――アビドス高等学校。
かつて砂漠に覆われたこの場所には、今も一人の少女が通い続けていた。
小鳥遊ホシノ。
先輩である梔子ユメとともに学校を守り、少しずつ未来へ歩み始めた彼女の机には、一つの奇妙な品が置かれている。
マグナムバックル。
そして、その傍らにある小さなピンク色のIDコア。
それらは、ホシノにとって大切なものだった。
なぜ大切なのか。
誰のものだったのか。
その答えを、周囲の誰も知らない。
ただ、ホシノだけは時折、その品を手に取っては、胸の奥に残る何かを確かめるように眺めていた。
もう二度と会えない誰か。
確かに一緒に過ごしたはずなのに、他の誰にも覚えられていない誰か。
その人の名前を、ホシノは忘れなかった。
忘れられるはずがなかった。
けれど、その頃。
ホシノが探し続けている少年は、もうこの世界のどこにもいなかった。
――少なくとも、彼女の知る姿では。
* * *
意識が浮上する。
最初に感じたのは、柔らかな寝具の感触だった。
次に、聞き慣れない鳥の声。
窓から差し込む日差しが、閉じた瞼の向こうを明るく照らしている。
「……ん」
少年――いや、今はまだ自分の身体を確かめていない彼は、ゆっくりと目を開けた。
見知らぬ天井。
見知らぬ部屋。
そして、見知らぬベッド。
「……どこだ、ここ」
身体を起こそうとしたところで、違和感に気づいた。
軽い。
妙に身体が軽いのだ。
寝起きだからというだけではない。腕を動かす感覚も、肩の位置も、いつもと違う。
それに、視界の高さまで違う気がした。
「……?」
彼は自分の手を見た。
細い指。小さな手のひら。見覚えのない肌。
しばらく、その手を無言で見つめる。
そして、恐る恐る自分の胸元へ視線を落とした。
「…………は?」
言葉が出なかった。
寝起きの頭が、目の前の状況を理解することを拒んでいる。
彼は勢いよくベッドから降り、部屋の隅にあった鏡へ駆け寄った。
鏡に映っていたのは、見知らぬ少女だった。
黒い髪に黒い瞳。
顔立ちは整っているが、当然ながら自分の知っている顔ではない。
しかも、服装まで見知らぬものだった。
「……いや、待て待て待て」
鏡の中の少女が、同じように口を動かす。
声も違った。
自分の声より高く、明らかに女性のものだ。
彼は喉元に手を当て、何度か声を出してみた。
「……あー。……あ、あー」
間違いない。
身体だけではない。声まで変わっている。
「…………どういうことだよ」
頭を抱えたくなる。
しかし、そこで彼は一度、深呼吸をした。
慌てても仕方がない。
まずは状況を整理する必要がある。
自分は、確か――。
普通の日本で暮らしていた。
仮面ライダーが好きで、テレビの中のヒーローに憧れていた。
だが、仮面ライダーはあくまでフィクションだ。現実に変身できるわけでも、怪人が現れるわけでもない。
そして、自分は一度死んだ。
その後、神様と名乗る存在に出会った。
そこで転生の機会を与えられ、願ったのだ。
仮面ライダーギーツの力が欲しい、と。
――そこまでは覚えている。
「……転生した、ってことか?」
口に出すと、少しだけ現実味が増した。
だが、疑問は残る。
どうして女性なのか。
どうしてこんな見知らぬ場所にいるのか。
そもそも、どんな世界に転生したのか。
「神様、説明不足にも程があるだろ……」
ぼやいたところで、返事はない。
もちろん、神様が目の前に現れてくれる気配もなかった。
彼はもう一度鏡を見た。
自分が願ったのは、ギーツの力だ。
女性の身体になりたいと願った覚えはない。
とはいえ、転生そのものが現実離れした出来事なのだ。性別まで変わる可能性があると言われれば、否定しきれないのが困ったところだった。
「……まあ、今さら文句を言っても仕方ないか」
納得したわけではない。
ただ、いつまでも鏡の前で悩んでいても状況は変わらない。
彼は気持ちを切り替え、部屋を見回した。
そのときだった。
「……ん?」
