑んだ。
「エースちゃんのおかげで、私の世界は少し広がりました」
「そんな、大げさですよ!」
「いいえ。私にとっては、とても大切なことです」
アカネはエースの手を取った。
「これからも、よろしくお願いしますね」
「はい! こちらこそ!」
その光景を少し離れた場所から見ていたネルは、満足そうに頷いた。
* * *
「おい、エース。今日、時間あるか?」
「ネル先輩? はい、ありますけど」
「ちょっと付き合え。手合わせだ」
「いいんですか?」
「ああ。最近、お前の動きも良くなってきたからな」
ネルは口角を上げる。
「ただし、今日は手加減しねえぞ」
「僕だって、簡単には負けません!」
訓練場。
エースはケースからデザイアドライバーを取り出した。
「変身します!」
「おう。来い!」
エースはモンスターバックルとブーストバックルを装填する。
変身音が響き、青を基調とした装甲がエースの身体を覆う。
仮面ライダーギーツ。
ネルは愛用の武器を構えた。
「始めるぞ!」
開始の合図と同時に、ネルが踏み込む。
銃撃を織り交ぜながら距離を詰め、隙を見せれば一気に畳みかける。
対するエースはブーストの加速を利用し、攻撃を回避しながら反撃の機会を窺った。
「おらっ!」
ネルの一撃が迫る。
エースは身体を傾けてかわし、反対側へ回り込む。
しかし、ネルはすぐさま反応した。
「甘い!」
武器を振り抜き、エースの動きを止める。
エースは腕で受け止めたものの、勢いを殺しきれず後退した。
「くっ……!」
「どうした? まだまだだろ!」
「もちろんです!」
エースは再びブーストを発動。
今度は正面からではなく、床を蹴って斜めに飛び込む。
ネルは銃口を向けるが、エースはその射線を外しながら接近した。
拳が迫る。
ネルはそれを受け流し、すかさず反撃を繰り出す。
だが、エースも負けてはいない。
装甲の出力を活かして踏みとどまり、体勢を立て直す。
「いいぞ、エース!」
「まだまだこれからです!」
互いに攻撃を繰り出し、受け止め、距離を取る。
しかし、戦闘経験の差は大きい。
最終的に、ネルの一撃がエースの体勢を崩し、続く攻撃でエースは床に転がった。
勝負はネルの勝利。
「はぁ……やっぱりネル先輩は強いですね」
「お前もな。ブースト込みなら、前よりずっと食らいついてくるようになった」
ネルはエースに手を差し伸べた。
「ま、まだ勝てませんけど」
「当たり前だ。簡単に追いつかれてたまるかよ」
ネルは笑いながらエースを引き起こした。
その後、二人は訓練場を出て、いつもの店へ向かった。
「今日は何食う?」
「うーん……。ネル先輩のおすすめで!」
「よし。じゃあ、今日は肉だな!」
「いいですね!」
その日も、二人は食事を楽しみ、帰りにゲームショップへ立ち寄った。
ネルは新作ゲームを見つけると、エースに勝負を持ちかける。
エースも負けじと応じ、結局、店を出る頃にはすっかり暗くなっていた。
「沢山遊びましたね!」
「そうだな」
「また遊びに行きましょうね!」
「おう。また行こうぜ!」
それは、いつも通りの先輩と後輩の姿だった。
そして、二人にとっては、また繰り返されるはずの時間だった。
* * *
――朝。
ミレニアムサイエンススクールから少し離れた住宅街。
その一角にある住宅の一室で、目覚まし時計の音が鳴り響いていた。
ピピピピッ! ピピピピッ!
