【完結】ひまわり in ヘンダーランド 作:nosky
「でもね、ママったらちょびっとしかお小遣いくれないんだよ。『沢山渡すと無駄遣いするんだから』って。自分は効果のない美顔ローラーだとか、使いもしないウォーターダンベルとか沢山買ってるのに! お兄ちゃんだってそう思わない?」
「でもひま、お小遣い貰ったらすぐ使っちゃうでしょ。アイドルのグッズとか、チケットとか」
「それはぁ! 必要だから買うの! ニュープリンセスのスター、ヒロくんからいつも見つめて貰うためには、部屋いっぱいにグッズで埋めなきゃいけないんだから!」
「ほうほう、結局のとこは血筋ですなぁ」
人と電車が忙しなく行き交う、午前7時の春日部駅。
背が高くもどこか気の抜けた顔をした男と、彼の背中を追うように小走りで急ぐ、制服姿の少女。
ホームへと続く階段を降り、人を押し退けて上り線の電車を待っている。
「ねぇ、だからお願いお兄ちゃん。5千円でいいの! せっかく皆と遊びに行くのに、私だけお小遣いないなんてサイアクじゃん!」
少女はカールした髪の毛をふんふんと揺らし、両手を合わせて兄に懇願する。
「そう言われましてもなぁ、オラだってあんまし貯金ないし」
「沢山バイトしてるんでしょ? お願い! 可愛い妹を助けるって思って! 絶対返すから!」
「しょうがありませんなぁ」
「やったぁ! しんのすけお兄ちゃん大好き!」
兄――しんのすけは、しぶしぶとアクション仮面のデザインが入った財布を取り出すと、皺の入った5千円札を妹――ひまわりへ。
お金を受け取ったひまわりは、その場で踵を浮かせるように飛び跳ねる。隣のおじさんの怪訝な表情など、意に介さない。
「でも、みんなで遊びに行くってどこに行くの?」
「もう、さっきも言ったじゃん。遊園地だよ遊園地! 新しくできたとこ。すっごい話題なんだよ。友達から招待券貰っちゃってさ!……って、お兄ちゃん知らないの?」
「はぁ、子供向けのものになど興味ありませんなぁ」
「未だにアクション仮面大好きなくせに。どうせならお兄ちゃんも彼女連れて行ってみればいいじゃん。タミコさんもさ、すっごい喜ぶと思うよ」
「やれやれ、子供の話には付き合ってられませんなぁ」
やがて、駅の古びたスピーカーからメロディが流れ始め、年季の入った電車が穏やかな風を引き連れてホームへと滑り込んでいく。
ドアが開くと、ひまわりがそこに向かって歩き出す。ひまわりの通う高校は、しんのすけの通う大学とは停車駅が違う為、この各駅停車に乗り込むのだ。
「いーよだ。お兄ちゃんだけ流行に取り残されちゃえば。明日私が一足先に、
「ヘン……? 何?」
「ヘンダーランドだよ。あのCM知らない?『ヘンだヘンだよ ヘンダーランド 嘘だと 思うなら!』」「……ちょいとおいで」
ひまわりに続き、しんのすけの口が動く。
「そう、なんだ知ってるじゃん」
「ヘンダーランド……」
その言葉が、しんのすけの動きを止める。ヘンダーランド。遠い昔の記憶に、その言葉の切っ先が振れる。
やがてしんのすけの記憶を、あの淡い景色が塗り潰していく。大きなテーマパーク、コミカルなキャラクター、古いテント、そこで出会った一人の女の子……。
「……トッペマ」
「え、何? どしたのお兄ちゃん」
その時、電車に乗り込もうとするひまわりの手を、しんのすけが取った。
「ひま、ヘンダーランド、行かない方が良いと思う……ゾ」
「お兄ちゃん? どしたの急に」
駅員のホイッスルが構内に響く。その音に気付いたしんのすけはひまわりの手を放すが、未だに強張った表情が元に戻らない。
電車のドアが閉まると、ひまわりは窓越しに兄へと手を振る。そして上り方面へと、電車は姿を消していた。
しんのすけは徐に振り返る。駅の掲示版に掲げてあるポスターが目に入る。それは、ヘンダーランドのポスター。一枚だけではない、おびただしい数のポスターが、そこにはあった。
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『だからひまぁ!』
「ただの遊園地が危ないワケないじゃん。お兄ちゃんちょっとヘンだよ。ヘンダーランドだけに」
『ウソじゃないゾ! あそこは!』
「もぉ、お土産ならちゃんと買ってくるし、お金だってキチンと返すから。もうあんまり煩くしないで。ママにお兄ちゃんからお金借りてることバレたら、二人でグリグリだよ? アタシのことはいいからさ、今日はタミコさんのご機嫌ちゃんととってあげないと! ってなわけでおやすみ!」
