愛ってなんですか?   作:スナエ

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愛ってなんですか?

 いつからそんな意識が芽生えたのか、覚えていない。

 ただ、ヒトのことを知りたかった。

 一匹の魔物は、水からこっそりと顔を出し、人間を観察している。

 彼は、海洋性テンタクルスの亜種である。緑色の肌の人のような上半身と、触手で出来た下半身を持つ。

 その日、やって来たのは、変わった冒険者一行だった。

 クラーケンを倒して、それの寄生虫を食べ始める。

 その様子を、魔物は見ていた。

 金髪の男の嬉しそうな顔が、とても印象的で。そんな風に、自分もヒトを喜ばせてみたいと思う。

 

「コンニチハ。ハジメマシテ」

 

 だから、水辺まで行き、話しかけてみた。

 

「うわぁっ!?」

「魔物!?」

「ライオス、なんだコイツは?!」

 

 テンタクルスは、慌てる。

 

「ぼく、きみたちを攻撃シナイ。敵ジャナイ」

「ライオス、どうする?!」

「これは……人の真似をしてるだけの発声じゃないと思う…………」

「そうそう。ぼく、ヒトのコトバ覚えたの。ヒトのこと知りたくて」

 

 魔物は、笑顔を作った。

 

「でも、こんな魔物は初めて見るな」

「ぼく、遠くにいた。召喚されて、帰れなくナッタヨ」

「そうか。この迷宮の魔物じゃないのか」

「ぼく、コワイ?」

「かなり理性的だと思う」

「ぼく、リセーテキ」

 

 触手生物は、ニコニコしている。

 

「俺は、ライオス。君は?」

「ライオス、なまえ? ぼく、ナイヨ」

「うーん。じゃあ、テンタと呼んでいいかな?」

「イイヨ。ぼく、テンタ。ありがとう」

 

 千年以上生きているが、名前を貰えたのは初めてで、嬉しかった。

 

「テンタは、俺たちに何か訊きたいことでも?」

「きみたちに、食べてホシイノ」

「え!?」

 

 エルフらしき女が、大声を上げる。

 

「ヒト、喜ぶ。顔ミタイ」

 

「喜ばない! 喜ばない!」とエルフ。

 ちらりと、ライオスを見ると、興味津々といった様子だった。

 

「ライオスは、ぼく食べる?」

「たぶん、触手部分なら……」

「亜人系はダメーッ!」

「やめろ、バカ!」

 

 エルフとハーフフットが反対する。

 

「……テンタ、君を食べることは出来ない」

 

 ライオスが、残念そうに言った。テンタは、しゅんとしてしまう。

 

「ワカッタ。気が変わったら、イッテネ。ぼく、マッテル」

 

 そう言うと、テンタは水中に潜って行った。

 いつか、ライオスが食べてくれるまで生き抜こう。天敵や他の冒険者に殺されないようにしよう。

 孤独だったテンタは、生きるよすがを見付けた。

 

◆◆◆

 

 迷宮に異変が起きた。

 

「わっ!?」

 

 テンタは、水流に飲み込まれ、身動きが取れない。

 そして、彼は地上に出た。

 

「ここは……?」

「テンタ!」

「ライオス! 元気?」

「ああ、まあ。ちょうどよかった! 肉は食えるか? 食べるのを手伝ってほしい」

 

 実のところ、テンタは水さえあれば平気な種族である。しかし、人を模した部分には、消化器官もあった。

 

「肉、食べてみたい!」

「じゃあ、一緒に食べよう」

「うん」

 

 テンタは、ライオスと並んで歩く。彼の触手は、うねうねと動いて器用に地面を進んだ。

 

「おーい」

「えっ!? テンタ?!」

「エルフのお嬢さん、コンニチハ」

「彼女は、マルシル。マルシル、テンタも食べてくれるそうだ」

「え、えー? そうなの? じゃあ、はい。テールスープ。熱いから気を付けて」

「ありがとう、マルシル」

 

 テンタは、器を受け取り、口元へ運ぶ。テールスープを嚥下する様子を、ライオスとマルシルはじっと見た。

 

「大丈夫?」

「うん。オイシイネ。ところで、これはナニ?」

「説明してないんかーい!」

 

 ライオスは、マルシルにぽこぽこ叩かれる。

 

「あ、ああ。妹のファリンがドラゴンと合成されてしまったから、ドラゴン部分を食べる必要があって」

「ドラゴン……? ドラゴン、ハジメテ食べた」

 