「んん……」
布団の中から小さな手が伸び、目覚まし時計を止める。
しばらくして、布団がもぞもぞと動いた。
「……朝かぁ」
天童エースは、ゆっくりと上半身を起こした。
黒い髪は寝癖で少し跳ねており、黒い瞳はまだ眠そうに細められている。
頭上には、キヴォトスの生徒であることを示すヘイロー。
エースは大きく伸びをすると、ベッドから降りた。
「よしっ。今日も頑張ろう!」
洗面所で顔を洗い、寝癖を直し、制服に着替える。
身支度を終えると、部屋の中を確認した。
机の上には、授業で使う教科書やノート。
棚には、ゲームソフトや趣味の道具。
そして、部屋の隅にはデザイアドライバーやバックルを収納したケースが置かれていた。
エースはケースに目を向けたものの、特に触れることはなかった。
必要な時以外、仮面ライダーの力を使うつもりはない。
それは、彼女なりのこだわりだった。
「忘れ物は……よし!」
鞄を持ち、玄関へ向かう。
靴を履き、扉を開ける直前に、いつものように声をかけた。
「行ってきます!」
返事はない。
それでも、エースは特に気にすることなく家を出た。
今日も、いつも通りの一日が始まる。
*
通学路には、朝から多くの生徒たちが行き交っていた。
「おはようございます!」
「おはよう、エースちゃん!」
「今日も元気だねぇ」
「はい! そちらも元気そうで何よりです!」
すれ違う生徒たちに挨拶をしながら、エースは学校へ向かう。
彼女の姿を見つけた生徒が、遠くから手を振ってきた。
エースも笑顔で手を振り返す。
それだけで、周囲の空気が少し明るくなる。
エースは、ミレニアムにとってそんな存在になっていた。
しばらく歩いていると、端末が振動した。
画面を見ると、ユウカからメッセージが届いていた。
『おはよう、エース。今日は少し早めに来られる?』
『おはようございます! 大丈夫ですよ!』
すぐに返信する。
すると、今度はノアからメッセージが届いた。
『おはようございます、エースちゃん。ユウカちゃんが、あなたに手伝ってほしい仕事があるそうですよ』
『えっ!? ユウカ、また仕事増やしたんですか!?』
『ふふ。どうでしょうね』
『ノア! 余計なこと言わないで!』
ユウカからもすぐに返信が来た。
そのやり取りを見て、エースは小さく笑う。
「二人とも、朝から元気だなぁ」
今日もセミナーに顔を出せば、きっといつも通りの会話が始まる。
そんなことを考えながら、エースは歩き続けた。
*
通学路の途中には、工事中の区画があった。
道路の一部が封鎖され、周囲には安全柵や注意を促す看板が設置されている。
上方では、作業員たちが建物の補修作業を行っていた。
エースは特に気に留めず、歩道に沿って進んでいく。
その時だった。
――ガシャンッ!
金属同士がぶつかるような、耳障りな音が響いた。
「ん?」
エースが足を止め、音のした方向を振り返る。
工事現場の上方で、作業員たちが何かに気づいたように声を上げていた。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
エースが視線を上げる。
そこには、支えを失った鉄骨があった。
傾いた鉄骨が、重力に引かれて落下してくる。
「え――」
反応するよりも早く、視界が大きく揺れた。
直後、凄まじい音が通学路に響き渡った。
周囲の生徒たちが悲鳴を上げ、工事関係者が駆け寄る。
誰かが救急へ連絡し、別の誰かが周囲の人々を遠ざけようとする。
しかし、事故はあまりにも突然だった。
エースが再び立ち上がることはなかった。
*
その日の朝、ミレニアムの生徒たちは一つの知らせを受け取ることになる。
天童エース。
通学途中に発生した工事現場の事故に巻き込まれ、死亡。
あまりにも唐突で、あまりにも受け入れがたい知らせだった。
昨日まで笑っていた少女が。
今日も誰かに挨拶をするはずだった少女が。
明日も、いつも通り学校へ来るはずだった少女が。
もう、帰ってこない。
* * *
「…………え?」
セミナーの部室。
ユウカは、手元の端末に表示された通知を見つめていた。
そこに記されていたのは、通学途中に発生した事故の報告。
そして、被害者の名前。
天童エース。
「……何、これ」
最初は、何かの間違いだと思った。
同姓同名の別人かもしれない。
あるいは、誰かの悪質な悪戯かもしれない。
しかし、報告に記された学籍番号も、所属学園も、住所も、間違いなくエースのものだった。
「……嘘」
ユウカの手から端末が滑り落ちる。
床にぶつかった音が、静かな部室に響いた。
「ユウカちゃん?」
書類を整理していたノアが顔を上げる。
「どうしたんですか?」
ユウカは答えない。
ただ、床に落ちた端末を見つめていた。
「ユウカちゃん?」
ノアが近づき、端末を拾い上げる。
画面に表示された文章を読む。