『ひま!』
ひまわりは一方的に通話を切る。そしてベッドに寝転んだ時に、それにしてもらしくないな、とは思う。
いつも余裕綽綽で、何を考えているのか分からないジャガイモが、あんな必至にこちらを説得してくるところなど、小さい頃のおやつの取り合い以降なかった筈だ。そんな兄が。
どこか妙な引っ掛かりを覚えながらも、ひまわりは寝支度を始める。明日は6時出発。群馬県なので長旅だ。
寝る前のトイレへ、一階に降りてきた時に母に会う。
「あらひま、あんたまだ起きてたの。明日早いんでしょ?」
「うん、でもお兄ちゃんが電話で寝かせてくれなくってさ。シスコンなのはいいけど、私より大切にすべきものがあるんでしょうに」
「そうねぇ、そういえばしんのすけは今日帰らないんだったかしら」
「ほら、今日彼女さんの誕生日だからさ。まったく、私に構ってる場合じゃない筈なのにね」
母娘は微笑を交わし、そして用を済ませたひまわりは改めて床に就く。
目を瞑り、眠りに落ちるとき、最後に見た光景は、小さな兄の横顔。いつもおちゃらけで、たくさん喧嘩して、そして頼りになって、いつも私を大切にしてくれた、お兄ちゃんの横顔。
わたしもわたしでブラコンなのかな、と自嘲するようにひまわりは心で笑った。
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「おっかえりぃ!」
午前8時の野原家の玄関が、激しい音を立てる。
しんのすけは家へ戻るなり、首を忙しなく振る。そして二階へ、ひまわりの部屋をノックしても返事はない。開けてみても、そこに妹の姿はない。
「おーい、しんのすけ帰ったのかぁ?」
ヒロシが二階にいる息子へ、ブラシでヘアマッサージをしながら声を投げかける。すると、しんのすけはまた慌ただしく、父へと駆け寄る。
「父ちゃん! ひまは?」
「ひま? だいぶ早くに出て行ったぞ。今日遊びに行くって言ってたからな」
「なんで止めなかったの! とうちゃんのおばか!」
「な!? なんで俺がおばか呼ばわりされにゃいかんのだ!」
「いったいどうしたの?」
そこにみさえの姿。
「父ちゃんも母ちゃんも、忘れちゃったの!? ヘンダーランドのこと!」
「ヘンダランド……? そんなの、あったっけ?」
「あの新しくできた遊園地よ。子供たちにも大人気だって」
「新しくできたとこじゃないぞ! ずっと昔にもあったところだぞ!」
夫婦は互いに顔を見交わし、そうだっけと少し首を傾げる。
「もういいもん! 父ちゃん、車かりるぞ!」
「あ、おい! しんのすけ!」
しんのすけはサイドボードの車のカギを鷲掴みで握ると、すぐに緑色のセダンカーへと乗り込み、キーセルを回す。
「おい、ぶつけるんじゃないぞ! ローンは終わったとはいえ、買い直す程の貯金はないんだからな!」
「ブ・ラジャー!」
父の声を置き去りに、セダンは情けない排気音を出しながら、野原家を後にした。
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「ヘンダー君と! ハイチーズ!」
「ウッソ、これめちゃくちゃおいしくない!?」
「あーん、お土産どれにしよう……」
時刻は既にお昼時、2人の友達とひまわりはヘンダーランドを満喫中。驚く仕掛けは沢山あるけれど、どれも至って危険じゃない。
彼女の記憶から、兄の忠告はすっかりと抜け落ちていた。
「ねぇ、次どこに行く?……っと。ね、今すれ違った二人組の男、めっちゃイケてなかった!? ねえひまわり、あんたもそう思わ……あれ、ひまわり?」
「ねぇ~お兄さ~ん、目玉焼きご飯に載せるタイプ? お醤油も掛けるタイプ~?」
「ちょ、ひまわり! あんたのトシでそれやるとマジでシャレにならないって!」
友人たちに後ろ襟を捕まれ、あ~ん、と情けない声を挙げながら踵を擦る。
その時に、スマホのバイブレーションに気が付く。画面を開くと、そこにはしんのすけからの通知。
流石に、しつこいなぁと思ったひまわりはそれに応じることなく、通話のキャンセルボタンに指を翳した。
「ねぇ、ひまわり! 射的やろうよ! あんたすごく得意でしょ」
仲間から腕を引かれ、ひまわりは射的ゲームへ。
コルクを詰めてライフルを構え、狙うはヘンダー君ぬいぐるみ。サイトを頭に向けて、思う。
『そろそろ私もお兄ちゃんから卒業しないとな』と。
