本作のアナンケちゃんはルウム会戦にて戦没している為、その後のジオン優勢を知りません。
「………大丈夫だよ」
「ッ?…ッッ?!」
私は今、見ず知らずの艦娘に抱擁されていた。
命乞いをしてきた艦娘を処刑したあの日から時をおかず、私は艦隊を抜け出した。
今は逃亡の身である。
逃亡兵は処刑されるだなんて、新兵でもわかることだが、私はいてもたってもいられず艦隊を抜け出してきた。
理性が、間違った行動だと告げている。野生の勘が、警報を鳴らしている。早く戻れと。今ならまだ間に合うと。
だが、心はとっくに決まっていた。
あそこに居てはいけない。あの悍ましい場所に戻りたくない、と。
この海を離れ、誰も居ない場所へ。
そんな場所があるかも分からず、アテもなく逃げていた。
私は姫でも鬼でも無いが、他の娘よりは長く生きてきたつもりだ。
だから、並の追手の艦隊などすぐに撒ける筈だった。
筈だった。
「ニガサンゾォ?ドこへユクつモリィだァ?」
追ってきたのは、深海棲艦の中の最高位の艦級…“姫級“だった。
しかも、配下の艦隊は私と同じ戦艦レ級。
深海棲艦の中枢から私を沈める為に送られてきた、精鋭中の精鋭…
追いつかれるのも時間の問題だ
その事実が、焦りが、恐怖が、徐々に私を蝕んでいくのが感じられた。
「ナンッ…デッ…ナンッデダッヨッ…ッ!!」
一人の艦娘が、必死に追ってから逃げて来た私の前に立ち塞がるかのごとく、立っていた。
その様は、まさに威風堂々。
まるで、お前の相手など自分一人で十分だとでも言っているかの様だった。
緑色の髪をした、自分より二まわりは大きい艦娘。
異様なのは、彼女が背負っていた艤装だ。
大きさからして、駆逐艦や巡洋艦の類ではない。
恐らくは、人類側の切り札であろう…大型戦艦。
真っ直ぐ堂々とこちらへ向かって来るその姿に、私は思わず中世の大柄の処刑人を幻視した。
まるで散々艦娘達を沈めてきたその罪が、今まさに裁かれようとしているかの様だった。
無意識に足が震え出して竦みそうになる。
目の前がチカチカし、奥歯がガタガタと音を立てる。
逃げる途中で負った傷の痛みも、今は麻痺して何も感じない。
明確な死のビジョンが、脊髄に冷水をぶっ掛けられたかのように恐怖心を掻き立てる。
あれには勝てない。
今まで幾度となく自分を助けてきてくれた勘が、今自分に絶望を叩きつける。
お前はここで沈む、
お前は終わるのだ、と。
体の防衛本能が、アレを意識から必死に締め出そうと、視界に映らないよう顔を俯かせる。
様々な考えが浮かんでは消え、頭がパンクしそうになる。
もう体は自分の言うことを聞いてくれず、ここから逃げることもできない。
呼吸が荒くなっているのが実感できた。
恐怖で息ができないのか、血が喉に詰まって苦しいのか、もう判断もつかない。
なんとか落ち着こうと思い、大きく息を吸うため顔をあげる。
ニタァ…
「ヒッ」
笑っていた。
いや、嗤っていた。
顔は陰でよく見えないが、はっきりと分かった。
口角を吊り上げ、細い三日月のように口で自分を嗤っている。
直感した。あれは捕食者の顔、やっと見つけた獲物を前に早く飛び掛かろうと待ち切れない、そんな感情があの顔を作り出していた。
あの顔はきっと、昔の私の顔だ。
怯えて必死に逃げまとう艦娘共を前に、どうやって狩ってやろうかと想像する私はきっと、ああいう顔をして来たに違いない。狩る者と、狩られる者。創世と有史以来、幾度となく繰り返されてきたその対極構造。
そう理解した時、私は悟った。悟ってしまった。
私は、狩る側から、今度は狩られる側へ…
湧いてくるのは、狩られる側の生存本能。
俗にいう、悪あがき。
かつて私が死ぬほど嫌っていたソレを、今…
不意に、件の艦娘がゆっくり腕を上げた。
長年戦場に居て、幾度となく見てきたハンドジェスチャー。
あれは味方に砲撃準備を指示する、無言の命令。
つまり、あの腕が私に向かって振り下ろされた時が、私の最期。
今から私は殺される。
あの艦娘の艤装にのせられた八基一六門もの大筒が一斉に火を吹き、私は暗くて冷たい海の底に…
ッダン!
