リィナ・アーシタは、兄のジュドーと違って評判の良い子だった。まだ11歳だが、家事全般は元より近所付き合いもよくする。勉強も出来たが、最近では料理の方が面白いと思うようになってきていた。
そんな、普通よりちょっとしっかりした少女の最近の悩みの種は他でもない、その兄について、であった。最近は学校に行っているのかどうかもあやしいし、帰りも遅い。父と母の居つかないこの家に自分と二人で暮らしている兄が、このままでは不良になってしまうのではないかと思うと、リィナは心配でならなかった。
「はあ、今日も遅い…ほんと毎日何やってんだか…」
コトコトと音を立てる鍋からはいい匂いが漂ってくる。リィナは鍋のふたを開けて、おたまで少しスープをすくう。
「うん、いい味でた!もう、せっかくお兄ちゃんの好きなポトフにしたのに…!」
ジュドーの分にはたっぷりマスタードを入れてやろうと思いついて一人でクスクス笑っていると、
「ただいま!」
突然そんな声が響いた。リィナは鍋の火を落として踏み台から下り、エプロン姿のまま玄関に向かと、そこには大きな紙袋を抱えて上半身がほとんど見えなくなってはいるが、見紛うことなき見慣れた兄と、少し後ろに見慣れない青年の姿があった。
「よ、リィナ」
といって、ジュドーが紙袋の横から顔を出す。
「お兄ちゃん…え、どうしたの?」
何から尋ねるべきかと思ったが、気づけばそんな曖昧な問い方をしていた。
「こちらはカミーユさん。今日うちに泊まることになってさ、それでみんなから。ほら」
自分の知りたいことを端的に答える兄にリィナは感心したが、同時に押し付けられるように渡された紙袋の重さによろけてしまう。袋からはみ出しているバケットが、頭にぶつかりそうになった。
「危ない」
そういう割に特に危機感も感じさせない穏やかな調子の声がジュドーの後ろから発せられ、青い髪の青年が紙袋を後ろからしっかりと押さえてくれる。
「あ、ありがとう…ございます」
そういって少し見上げた先に、青年の笑顔があった。
「ああ」
優しい声で答えるその佇まいというか雰囲気というか…とにかくこの青年から発せられるそんなものを感じて、リィナは妙に穏やかな気持ちになった。
一体どこの誰なのだろうか?カミーユという名と、この顔には何となく覚えがあるのだが…ともかく、兄の知り合いにしては随分と品がある人だ。
「ほらカミーユさん、上がって上がって。狭くて汚いとこだけどさ」
いつの間にか後ろに立っているジュドーの言葉に、リィナのときめきは搔き消される。
「もう!汚くしてるのは誰だ!」
さっさと部屋に入っていくジュドーの背中にそう声を浴びせたが、当然それに対する反応はない。溜息をついて、カミーユと呼ばれていた青年に向き直る。
「あの、どうぞ。兄がいったようにきれいな家ではありませんけど…」
「ああ…ありがとう。急なことで本当に何と言っていいのかわからないんだけど」
「兄はああ見えて人を見る目はあるんです。私もあなたのこと、変な人に見えませんし」
青年は少し呆気にとられたような顔でリィナ見て、それからまた微笑んだ。
「これ、持つよ。どこに持っていけばいい?」
リィナはようやく紙袋の重さから解放される。
「あ、すいません。それじゃキッチンの方にお願いします」
そこへ、部屋着に着替えたジュドーが慌ただしく戻ってきて、
「おっと、カミーユさんはゆっくりしててよ」
そういって紙袋を取り上げ、駆けていく。
「ちょっとお兄ちゃん、落ち着きがないわよ!恥ずかしいんだから!」
「そうトゲトゲするなよリィナさん!」
カミーユが静かに笑っているのを見て、リィナは本当に恥ずかしくなったのだが、そんなことに構う兄ではない。そのまま、3人で家の一番奥にあるキッチン兼ダイニングへ向かう。
ジュドーとリィナが暮らしているこの家は年季の入ったコンドミニアムで、子供二人で暮らす分には問題無いが、家族4人では少々厳しい間取りだった。食卓の上に紙袋を置き、カミーユにはもう何年も主のいない、父親の椅子に座ってもらう。するとすぐに、ジュドーが袋の中を披露し始めた。
「見ろよリィナ!オレンジにリンゴ、それからジャガイモやハムもあるんだぜ!」
それはとても純粋に、得意気な笑顔だった。それで、リィナの中についさっきまであった兄への苛立ちが溶けて行ってしまう。
「もう…はいはい、確かに助かります。ありがとう」