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ひまわりへの3度目のコールも空しく、しんのすけのスマホに表示された文字は『通話キャンセル』
明らかに焦燥に駆られているという自覚はある。だが、このまま何もしないわけにはいかないのだ。
しんのすけは高速から降りてすぐのコンビニに停めていた車を再び発進させる。
とにかく、早く目的地へ向かいたい一心だった。それが、仇になった。
道路へ出る際、通行車両の確認を怠ってしまった。けたたましいクラクションの音が聞こえた時には遅かった。
「うわああああああ!」
ハンドルから手を放し、せめて頭だけでも守る構えをとり、目を瞑った――。
だが、いつまで経っても衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、こちらに接近していた車両の姿はない。
それどころか他の車両の姿もない。辺り一面、急に静かになったよう。
日中、ずっと渋滞しているような大きな交差点にさえ、一台も車が無かった。
しんのすけは、それ以上深くは考えなかった。
とりあえず、目的地を急いだ。
アクセルを可能な限り深く踏んだ。幸いなことに、渋滞は無いし、スピード違反を取り締まる警察車両の姿さえない。
おかしい、オープンしてまだ2週間と経たない人気のテーマパークへの道のりが、こんなに空いてていいはずが無い。でも、行くしかない。激しい違和感を引きずりながらも、それでもしんのすけはアクセルを踏んだ。
辿り着いた目的地――『群馬 ヘンダーランド』
まるで人気のない、その場所。まるで定休日とも受け取れそうだが、SNSを確認すると今日もこの施設を満喫する人々の写真が山のように出てくる。――当然、妹の投稿も。
『初! ヘンダーランド! お小遣いいくらあっても全然足りない! お兄ちゃんへのお土産、何にしようかなぁ~』
二人の友人を含めたひまわりの自撮りが添えてある。いいねも沢山ついている。
しかしスマホから目を離した先にある施設には、まるで活気というものが無いのだ。
そして、高く上っていた筈の日が、いつの間にか黄昏に満ちている。しんのすけは直感で理解する。
――あの時と同じだと。
「ひま……」
ゲートに手を翳す。鍵は掛かっていない。
チケット売り場にも人はいないので、スルーして中へ。
テーマパークの中、気味が悪い程の無人。しんのすけは、あの時の記憶だけを頼りにパーク内を散策する。
全く同じだ。あの時のつくりと。
「ひま、ひまわり、ひま帰るぞひま!」
彼の声だけが空しく響く。
しかしどこを回れど、妹どころか人一人もいない。
胸の激しいざわめきを押さえつけ、再びしんのすけは歩く。そして、とある場所へと辿り着く。
『ヘンダーサーカス』
すこし朽ちた、巨大なテント。記憶が定かであれば、ここが全ての始まり。
進入禁止の柵を超え、中に入る。とても埃臭い場所だ。そこにあるのは、人形や機械たち。サーカスにて使用するものたちだろう。
その、一番奥に辿り着く。人形劇の小さなステージがそこにある。
近くのスイッチを入れると、ステージに照明が入る。中央に居る一体の人形にスポットライトが当たる。
人形は交差した腕を解くと、掠れるような声で歌う。
――わたしーは トッペーマ あなたのしもべ……
曲の音声に、しんのすけは無意識に声を載せていた。
人形はやがて途中で動かなくなり、ことん、とその場でコケる。
ただひとつ、ゼンマイのネジを残して。
「……ねぇ、トッペマ。教えて欲しいぞ。なんでまたヘンダーランドができたの。あのオカマのおじさんたちがまた来たの? 王子様が蘇って、魔法の国は平和になったんじゃなかったの。またオラに用なの。でも、ひまわりは関係ないから、家に帰してほしいぞ」
そう呟いても、返事はない。
酷く葛藤はした。だが、しんのすけはゼンマイのネジを取り、顔に星のマークが入ったパペット人形の尻に差し、数回回す。
だけど、何も起こらない。そう思われた時、人形はゆっくりと四肢を動かし、そしてゼンマイのネジは頭へと戻って行った。
「私はトッペマ。ネジを戻してくれてありがとう……しんちゃん」
「トッペマ……」
ほぼ、絶句に近かった。昔の記憶を、無理矢理手づかみで引き出されているような、混乱の感覚によく似ていた。
「トッペマ、オラのこと」
