大蛇を斃した直後、地面がかすかに震えた。レンは剣を収めつつ、身構える。だがそれは敵の気配ではなかった。
――揺れは、一つの変化の兆しだった。
レンが振り返ると、平原の彼方に黒い石造りの門が浮かび上がっていた。
それは、階層と階層を繋ぐ通路。そして、その先にあるのは《願いの泉》ダンジョンにおける唯一の安全地帯。
冒険者たちの間で伝説のように語られていた場所――《レスト・ポイント》。
「……ようやく、たどり着いた」
噂では何度も聞いていた。だがその存在は、第一層を突破しなければ誰にも明かされない。それだけの場所なのだ。
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
荒れ果てた草原の風とは違う、管理された温もりのある空気。レンは静かに息を吸い込む。鼻先に香ばしいパンの匂いが混じる。
敷き詰められた石畳の通路。簡素ながら手入れの行き届いた建物が整然と並ぶ。鍛冶屋からは金属を叩く音が響き、酒場からは笑い声や怒鳴り声がこぼれてくる。
「……本当にあったんだな、こんな場所が」
ダンジョンの中にあるとは思えない街の風景に、レンはしばし見とれた。
だが、浸っている暇はない。
ここでは情報がすべて。次の階層を生き抜くには、地形、魔物、気候、あらゆる情報を手に入れねばならない。
レンは荷物を担ぎ直し、街の中心――冒険者の酒場へと足を向けた。
中に入ると、壁一面にびっしりと情報が貼られていた。各階層の簡易地図、魔物の目撃情報、素材の換金価格、遭難者の名前まで――混沌の中にも秩序がある。
「第2層は岩肌地帯か……視界はいいが、動く岩の魔物がいるってのは厄介だな」
地図を睨みつつ、レンは受付に向かう。
「この魔核、換金してほしい」
レンが取り出したのは、先ほどの大蛇から得た魔核と鱗の一部。受付の女性はそれを見て目を見張る。
「第1層のボス魔物……しかもこの品質。魔核も鱗も傷が少ない。高値が付きますよ。……金貨12枚、いかがです?」
「十分だ」
渡された金貨の重みを掌で確かめ、レンは頷いた。
次に向かうは鍛冶屋。
街の中にいくつもある店を巡り、数本の剣を試した末に、ようやく見つけたのは黒鉄の刃を持つ、やや重めの片手剣。
「使いこなせるか?」
問いかける職人に、レンは自信ありげに微笑んだ。
「少し重いくらいが、ちょうどいい。振り方を知ってるんでね」
購入を済ませ、ついでに保存のきく食料と新しい水袋も手に入れる。古びた装備は修理に出し、使えそうな物は保管依頼を出した。
こうして、次の階層へ向けた準備が整っていく。
やがて日が沈み、レンは街の宿に戻る。簡素な木造の部屋、だが清潔で静かだった。床に身体を横たえると、昼間の喧騒が嘘のように感じられる。
「……妹よ、ここまで来たぞ」
誰にも聞こえぬよう、レンは天井を見上げて呟いた。
まだ“泉”には遠い。だが確実に、歩みは進んでいる。それが実感できる夜だった。
第2層は、視界こそ広いが油断できない。岩と同化した魔物が、獲物を待ち伏せているという。敵は見えないところから来る。だが、今の自分なら――
越えられる。
レンは目を閉じた。疲れた体を休めるとともに、心を戦いの静寂へと整えていく。
そして、再び目を覚ましたとき。
彼の冒険は、新たな階層へと踏み出すのだった。