視界の端に、奇妙なものが映った。
鏡の中。
自分の頭の上に、淡い光を放つ輪のようなものが浮かんでいる。
彼はゆっくりと顔を上げた。
当然、頭上には何もない。
だが、鏡を見ると確かに存在している。
「…………何だ、これ」
手を伸ばす。
指先は空を切った。
もう一度、慎重に手を動かす。
触れない。
鏡の中では、輪が自分の動きに合わせて頭上を移動している。
「……幻覚じゃ、ないよな?」
頬をつねる。
痛い。
鏡を叩いてみる。
当然、鏡が揺れるだけだ。
頭上の輪は消えない。
「……もしかしてこれ、ヘイローってやつか?」
ふと、昔友人と話していた言葉が頭に浮かんだ。
確か、ゲームの話題か何かで――。
しかし、詳しいことは思い出せない。
そもそも、この世界についての知識などほとんどない。
ブルーアーカイブ。
その名前を耳にしたことはある。だが、内容を知っているわけではなかった。
学校が舞台らしい、という程度の曖昧な認識しかない。
まして、頭上に輪を浮かべた少女たちが暮らす世界など、想像したこともなかった。
「……本当に、どこなんだよ。ここ」
彼は深く息を吐いた。
転生したことは受け入れるしかない。
女性の身体になったことも、ひとまずは受け入れるしかない。
だが、この頭上の輪だけは、どうしても気になった。
まるで、自分が人間ではなくなったと突きつけられているようだった。
もっとも――。
「……いや、待て。今の俺は女の子なのか。いや、身体だけならそうなんだろうけど……」
考えれば考えるほど、頭が混乱してくる。
彼は鏡から目を逸らし、ひとまず顔を洗うことにした。
落ち着くのは、それからだ。
* * *
身支度を終えた彼は、部屋に置かれていた荷物を確認した。
そこには、数着の衣服と、見覚えのない学生証らしきものが入っていた。
学生証には、名前が記されている。
陸岡エース。
「……陸岡エース、か」
それが今の自分の名前らしい。
以前の名前を覚えていないわけではない。
ただ、今の身体で以前の名前を名乗るのも妙な話だった。
「これからは、エースって呼ばれることになるのか」
自分の名前を口にする。
少し不思議な感じがした。
だが、悪い名前ではない。
彼は学生証をしまい、荷物の中にあった装置を取り出した。
見覚えのある形状。
中央にベルトを装着するための構造があり、バックルを取り付けるための機構がある。
そして、その隣には複数の小さなアイテムが並んでいた。
「……これは」
エースの表情が変わった。
先ほどまでの困惑とは違う。
驚きと、確かな期待が入り混じった表情だった。
「デザイアドライバー……!」
手に取った瞬間、理解した。
これは仮面ライダーギーツに登場する変身ベルトだ。
テレビの中で見ていたものと同じ。
もちろん、細部まで完全に同じかどうかは分からない。だが、見間違えるはずもなかった。
そして、バックル。
ブースト。
ウォーター。
レーダー。
アロー。
そして──。
「……そこはマグナムだろ。なんでゾンビバックルなんだよ」
ゾンビバックル。
計5つのバックルを確認し懐にしまうエースは、ベルトを手に取り見つめる。
「……まさか、本当に手に入るとはな」
エースは静かに笑った。
転生先が女性だったことも、頭上に謎の輪が浮かんでいることも、まだ受け入れきれてはいない。
だが、仮面ライダーの力が本物になった。
それだけで、少しだけ気持ちが前向きになれた。
「せっかくもらった力だ。使い方くらい、ちゃんと確かめておかないとな」
エースはバックルを一つずつ手に取った。
そして、紫色のバックルに目を留める。
ゾンビバックル。
仮面ライダーギーツの世界では、ゾンビの力を宿したバックルだ。
「最初は、これから試してみるか」
エースはデザイアドライバーを腰に装着した。
慣れない身体のせいで、ベルトの重さに少し違和感を持つが、エースは構わずゾンビバックルをベルトにセットする。
『SET』
「変身」