「もちろん覚えてる。しんちゃん。ねぇしんちゃん、また、助けて欲しいの。マカオとジョマがまた復活を果たしてまたヘンダーランドを再建したの。次は、この日本の国ごと支配下に置くつもりなの! お願いしんちゃん、また、私たちをたすけて。おねがい」
あの時と、全く同じ顔。勇敢で優しくて、それでいてとても頼りになったかつての相棒。
同じだ。あの時と全く同じ。
そう同じだ。
そう同じだ。
そう同じだ。
そう同じだ。
そう同じだ。
でも、数々の修羅場を乗り越えて来たしんのすけの直感だけは、同じであることを否定した。
しんのすけの口先が動く。
「ちがう……ちがう」
「しんちゃん? どうしたの」
「おまえは……おまえはトッペマなんかじゃない」
そう言われたトッペマ、何とか取り繕うかと思った。
だが、意外にも彼女はあっさりとしていた。
「……っそ。じゃあ私がトッペマじゃなかったら、わたしだーれだ?」
トッペマの首が横方向90度に倒れる。そして、じりじりと音を立ててしんのすけへと近づく。
「野原しんのすけ。かつての私の全てを奪った贖罪を」
トッペマの背後から無数の触手。それがしんのすけの身体を縛り付けた。
「う、ぐううう!! トッペマァ!」
トッペマの顔がしんのすけの耳の横へ。
そして、小さく呟く。
「しんちゃん、私からの最後のお願い」
「うっ! トッペマの真似をするのはヤメロ!」
「――わたしに殺されて?」
しんのすけは、彼女の一瞬の隙を突いた。
柔らかい身体を駆使し、関節を外し、触手からするりと抜け出す。成人した身体であってもあの時の身体能力は衰を知らない。
そして、触手から抜けたついでにトッペマに一撃の頭突き。一回転して地面へ着地。
しんのすけからの思わぬ反撃。流石は、場数を踏んでいる元スーパー5歳児――改め、現役21歳児。
しかしさすがのしんのすけも身の危険を感じたか、その後はトッペマに背を向けて、外の世界まで駆けだす。
テントを抜け、ショッピングモールを抜け、アトラクションゾーンを抜け、メインホールへと到達する。
意外なことに、追手はない。激しく肩を揺らして、近くのフードコートの椅子に腰を下ろす。
「トッペマ……」
塞ぎ込むようにして、そう声を出した。
十数年ぶりに再会した、かつての相棒。偽物だと見破ることはできた。だが、だけど。
久しぶりの再会を、彼女との美しい思い出を、酷く踏み躙られたような気持ちが今の彼の心を満たしていた。
『しんちゃん……』
彼の耳が、その声を捕えた。
奴らが来たのか、そう思いしんのすけはその場に立ち、構える。
だが、見渡す限り誰も居ない。変わらずここは無人のテーマパーク。
『しんちゃん、こっち』
だけど、声は聞こえる。どこから、どこからと辺りを見渡す。
すると、それらしい場所を一つ見つける。メインホール隅にある、シアタールーム。
ヘンダーランドの世界観などを説明するムービーなどが見られる施設。そこから音が聞こえてくる。
罠だ。そうわかってはいた。
だけど、どうしてもその声は懐かしい。彼の家族、親しい友人、今は憎きあのトッペマの声どれにも当て嵌まらない。しかし彼はこの声を知っている。か細くて、慈愛に満ちたその声。
シアタールームの扉を開ける。
中身は小規模の映画館のよう、映写機からスクリーンへ映像を投影している。
そのスクリーンに声の主は居た。若い、中学生くらいの女の子だった。
しんのすけは、その子のことを知っているような、知らないような、そんな気がした。
『しんちゃん』
彼女がしんのすけを呼び、手を差し出す。
しんのすけの思考がようやく止まる。目の前の少女に、視線を全て奪われる。
それは、劣情に由来するものではない。深いプラトニックの果てに、深い傷を負った5歳の時の記憶。
今までどうして君のことを忘れていたんだろう。気が付けば、しんのすけの目尻から、一筋の雫が落ちた。
「……つばきちゃん」
程なくして、シアタールームは深く、深く、閉ざされた。
続いてのニュースです。
昨夜21時ごろ、群馬県■■■の山中で、不審な車が乗り捨ててあると警察に通報が入りました。
車両は緑色の乗用車で、人気のない道路脇に脱輪した状態で停められていたと言うことです。
警察の調べで、車両は埼玉県に住む一家のものであることが分かり、家族や当時の目撃証言から、乗っていたのは車を所有している一家の長男『野原しんのすけ』さんであるとみられています。
野原さんはここ一週間程連絡が取れておらず、家族から捜索願が出されていることから、警察は行方不明事件として野原さんの調査を進めています。
次です。