胡乱な男   作:スナエ

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活きの悪い男と良い男

 海辺に、男が倒れている。

 着ているスーツは水を吸って体に張り付き、革靴は片方が見当たらない。横には何故か、青色のポリバケツが転がっている。中は空で、なにも入っていない。

 男は、ぼんやりと空を眺めているようだ。その倒れている男に、長身のウェットスーツの男が近付く。

 

「大丈夫ですか?」

「いいえ。僕は死体です」

「水死体には見えませんよ。なんらかの水難事故に? 救急車が必要ですか?」

 

 携帯電話を掲げて、彼は尋ねた。

 

「そうか、水難……水難だもの……」

 

 男は、のそりと起き上がり、スーツの内ポケットへと手を入れる。

 取り出したのは、火難除けのお守り。これをくれた同居人は、水を吸った金襴袋を見たら顔をしかめることだろう。

 同居人は6月の小火騒ぎも、7月の爆竹絡みの騒ぎも、火難と判断したらしい。火難除けといったら、台所にお札を祀るのが一般的だろうけど――――同居人がそんなことを言いながら、わざわざ持ち歩けるものを渡してくれたというのに。

 溜め息を吐き、お守りをポケットへと戻した。失くすよりはマシだと思いたい。

 

「あの……たぶん僕のスマホ、海の藻屑になっちゃったんですけど、警察呼びたいんで電話貸していただけます? あ、すいません、お名前は?」

「古論クリスと申します」

「コロン……? さん?」

「はい。あなたのお名前は?」

「安出一実です。名刺は切らしてます」

 

 男は、どんよりとした目を向けて自己紹介した。ツキに見放されたような顔をしている。

 その後、パトカーが到着し、警官が安出と言葉を交わしているところを離れたところから見守った。

 しばらくして。警官がパトカーのトランクから出した雨衣を座席に敷き、安出は古論に会釈してから、そこにポリバケツと共に乗り込んで去って行った。

 何があったのかは分からないが、人が海で嫌な目に遭うのは悲しい。海を見て、嫌なことを思い出してしまうのは、やるせない。

 翌日、古論は再び安出と会った。今日は、彼のスーツは乾いている。

 

「……えーと、コロンさん。今から潜るんですか?」

 

 古論が持つシュノーケルマスクを一瞥し、安出は尋ねた。

 

「はい」

「僕は、もう帰るとこです。昨日は、ありがとうございました。本当に助かりましたよ」

「どういたしまして」

 

 挨拶もそこそこに、ふたりは別れる。

 昨日も今日も、安出が暗い顔をしているのが、やはり気になった。

 

◆◆◆

 

 ふたりの男は、またもや海で会う。

 ひとりは気怠そうな、ツナギを着た男で。もうひとりはウェットスーツの上に白衣とズボンを身に着けている、端正な顔の男だ。

 

「コロンさん、海に棲んでるんですか? 毎日いますけど」

 

 彼らが海で顔を合わせるのは、これで三度目になる。海に来た時間は、毎日同じではないというのに。

 

「そういうあなたも。一体、何をしに?」

「ちょっと、海賊に転職しようかなって。コロンさんは人魚の国の王子か何かですか? 陸へはお忍びで?」

 

 ふざけた語り口だが、相変わらず安出の表情は暗いままだ。

 

「睡眠を取らなければならない関係上 、陸にいる時間の方が長いですね。人魚というのはジュゴンですか?」

 

 伝わっていない。

 容姿を褒めたつもりだったのだが、まあ、別に口説きたい訳でもなし。男はテキトーに話を続けることにした。

 

「あー、ジュゴンとマナティーの違いってなんでしたっけ?」

「尾びれの形が三角形のものがジュゴン、丸いものがマナティーです。また、ジュゴンは海水域、マナティーは淡水域にも――――」

「なるほど、参考になります!」

 

 知っている。この感じを、よく知っている。

 無理矢理に止めなければ、長時間語り続けそうな、この空気。幾度も味わったことがある。

 

「今日は日差しが夏みたいですし、海、キレイですね」

 

 これでは、きっと話題を変えられていない。そんな気がした。

 

「ええ、本当に綺麗です」

「いやー、売れそうな絵だなぁ」

 

 隣に立つ彼も含めて、美しい絵だと言える。こんなに珍妙な格好をしているのに。安出は少し釈然としなかったが、讃えるべきものは讃えようと考えた。

 

「海を描いた絵といえば、有名なイルカの絵がありますよね」

「あーラッセンですかね。俺は、モネが描いた海の絵が好きです。崖の上を散歩してる絵なんですけど」

 

 安出は「そういう話じゃない」と返しそうになったが、やっぱり、どうしても彼を褒めたい訳ではないので話を合わせる。

 