そして、その表情が固まった。
「……これは」
「違うわよね?」
ユウカが、ようやく声を出した。
「ノア。これ、何かの間違いよね?」
「…………」
「だって、エースは今日も学校に来るって……さっき連絡したばかりなのよ?」
「ユウカちゃん……」
「返事だって来たのよ。いつも通りに。だから……」
言葉が途切れる。
ノアは端末を握りしめた。
「……確認しましょう」
「え?」
「まだ、私たちは何も直接確認していません。現場へ行きましょう」
その言葉に、ユウカは立ち上がった。
*
事故現場。
すでに周囲は規制され、工事関係者や救急隊員、警備担当の生徒たちが対応に追われていた。
ユウカとノアは、現場にいた関係者へ事情を尋ねる。
そして、返ってきた答えは、二人が最も恐れていたものだった。
「……間違いありません。天童エースさんです」
その一言で、ユウカの足から力が抜けた。
「そんな……」
ノアが彼女の腕を支える。
「ユウカちゃん!」
「……エース」
ユウカは現場を見つめた。
いつもなら、あの子がいるはずだった。
少し遅れてやってきて、二人を見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。
『おはようございます!』
そう言って、笑顔を向けてくれる。
その姿を想像してしまう。
けれど、そこにエースはいない。
「……どうしてよ」
ユウカの声が震える。
「どうして、エースなのよ……」
ノアは何も言えなかった。
慰める言葉が見つからない。
いつもなら、こういう時にエースが間に入ってくれた。
ユウカが怒れば、困ったように笑って宥めてくれた。
ノアが遠回しな言い方をすれば、少し考えてから素直な反応を返してくれた。
そんな彼女が、もういない。
*
その後、ユウカとノアはセミナーへ戻った。
部室の扉を開ける。
いつもと同じ机。
いつもと同じ椅子。
いつもと同じ端末。
ただ一つ、エースがいない。
彼女がよく座っていた椅子は、机の横に置かれたままだった。
「…………」
ユウカは、その椅子に近づく。
机の上には、以前エースが使っていた筆記用具が残っていた。
「これ……」
手に取る。
小さなペン。
エースが使いやすいように選んだものだった。
「この前、買い替えたばかりだったのに……」
ユウカはペンを握りしめる。
「まだ、使えるじゃない……」
ぽたり。
机の上に雫が落ちた。
ユウカは慌てて目元を拭う。
しかし、涙は止まらなかった。
「……帰ってくるわよね」
返事はない。
「明日になったら、またいつも通り……」
そこまで言って、言葉が続かなくなった。
ノアはユウカの隣に座り、そっと肩に手を置いた。
「……ユウカちゃん」
「……ごめん、ノア」
「謝らなくていいんですよ」
「私、エースに……まだ、話したいことがたくさんあったのに」
「私もです」
ノアはエースの椅子に視線を向ける。
「まだ聞いていない話も、伝えていないことも、たくさんあります」
彼女は微笑もうとした。
いつものように、余裕のある表情を作ろうとした。
けれど、うまくいかなかった。
「……本当に、困った同級生ですね」
ノアの目からも、涙がこぼれた。
その日、セミナーの部室には、いつもより一つ多い空席があった。
誰も、その椅子を片付けようとはしなかった。
### 12 それぞれの悲しみ
エースの死は、ミレニアム全体に広がっていった。
彼女と直接関わりのなかった生徒たちでさえ、どこかで名前を聞いたことがある。
困っている生徒を助ける小さな少女。
部室の掃除を手伝い、食事を作り、喧嘩を仲裁する少女。
いつの間にか、ミレニアムのあちこちに顔見知りができていた少女。
その少女が、突然いなくなった。
* * *
エースの葬儀を終えてからも、ユウカは普段の生活に戻れなかった。
セミナーの仕事は山積みだった。
会計処理、予算管理、各部活からの申請確認。
どれも、いつも通りにこなさなければならない。
しかし、端末を開くたびに、エースとのやり取りが目に入る。
『今日はありがとうございました!』
『また明日もよろしくお願いします!』
『ユウカ、無理しないでくださいね!』
何気ないメッセージ。
それが、今では何よりも大切なものになっていた。
「……もう、返信は来ないのね」
ユウカは端末を閉じた。
机の上には、手をつけていない食事が置かれている。
ノアが用意したものだった。
「ユウカちゃん。少し食べませんか?」
「……いらない」
「昨日も、ほとんど食べていませんよね」
「今は、食べる気になれないの」
ノアは無理に勧めなかった。
ただ、ユウカの前に座る。
「ユウカちゃん」
「……何?」
「あなたが自分を責めていることは分かっています」
「……」
「でも、あの日、エースちゃんが事故に遭うことを予測できた人はいません。ユウカちゃんが悪いわけではありませんよ」
