ホロウ戦記   作:イサコウ

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プロローグ②

 

 「おはようございます」

 

 人に向かって挨拶をしたのは、何年振りであろうか。

 瞼をゆっくりと開き、周囲をぼんやりとした視線で見回す少女は、驚く事に途切れ途切れの返答を返した。

 

 「だ…れ…」

 「ほう、意外にも意識がはっきりとしている。よかったよかった」

 

 あの日、死体の山から掘り起こした彼女は、特に四肢に顕著に見られたエーテル侵蝕が、既に致命的な域にまで進もうとしていた。

 このまま行けば、まだ健在である頭部にまで影響が出るのは、疑うまでもないだろう。

 

 とは言え、彼女は幸運だ。なぜなら、私にとっても幸運であったからだ。

 

 「君は、運が良い」

 「…?」

 「まだ実感は湧かないでしょうが、君は正に危篤状態にありました。四肢は使い物に成らず、いずれは頭部にまで侵蝕が及び、エーテリアスと化すのも時間の問題だったでしょう」

 「えー…てりあ…す」

 「ふむ…?…いずれにせよ、もう大丈夫です。目下、君がそのような事態に陥る事は避けられました。そしてこれからも、ない、と言える」

 「…」

 「クックック、気になりますよねぇ。なぜ君がエーテリアスにならないと、こうも私が断言出来るのか、と」

 

 そう言って、彼女の横たわる台を9号たちに立たせてもらうと、私は用意した大きな姿見を手元に引き寄せる。そこに映るのは、手術用電灯に照らされ、エーテル色に輝く人体。

 

 「おめでとうございます。君は、『エーテル体』に適合した最初の人間となったのですから」

 

 女性らしく柔らかで、なだらかな曲線美を描くそれは、古代の彫刻にも劣らないと自負している。名実ともに、これまでの試行錯誤の果てに辿り着いた、現時点における最高傑作のサイボーグ体。

 使用したのは名前の通り、ホロウ由来の新素材である『エーテル筋維筋』。

 分子機械たちの細部に至る絶妙な調整によって、しなやかな筋肉を形作るそれは、性能共に優雅としか形容し得ないと、思わず自画自賛したくなる出来映えであった。

 

 「…?」

 

 とはいえ、彼女は鏡に映った体を見ても、僅かに首を傾げるだけ。あまりにも薄味の反応を見て、途端に我に返る。

 そもそも彼女は傷病人であったかと、改めて気がつくと、私は仕切り直しとばかりに咳払いを一つした。

 さて、こういう時にはお決まりの質問があったはずだが…。

 

 「そうだ!このまま“君”というのも何ですし、名前を聞いておきましょう」

 「な、ま、え…?」

 「ええ、君の名前です。とは言え、思い出せないのならば…」

 「な、まえ、なまえ。…名前、名前。…、私の名前」

 「ほう…」

 

 てっきり、記憶喪失だと思っていた彼女は、「名前」という単語に明確な反応を見せる。

 そして、少しだけ目を瞑ると、彼女は小さく口を開いた。

 

 「ツイッギー」

 「…」

 「私は、ツイッギー…」

 

 新しい体に適応する時間が必要なのだろう。はたまた、声を出すのに僅かばかりの体力を使い切ったのか。疲れから眠りに入った彼女を、9号たちに運ばせる。

 

 「はじめまして、…ツイッギー君」

 

 いつの間にか、そんな言葉を口にしていた。

 9号達に運ばれていく彼女を見送りながら、ふと私は姿見を見る。

 

 私は、確かに笑っていた。

 

ーー

 

 ツイッギー君との出会いから、この日で二週間がたった。

 

 当初は慣れない体に苦労していたようだが、それでも驚くべき速さでエーテル体のコツを掴んでいる。

 今では、リハビリの度に改善点を返してくれるため、私としてもエーテル体の実地情報が集まり、技術者として、俄然その改良に燃えていた。

 という訳で、研究者と被験者、互いに理想的な関係を結べて幸せ。ウィンウィンという奴である。

 

 「博士」

 「…おっと!ああ、リハビリから帰ってきたようですね、ツイッギー君。よろしいよろしい、記録は後ほど正確な値を出した物を提供しますが、如何します?」

 「…いえ、今知りたいわ」

 「わかりました。…おおっ!新記録ですよ、ツイッギー君!」

 「これくらいは当然よ…」

 