「へへっ、まあこれからはもっと稼いでこれくらいのもんは当たり前にしてやるけどな!」
「もう、別にそんなこと頼んでないっていってるのに…。あ、それよりカミーユさんのこと、きちんと紹介してよね」
「おっと、そうだったな。いいかリィナ、聞いて驚くなよ?このカミーユさんはな、あのゼータガンダムのパイロットなんだ!」
リィナもゼータガンダムといわれれば機影が思い出されるくらいには、そのMSのことを知っている。
「え!?ゼータガンダム…!?あ、ゼータのカミーユ!あの!?」
その反応にカミーユがまた穏やかに笑い、口を開いた。
「そう、エゥーゴの巡洋艦アーガマに所属するゼータガンダムのパイロット、カミーユ・ビダンだ。挨拶が遅れたけどよろしく」
カミーユがそういって頷くように頭を下げた。
「エゥーゴ、アーガマ…」
聞き覚えのある単語を、リィナはほとんど無意識に口にしていた。
「そうなんだよ。それでな、カミーユさんが俺を助けてくれたんだけど、アーガマがまだ審査中で入港できなくてさ、それで今日はうちに来てもらうことになったわけ」
「なったわけって、ちょっと待ってお兄ちゃん。何いってるのか全然わかんない」
ジュドーはそこでいかにも可笑しそうに笑った。
「そりゃそうさ。俺だってまだよくわかんないんだ。だからさ、メシでも食いながらゆっくり話そうぜ、な?」
全く、この兄はこうやっていつも流れるように人を丸め込む。しかもそれがあまり不愉快ではないのだから、始末が悪い。だからリィナはせめてもの抵抗とばかり少し大げさに溜息をついて、
「はいはい。それじゃご飯の用意、手伝ってよね」
そういって立ち上がった。
確かに大きくもなければきれいでもない古いコンドミニアムだし、出された食事もポトフとは名ばかりの野菜スープに丸いパンが二つ、それにさっき持ってきたフルーツが少々といったところで、量も栄養も十分とはいえない。ここには自分の家にはあったものが無く、無かったものがあるように感じられる。カミーユは兄妹の会話を聞きながらそんなことを思った。多少の違和感はあるが、それでも、この二人と食卓を囲むことに不思議と安らぎを覚えていた。
「呆れた、それでアクシズの船に乗った後、ゼータガンダムで帰ってきたの?」
「すごいだろ?みんなびっくりして大騒ぎだったよ。リィナにも見せてやりたかったな。ねえ、カミーユさん?」
「ああ、そうだな。ところでジュドー、君は学校には行っていないのか?」
「え、何です急に?」
「いや、シャングリラの標準時間だとあのくらいの時間ならまだ学校にいるんじゃないのかと思ってね」
「そうそう、いってやってくださいよカミーユさん!お兄ちゃんってば全然学校に行かないの。行ってもお昼食べて帰ってきちゃうんだから」
リィナが我が意を得た、とばかりに声を大きくしてそういう。
「いいんだよ。俺はもう働いて十分稼げるんだ。学校なんか行くだけムダさ。それにさ、そういうカミーユさんだって学校には行ってないんだろ?」
「ちょっとお兄ちゃん、失礼じゃない!」
カミーユは意外にも自分に矛先が向いてきたので思わず苦笑した。
「ああ…それはそうだ。俺も学校に行ってない…行けなくなったんだけどな」
兄妹はそこで顔を見合わせた。
「行けなくなったって…戦争に巻き込まれたから?」
「そうだな…自分のせい、かもしれないけど…少し俺のことを話しておこうか」
カミーユはそういって、パンをちぎった。この二人には自分のこれまでを、自分の戦いを知ってほしい…そう感じていた。
「俺はグリーンノア1で暮らしていて、そこのハイスクールに通っていたんだ」
「グリーンノアってサイド7の?」
「ティターンズがコロニーレーザーにしたっていうところですか?」
兄と妹の質問に、カミーユは頷く。
「コロニーレーザーになったのはグリーンノア2の方だけど、1の方もティターンズの勢力下にあったんだ。そこでおれはティターンズの将校を殴ってしまってね」
「え?」
「殴った…?」
揃って口を開けている兄妹に、カミーユはさもあろう、とばかりに頷く。
「はは…今考えるとどうかしていたよ。でも、それがきっかけで俺はティターンズに追われる身になって…父と母はそれに巻き込まれてさ、ティターンズの人質になって死んだんだ。二人とも俺の、目の前でね」
「……え?」
ジュドーがやっと、それだけ言った。リィナは言葉も無く、口元を押さえている。