レバーを操作した瞬間、電子音が鳴り響いた。
紫色のエネルギーが身体を包み込む。
『ZOMBIE』
装甲が形成され、エースの姿が仮面ライダーギーツ・ゾンビフォームへと変わった。
「……おお」
思わず声が漏れる。
映像で見ていた変身。
それが今、自分の身に起きている。
エースは手を握ったり開いたりし、身体の感覚を確かめた。
力が増している。
装甲に守られている感覚もある。
だが、これで無敵になったわけではない。
変身したからといって、すべての攻撃を防げるわけではないだろう。
それでも、普通の人間の身体だったときとは明らかに違う。
「……すごいな」
エースはしばらく、自分の手を見つめていた。
やがて変身を解除すると、バックルを外してベルトをしまった。
「よし。これなら、転生直後で死亡なんてことにはならずに済みそうだな」
問題は山積みだ。
ここがどこなのか。
なぜ自分は女性の身体なのか。
頭上の輪は何なのか。
そして、どうすればこの世界で暮らしていけるのか。
何一つ分かっていない。
だが、立ち止まっていても仕方がない。
エースは荷物をまとめ、部屋を出た。
まずは、この世界について知ることから始めよう。
そう考えていた彼は、まだ知らなかった。
この世界が、彼の想像していた以上に騒がしく、そして危険な場所であることを。
* * *
部屋を出たエースは、建物の外へと続く廊下を歩いていた。
窓の外には、見慣れない街並みが広がっている。
高層ビルのような建物もあれば、学校の施設らしきものもある。遠くには、頭上に輪を浮かべた生徒たちやロボット、二足歩行で歩く動物が歩いている姿も見えた。
やはり、先ほど鏡で見たものは幻覚ではなかったらしい。
「……夢じゃないんだよな、これ」
自分の頭上に浮かぶヘイローを、エースはもう一度見上げた。
当然、直接見ることはできない。
試しに頭へ手を伸ばしてみても、指先が触れるのは髪だけだった。
「触れないのに、確かにある……。この世界じゃ普通なのか?」
周囲を歩く生徒たちにとっては、特別なことでもないらしい。
誰も自分の頭上を気にしていないし、わざわざヘイローを隠している様子もない。
自分だけが知らない常識。
それが少し心細かった。
もっとも、今のエースにはそれ以上に気になることがある。
「……そういえば、俺、これからどうすればいいんだ?」
学生証があるということは、どこかの学校に所属しているのだろう。
荷物から学生証を取り出し学校名を確認する。
そこには、ゲヘナ学園と記されていた。
「ゲヘナ……」
聞いたことがあるような、ないような。
いや、少なくとも自分の知っている日本の学校ではない。
エースは学生証を眺めた後、スマートフォンを取り出した。
幸いロックはかかっておらず、画面は起動した。
しかし、登録されている情報は少なく、地図を開いても自分が知っている地名は見つからなかった。
「……完全に別世界か」
神様から転生させられたのだから、当然と言えば当然だ。
それでも、実際に目の当たりにすると、どうしても実感が追いつかない。
エースは小さく息を吐き、歩き出した。
まずは、自分の置かれた状況を知る。
それから、生活するために必要なことを覚えればいい。
エースはスマートフォンでゲヘナ学園の位置を特定し、ひとまずゲヘナ学園へと向かった。
* * *
ゲヘナ学園の敷地内へと辿り着き散策していると、突然、怒鳴り声が聞こえた。
「おい、待ちやがれ!」
「待てって言われて待つ馬鹿がいるかよ!」
目を向けると、数人の生徒が廊下を走り抜けていく。
その後ろから、別の生徒たちが追いかけていた。
さらに、追いかけている側の一人が手に持っていた銃を掲げる。
「逃げるな! ぶっ放すぞ!」
「校内で銃を撃つなよ!」
エースは思わず足を止めた。
「…………」
数秒、無言でその光景を見つめる。
そして、ゆっくりと顔を背けた。
「……うん。今は関わらないでおこう」