「それでも……」
ユウカは俯いた。
「私が一緒に登校していれば、何か違ったかもしれない」
「そう考えてしまうのは分かります。でも、それは結果を知っている今だからこそ考えられることです」
ノアは静かに続ける。
「エースちゃんは、ユウカちゃんと一緒に過ごす時間が好きだったと思います。だからこそ、ユウカちゃんには、あの子と過ごした日々まで嫌いになってほしくありません」
「……っ」
「食べましょう。少しずつでいいんです」
ユウカはしばらく黙っていた。
やがて、箸を手に取る。
「……一口だけよ」
「はい」
ノアは穏やかに頷いた。
それからも、ノアはユウカの側にいた。
ユウカが食事を取れるようになるまで。
部屋から出られるようになるまで。
少しずつ、日常へ戻れるようになるまで。
ノア自身も、平気だったわけではない。
彼女は記憶力が非常に高い。
そのため、エースと過ごした記憶が、何気ない瞬間に鮮明に蘇ってしまう。
食堂で昼食を取っている時。
廊下を歩いている時。
セミナーの部室で書類を整理している時。
いつもなら、エースがいた。
『ノア、それ何ですか?』
『ふふ。秘密です』
『ええっ!? 教えてくださいよ!』
そんな会話が、頭の中で再生される。
そして、次の瞬間には、もうその声を聞けないことを思い出す。
「……本当に、困った友人ですね」
ノアは、エースの席を見つめた。
「こんなにたくさんの思い出を残していくなんて……」
彼女は、エースと過ごした日々を日記に書き残すようになった。
忘れたくなかった。
忘れてしまうことが、何よりも怖かった。
* * *
「……おい」
ネルは、訓練場で一人立っていた。
いつもなら、ここにはエースがいた。
変身して、自分に向かってくる。
時には食らいつき、時には一方的に押され、それでも最後まで諦めない。
そして勝負が終われば、悔しそうに唇を尖らせる。
『次は絶対に勝ちます!』
そう言って、次の手合わせを求めてきた。
「……次は勝つって言ってただろ」
ネルは拳を握った。
「まだ勝負は終わってねえだろうが……」
誰もいない訓練場に、その声だけが響いた。
やがてネルは武器を手に取り、いつも通り訓練を始めた。
悲しみが消えたわけではない。
それでも、彼女は立ち止まらなかった。
「約束された勝利の象徴」と称される彼女は、悲しみを抱えたまま前へ進む。
それがネルだった。
*
アカネは、いつも通りに振る舞っていた。
C&Cの仕事をこなし、部室を整え、仲間たちの世話をする。
「皆さん、今日の任務も問題ありませんでしたね」
「……アカネ」
「はい?」
「少し休め」
カリンが声をかける。
「私は大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ」
「本当に大丈夫ですから」
アカネは微笑んだ。
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
アカネにとって、エースは大切な友人だった。
自分の本音を見せることが苦手だった自分に、何の偏見もなく接してくれた。
そして、ユウカやノアたちとの縁も繋いでくれた。
自分の世界を広げてくれた恩人。
その存在を失った悲しみは、簡単に消えるものではない。
それでも、アカネは笑顔を崩さない。
崩してしまえば、もう立ち上がれなくなる気がしたから。
カリンは、そんなアカネを見ていた。
「……無理するなよ」
「……ありがとうございます」
アカネは小さく頭を下げた。
* * *
「……」
ハレは、いつものように部屋にいた。
モニターにはゲーム画面。
机には食べ終わったカップ麺の容器。
以前なら、エースが片付けに来ていた。
『ハレ! またこんなに散らかして!』
『……あとで片付ける』
『その“あとで”はいつですか!』
そんなやり取りをしながら、エースは部屋を掃除してくれた。
食事も作ってくれた。
身の回りのことも、何かと気にかけてくれた。
「……余計なお世話だったのに」
ハレは小さく呟いた。
自分の生活に踏み込んでくるエースを、最初は面倒に思っていた。
それでも、いつの間にか彼女が来るのを待つようになっていた。
今日は何を作ってくれるのか。
今日はどんなゲームを持ってくるのか。
今日は何を話してくれるのか。
そんなことを考えていた。
「……もう、来ないんだ」
ハレはゲームを一時停止した。
画面の中のキャラクターが動かなくなる。
部屋は静かだった。
今では、誰も自分のことを心配してくれない。
誰も、食事を持ってきてくれない。
誰も、部屋を片付けてくれない。
それがどれほど恵まれていたことなのか。
失ってから、ようやく気づいた。
「……エース」
ハレは机に伏せた。
その目から、涙がこぼれた。
コタマもチヒロも、エースのことを忘れたわけではない。