 私は、測定器の結果を見て驚く。

 9号から受け取ったのだろう、首にタオルをかけ、経口補水液のボトルを傾けながら、淡々と結果を受け止める彼女。その姿を横目に、私は早速バーコード紙に出力されたデータを、手元のノートに書き写していく。

 

 「ねぇ…」

 「はい?」

 「そんなに、大袈裟にしなくても…。たかだか、ランニングでしょう?」

 「くっくっく…。それがそうとは言えないのですよ、ツイッギー君」

 

 確かに、今回の測定結果はエーテル体の高性能さを余す所なく示したが、これは自明であり、当然である。

 問題は、体にかけた筈の「限界」を少しばかり上振れた出力が確認された事だ。

 

 限界とは、すなわちエーテル体が離散しないように活動する分子機械(ナノマシン)アルゴリズムのことである。

 『リストーラー(修復者)』と名付けた彼らは、日夜体の維持を行う際、宿主から発生する微弱な静電気を糧にする。

 一個一個の機械は、正しく微々たる物ではあるが、それが数兆単位であれば、その活動系を活かすエネルギーは相当な物となる。

 電力供給と維持活動。このエネルギーの交換が絶え間なく繰り返されることで、エーテル体という小宇宙は成り立っていた。

 

 尋常ではない新資源『エーテル』だからこそ可能となった、高度なエネルギー循環システム。

 

 我ながら、すごい物が出来上がった物と思うのだが、一つ懸念点もある。

 この絶妙な均衡によって成り立つ小宇宙に“異物”が混ざった場合、どの様な反応が起きるのか、という事だ。

 この場合、それはすなわち人間の脳であった…。

 

 「くっくっく…。僅かとはいえ、限界を上振れながらも異常はない。これは…」

 「…」

 

 そう言って、私はツイッギー君を見る。

 サイボーグであるのならば、汗など流れることはないだろうに、それでもタオルで脱ぐおうとする彼女。

 人は失ってなお、かつての感覚に執着するという。その実例を横目に見ながら、私は続けた。

 

 「思えば、君という存在は未知の塊です。なぜあの様な姿で、ボタ山に埋まっていたのか?君は何をしてしまったのか?そもそも、君は何処から来たのか…」

 「…何を言いたいの?」

 

 タオル越しに私を見つめてくる彼女。

 かつての研究所の子ども達を思い起こさせる、真っ直ぐな視線。どこか懐かしくなりながら、あの子達との交流の記憶を思い起こしていく。

 …こういう時は、素直に答えるのが一番であったかな?

 

 「一人の研究者として告白しましょう。私は今、君に夢中です。君が秘めた全て、その謎を解き明かしたい!…君のリハビリと共に、種々のデータを提供をしてもらっているのはその一環でもあるのです」

 「何で…」

 「ん?」

 「…私が何処の誰だとしても。今、ここにいる“”ではダメなのかしら?」

 

 タオルを片手に憮然として腕を組む彼女。何か気を悪くさせてしまったかと思いきや、その口から出てきた前向きな言葉に驚いた。

 それと同時に嬉しくもなる。少なくとも、今を生きる意志があるのは良い事であるからだ。

 とはいえ、一人の好奇心の徒としては聞きたくもなる。

 

 「…君は自分の過去が気にならない、と?」

 「ええ…、なんとなくだけど」

 

 そう言って、ここではない何処か遠くを見る少女。

 その姿を見ながら、私は笑みを深めていくのであった。

 

ーー

 

 ツイッギー君が来て一ヶ月が経った。

 

 目下気になっていた、彼女とエーテル体との親和性には何ら問題もなく、むしろその性能をさらに引き出すような驚くべき記録も出ている。

 リハビリは継続しているが、研究は次の段階へ着々と進みつつあった。

 

 正直、ここまで上手くいくとは思ってはいなかったため、ここ最近の私はすこぶる気分が良い。

 あまりにも良すぎて、絶賛9号たちと取り決めた「プリン3個ルール(プリンを食べすぎるな)」を破っている所である。

 

 「ク〜クックック!ルールを破るこの快感、たまりませんねぇ〜」

 

 そう言って、真夜中の調理室からくすねて来たプリンを一掬い。

 部屋に入る前に、堪えきれず口に含んでしまったが、ちょっとした罪悪感は、広がっていく芳香と甘味を前に退散していった。

 

 「キャハハハ!やはり、プリンを食べる時はこうでなくては…あれ?」

 

 台所の主人こと11号が聞けば、一ヶ月のプリン禁令を発するぐらいには挑発的な言葉が口をついて出てきたが、私の部屋にいた“先客”を目にして、それはすぐに疑問の言葉へと変わる。

 

 「ほう…ツイッギー君。君も夜更かしですかな?」

 

 茶化し混じりの私の言葉に応えることなく、彼女は机に陣取ったまま、何かファイルのような物に目を落としていた。

 はて、少なくとも、ここには年頃の娘が夢中になれるようなものは置いていなかったはずだが?