自分がこの世界の事情を何も知らない以上、下手に介入するのは危険だ。
そもそも、あの生徒たちが何をしているのかすら分からない。
喧嘩なのか、追いかけっこなのか、それとも何かの訓練なのか。
判断材料がなさすぎる。
エースはその場を離れようとした。
その瞬間。
「――そこのあなた!」
「……はい?」
背後から声をかけられた。
振り向くと、黒い翼を持つ少女が立っていた。
頭上には、彼女にもヘイローが浮かんでいる。
少女はエースを一瞥し、続いて廊下の向こうへ目を向けた。
「今、あの生徒たちを見ていたわよね?」
「ええ、まあ」
「何か知っていることは?」
「いえ、今来たばかりなので。何も分からないです」
「……そう」
少女は短く答えた。
その表情は落ち着いているが、どこか疲れているようにも見えた。
「なら、ここから離れて。危険だから」
「分かりました」
エースは素直に頷いた。
少女はその反応を少し意外に思ったのか、わずかに目を細めた。
「……あなた、新入生?」
「はい。今日から、こちらにお世話になる予定です」
「名前は?」
「陸岡エースです」
「……陸岡さんね」
少女はそれだけ確認すると、走り去った生徒たちを追うように歩き出した。
エースはその背中を見送った。
短いやり取りだったが、彼女がこの学園で何らかの仕事をしていることは分かった。
そして、先ほどの騒ぎにも慣れているらしい。
「……大変そうだな」
そう呟いて歩き出したところで、また別の方向から爆発音が響いた。
エースは思わず肩を震わせた。
「……本当に、何なんだこの学校」
彼の新しい生活は、思っていたよりも騒がしくなりそうだった。
* * *
それからしばらくして。
エースは、自分が所属することになっている場所を探し当てた。
ゲヘナ風紀委員会。
学園内で問題を起こす生徒たちを取り締まり、秩序を維持するための組織らしい。
先ほど見かけた少女も、風紀委員会の関係者だったのかもしれない。
エースは扉の前で身だしなみを整えた。
自分が女性の身体になったことには、まだ戸惑いが残っている。
歩き方も、声の出し方も、以前とは微妙に違う。
それでも、いつまでも悩んでいるわけにはいかなかった。
これから生活していく以上、今の自分を受け入れていくしかない。
「……よし」
小さく呟き、扉をノックした。
「失礼します」
「どうぞ」
中から返事があった。
エースが扉を開けると、室内には数人の生徒がいた。
書類を整理している者。
通信機を確認している者。
装備の点検をしている者。
その中に、一人だけ目を引く少女がいた。
黒い翼。
落ち着いた表情。
そして、周囲の生徒たちとは少し違う、張り詰めた空気。
先ほど生徒を追っていった生徒がそこにいた。
彼女はエースの姿を見ると、手元の書類を置いて立ち上がった。
「⋯⋯あなたが、今日から配属される新入生?」
「はい。陸岡エースです。よろしくお願いします」
エースは軽く頭を下げた。
少女も頷き返す。
「空崎ヒナよ。私も一年生だから、そんなにかしこまらなくていいわ」
「そうなんですか?」
「ええ」
エースは少しだけ驚いた。
落ち着いた雰囲気から、もっと上級生なのかと思っていたのだ。
「……何か?」
「いえ。しっかりしているので、年上の方かと思いました」
「そう」
ヒナは淡々と答えた。
特に気を悪くした様子はない。
「詳しい説明をする前に、いくつか確認するわ。あなた、ゲヘナのことはどれくらい知っているの?」
「……正直に言うと、ほとんど何も」
「ここに来るのは初めて?」
「はい。今日、初めて来ました」
ヒナは少し考え込んだ。
新入生なら、学園の事情を知らなくても不思議ではない。
しかし、ゲヘナ風紀委員会に配属される以上、最低限の説明は必要だ。
「分かったわ。まずは学園の規則と、風紀委員会の仕事について説明する。その後、装備や実技の確認を行うわ」
「分かりました」
エースは頷いた。