「もしかして……海が、お好きなのですか?」

「いえ、別に……」

「……そうですか」

 

 気落ちした様子を見るに、推測通り、彼は海が大好きらしい。フィールドが海だと、機動力が3倍になりそうな人だ。

 精神状態が良くないせいで、さっきは怯んでしまったが、海の話を続けようと安出は決意した。

 

「でも、海ってロマンありますよね。どっかの沈没船に財宝眠ってないかなー。お金欲しいなー」

「バミューダ海域には、まだサルベージされていない船があると聞きます」

「海外はちょっとなぁ」

 

 というか、魔の三角海域には行きたくない。今の、このツキのなさで行くのは、命知らずではないだろうか。

 

「あと金になりそうなものは、魚介類かぁ。でも、勝手なことしたら漁師に網で捕らえられて銛で突かれるだろうし」

「魚は、お好きなのですか?」

「僕は天然物はあんまり……別に嫌いじゃあないですけど……」

「つまり、養殖魚が――」

「そういうことではないです」

 

 天然物より人に管理された魚の方が安全だろう。とか、そういう話ではない。安出に、別段そのようなこだわりはなかった。

 確かに話の流れ的に、魚を食べる時のことを言ったように聞こえるが、違う。誤解を解きたい。

 

「僕が好きなのは、あれですよ。水族館とか、アクアリウム的な」

「水族館!」

 

 古論が急に大声を出したので、安出は驚いて目を見開いた。

 聞けば、彼は水族館巡りが趣味なのだと言う。彼は瞳を輝かせ、そのことについて話続けた。水族館にとても興味があるので、安出は大人しく彼の話を聞くことにしたのだが。どうも、彼の話は頻繁に脱線して海底に沈みそうになるので、その度に軌道修正する必要があった。でないと置いてけぼりにされてしまうし、聞きたいのは深海生物のことではなく、水族館という人工環境の芸術性についてである。

 そうして、相槌を打ったり、たまに質問したりして、時は過ぎていく。

 

「はっくしゅん!」

 

 少し秋めいてきた風が冷たくて、安出は大きく、くしゃみをした。いつの間にか、だいぶ日が傾いている。

 

「あー、そろそろ帰らないと」

「そうですね。すっかり話し込んでしまいました」

 

 途中から砂浜に座って話をしていたふたりは、立ち上がって伸びをした。

 近頃は忘れていたが、安出は元来、人の好きなものの話を聞くのが好きである。

 最初は尻込みしてしまったけれど、彼の情熱的な語りを聞いて良かったと思った。水中に思いを馳せて、息苦しさがなくなっていったことを面白く感じる。

 この頃は食欲も落ちていたのだが、元気が出た安出は、早速腹を鳴らす。

 

「腹減ったなぁ。海に来ると、ラーメン食べたくなるんですよね。あ、カレーもいいな。でも、ちょっと寒いし、やっぱりラーメンかなぁ」 

 

 安出の目は、もうどんよりと濁ってはいない。

 

「コロンさん、お話ありがとうございました。楽しかったです」

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。聴いていただき嬉しく思います」

「えー、そんな、お礼言われるようなことはしてないですけど」

 

 同居人が好きなことについて話すと止まらないタイプなので、慣れている。

 最近は、あの饒舌を振るわれることも少なくなったが。

 

「……それじゃあ、さよならー」

「さようなら、安出さん」

 

 ふたりは、軽く手を振って別れた。

 安出の帰りの足取りは軽い。その晩、安出はカレーラーメンを食べたのだが、つい食べ過ぎて同居人に小言を言われてしまった。

 次の日も、ふたりは待ち合わせもしてないのに、海で会う。といっても、安出は古論に用事があったので、朝から海へ来て、彼が来るまでずっといるつもりでいたのだが。安出が海岸に落ちている流木を拾い、袋に詰めているところに、古論がやって来たのである。

 

「こんにちは。その流木は……?」

「こんにちはー。塩抜きして、ネットで売るんです。アクアリストに需要がありそうなんで」

 

 自分が売ったものが、自分の好きなアクアリウムの一部になるのは、とても楽しいだろう。と、安出は語る。

 それから、彼は少し言い辛そうにしながらも、用件を切り出した。

 

「そのー、実はですね、このところの僕は仕事をサボってたんですけどね。いい加減、やめようと思います。だから、もうこの海で会うことはないかもしれません」

 

 それを安出は、残念に思う。

 

「これ、名刺です。気が向いたら、店に遊びに来てくださいね。少しは、魚いますよ。木とか金属とか絵の具のやつが」

 

 安出は、にんまりと笑い、簡素な地図入りの名刺を差し出す。

 出会ってから4日目、ふたりは名刺を交換した。

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