 テンタは、楽しそうだ。好奇心旺盛な彼は、次々とドラゴン料理を食べる。

 

「ハーフフットのお兄さんと、ドワーフのお兄さんダ」

 

 そんな中、チルチャックやセンシたちも紹介した。

 ライオス一行以外からは、テンタの存在は大層驚かれたが、お祝いの雰囲気でうやむやになっていく。

 宴が始まってから、7日目。ライオスたちが、最後の料理を平らげる。

 その頃、テンタは、迷宮の外の海で泳いでいた。

 ぼくも、役に立ててヨカッタ。

 水中で、踊るように泳ぐテンタ。

 その様を、魚の群れだけが見ていた。

 テンタは、召喚されたものである。人のために行動するのは、そのせいなのか? 個体の気質なのか? それは、彼自身にも分からない。

 ただ、テンタが生を謳歌しているのは確かだった。

 宴は、ずっと楽しくて。こんな日々が続いてほしいと思った。

 海中を浮上し、岸辺に上がる。

 そして、ライオスたちのところへ歩いた。

 

「ファリン、ドウナッタ?」

「テンタ……まだ意識は戻らない…………」

「そう。シンパイダネ」

 

 両腕と数本の触手を伸ばし、ライオスを抱き締める。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 

 誰にも分からない言語で、テンタは祈った。

 

◆◆◆

 

 ファリンが目覚めてから、数日が経つ。

 ライオスから、テンタの話を聞くと、自身も会ってみたいと言う。

 そして、ふたりで海へ向かった。

 

「おーい! テンタ!」

 

 少しして、テンタが海上まで来る。

 

「コンニチハ、ライオス」

「やあ。ほら、妹のファリンだ」

「はじめまして。よろしくね、テンタ」

「よろしくネ、ファリン」

 

 ふたりと一匹は、なごやかに話した。

 

「そういえば、テンタはどうして俺に近付けるんだろう?」

「ぼく?」

「ああ。悪魔の呪いで、魔物に逃げられるようになってしまって」

「ぼく、召喚されたカラ? 術師、生きてるノ」

 

 つまり、無害な召喚獣としてカウントされているらしい。

 

「そうか。なあ、よかったら、城に住まないか?」

「城の地下、ぼく、シッテル」

「地下?」

「水路あるヨ」

「あ! そうなのか! じゃあ、その水路を自由に使ってくれていいから」

「ありがとう、ライオス。ぼく、遊びにイクヨ」

 

 その後、度々、海に繋がる地下水路からテンタが訪ねて来るようになった。

 ライオスは、テンタの体の隅々まで観察し、独自に研究する。

 そんなライオスに、カブルーなどは頭を抱えたが、テンタがおとなしいので、渋々と王の息抜きを了承した。

 ある日、テンタが水路から顔を出すと、マルシルがいて。どうやら、待ち構えていたようだった。

 

「テンタ、こんにちは」

「コンニチハ、マルシル」

「あのさ、ライオスにされて嫌なことない?」

「ナイヨ……?」

 

 それは、無知故のことではないだろうか? テンタは、魔物である。普通ならデリカシーがないとされる行為に気付けないのかもしれない。

 

「ライオスに触られるの嫌じゃない?」

「嫌ジャナイヨ」

「で、でもさ…………」

 

 マルシルは、言葉に詰まった。

 

「マルシルは、ファリンと仲良し?」

「え? うん、そうだよ」

「仲良しは、口をくっ付けるノ?」

「え!? わ、わぁ~!? 見てたの?!」

 

 真っ赤になるマルシル。林檎みたいだと思った。

 

「……ファリンのことが好きなの。その、恋愛としてもね」

「レンアイ?」

「知らないか。他人に対して特別な好きを持つことだよ」

「特別な好き?」

 

 テンタは、首をかしげる。そして、あどけない顔で言った。

 

「ぼくの特別な好きは、ライオスダヨ」

「えーッ!? ダメ! いつか本当に食べられちゃう!」

「イイヨ」

「よくない!」

 

 マルシルの言うことは、テンタにはよく分からない。

 ライオスが食べたいなら、食べればいい。

 まあ、ぼく、毒あるんだけどネ。

 

◆◆◆

 

 ライオスに、文字を教わっている。

「ぼく、字を読めるようにナリタイ」と、テンタが言ったら、教えると二つ返事で了承された。

 