それから、少しだけ迷った後、口を開く。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「皆さんの頭の上にある、あの輪みたいなものって……」
その言葉に、ヒナが瞬きをした。
「……ヘイローのこと?」
「やっぱりこれヘイローっていうんですね」
「そうよ」
ヒナはエースをじっと見た。
「……あなた、自分のヘイローも知らないの?」
「えっ?」
「頭の上にあるでしょう」
「…………」
エースはゆっくりと、自分の頭上へ手を伸ばした。
もちろん、触れない。
しかし、鏡を見なくても、そこに何かがあることは分かっている。
「……やっぱり、これが普通なんですね」
「普通、というより……キヴォトスでは珍しいものではないわ」
「キヴォトス?」
聞き慣れない地名に、エースは首を傾げた。
ヒナの表情が、ほんの少し変わった。
「……本当に、何も知らないのね」
「すみません。世間知らずで…」
「謝る必要はないわ。知らないなら、覚えればいいだけだから」
ヒナはそう言って、机の上の書類を手に取った。
「ここはキヴォトス。あなたがこれから生活する場所よ。そして、私たちが所属しているのがゲヘナ学園。風紀委員会は、学園内で起きる問題を取り締まる組織」
「なるほど……」
エースは真剣に話を聞いた。
知らないことばかりだ。
けれど、少なくとも今の自分がどこにいるのか、少しずつ分かってきた。
ここは日本ではない。
普通の学校でもない。
頭上にヘイローが浮かぶ生徒たちが暮らし、銃を持ち歩くことも珍しくない世界。
そして、自分はその世界の学園に転生してきたらしい。
「……ありがとうございます。少し、状況が分かってきました」
「それならいいわ」
ヒナは説明を続けようとした。
そのときだった。
部室に置かれていた通信機が鳴った。
『風紀委員会へ緊急連絡! 校舎裏で武装した生徒たちが騒ぎを起こしている!近くの委員は現場へ向かって!』
ヒナの表情が変わった。
「……また?」
小さく息を吐き、装備を手に取る。
それから、エースへ視線を向けた。
「説明は後にするわ。陸岡さん、あなたも来て」
「え、私もですか?」
「配属されたばかりでも、現場を知っておく必要があるから。最初は私の指示に従って、無理に前に出ないこと」
「分かりました」
エースは頷き、ヒナの後を追った。
自分がどんな場所に転生したのか、まだ分からないことは多い。
それでも、今は目の前の仕事を覚えるのが先だ。
そう考えながら廊下を走っていたエースは、ふとゲヘナ学園に来てから腰に装着していたデザイアドライバーを確かめた。
神様から授かった、仮面ライダーギーツの力。
それがあれば、いざというときに誰かを守れるかもしれない。
だが、その力をどう使うかは自分次第だ。
浮世英寿のように、初めて変身して戦う自分ではすべてを思い通りに扱えるわけではない。
だからこそ、焦らずに経験を積んでいく必要がある。
「……さて」
エースは前を走るヒナの背中を見た。
「まずは、仕事を覚えないとな」
その言葉は、誰に聞かせるでもなく、小さく呟かれたものだった。
* * *
校舎裏に到着すると、十数人の生徒たちが武器を手に睨み合っていた。
足元には壊れた備品が散乱し、周囲の生徒たちは巻き込まれないように距離を取っている。
ヒナは状況を一瞥し、銃を構えた。
「全員、武器を下ろしなさい。これ以上騒ぎを続けるなら、実力行使で制圧するわ」
「風紀委員かよ!」
集団の中心にいた生徒が舌打ちした。
「こっちは今、取り込み中なんだ。邪魔するなら、お前らもまとめて――」
言い終える前に、ヒナが引き金を引いた。
銃声。
弾丸は相手の手元を正確に捉え、持っていた武器を弾き飛ばした。
「次はないわ」
冷静な声が響く。
だが、相手は引き下がらなかった。
「やっちまえ!」
複数の生徒が一斉に銃を構えた。
「陸岡さん、右側を警戒して! 無理に攻めなくていい!」
「了解!」
エースはヒナの指示に従い、右側へと移動した。