 何が彼女をそう惹きつけているのか、俄かに興味が湧き、私はその傍に歩み寄ると…。

 

 「おや?これは、あの日採掘した遺体の記録ではありませんか」

 

 そう言ってプリンを置くと、何気なく、私はそのファイルを手に取る。

 正直あれだけ食い入るように見ていたのに、随分とあっさり手放すものだなぁと思いながら、私はあの日の光景を思い出していった。

 

 「あの日、ボタ山から君を掘り出した後、まだ何か埋まっているのではないかと思い、9号と共に時間が許す限り採掘を行なったのです」

 「正直、機材の問題もそうですが、人手も揃っていなかったため、制約の多い作業となりましたが、それでも幾つか収穫がありました」

 

 そう言って、私はページを捲っていく。

 ホロウの消滅時間も勘案した上で、持ち帰ることよりも、記録に残すことを優先したため、かなりの量の画像データを撮り溜めたものである。

 私自身のこだわりとして、現象した写真群を一枚一枚仕分けていったのだが、これが中々骨が折れた。

 とはいえ労をかけた分、思い入れも一塩であった。

 

 「彼女達は、『クローン』です」

 「数少ない現物の資料である頭髪を採取させて頂きましてねぇ。それを試験薬に掛けてみたところ、98%の割合で塩基対配列に一致が見られました」

 

 つまりは、“ほぼ”同一人物だということ。

 

 「正直、この結果には脱帽しましたよ。凄まじい精度。特定個体に絞ったクローニングでさえ、その複製に揺らぎの幅があった頃に比べれば、大きな進歩です」

 「まあ、これほどの技術革新、根っこの部分にはかなり業深いものを感じますねぇ。いやはや、興味深い…」

 

 遺伝子の複製技術は、それこそ旧世紀から陰に陽にと続けられて来た、人が紡ぐ業の一つ。

 ここまで来れば、夜の長話も兼ねて彼女に一つ即席の発表会に付き合ってもらおうと思い、机の上へファイルを広げ直す。

 ページをめくり、私が指さした先には、今回の採掘で最も興味をそそられた遺体が映っていた。腕部が完全にエーテリアス化した少女、その「白い髪」は不思議とツイッギー君を思わせた。

 

 「これは、私が診てきたエーテリアス化症例の中でも、特に示唆に富む例でした」

 「便宜的に6番と名づけましたが、これが凄まじい。人本来の組織とエーテリアス化した変異組織が、拙い小型顕微鏡だけでは観察できない程に入り混じっていました。つまり、グチャグチャ。これは相当な免疫反応がなければ、起こり得ない現象です。なので、じっくりと検死してみたかったのですが…」

 

 やれやれと私は首を横に振る。

 大きな幸運の前では、人はその本の少しの分前しか与れないものだ。

 

 「悔しいことではありますが、持ち帰ることは出来ませんでした」

 「…」

 「ああ、今考えても惜しい!ホロウの消滅があれだけの速さでなければ、より多くの知見を得られたものを…」

 

 それでも、成果はゼロではなかった。目の前にいるツイッギー君が、その何よりの証である。

 

 「君を外に連れ出せたのは、まさに望外の幸運といえました。それだけでも大きな成果であります。ですが、それに付随して大きな“謎”も残りました」

 「つまり、彼女達は何者なのか?ということです」

 

 そう言って、私は沈黙を保つツイッギー君に代わってページを捲っていく。

 

 「これは5番と名づけた遺体です。彼女を最後に採掘は中断せざる負えなくなりました。ボタ山が崩れ落ちる可能性があったのでね」

 「遺体には複数の裂傷が見られましたが、これは発掘した遺体に共通する特徴です。とは言え、彼女の場合は胸に一刺しされた跡がありましたので、これが致命傷となったのでしょう。これは痛い…」

 

 そう言って、ページを捲り続けていく。ちょうど振られた番号が、大きい数字から小さな数字への配列となっているのは、それだけ得られた情報が多かった順に並べているからである。

 つまり、最後に来るのは…。

 

 「この遺体、1番は酷かった。特に頭部の損傷は甚大で、何か大きな力で圧を加えられたのか、完全に潰れています。仕方なく、標本は断念しました」

 「…まあ、それでも。この遺体を見た時、あのボタ山で何があったのかを想像することは出来ましたがね」

 

 そう言って、あの日、私の脳裏で組み立てた一つの仮説を話し始める。

 すると…。

 

 「端的に言えば、この惨劇の犯人は」

 「そんな言い方をしないで!