しかし、以前のように皆でゲームをすることはなくなった。
食事を囲むこともなくなった。
部室の掃除をしてくれる小さな後輩もいない。
ヴェリタスにとって、エースはもう一人の家族のような存在だった。
* * *
ヒマリは、普段通りに仕事を続けていた。
情報分析、作戦立案、機器の設計。
やるべきことはいくらでもある。
「……次の資料をお願いします」
「はい」
部員が資料を渡す。
ヒマリは内容を確認し、必要な指示を出した。
いつも通り。
何も変わらない。
そう振る舞っていた。
しかし、リオと話す時だけは、違った。
「……ヒマリ」
「何ですか」
「次の作業について、少し相談があるの」
「分かりました。聞きましょう」
会話は淡々と進む。
以前なら、ここで嫌味の応酬が始まっていた。
ヒマリが皮肉を言い、リオが冷静に返す。
その間にエースが入って、二人の話を聞きながら場を和ませる。
そんな時間があった。
けれど、今はない。
「それでは、私はこれで失礼するわ」
「ええ」
リオが去っていく。
ヒマリは、その背中を見送った。
「……つまらないですね」
誰に聞かせるでもなく呟く。
エースがいた頃は、あれほど騒がしかった。
けれど、今では必要な話しかしない。
ヒマリは、自分がエースの存在にどれほど救われていたのかを、失ってから理解していた。
*
リオもまた、エースの死を受け入れられずにいた。
「……私の責任ではない」
自室で、何度もそう言い聞かせる。
しかし、頭の中では別の考えが浮かんでくる。
工事現場の安全性を確認していれば。
危険な作業の管理体制を見直していれば。
事故を防ぐ手段を用意できていれば。
エースは死ななかったのではないか。
「……もしも」
リオは机に置かれた資料を見つめた。
事故が起きる前に、できることはあったのではないか。
自分なら、もっと何かできたのではないか。
その考えが頭から離れなかった。
やがて、リオは部屋に閉じこもるようになる。
そんな彼女のもとへ、ヒマリが訪れた。
「リオ。いつまでそうしているつもりですか?」
「……帰って」
「お断りします」
ヒマリは車椅子を進めた。
「あなたが何を考えているのか、私には分かります。あの事故を防げたのではないかと、自分を責めているのでしょう?」
「……そうよ」
「ですが、それはあなたが一人で背負うべき責任ではありません」
「それでも、私は……」
「エースさんは、あなたがそんな顔をしていることを望むでしょうか?」
リオは答えなかった。
ヒマリは静かに続ける。
「彼女は、あなたのことを認めていました。あなたの発明も、考え方も、そしてあなた自身も」
「……」
「そんな彼女が、あなたに何もせず閉じこもっていてほしいと思うでしょうか?」
「……分かっているわ」
「ならば、立ちなさい。あなたには、あなたにしかできないことがあるでしょう?」
ヒマリは、リオをまっすぐ見つめた。
「エースさんがいなくなったからといって、あなたまで止まる必要はありません」
その言葉に、リオはようやく顔を上げた。
「……ありがとう」
「ふふ。お礼を言われるようなことではありませんよ」
リオは少しずつ仕事に戻った。
ただし、それで悲しみが消えたわけではない。
ヒマリもリオも、工事現場や危険な作業の報告を受けるたび、安全性を徹底的に確認するようになった。
確認しても、なお不安が残る。
もしも、あの時も。
もしも、もっと早く気づいていれば。
二人の中から、その考えが消えることはなかった。
* * *
ウタハは、エンジニア部で作業を続けていた。
以前と同じようにロマンを追い求める。
ただし、過度に危険な機構を組み込むことはなくなった。
安全装置を増やし、試験を重ね、故障時の対策を徹底する。
「……これでよし」
完成した装置を見つめる。
その隣には、エースが以前使っていた工具が置かれていた。
「君なら、どんな改良を提案しただろうね」
返事はない。
ウタハは工具を片付け、別の机へ向かった。
そこには、ユウカとノアが大切に保管している二つのバックルの資料があった。
「……この二つには、まだ分からないことが多い」
ウタハは資料を見つめる。
エースが変身していた時の姿。
あの装甲の構造。
バックルの機構。
そして、彼女が使っていた力。
「これを参考にすれば……」
ウタハは新たな設計図を広げた。
まだ完成には程遠い。
しかし、彼女は作り始めることにした。
エースが使っていた力を、もう一度形にするために。
そして、いつかその力でだれかの命を救うために。
* * *
スミレは、今日もトレーニングをしていた。
走る。
鍛える。
汗を流す。
いつも通りのメニュー。
ただ、隣には誰もいない。
「……エースさん」
いつもなら、ここで一緒に走っていた。
自分のペースについてきてくれた。
苦しくても最後まで諦めなかった。