敵の数は多い。
普通の身体のままでは危険だろう。
彼女は腰のデザイアドライバーにゾンビバックルを装填し、レバーを操作する。
『SET』
「変身!」
紫色のエネルギーが身体を包み込む。
『ZOMBIE』
『Ready?Fight』
装甲が形成され、エースは仮面ライダーギーツ・ゾンビフォームへと変身した。
「な、何だあれ!?」
「構うな! 撃て!」
銃撃が襲いかかる。
弾丸が装甲に当たるたび、硬い音が響いた。
「普通の弾丸程度なら大丈夫そうだな。流石ゾンビ」
エースは衝撃を受けながらも足を止めず、手に装着されたバーサークローで真正面からの銃撃を防ぎつつ、敵との距離を詰めていく。
そして、相手の銃を狙いバーサークローで武器を破壊。
そのまま無防備となった相手の体勢を崩し、地面へと叩きつけ気絶させる。
「一人……!」
数を確認しながら、次の相手へ向き直る。
横から警棒が振り下ろされた。
エースは腕で受け止め、その勢いを利用して相手を押し返す。
さらに、背後から迫った生徒の腕をつかみ、武器を取り上げて距離を取った。
無理に相手を傷つける必要はない。
動きを封じ、武器を手放させ、こちらにヘイトを集める。
それが今できる最善の制圧方法だ。
一方、ヒナはエースの動きを見ながら、後方から敵を次々と狙撃していた。
エースが前線を維持することで、ヒナは狙いを定めやすくなっている。
反対に、ヒナの正確な銃撃が敵の動きを制限することで、エースも接近しやすくなっていた。
初めて組んだとは思えないほど、二人の戦い方には相性のよさがあった。
「陸岡さん、少し左へ!」
「分かりました!」
エースが即座に移動する。
その直後、ヒナの銃撃が敵の体に直撃した。
怯ヒナを狙っていた相手へエースが踏み込み、武器を破壊して強烈な蹴りを叩き込む。
数分後。
校舎裏には、気絶した生徒たちが残されていた。
ヒナは周囲を確認してから銃を下ろした。
「……ひとまず、制圧完了ね」
エースも変身を解除した。
「お疲れさまです」
「ええ。あなたもお疲れさま」
ヒナはそう答えた後、エースを見つめた。
「あなた、さっきの鎧はなんなの?」
「あれは神様からもらった特別なもので……」
口にしてから、エースは少しだけ言葉を止めた。
そういえば、神様に会ったことを他人に話しても信じてもらえるのだろうか。
いや、今の状況なら、信じてもらえない可能性の方が高い。
ヒナはしばらく考えていたが、無理に追及はしなかった。
「そう⋯話す気がないなら詳しくは聞かないわ」
「⋯ありがとうございます」
「それにしてもあの鎧、かなりの耐久力があるのね」
「そうですね。普通の銃撃程度なら問題ないです」
「⋯それでも、さっきみたいに敵の攻撃を受け続けるのは控えて。耐えられるからといって、無理をしていいわけじゃない。それを忘れないで」
「……分かりました」
エースは素直に頷いた。
ヒナの言っていることは正しい。
自分の装備の性能を把握しきれていない以上、無謀な戦い方をするべきではない。
「それと、陸岡さん」
「はい?」
「さっきの戦いであなた、苦戦していた生徒を見つけたら、すぐに助けようと動いたでしょ」
エースは少しだけ目を丸くした。
「……そうですね」
「それ自体は悪いことじゃないわ。でも、周囲を見ずに動けば、かえって危険を増やすこともある。助けるためにも、まずは状況を確認して」
「……はい。気をつけます」
その返事には、先ほどまでの軽さはなかった。
ヒナはそれを確認してから、小さく頷いた。
「なら、いいわ」
エースは改めて、彼女へ向き直った。
「今日はありがとうございました、空崎さん」
「……ヒナでいいわ。同い年だし」
「分かりました。じゃあ、ヒナさん」
「……ええ」
ヒナは少しだけ目を逸らした。
その様子を見て、エースは小さく笑った。
自分がこの世界でどんな生活を送ることになるのか、まだ分からない。
それでも、最初の一歩は踏み出せた気がした。