 「!」

 

 叫び声をあげ、私の言葉を遮ったのは、他らぬツイッギー君であった。

 見れば、机に置かれた手には筋が浮き上がり、その震えは机を小刻みに揺らしている。興奮状態なのは一目瞭然であった。

 

 「ツイッギー君、深呼吸をしたまえ!それでは、せっかくの体が壊れて…」

 「あの子は!」

 「…?」

 「…その子の名前は、ヘルーダよ」

 

 遺体の名前なのだろう、言い終えたツイッギー君は胸を抑えて随分と苦しそうだった。この取り乱し様は、彼女の脳が分泌するエドルフィンによる禁断症状であろうか?

 確か、近しい人間の喪失が引き金になると聞いたことはあるが、もしかして…。

 そんな私を横目に、彼女の口からは再び堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 

 「あの日、私たちは一つの共生ホロウへと投下された。作戦の目的はエーテリアスの殲滅。とても単純な物のように思えたけど、みんな薄々気がついたはずよ。…これが厄介払いだってことに」

 「でも誰も、何も言えなかった。だって、私たちは犬だったから。どんなに蔑まれても、どんな罵倒されても、命令には従順に従うことが私たちの存在理由だったから」

 

 そうだ、私たちは犬だった。それの何が悪いというのだろう。

 いつだって私たちは忠実な飼い犬だったはずなのに…。

 

 「…でも、あれは最悪な光景だったわ。ホロウに対してどれだけ耐性が高くても、強弱はある。シルヴァーナは特に弱かったから、彼女が真っ先に苦しみ出した。でも作戦時間が終了しても、ヘリが戻ってくることはなかったわ」

 

 私たちは見捨てられたのだ。それを確信した時、シルヴァーナに限界が訪れた。

 

 「彼女は暴れ回ったわ。私たちは手をつけられず、右往左往するしかなかった。一体感のシルバー小隊の姿はもうどこにもなかった」

 「まずは、ヘルネが潰された。叩かれ、叩かれ続けて、頭は潰れたトマトの様になってしまった。誰もがただそれを見ているしかなかった」

 「でも、みんな勇敢だった。すぐに剣を握って、シルヴァーナに向かっていった。…一瞬だったわ」

 

 たった一薙ぎで、エーテリアスは人間を殺せる。そんな単純なことを、どうして今まで忘れていたのだろうか?

 蹂躙はあっという間に終わった。

 

 「ニーミヤは真っ二つにされた」

 「サキとヘルーダは首を飛ばされた」

 「シュライアは剣を取ったけど、振るえなかった」

 「ナーメヤは馬鹿だった。涙を流して突撃していって、シルヴァーナにあっさりと胸を貫かれた。…そして、あの子はシュライアを袈裟斬りにした」

 

 みんな…、みんな死んじゃったわ!

 そう言って狂気的な笑みを浮かべる彼女。目から留めどなく流れているのは、紛れもなく涙である。

 本能が目前の彼女に警鐘を鳴らしているにも関わらず、むしろエーテル体の変異の実例を見られて感心している私は、どうしようもなく研究者であった。

 

 だが、ツイッギー君には関係なさそうである。

 

 いつの間にか、彼女の中で私は「博士」ではなく、「軍医殿」という存在に入れ替わってしまったらしい。

 一歩一歩と近づいてくる彼女を避けるように、私も一歩一歩と後ろ歩きでいったところ、案の定壁際まで追い詰められてしまった。

 

 「ねえ、軍医殿?その時、私はどうしていたと思う?」

 「さ、さあ…」

 「そうよね、そうよね…。わからないわよねぇ。でもそれでいいわ、だってそんな大したことはしていないんだもん」

 

 そういって、両の腕を胸の前で抱くような仕草をする。実際、彼女は何かを抱いていたのだろう。私には見えない誰かを。

 