「ところで、テンタはどうやって生殖するんだ?」

「セイショク?」

「子供を産むとか、卵を産むとか、受粉するとか」

「ぼく、卵から産まれたヨ」

「卵生なのか」

 

 テンタ曰く、キョーダイがいたが、みんな小さいうちに食われてしまったらしい。長生きしてるのは、テンタだけだそうだ。

 

「テンタは、卵を産めるのか?」

「うん。前に教えてモラッタ、シユードウタイ」

 

 ライオスは、「卵をひとつもらいたい」と思ったが、口にしないでおく。この前、マルシルに「テンタのことを実験動物みたいな扱いをしないように!」と注意をされたからだ。

 

「ライオスって、好きなヒトいる?」

「それは、まあ。ファリンとかマルシルとか」

「そうじゃなくて。特別な好きの話。恋?」

「恋人はいない。好きな人も、いない。人間のことは、よく分からないな。あんまり人に好かれることもないし」

 

 ヒトなのに、ヒトのことがワカラナイ?

 テンタは、不思議に思った。

 

「ぼく、ライオス好きだけどナ」

 

 するり、と触手をライオスの腕に巻き付ける。

 

「ありがとう、テンタ」

 

 ライオスは、嬉しそうにした。

 その笑顔を見て、やっぱり好きだと思うテンタであった。

 このやり取りを、こっそりとマルシルの使い魔が見ていたことを、彼らは知らない。

 マルシルは、ライオスとテンタは、“噛み合い過ぎる”と危機感を抱いていた。

 魔物が好きで、味も知りたいライオス。人間に興味があり、喜んでくれるなら、なんでもしそうなテンタ。

 いつか、何かやらかすのではないかと心配している。

 この前など、「テンタの毒は、酢で無効化出来るはず」とかなんとか言っていたし。食べる算段をしているのでは?

 マルシルは疑った。

 

「マルシル? どうしたの?」

「あ、ううん。なんでもないよ」

「そう?」

 

 隣にいるファリンが、眉間に皺を寄せるマルシルを案じている。

 

「なにかあったら言ってね?」

「うん。ありがとう、ファリン」

 

 自分の手を握る彼女には言えない。あなたの兄が、テンタを食べるかもしれないなんて。

 私がしっかりしないと!

 マルシルは、奮起した。

 だいたい、テンタはライオスに恋してるかもしれないのに、食べられたら、ロマンスも何もなくなってしまう。

 テンタの話し方が幼い故に、子供のように思っているマルシル。

 実は、テンタは1020歳なのだが。

 

◆◆◆

 

 テンタの“好き”とは、“笑顔が見たい”であった。

 

「ライオス…………」

「…………」

 

 ライオスは、度重なる外交で疲弊している。座り込んで、テンタの触手部分を抱き締めていた。

 そんな彼を、テンタは心配している。

 

「大丈夫? ぼく食べたら元気になる?」

「それは、みんなに怒られる…………」

 

 元気になるのは否定しない辺り、悪食王の面目躍如だ。

 

「みんな、なんで怒る?」

「テンタが意志疎通出来るから?」

「イシソツー出来ると、なんでダメなの?」

「倫理的に、だろうな」

 

 テンタには、“倫理的”は分からない。

 

「つまり、バレなきゃイイノ?」

「バレ……そうか…………」

 

 はっとするライオス。立ち上がり、テンタの目を見つめた。

 

「テンタ、触手を一本食べてもいいか?」

「イイヨ」

 

 ニコニコ笑うテンタ。

 連れ立って、こそこそと厨房へ向かう。

 

「ちなみに、触手を失うとどうなる?」

「また生えてクルヨ」

 

 安心した。バレないうちに生えるといいが。

 厨房に着いた。「カブルーが呼んでる」と嘘をつき、人払いをする。

 

「その、触手を切るの、痛いんじゃないか?」

「ダイジョブ。我慢する」

 

 包丁を手にしたライオスは、躊躇した。

 そして。

 

「ほらー! やっぱりこうなった!」

「マルシル!?」

 

 息を切らせて、マルシルが飛び込んで来る。

 

「ふたりのこと、監視してたの」

「カンシ?」

「見張られてたのか……」

 

 ライオスが、片手で額を押さえた。

 

「あのね、テンタは、私から言わせれば、ほとんど人間だよ? 食べるとか、絶対にダメだから!」

「はい…………」

「疲れてるのは分かるけど、テンタに甘えるのも、ほどほどにしてよね」

 