そしてヒナもまた、エースという少女が単なる新入生ではないことを理解し始めていた。
危なっかしいところはある。
だが、力があるだけではなく、誰かを守ろうとする意志も持っている。
その力と意志を、正しい方向へ導けるかどうか。
それは、これからの課題になるだろう。
* * *
その日の夕方。
風紀委員会の部室に戻った二人は、事件の報告書をまとめていた。
ヒナが書類を整理し、エースは隣で装備の確認をしている。
「……陸岡さん」
「はい?」
「あなたの装備について、もう少し詳しく聞いておきたいわ」
「分かりました」
エースはバックルを机の上に並べた。
ブースト。
ゾンビ。
ウォーター。
レーダー。
アロー。
それぞれ異なる機能を持つバックルだ。
「ゾンビは、さっきみたいに前線で戦うときに使います。ブーストは、文字通り速さや力をブーストできるものです」
「ウォーターは水辺でしか使えませんが水を噴出できて、、アローはクロスボウが使えます」
「レーダーは?」
「周囲を探るのに使えるはずです。詳しい性能は、これから確認します」
「分かったわ。実際に使うときは、事前に私にも知らせて」
「了解です」
ヒナは報告書に必要な内容を書き留めた。
そして、ふとエースの顔を見た。
「……あなた、ゲヘナに来てから、困っていることはない?」
「え?」
「分からないことが多いって言っていたでしょう。生活するうえで困ることがあれば、早めに相談して」
エースは少し意外そうに瞬きをした。
厳しい人だと思っていた。
実際、仕事中のヒナは厳しいし、注意も的確だ。
けれど、ただ厳しいだけではないらしい。
「ありがとうございます。今のところは大丈夫です。分からないことは多いですけど、少しずつ覚えていきます」
「そう」
ヒナは短く答え、再び書類へ視線を落とした。
エースも装備を片づける。
窓の外では、夕日が学園を照らしていた。
その穏やかな景色とは裏腹に、遠くからはまた別の騒ぎの声が聞こえてくる。
エースはそちらへ目を向け、苦笑した。
「……毎日こんな感じなんですか?」
「だいたいは」
「なるほど……」
「慣れるわ」
「できれば、慣れたくないですね」
「同感ね」
二人は顔を見合わせた。
そして、ほんの少しだけ笑った。
このときは、まだ知らない。
これから先、二人が数え切れないほどの騒動を共に乗り越え、互いにとって欠かせない存在になっていくことを。
エースがヒナの隣で戦い続けること。
ヒナがエースを誰よりも信頼するようになること。
そして、いつかその隣が空いてしまうことを。
今はまだ、誰も知らなかった。
【ゲヘナ編・前編 完】
─────────────────────────────
・陸岡エース(機織エース)
アビドスで存在ごと破壊され死亡した後、女子学生として転生。住居も身分もついてるアタリ転生を果たす。(ハズレだと、転生早々死亡してそく輪廻転生する。)
前世が男だったことで、女の体に戸惑い、慣れるまでトイレやお風呂などの処理で大変苦労した。
所有バックルは、ブースト・ゾンビ・ウォーター・レーダー・アローの5つ。マグナムはホシノが持っているため所有していない。一度バックルを誰かに預けると、返してもらうまでそのバックルがリポップすることはない。
・空崎ヒナ
第二の被害者。ゲヘナ学園に入学してまだ浅いピカピカの1年生。
しかし、その力は既にゲヘナで一二を争うほど逸脱している。(それでも実戦経験が少ないから苦戦したりはする。)
世間知らずムーブをするエースに、疑問を持つも優しく常識を教えてくれ、全く見たこともない仮面ライダーについても深く聞いてこなかった気遣いができて配慮もできるマジいい子。
・小鳥遊ホシノ
第一の被害者。アビドス学園を守りながらお金を集め、エースを探すと三足の草鞋を踏んでる超エラエラ女子高校生。本編開始まで出番なし。
修整間に合ったら明日と明後日に中編と後編を投稿したい。