書き直しする事もあります、ご了承下さい。
病室の空気は、ただ静かで、重かった。
窓の外には春の陽射しが差し込んでいたはずだが、この部屋の中だけは、まるで季節が存在しないかのようだった。無機質な壁、整然と並んだ医療器具、そして消毒薬の匂い。それらが俺の心を締めつける。
「レンさん、妹さんの状態は……」
医者の口から漏れた言葉は、そこで止まった。聞きたくなかった。いや、分かっていたのかもしれない。だが、どこかで奇跡を願っていた。希望なんて、ただの逃避だったのかもしれない。
「……魔力加増症です」
その言葉を聞いた瞬間、全身の血の気が引いた気がした。
医者は躊躇いながら、リナの右手に巻かれた白い包帯を外していく。布の隙間から現れたのは――
「これは……」
俺の言葉も、そこで止まった。
そこにあったのは、もう人間の腕ではなかった。黒く、獣のような皮膚が脈動し、筋肉が隆々と盛り上がり、指の先は鋭い鉤爪のように変化している。まるで魔物の一部がそこに宿っているようだった。
「ごめんね、お兄ちゃん……見ないで……」
リナが無理に笑おうとするが、その笑顔も引きつり、頬は青白く、唇は震えていた。そして、彼女の瞳が、淡い紫色に鈍く光っているのが分かった。
「魔力加増症とは、魔力が体内で制御できなくなり、徐々に魔物化していく病気です」
医者は感情を押し殺すように説明を続けた。
「原因はまだ完全には解明されていません。遺伝的な要因や、過度の魔力使用、外的要因による魔力の暴走などが挙げられます。そして……残念ながら、治療法は存在しません」
「ふざけるなよ……!」
俺は感情を抑えきれず、医者に詰め寄った。
「治せない? そんなはずあるかよ! 魔力医学はここ数年でどれだけ進歩してると思ってる! 病気一つ、どうして治せないんだ!」
医者は一歩、後ずさった。
「落ち着いてください、レンさん。……ですが、進行を遅らせる手段はあります。魔力抑制薬という薬があります。体内の魔力流を制御し、魔物化を抑える働きがあります」
「それで、どれくらい延命できるんだ?」
「個人差がありますが……おおよそ10年は持ちます。ただし、服用しなかった場合、2年を超えるのは難しいでしょう」
二年――たった、それだけ。
リナはまだ十四歳だ。友達を作って、恋をして、将来を夢見ていた。その全てが、たった二年で終わるというのか。
「……魔力抑制薬はどこで手に入る?」
「それが、問題なのです。あの薬は非常に高価で、流通量も限られています。一般家庭での入手は極めて困難です。基本的には王族や貴族など、上位階級にしか回りません」
「なんだと……?」
俺の拳が震えた。妹を救う方法はある――けれど、それは金持ちだけのものだというのか。ふざけるな。そんなのおかしいだろ。
「そんな理不尽が……許されてたまるかよ!」
「申し訳ありません、私たちにもどうすることも……」
医者の声は、もう耳に届かなかった。俺はベッドの傍に駆け寄った。
リナは俺の顔を見て、ポロポロと涙を流していた。
「……お兄ちゃん、ごめんね。私……迷惑、かけてばかりで……」
「何言ってんだよ。バカか、お前は」
俺は彼女の頭を優しく撫でる。
「リナは俺の妹だ。俺にとって、かけがえのない大切な家族だ。迷惑なんかじゃない。絶対に助ける。どんな手を使ってでも、魔力抑制薬を手に入れてやる。お前の未来は、俺が守る」
「……ほんとに?」
「当たり前だろ」
抱きついてくるリナの身体は細く、儚かった。あまりにも軽くて、このまま消えてしまいそうで、怖かった。
「怖いよ、お兄ちゃん……魔物になるの、怖いよ……」
「大丈夫だ、絶対にお前をそうはさせない。信じろ、俺を」
……でも、本当は怖かったのは俺の方だった。
探索者として、それなりに名を上げてきたとはいえ、俺はただの平民だ。日々ダンジョンに潜り、小金を稼いで生きているだけの男が、貴族や王族にどうやって抗えというのか。
けれど、諦めるわけにはいかなかった。諦めたら、リナは……。
「レンさん」
医者がそっと俺に声をかけた。
「……時間です」
その意味を理解するまでに、数秒かかった。……ああ、そうだ。もうこの病室には、いられない。入院費を払えなくなったのだ。リナを家に連れて帰るしかない。
「……わかった」
俺は立ち上がり、リナに手を差し出した。
「リナ、行こう」
「うん……」
リナは俺の手をそっと握った。温かい、小さな手だった。
病院の廊下を歩きながら、何度も思った。この手を、絶対に離さないと。何があっても、守り抜くと。
外に出ると、夕陽が街を黄金色に染めていた。灯りがぽつぽつと灯り始め、人々が行き交う通りが見える。
「……レン」
リナが、少しだけ寂しげな声で俺を呼んだ。
「ん?」
「ありがとう……」
その微笑みは、あまりにも優しく、あまりにも儚かった。まるで、最期を悟っているかのような――そんな表情だった。
「リナ……」
俺は、彼女の名前を静かに呼んだ。
そして、誓った。
この手を離さない。命を懸けてでも、妹を救う――