 マルシルは、テンタは子供みたいなものなんだから、と続ける。

 

「ぼく、子供じゃナイヨ」

「いや、年齢はともかく、まだ人のことよく知らないから……!」

「そっかー」

 

 テンタは、肩を落とした。それから、ライオスの手から包丁を奪い、触手を一本切る。

「えーっ!?」と驚くふたり。

 

「食べないとモッタイナイナー」

 

 ちらっとライオスを見るテンタ。

 

「マルシル! 酢に漬けないと!」

「え! え~!」

 

 結局、ふたりでバタバタと調理を始めた。

 そうして出来たのは、触手の酢漬けとクリーム煮とスープである。

 

「いただきます」

 

 ライオスは、厨房内のテーブルに並べた料理を食べ始めた。

 

「さっぱりしてて美味しい!」

 

 悪食王ライオスは、ご満悦だ。

 テンタは、その様子を見て、嬉しくなった。

 

◆◆◆

 

 触手を食べてもらってから、テンタは、より一層ライオスを好きになっていた。

 

「ライオス! 遊びにキタヨ!」

「やあ、テンタ」

「ぼく、食べる?」

「た、食べないよ…………?」

 

 そして、しょっちゅう自分を食べるか尋ねてくる。

 マルシルは、そんな彼らを白い眼で見ていた。

 

「テンタ、もっと自分を大切にしなきゃ!」

「シテルヨ?」

「ライオスに食べさせようとしちゃダメ!」

「なんで?」

「倫理的にダメ!」

「リンリテキ……?」

「うう…………」

 

 言葉に詰まるマルシル。どうすれば、テンタに理解してもらえるだろうか?

 

「あのね、普通は、自分のことを誰かに食べさせたりしないの」

「そうナノ?」

「うん」

「でも、みんな、ファリン食べてたヨ?」

「あれは、例外!」

 

 テンタには、やっぱりよく分からなかった。

 ライオスとマルシルは、仕事があると言うので、城に滞在していたファリンと遊ぶことにする。

 

「テンタ、久し振り」

「コンニチハ、ファリン」

 

 ファリンと共に、海辺を散歩した。

 

「ファリンは、マルシルのこと食べたくないノ?」

「えっ!?」

 

 目を見開くファリン。

 

「マルシルが痛い思いをするのは、嫌だな」

「そっか。痛いから、ダメ…………」

「テンタは、兄さんが好きなの?」

「ライオス、好き!」

「そう。それって、どういう好き?」

 

 テンタは、首を傾げた。

 空は晴れていて、海は凪いでいる。

 けれどテンタは、何か、もやもやしたものを感じた。

 

「好きって、いっぱいアルノ?」

「あるよ。私の兄さんへの好きと、マルシルへの好きは違うの」

「どう違うのノ?」

「兄さんのことは、家族として愛してる。マルシルのことは、特別に好きなんだ」

 

“他人に対して特別な好きを持つことだよ”

 

「マルシルとファリンは、同じ“好き”を持ってるんだネ」

「そうだよ」

「ライオスは、ぼくのこと、どう思ってるのカナ?」

「訊いてみたら?」

「うん。ぼくの“好き”は、幸せになってホシイって気持ち」

 

 ファリンは微笑み、「テンタは、優しいね」と言う。

 自分が優しいのかは、分からない。だけど、そうなりたかった。

 テンタは、ライオスの悲しみや苦しみを、全て取り除いてやりたいと考えている。

 それは、彼に芽生えた愛だった。小さな芽が、いずれは花開くように、テンタの想いも変わり行くのかもしれない。

 関わった人々から、少しずつ雨粒のような気持ちを受け取り、テンタは成長していった。

 

◆◆◆

 

 ライオスに、訊かなくてはならないことがある。

 彼の休みの時間まで、テンタは水路で待っていた。

 

「テンタ」

「ライオス!」

 

 待ち人の声が聴こえ、嬉しくて、ぱしゃりと水から出る。

 

「ぼく、知りたいことがアッテ…………」

「うん?」

「ライオスは、ぼくのこと好き?」

「テンタのことは、好きだ」

 

 それって?