砲声が鳴り響いた。
艦娘の得物ではない。
弾は艦娘の真横を通り抜け、はるか後ろに水柱を作った。
私が撃った砲撃だった。
緊張が頂点に達し、無意識に体が攻撃していた。
頭が再び真っ白になった。
心なしか相手も驚いたように固まっていたように見えたが、そんなことを気にしてる余裕は自分にはない。
「……ッ」
艦娘が何かを喋ろうと口を開いた瞬間、私の体は急に動き始める。
艦娘の進行方向に直角に回り込むようにターンし、姿勢を低くして相手の次の手を伺う。
そうだ、まだ死んだわけじゃない。
この脚は震えるための脚か?
この眼は恐怖に涙するための眼か?
この大層な砲は威嚇する為の見せかけか?
勝てないと本能で確信しつつ、必死に気づかないふりをする。
勝てば良いのだ、と。
どんなに格上の相手だろうと、当たらなければどうということはないのだ。
連日の逃亡劇で疲弊しきったタービンを無理矢理ぶん回して、今自分にできる最速を出す。
今から始まるのは、退却戦ではない。
どちらかが沈むまで、殲滅戦だ。
「コロサレテッ…タマルカヨッ!!」
「クソクソクソッッッ!!ナンデッ!!シズマッ!!ナインダッ!!!」
あれから数刻か数日か、
無我夢中で砲弾を叩き込み続けた結果は、悲惨なものだった。
発砲時の放熱で焼け爛れた腕と肩、熱で融解し何本かの砲は既にひしゃげていた。無理を続けたタービンは海水を被り、黒い煙を吹き出しながら、時折り赤い火花を撒き散らした。追撃戦から碌に修理できていなかった足回りは部品を撒き散らし、足も半分は海に浸かろうとしていた。
しかし、この深海棲艦ーー戦艦レ級ーーを絶望させたのは、それだけではなかった。
弾が、効かない…ッ!!
放熱で融解した主砲は、もはや相手を狙うことすら難しい状況で碌に当たらなかったが、副砲は未だ健在であり、実際何発かは艦娘に命中していた。しかし、当の艦娘はそれを全く意に介さず、むしろ元から何も当たっていないかのように平然としていた。
戦艦レ級は、強い戦艦である。
主砲が強いのはもちろんだが、副砲もまた優秀であった。
駆逐艦や軽巡には致命傷。
戦艦や重巡だって、当たれば損傷は免れない、そのはずだった。
だが実際、あの艦娘に対しては全くと言っていいほど、効果を発揮してはいなかった。
攻撃が効かない。
その事実だけでも、レ級の心をへし折るのには十分だった。
そして同時に、レ級は艦娘に対して得も言えぬ気持ち悪さを感じ始めていた。
何故、一発も撃ち返してこないッ!!
