正邪はもっと愛されてもいいと思います。
満月が地球の大地を、その淡い光で照らしている。とても太陽の光と同一だとは思えない。夜。それは、妖怪が闊歩する時間だ。彼らは獲物を捕らえるため、息を潜め、その眼を光らせている。それが常識だ。
しかし、とある森の中では、そんな常識とは正反対の事をしている妖怪がいた。十代後半の女性の姿だが、頭頂部の辺りから二本の角が、上に向って生えている。彼女の名は八瀬呉葉。鬼である。
「お願いします! 私をあなたの側に置いてください!!」
私は両腕両足を地に着け、頭を思い切り深く下げる。いわば土下座の格好だ。真夜中の土は冷たく、それを感じてすぐに、私の身体は芯まで冷えてしまった。
「え、えぇ……」
目の前にいる方は、私の突然の申し出に困惑しているようだった。確かに、それもそのはずだ。自分より圧倒的に弱い私を、側に置くなど普通ありえない。少なくとも、私がこの方の立場にあったら、絶対に拒否する。
「なんでだ?」
「先程の勝負、私の完敗でした。それで、鬼より遥かに強いあなたに憧れたんです」
勝負はこの方が私を煽ってきた事で始まった事だ。しかし、勝負は一方的だった。殴ろうと近づいたが、気が付けば転ばされ、起き上がってはまた転ばされる。それの連続だ。見事なまでの完敗だった。
別に、今まで負け知らずだったわけではない。私の仲間は皆、腕っぷしが強くやや喧嘩っ早いので、よく勝負をした。その中で敗北も幾度かあった。しかし、今回の勝負は、そんな敗北とは訳が違う。先程も言ったように、完敗だったのだ。だからこそついていきたい。敗北ではなく、乾杯させたこの方に。
「……いいぞ」
その声に、冷え切った私の身体は、すぐさま熱を持った。興奮と歓喜を抑えられず、ガバッと顔を上げる。
「ほ、本当ですか!!」
「二度も言わせるな。さっさと来い」
目の前にいる方は、一度手招きをすると、向こうに行ってしまう。私は急いで立ち上がり、彼女の側を同じ速度でついていく。
そういえば、重要な事を聞いていなかった。この方の名前をまだ聞いていない。それに、私も名乗っていない。すると、聞いてもいいのだろうか? という心配が、私の思考にべっとりと張り付いてきた。しかし、迷ってばかりもいられない。意を決して、口を開く。
「わ、私、八瀬呉葉といいます。あ、あなたのお名前は?」
恐る恐る窺うと、この方はニヤリと笑ってこちらを振り向く。
「鬼人正邪」
この方、正邪様はそう言った。
これが、私と正邪様の出会いである。
今、私の目の前で、一人の鬼が土下座の格好をしている。こんな寒い中で、よくできるものだ。
「お願いします! 私をあなたの側に置いてください!!」
「え、えぇ……」
思わず口から戸惑いの声が漏れてしまった。それも仕方ないと思う。何せ、この鬼からどうやって逃げようかと考えていたら、いきなり側に置いてくれと頼まれたのだから。罠ではないかとも考えたが、鬼は嘘を極端に嫌う事を思い出したので、その考えはすぐに切り捨てた。しかし、理由は聞いておこう。
「なんでだ?」
「先程の勝負、私の完敗でした。それで、鬼より遥かに強いあなたに憧れたんです」
勝負というのは、さっき起きた事で、私が煽ったのが原因だ。しかし、私がやっていた事は、逃げる手段を考える時間稼ぎとして、こいつの踏んでいた落ち葉を能力でひっくり返していただけだ。どうやら、それが原因で自分より強いと思いこんでいるらしい。
さて、問題はこいつをどうするかだ。正直、これは中々おいしい話ではないだろうか。めんどくさそうな性格をしているが、私にメリットがあるのも事実だ。主に二つ。一つは、戦力としてとても頼りになる。根拠はもちろん、鬼だからだ。仮に弱かったとしても、相手への抑止力にはなる。そしてもう一つは、暇つぶしにとても向いていそうだという事だ。根拠は、私を鬼より強いと思っているその間抜けな発想力だ。
「……いいぞ」
「ほ、本当ですか!!」
こいつは私の言葉を聞くと、さっきとは打って変わって、元気になっている。単純な奴だ。
「二度も言わせるな。さっさと来い」
一度手招きをした後、森から出るために反対方向に進む。こいつも、私の隣を歩く。しかし、少し様子が変だ。チラチラとこちらを見ている。何かあるのか?
「わ、私、八瀬呉葉といいます。あ、あなたのお名前は?」
そのくらいの事で様子が変になるのか……。だが、そっちの方が私としては使いやすくていい。これからどんな事をしてやろうか。そう考えると、自然と顔がにやけてしまう。
「鬼人正邪」
私ははっきりと名前を言った。
これが、私と呉葉の出会いである。