 

「どういう好き?」

 

 テンタは、続けて尋ねた。

 

「どういう? 魔物はみんな好きだ。テンタは俺に近付けるし、生態を調べさせてくれるし、話し相手になってくれるから、特別好きかもな」

「特別…………」

 

 何故だろう? 自分の“特別な好き”とライオスのそれは、違う気がする。

 

「ぼくが、魔物じゃなかったら、ライオスは好きじゃナイノ…………?」

 

 テンタの声は震えた。

 

「え?」

「ぼくがヒトだったら、ライオスは…………」

 

 おそらく、歯牙にもかけないだろう。有象無象の人間のひとり。

 テンタは、両の瞳から、ボロボロと涙をこぼした。

 

「テンタ?! どこか痛いのか?!」

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 胸の奥が、ずきずきと痛む。その痛みが何なのか、テンタには分からなかった。

 

「ぼく、海に戻る……サヨナラ…………」

 

 かろうじて、さよならだけ残して、テンタは水路に飛び込む。ライオスが何か言っているが、彼には聴こえなかった。

 悲しい。でも、何がそんなに悲しいのか?

 水中を泳ぎながら、テンタは考えた。

 人間だったなら、ライオスは自分に興味がない? 笑いかけてはくれない?

 テンタが海に戻ると、そこが、とても寂しい場所に思えた。

 同じ種族は、この辺りにはいない。孤独だ。

 遥か彼方の故郷の海は、どうなっているのだろうか?

 

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 

 帰りたい。そう、人には分からない言語で呟いた。

 しかし、テンタは帰り方を知らない。

 たとえ、千年の孤独でさえも、怖くはなかった。時が移ろい、ゆるやかに変わっても、テンタには恐れはなかった。

 召喚され、人のことを知りたくなったあの時までは。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️」

 

 この寂しさは、ライオスに出会ったから感じるのだ。ならば私は、あなたと出会いたくなどなかった。

 テンタの嘆きは、どこにも届かない。

 海深くに潜って行く。暗い闇に溶け込むように。

 悲しみの海に沈むテンタは、海底に横たわり、上を見やる。

 日の光の届かないそこは、ゆりかごのようでも、墓場のようでもあった。

 

◆◆◆

 

 テンタは、悲しくて、悲しくて。海を少しだけ増やした。

 光のない深海で過ごすうちに、すっかり弱ってしまっている。

 薄暗い思考を重ね、そして、あることを思い付いた。

 私とあなたを分けているものを、取り払ってしまえばいい。

 テンタは、ゆっくりと浮上し、日の光の眩しさに顔を歪めた。

 この目映さが不快なのに、自分の体は光を求めている。

 明けない夜の中にいる気分なのに、太陽はテンタを照らした。

 

「…………」

 

 城の地下水路を目指す。

 城内で、最初にテンタを見付けたのは、マルシルだった。

 

「テンタ!?」

「久し振りダネ、マルシル」

「ライオスが凄く心配してたんだよ!」

「そう。ライオスが…………ライオスに会いたいナ…………」

 

 マルシルが言うには、庭園でお茶をしているらしい。

 テンタは、静かにマルシルの後について行った。

 

「ライオス! チルチャック! センシ! テンタが来たよ!」

「テンタ!?」

 

 ライオスが、椅子から立ち上がる。

 テンタは、自分に近付いて来た彼を、触手で縛り上げ、引き倒す。

 

「えっ…………」

 

 呆気にとられるライオス。目の前の光景が信じられないマルシル。

 動いたのは、“魔物”という言葉を思い出したチルチャックとセンシ。

 だが、距離があるため、テンタの方が早かった。

 

「動くナ! ニンゲン!」

「ど、どうしたんだ? テンタ……」

「動いたら、手足を折る!」

 

 ぴたりと、皆が動きを止める。

 

「ぼくは、ニンゲンなんて好きになるべきじゃなかった」

「おい、ライオスを放せ」

 

 チルチャックを無視して、テンタは続けた。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️ライオス◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️!」

 

 私が、ライオスのことを愛したのは、間違いだった!

 テンタの言葉は、恐ろしい魔物の鳴き声として響く。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️!」

 

 私を止めたければ、太陽を落とせ!

