病弱少女が行くリコリスリコイル   作:ライフル

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プロローグ
少女と箱庭と転生


 視線を横にズラした窓の向こうに、今日も青空が広がっていた。

 ふわふわと雲が流れている。

 風が街の上を滑って、どこか遠くへ運んでいって、木々の枝がそよぎ、鳥の影が屋上をかすめるのが見えた。

  少し奥の方に目を向けると病院の敷地のすぐ向こうに小さな公園がある。

 そこでは、鉄棒にぶら下がってる子や駆け回ってる子に、手を繋いで歩く親子……。

 

 ガラス越しに見えるそれらは、まるでテレビの向こう側の景色みたいだった。

 

 公園で楽しそうにしている子供達の声が、私には聞こえない。

 風の匂いも、草のにおいも届かない。

 ただ、遠くで笑いあっているような顔をぼんやり眺めるだけ……

 

 “あの風は、どんな匂いがするんだろう?”

 “あの子の笑い声は、どんな音なんだろう?”

 

 ――想像だけで、私はずっとそれを感じていた

 

 私は、生まれてからずっとこの病室の中(はこにわ)にいる。

 たぶん一度も、外の空気に触れたことはないし今後それが叶う事もないのだろう。

 

  朝になれば看護師さんがカーテンを開けてくれて、

 夕方にはパパとママが短いお話をしに来てくれる。

 お薬を飲んで、検査をして、ご飯を食べて、寝る。

 毎日はとても静かで。

 両親は私に優しく接してくれるし、時間を出来るだけ作っては見舞いに来てくれる。

 看護師さんも夜遅くまで大変にも関わらず、私がちゃんと眠れるまで手を繋いでくれる。

 恐らく、私は恵まれいると思う。

 ――でも……少しだけ、そんな日々が退屈だった――

 

 

 

 

 

 

  私の名前は、碧空(あお)

 

 この名前は、パパとママがつけてくれたもの。

 “ 空のように広くて、澄んだ心を持つ子になりますように

 “どこまでも自由に、生きていけますように”

 そんな願いが込められているって、ママが言ってた。

 

  今は病床の上で殆ど過ごす事が多くなっているけど、昔はもう少し元気だった。

 病室の中だけなら歩き回れたし、窓の外に手を伸ばして「届くかも」って笑ったこともあった。

 でも、だんだんと体は動かなくなっていって、今ではほんの少し立ち上がるだけで心臓がぎゅっと痛む。

 

 お医者さんは、前にこう言ってた。

 「手術はできなくはないけど、リスクが高すぎる」って。

 「体が小さすぎて、麻酔にも耐えられないかもしれない」って。

 

 私は、自分の命が“もう長くない”ことを、子どもながらに、ちゃんとわかっているつもりだ。

 

 誰も口には絶対出さないけど、ママの笑顔が、ちょっとだけ涙を含んでいる日もある。

 パパが握る手が、少しだけ震えている日もある。

 私自身もそうだ。

 夜中に看護師さんが私の手を握ってくれる様になったのは、明日が来るかわからない

 怖さで眠れない私を安心させる為。

 色んな人が私を心配してくれる。

 だから私も、笑っていようって決めた。

 

 「大丈夫だよ」って、私が言えば、

 パパもママも、それに優しい看護師さんもほんの少し安心するから。

 

 病室の天井は白くて、窓は閉じられていて、

 誰かと手を繋いで走ったことも、学校に行ったこともない。

 

 だから私にとって、“青い空”は、

 外にあるものではなく、ただの“夢”みたいなものだった。

 

 いつからだったかな。

 日に日に増える薬の量。

 でも、検査の回数が増えて、

 パパとママの手が、日ごとに強くなって──

 なんとなく、わかってはいる。

 

 たぶん、みんなも気づいてる。

 だけど、誰も口には出さない。

 

 だから私も、何も言わない。

 言ったら、終わっちゃいそうだから。

 

 

 ――だけど、本当は、夢がある。

 

 外で思いっきり走ってみたい。

 風を受けて、スカートを揺らしながら、笑ってみたい。

 

 友だちが欲しい。

 一緒にお弁当を食べて、くだらないことで笑い合いたい。

 

 教室で窓際の席に座って、先生の話なんか上の空で、外の空ばっかり眺めて。

 それで先生に怒られて、友達に揶揄われて。

 ――そんな“普通”が、ずっと羨ましい。

 

 私はたぶん、それだけで良いんだと思う。

 大きな夢なんていらない。

 ただ、ほんの少しだけ、「普通に生きてみたい」だけ。

 

 

 

  今日の夜は、何時もより病室は静かに感じた。

 窓の外は暗く、星の光も届かない。

 私は、いつも通りの時間に目を閉じて──でも、すぐには眠れなかった。

 

 ベッドの横に座っていたのは、いつもの看護師さん。

 優しくて、静かな声の人。

 ときどき、こうして夜勤のときは手を握ってくれる。

 暖かくて優しくて。

 そんな手が大好き。

 

 その手が、ぽんぽんと私の手を軽くたたく。

 「眠れそう?」って、声には出さずに聞いてくる合図。

 

 私は小さく、うなずいた。

 

 

 

 ――その直後だった。

 

 胸の奥が、ぐっ、と締めつけられる。

 酸素が入ってこない。

 目の奥が痛い。指先が、遠くなる。

 

 看護師さんが、すぐに異変に気づいた。

 繋いでいた手が、わずかに冷たくなったから。

 

 「……あおちゃん……!?」

 声が震えた。そのすぐ後、ナースコールの音が鳴り響いた。

 

 「先生、至急! 302号室、急変です!」

 足音、ドアの音、誰かの叫び。

 モニターのアラームが鳴り始めていた。

 

 でも、もう、私は聞こえない。

 耳も、手も、全部がふわふわと遠ざかっていく。

 

 なのに、不思議と怖くはなかった。

 

 最後に見えたのは、

 病室の天井じゃなくて──

 窓の外、ほんの少しだけの空。

 

 「……もうちょっとだけ、見ていたかったな。空……」

 

 私の意識は、

 静かに、そっと──夜の空に溶けていった。

 

 

 

 

 ――はずが。

 

  「……おはよう、如月あお」

 

 知らない顔が目の前にあった。

 

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