 「アンビー隊長が全てを終わらせた時、私は突き飛ばされてきたサキの体を抱えていたわ。…首のない体でね、私が“サキ、サキ”と呼んでも応えてはくれなかった」

 「それから、ヘルーダが来た。シュライアが、ヘルネが、ニーミヤが、ナーメヤが」

 「気づいた時には、私は積み重なった死体の山の底にいた。押しつぶされて、もうどこにも行けないのだと悟った時、私はどうしたと思う?」

 

 部屋にツイッギー君の笑い声が響いた。

 

 「ただ一心に助けてって、叫ぼうとしたわ」

 

 そう笑いながら、今度は自分の頬に両手を添えた彼女を見て、デジャブを感じる私。

 なんというか、太古のインター“ネ”ットとやらで見た覚えがあるポーズだ。なんだっけ、「ヤンデレ(?)」と言うやつだったか?

 実物を見たのは初めてだが、実際に目の前でやられると迫力があり過ぎるぞ!と昔の私に伝えたくなる。

 

 「笑えるわよねぇ。みんな死んだのに、みんな大切だったのに。腐っていく刺激臭が漂い始めた時、私は上にのしかかるみんなを押し退けたくなった。私の心を支配したいのは、ただ生きたいという感情だった」

 「滴り落ちる血が頬に垂れてきた時、私は必死にもがいたわ。バカよね…、もがけばもがくほど、みんなの腕や足が絡まっていって、解けなくなっていったのに」

 「いつの間にか、私の体からも腐臭が漂い、エーテル侵蝕が蝕んでいった。腕が、足がなくなっていく感覚、切り落とされるのとは違う不快感…。感じたことはある?」

 

 そういって彼女はゆっくりポーズを解くと、徐に私の胴に手をまわした。ぐりぐりと頭を擦り付けているが、正直鳩尾に振動と摩擦を加えられるのは、かなり痛いのだと気づく。

 これを涼しい顔で受け止めていたカローレ女史の偉大さに、私は敬意を新たにするのであった。

 …という訳でね?

 

 「ええ、そうよ。私は嬉しいの…。こうして自由に動ける事が気持ちいいって思い出せたのは、軍医殿、あなたのおかげよ」

 「つ、ツイッギー君?君の喜びはわかったので、そろそろ…」

 「それにこうして誰かを抱きしめる暖かさは、本当に久しぶり」

 

 でもね?

 そういって、途端に力が入る。私はガッチリと抱きしめられ、逃げることを許さないと言わんばかりの圧を感じた。

 

 「…どうして、どうして“私”を助けたの?」

 「なっ、何、を…」

 「言ってたじゃない、私が「役立たず」だって。…アンビー隊長は別格だけど、斬術に優れていたナーメヤはどうかしら。あの娘、私よりも綺麗だったし、この体だってきっと似合ったはずよ」

 「そ、それは、君が…!」

 

 私が言葉を続けようとした時であった。

 万力。そうとしか形容しようがない、凄まじい力が私の全身を締め上げる。

 肋骨が折れるような幻聴が聴こえた時、堪らず口の端から声にならない悲鳴が漏れ出ていった。

 

 「そんな事、聞きたくない!!

 「お、ぐおっ…!」

 「言って…、偶然じゃないって。私を助けたのは、“”だからって!!」

 「グアア!?!」

 

 遅まきながら、痛覚系統が一斉に励起する。脳内のちっぽけな「チップ」が、痛覚遮断のために情報処理に煙を上げる幻が視界に浮かんだ。

 だが遅い、致命打は突然訪れた。

 脊髄に一瞬走った強烈な痛み、それがチップに届いた時、全てが暗転した。

 

 私の生体維持機能は、一時的に緊急停止したのだ。

 

 




分子機械(ナノマシン)

 名前の通り、分子レベルの極小ロボットのこと。
 原子レベルから組み上げられた駆動系によって動くロボットは、ごく僅かなエネルギー(静電気など)によって稼働する。

 「アセンブラー(組み立て工)」と呼ばれる彼らは、理論上なんでも出来る優秀な労働者であり、特に医療面において革命的な発展が期待されていた。
 しかしながら、放っておくと自己複製を永遠と続ける可能性(グレイ・グー)が指摘されたことで、その活動を制御する理論が求められたものの、半世紀にわたって尚、効果的な理論は提唱されないままとなっている。

 結果的に、ガン細胞破壊のための鉄砲玉運用といった、限定的な条件・環境下において使用されるに留まっており、技術体系としては完全に停滞しているのが現状である。

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