 魔物は、ライオスの肩に尖った歯を突き立てた。

 

「ぐッ!」

 

 この人間を、食べてしまえばいいと。自分の中に取り込んでしまえばいいと。魔物は、肉を噛んだ。

 

「アイシテタノニ…………」

「テンタ、俺は君のことを……」

 

 私の名を呼ぶな。私に名などない。

 魔物の思考は、ぐちゃぐちゃになる。

 

「……泣かないでくれ」

 

 ライオスの声。それを聴いて、初めて自分が涙を流していることに気付いた。

 

「ぼく……どうしたらいいか、分からないノ…………ライオスを食べたいのに、食べたら、もう話せなくなっちゃう…………」

 

 テンタは、触手からライオスを解放する。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️」

 

 殺しなさい。

 ライオスの目を見つめて、テンタは言った。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️」

 

 私が、あなたを殺す前に。

 

「テンタ。俺は、君を殺さない」

「ライオス……?」

 

 マルシルが、緊張した面持ちで尋ねる。

 

「……テンタの言葉が分かるの?」

「その、少しは……テンタは、たまに言葉を教えてくれたから…………」

 

 ライオスは、肩を押さえながら、テンタに近付いた。

 

「テンタ、◼️◼️◼️◼️◼️」

 

◆◆◆

 

 始末した方がいいと言われた。

 王に牙を剥いた魔物なのだから、それは当然である。

 

「俺は、彼に生きていてほしい」

 

 そう言うと、反論された。

 しかし、「食べたのは、お互い様なんだ。先に彼を食べたのは、俺だし」と言えば、「ああ、悪食王だから、仕方ないか」みたいな雰囲気になる。

 話し合いを終わらせて、地下へ向かうライオス。

 水路の縁に、テンタが座っていた。

 

「ライオス、ぼく…………」

「大丈夫だ。君は俺の友達だから、今までと同じように過ごしてくれ」

「ごめんね。ありがとう」

 

 テンタの隣に座るライオス。

 

「テンタ。その、訊きたいことがあるんだが」

「なに?」

「俺を食べてみて、どうだった?」

「……ライオスって、変なヒト」

「よく言われるよ」

 

 テンタは、くすりと笑った。

 

「味はね、覚えてないノ。ただ、命を奪うってカンタンだと思ったヨ。ぼくは、何も殺さないで生きられるから、怖かった」

「そうか。テンタは、日光と水があれば生きられる種族だから。食物連鎖から外れているんだな」

 

 ライオスは、考える。

 

「そんな君が食べたいと思ったのが、俺でよかった。君を庇うことが出来る」

「肩、痛い?」

「痛い。テンタは、何故歯が尖っているんだろう? 消化器官があるんだろう?」

「分からないヨ」

 

 やはり、テンタのことを、骨の髄までしゃぶり尽くすように調べたいと思った。

 

「なあ、テンタは、俺を“愛してる”のか?」

「それも、もう分からなくなっちゃった」

 

 テンタは、しゅんとする。

 

「好きなヒトを食べようとするなんて、おかしいヨネ。ぼくが、魔物だからカナ」

「おかしいのかな? 俺は、テンタのことが好きで、食べた」

「……ライオスは、ぼくが魔物だから好きなんだヨネ?」

「うーん。初めは、まあ、そうだった。でも、最近はよく分からなくて。君は、今まで会ったどの魔物とも違うから。自分を食べさせる魔物なんて、いなかったよ」

 

 ライオスは、テンタの手を取った。

 

「マルシルやカブルーに言われてたんだが、俺たちの関係は、不健全だった。だから、やり直そう。対等な友達として」

「やだ!」

「え!?」

 

 テンタの返事に、心底驚くライオス。

 

「愛してくれなきゃ、やだー!」

「愛してるよ?」

「ぼくの愛してると、ライオスのは違うもん!」

「ち、違う?」

「マルシルとファリンみたいな関係じゃなきゃ、やだ!」

 

 ライオスは、困った。あのふたりみたいな関係というと、恋人同士ということか。

 

「彼女たちも、最初は友人だったんだよ、テンタ」

「そうなノ?」

「うん。関係性は、段々と変わっていくものだから」

「ぼく、初めは、ライオスを幸せにしたかった。でも今は、ライオスと幸せになりたいノ」

 

 テンタから、真っ直ぐな愛情を向けられていることに、ライオスはようやく気付いた。

 

「それなら、とりあえず、一緒にお茶でもしようか」

「……うん!」

 

 テンタと手を繋いだまま、庭園まで歩く。

 衛兵やら侍従やらに、ぎょっとされるが、ふたりは慣れていた。

 そして、お茶会が始まる。

 テーブルには、美味しい紅茶と、色とりどりのお菓子。

 それから、今はまだ不揃いな、“愛してる”を並べて。

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