トレーニングの後には、二人で水分補給をして、次の目標を話し合った。
「……また一緒に走りたかったな」
スミレは立ち止まり、空を見上げる。
そして、再び走り始めた。
エースと一緒に走った時間を、忘れないために。
* * *
――ミレニアムに、天童エースという少女がいた頃。
あるゲーム開発者にとって、彼女の何気ない一言は、忘れられないものになっていた。
ミレニアムのゲーム開発に関する掲示板には、あるゲームの評価が並んでいた。
『テイルズ・サガ・クロニクル』。
個人制作のゲームであり、プロトタイプが公開された当初から、評価は散々なものだった。
四桁を超える低評価。
冷やかしのコメント。
ゲームとしての完成度を酷評する声。
その中に、ほんの少数だけ高評価のコメントがあった。
そのうちの一つは、こんな内容だった。
『今まで遊んだことのないタイプのゲームでした! 予想できない展開が多くて、とても新鮮でした。完成版も楽しみにしています!』
投稿者の名前は、天童エース。
ユズは、そのコメントを何度も読み返していた。
「……この人」
自分の作ったゲームを、面白いと言ってくれた人。
自分の努力を、認めてくれた人。
プロトタイプの公開後、心ない評価に傷つき、ゲーム開発を諦めようとしていたユズにとって、その言葉は大きな支えだった。
やがて、モモイとミドリが加わり、三人で完成版を作ることになる。
そして、完成した『テイルズ・サガ・クロニクル』は、世間に公開された。
結果は――散々だった。
「ゲームとしての完成度がダントツで絶望的」
「このゲームに一番足りてないのは正気」
「今年のクソゲーランキング一位」
そんな評価が並んだ。
「うぅ……私たち、頑張ったのに……」
「モモイ、元気出してよ……」
「でも、これは……さすがに……」
ユズは二人の前で、画面を見つめていた。
完成版を作っている間、彼女はずっと考えていた。
あの時、自分を励ましてくれた人は、完成版を遊んでくれるだろうか。
もう一度、コメントを送ってくれるだろうか。
「……あの人なら、きっと遊んでくれる」
ユズは小さく呟いた。
「ユズ?」
「ううん。なんでもない」
彼女は掲示板を開く。
新しいコメントが届いていないか、何度も確認する。
けれど、そこに天童エースの名前が表示されることはなかった。
エースはもう、この世にいない。
ユズはその事実を知らない。
そして、これからも知ることはない。
彼女は、いつか届くかもしれないコメントを待ち続ける。
あの日、自分を救ってくれた、見知らぬ誰かからの言葉を。
* * *
事故からしばらく経った頃。
セミナーの部室。
ユウカは、エースの使っていた荷物を整理していた。
残された持ち物は、学校で使っていた文房具や教科書、日用品など。
どれも、彼女が生きていた頃には当たり前に使っていたものだった。
「……これは、ここに」
一つずつ確認し、保管していく。
その途中、机の引き出しに見覚えのないケースがあることに気づいた。
「……何これ?」
開いてみる。
そこには、見覚えのある大きなバックルが入っていた。
「……モンスター?」
ユウカは思わず息を呑んだ。
エースが変身する時に使っていたもの。
何度も訓練場で見た、あのバックルだった。
「どうして、こんなところに……」
いつからここにあったのか。
誰が置いたのか。
分からない。
けれど、ユウカはそれを手に取ると、しばらく見つめていた。
「……エース」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
ユウカはバックルをケースに戻し、引き出しの奥へ大切にしまった。
その頃、ノアもまた、自分の机の中に一つのケースを見つけていた。
中には、パワードビルダーバックル。
「……ふふ」
ノアは小さく笑った。
「最後まで、いたずら好きですね」
それがエースの意思なのか、偶然なのか。
二人には分からない。
ただ、手元に残った二つのバックルは、エースが確かにここにいたことを示す形見となった。
ユウカはモンスターバックルを大切に保管し、ノアもパワードビルダーバックルを手放さなかった。
やがてウタハは、二人から許可を得て、それらを参考に研究を進めることになる。
「この構造を応用できれば、別のバックルを作れるかもしれない」
ウタハは設計図を広げた。
「エースが使っていたものを、ただ再現するだけでは意味がない。私たちの技術で、新しいものを作るんだ」
その研究は、少しずつ形になっていく。
そして、いつか完成する。
コマンドツインバックル。
それが完成するのは、まだ先の話である。
* * *
エースがいなくなってからも、ミレニアムの日々は続いていく。
授業があり、研究があり、部活動がある。
生徒たちは笑い、喧嘩をし、時には銃撃戦を繰り広げる。
世界は、何事もなかったかのように回り続ける。