「親父の方は、色々あって自業自得だったかもしれないけど…俺があんなことをしなければ死ぬことはなかった。どう考えても俺のせいなんだ。それはわかってる。ただ…そんな風に子供が見ている前で親を殺すような組織だったんだ…ティターンズっていうのは…」
カミーユはそういってからようやく、この家の違和感の正体に気付く。絶句している兄妹に、声のトーンを和らげて尋ねた。
「そういえば…君たちの両親はまだ仕事なのか?うちも両親はいつも遅かったけど…」
ジュドーがふっと息を吐くようにして笑う。リィナの方もちょっと小首を傾げるようなおかしな素振りを見せてから、
「うちの両親は出稼ぎで、よそのコロニーに行っているんです」
そういった。するとすかざす、
「もう何か月も帰ってきてないけどね」
ジュドーがそういってポトフの皿の端を、スプーンで弾いた。リィナがたしなめるように兄をにらんだが、その兄はそっぽを向いている。
「そうか…でもこうして二人で暮らしているっていうことは、仕送りはあるんだろう?」
「税金を払えばおしまいの最低限は、ね。全く、大人なんて…親なんて勝手なもんさ。多少の仕送りをしておけばそれで責任を果たせてると思ってるんだ。俺たちをペットか何かだと勘違いしてるんじゃないか?自分たちで作っておいてさ!」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
そう、この家には親の、大人の気配というものが最初から欠如していたのだ。だが、この兄妹は両親がいた自分よりよほど健やかに見える。
「まあ、そうはいっても親はいるに越したことはない。いずれ、わかるさ」
「そう…ですかね?ああ、もうその話はいいや。カミーユさんの話の続き」
「そうか…そうだな、後は…戦ってばかりだった。MSに乗って、敵のMSを撃って…どれだけの人を殺してしまったのかわからない。それでやっとティターンズとの決着がついたら…MSに乗れない身体になっていた」
「それって…どういうことなんですか…?」
リィナの絞り出すような声は、聞いてはいけないことを聞いている、という自覚からきているのだろう。カミーユはそれを受け取って柔らかに微笑みながら答える。
「精神的な問題、だそうだ。戦場には敵も味方も多くの人がいて、その誰もが激しい感情をぶつけ合っている…それを…何ていうかな、自分の意思とは関係なく受け入れてしまう…俺はそういう『体質』らしい」
それだけいって、カミーユはスープを口に運ぶ。ジュドーとリィナは少し黙っていたが、不意に、
「…それってさ、色んな人の気持ちが勝手にどんどん入ってくるってこと?」
ジュドーがそういい、カミーユはスプーンを取り落としそうになりながら、ジュドーを見つめた。この少年はやはり、わかっている。
「ああ…ああ、そうだ、ジュドー。君にならわかるだろう。俺たちの間であった、あの分かり合える感覚…ああいうものが、気を付けないとどんどん自分の中に入ってくるんだ」
ジュドーの顔が真剣味を帯び、それを見るリィナの顔にも明らかに動揺が走っている。
この兄妹は、通じ合っている、カミーユはそれを感じ取った。「通じ合う」それは文字通りの意味と、もう一つ、別の重要な意味を持っている。
「『ニュータイプ』って君たちも聞いたことがあるだろう?」
二人はほとんどカミーユに操られた人形のように、頷く。
「俺はそのニュータイプという定義にひっかかる人間だ。嫌でも自覚せざるを得なかった。そしてジュドー、君は間違いなくニュータイプだ。リィナさん、おそらく君も、ね」
MSが出てこない、ロケーションも変わらないという地味な話で恐縮ですが…
カミーユがジュドー、リィナと同じものを食べて互いの境遇を語り合うというのはずっと自分の中で見たかったシーンでした。ご理解いただけると嬉しいです。
リィナが11歳、というところにひっかかった方もいらっしゃるかもしれません。
後に作中で触れますが、本作ではジュドーは15歳、リィナは11歳で、アニメより一つ上という設定にしています。これに合わせてエル、イーノ、モンドも15歳です。また、本来なら1歳上のビーチャも同い年ということにしています。
ジュドーを少し大人にしたかった、ということですね。14歳と15歳の差は結構あると思うので…。
それに14歳だとMSではなく、汎用人型決戦兵器に乗りそうな年齢なので(笑)、何となくそれも避けたかった次第です。