この長い砲撃戦に間、あの艦娘はただの一発も発砲してはいなかった。
それが、レ級をどうしようもなく焦らせた。
もし仮にあの艦娘が気まぐれで撃って来ないならば、自分は彼女の気まぐれで生かされているのだと、それは即ち、いつ死んでもおかしくないということ。
自分が生きながらえているのは、あの艦娘のただの気まぐれ。
ならば、次の瞬間気まぐれで死ぬかもしれない。
レ級の心は、破断した。
「シズメヨッ!……イイカゲンッ…シズメヨォッ!!!」
レ級は進路を無理矢理、艦娘の方へ向ける。
身体中からギシギシと悲鳴が上がるが、レ級はもう気にも留めなかった。
限界に達したレ級の頭に残ったのは、深海棲艦としての誇りか。あるいは、それ以外か。
“道連れにしてやる“
レ級は発狂した。
沈むなら、せめてあの艦娘も巻き添えに。
なりふり構わない決死の『特攻』であった。
バサッッ
「………?」
視界が塞がる。
柔らかくて温かいものが、身体に覆い被さる。
背中が締め付けられ、頭に平たい何かが押さえつけられた。
何が起こっている…?
ここに来て、じわじわと、自身の置かれた状況を理解していく。
自身より二回りは大きかという女性、否、艦娘に、頭から抱きつかれ抱擁されていた。
そこまで理解できて、頭にハテナが浮かぶ。
私は艦娘と戦っていて、自分の死を悟り、道連れにするために突っ込んだはずだった。
それが、今はどうだ?
抱きしめられている。
ガッツリとホールドされている。
ここに来て、レ級は完全に理解した。
艦娘に抱きしめられている?!
「ッッッッ!!!???」
瞬時に、その束縛から逃れようと、腕や足を振り回そうとする。
だが、先ほどの戦いでほとんどの力を使い果たしたらしく大した抵抗もできず、モゾモゾ身を捩らせただけに終わった。
分からない
訳が分からないッ!!
レ級は、腕と足をぶらんと脱力させた。
ついに抵抗の意志も砕けたのだった。
完全な完敗だ。
もう、早く殺してくれ。
だが、艦娘は一向にレ級を殺そうとはせず、ただ抱きしめ続けた。
そのことに若干の違和感を感じ眉を顰めたレ級だったが、次に出てきた艦娘の言葉に、心が激しく揺さぶられた。
「大丈夫だよ
もう怖くないよ
頑張ったね」
「ッ…………」
その言葉を聞いた瞬間、レ級の心に溜め込まれていた感情が、決壊した。感情の濁流が、レ級の心を埋め尽くした。
「……ナン…ノッ…ツモリ…ダッ…」
ポツポツと、レ級の口から言葉が漏れる。
「ナンデ…ナンデッ……ッ!!オマエガッ……ッ!!」
顔を上げたレ級の視界に、艦娘の顔が映った。
「…ナンデッ!オマエガ、ソンナ顔…シデルッ…ダッ!」
遠くからよく見えなかったその艦娘の顔は、慈愛に満ちた笑みをこちらに向けていた。
「ソンナ目デ…オレヲ……ミル“ナ“ッ…ヨ“ッ!!」
心に溜め込んでいたものを発露するように、声を荒げた。
「グソオ“ッ!シネッ!シネッ!シネ“ヨオ“!!…オ“レニ“ッヤザジグスル“ナヨッ」
目から、我慢していたはずの涙が出てくる。
「………コワカ“ッタ“ッ!!」
ぷらん、と垂れていた手が無意識に、艦娘の服を皺になる程強く掴む。
「……ゴワガッダンダヨオ“オ“オ“!ガンバッダンダヨオ“
ア“ア“ア“アッ!ウワ“ア“ア“ア“ア“ア“アアアアアアアア!!!」
そこから艦娘の胸に顔を埋めて泣き叫ぶレ級を、艦娘はただ背中をさすりながら、無言で抱き抱え続けた。
レ級「ウウ…モウ、ハナセヨォ…ッ」お目目うるうる
アナンケ「ッ!!」〈母性パリーン‼︎
突如アナンケの脳内に溢れ出した存在しない記憶。
タイタン「どけ‼︎!私が先に妹だったんだぞ‼︎!」
フェーべ「全力で妹を遂行する‼︎!」
マゼラン「もう終わりだよこの艦級…」