しかし、エースと関わった者たちの中には、彼女がいなくなったことで変わったものがあった。
ユウカは、以前よりも周囲の安全に気を配るようになった。
ノアは、エースとの思い出を忘れないよう、時折日記に書き残すようになった。
ネルは、訓練を続けた。
アカネは、無理をしながらも普段通りに振る舞い続けた。
カリンは、つらい気持ちを押し殺し、仲間が無理をしないように支え続ける。
ハレは、以前よりも部屋に引きこもるようになった。
ヒマリは、危険な作業の安全性を徹底的に確認するようになった。
リオは、失敗を繰り返さないために、より多くの安全対策を合理的に考えるようになった。
ウタハは、ロマンと安全性を両立させるための研究を続けた。
スミレは、一人でもトレーニングを続けた。
そして、誰も知らないところで。
ユズは、来るはずのないコメントを待ち続けていた。
それぞれが、エースのいない日常を生きていた。
誰も、彼女を忘れたわけではない。
忘れられるはずもない。
ただ、悲しみを抱えながらも、前へ進むしかなかった。
* * *
ある日の放課後。
セミナーの部室。
ユウカは、机の引き出しからモンスターバックルを取り出していた。
何をするわけでもない。
ただ、時折こうして手に取ってしまう。
「……エース」
その時、部室の扉が開いた。
「ユウカちゃん」
ノアだった。
「そろそろ帰りましょうか」
「……ええ」
ユウカはバックルをケースに戻す。
ノアはそれを見て、何も言わなかった。
代わりに、机の上に置かれた書類を整える。
「明日は、エースちゃんが好きだったお菓子でも買って帰りましょうか」
「……そうね」
ユウカは小さく頷いた。
「きっと、喜んでくれるわ」
言ってから、二人は少しだけ黙った。
もう、渡す相手はいない。
それでも、忘れたくなかった。
あの子がいたことを。
あの子と過ごした時間を。
そして、あの子が自分たちにくれたものを。
* * *
――どこかの場所。
静かな空間に、一人の女性がいた。
黒い髪。
黒い瞳。
女性らしいラインが整った身体。
そして、頭上にはヘイローが浮かんでいる。
女性はゆっくりと目を開けた。
「……ん」
見知らぬ天井。
見知らぬ部屋。
少女は上半身を起こし、周囲を見回した。
「……ここ、どこだ?」
自分が誰なのか。
それは分かる。
自分が何をしていたのか。
それも分かる。
しかし、ここが何処なのかが分からなかった。
女性は眉を寄せる。
けれど、特に深く考え込むことはなかった。
今は、状況を確認する方が先だ。
身体を動かし、周囲を調べる。
近くには荷物が置かれていた。
その中には、デザイアドライバーと複数のバックル、そして最低限の飲食物が入っている。
少女は、それらを手に取った。
「……至れり尽くせりってやつだな」
女性はケースを閉じ、荷物を持ち上げる。
そして、部屋の外へ出た。
*
外には、荒れ果てた街並みが広がっていた。
崩れた建物。
寂れた道。
人の気配が少ない街。
遠くには、学園らしき建物が見える。
少女は周囲を見回した。
「……随分と寂れた場所だな」
何が起きているのかは分からない。
しかし、ここにいても仕方がない。
とりあえず、人がいる場所を探そう。
そう考えた女性は、宛もなく歩き出した。
その場所の名前は、アリウス。
かつてミレニアムで愛され、多くの友人たちに囲まれていた少女は、今やその全てを失い、別の人生を歩み始めていた。
ミレニアムに残された者たちが、彼女を思い続けていることも知らずに。
そして、アリウスで始まる新しい日々が、どのようなものになるのかも知らずに。
少女はただ、前へ進んでいく。
その手には、変わらずデザイアドライバーがあった。
――エースの、次の人生が始まる。
【ミレニアム編・後編 了】
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『A』─情報
エースの存在を知る親しい人間が多ければ多いほど、残るバックルの数も増える。
・天童エース
ミレニアムの丹花イブキ枠。その可愛さと有能さでミレニアム生徒を骨抜きにした魔性のロリ。エースは責任を持ってミレニアム生徒全員を育てるべき。
・早瀬ユウカ
エースの可愛さにやられたロリコン予備軍。小さく、幼い外見をしたエースを過保護気味に溺愛。(本人否定)
エース死亡の知らせを受け滅茶苦茶曇る。
気がつかないうちに置かれていたモンスターバックルを、エースの形見として大切に持っている。
・生塩ノア
リアクションが面白いエースにたびたびいたずらをするからかい好きな生塩さん。
幼い外見をしたエースを過保護気味に溺愛。(本人肯定)
エースが死亡したことを知り曇るが、なんとか耐え抜き、普段通りに生活するも、高い記憶能力のせいで、何気ない空間に、エースと過ごしていた記憶がフラッシュバックして、スリップダメージを受けている。
気がつかないうちに置かれていたパワードビルダーバックルを、エースの形見として大切に持っている。
・美甘ネル
一番エースと先輩後輩してた幼女先輩。自分を慕ってくれ、ある程度強く向上心もあるエースを気に入っていて、よく遊びに連れて行ったりご飯を奢ったりと先輩として可愛がっていた。エース死亡後、曇りはしたが、悲しみを飲み込み普段通り生活する。強い女。
・一之瀬アスナ
可愛い見た目と反応をするエースを気に入っていて、よく抱き着いては、そのまま抱っこしていた。エースを同じ部員だと思っている節がある。
描写しきれず泣く泣くカットしたが、持病の高次脳機能障害にも似た症状によってエースのことを忘れて定期的に曇ってる女の子。
・室笠アカネ
人見知りの心をエースの陽の気で開かれ、友人となる。その後、エース経由でユウカかノアなどの同級生の友人が増え、自分の世界を広げてくれたエースを大切な友人として感謝している。
エース死後、恩人であり大切な友人を失い悲しむも、普段通り生活しようと気丈に振る舞う。しかし、周りから見れば無理をしていることなど一目で分かるほど無理をしているほど、精神的にショックを受け引きずっている。
・ 角楯カリン
本編ではクール系ツッコミ担当ポジだったが、しっかりエースの毒牙にかかっており、エースが着せ替え人形になっている時も、ちゃっかり全ての服装をカメラに収めていた。
エース死後、エースの死を悲しむも、アカネやアスナ程深刻ではないため、精神的に参っている二人を常に気を配っている苦労人となる。
・小鈎ハレ
引きこもり生活の中、突然現れたエースによって真っ当な食事、環境を叩き込まれ、エース無しじゃ生きられない身体にわからされた可哀想な子。
エースの存在を、始めはお節介焼きの鬱陶しい子として見ていたが、エースが死亡した後に、エースの存在のでかさを知り、滅茶苦茶後悔して曇る。(母親が死んで独り身になった引きこもりが後悔する思考に近い。)
・明星ヒマリ
超天才清楚系病弱美少女ハッカーこと孫に甘いおばあちゃん枠。可愛らしい見た目に、自分のことを慕い素直に尊敬の目を向けてくれるエースのことを可愛がり、よくお菓子やお小遣いをあげていた。
ヒマリ自身否定しているが、内心エースとリオと話す時間を好いていた。
エース死亡後、曇りこそするものの、エースを失った悲しみを飲み込み、普段通り生活する。
しかし、しっかりと拗らせており、工事などの危険な現場や作業の安全性を鬼のようにチェックする癖がつき、チェックしてもどうしても、もしもを想像して不安になっている。
・調月リオ
自分のことを認めてくれ、自分の考えを肯定し、分け隔てなく接してくれるエースに心を開き、不格好ながらもエースとコミュニケーションを取ろうと頑張っていたビッグシスター。
エースにはよく膝枕をしてもらいながら、頭をナデナデしてもらいメンタルを回復させていた。(膝枕からのナデナデで肯定されているため、幼い子供にあやされるダメな女性な絵面になる。)
エース死後、一時期部屋に閉じこもり、工事の安全性を上げていれば、見直しておけばエースは死ななかったのでは?と、もしもを想像し、自分を責める期間があった。
ヒマリ同様拗らせており、工事などの危険な現場や作業の安全性を鬼のようにチェックする癖がつき、チェックしてもどうしても、もしもを想像して不安になる。
・白石ウタハ
自分のロマンチシズムを肯定し、一緒に機械を開発してくれるエースを友人であり、ロマンを追い求める同志と思っている。描写はしていないが、何度もエンジニア部に来ないかとエースを誘っていた。
エース死後、変わらずロマンを追求するが、過度に危険なものを作ることはしなくなり、安全性に気をつけるようになった。
ユウカたちが持っているパワードビルダーバックルとモンスターバックルを参考に、バックル製造に取り掛かる。そして、原作開始時点では見本があるとは言え、未来テクノロジーで作られているバックルを自力で製造する偉業を成し遂げる。マジ天才
・乙花スミレ
自分と一緒にトレーニングしてくれ、更にいつも最後まで付き合ってくれるエースに過去1テンション上がってた運動狂いウーマン。
エースが死亡したことを知り、一緒にトレーニングできる仲間がいないことに寂しく感じ、曇る。
・花岡ユズ
テイルズ・サガ・クロニクルの酷評の中、ミドリ、モモイと同じく高評価を送ってくれたエースのコメント(しかも長文)を見て、泣いて喜んだ。モモイたちが突撃してくるまでエースの長文コメントを見てメンタルをギリギリ維持していた。
エースの死を知らないため、ノーダメージ。
ミレニアム編・了。次が原作前最後のやりとりになります。(ほかの学園とか主要キャラとかよく分からないッピ。外伝が作れたら作るかも。)
※この物語は「あまねく奇跡の始発点」が最終章予定です。