ダンジョンに願いを   作:ユーガットメー

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第3階層

鍛冶屋の街を後にして、しばらく歩いた。

地を叩く足音の感触が変わる。乾いた岩肌の世界は終わり、代わって柔らかな苔と湿った土の感触が足元に広がっていた。

 

森の階層。

生命と危険が同居する、深淵の中の緑。

高く聳える樹々が陽の光を遮り、地上に届くのは斑に砕けた淡い明かりのみ。

虫の羽音が耳をくすぐり、遠くで魔物の咆哮が響く。

レンは一度、深く息を吸い、森の香りを確かめた。

 

「この辺りから……敵のレベルが違ってくるな」

 

緊張をほぐすように呟く。

ここには、《回復の泉》と呼ばれる特別な水源がいくつか存在するという。

飲めば即座に傷が癒え、空腹すら和らぐという。

持ち帰っても効果が薄れず、冒険者たちにとっては命を繋ぐ聖水のような存在だった。

 

「ただし、嵩張るのが難点か……」

 

レンは荷物の隙間を確認しながら、森を慎重に進んでいた。

道なき道を行く。枝が顔に触れ、根が足を絡め、森は簡単には通してくれない。

だがそのときだった。

 

「……ッ!!」

 

鋼と鋼がぶつかる音。怒号。獣の唸り。

戦闘の音が、森の静寂を突き破って届いてきた。

 

レンは足を止め、耳を澄ませる。

距離はそう遠くない。けれど、音の激しさからして、相当数の魔物が群がっているようだった。

人が応戦しているのだろう。だが、押されている。

 

助けに行くべきか。

それとも、無関係な戦いに首を突っ込まず、自身の目的へと集中すべきか。

 

目的は明確だった。

妹の病を癒すため、《願いの泉》の最奥へと辿り着く。

そのためには、生きて深部に到達しなければならない。

無駄なリスクは、極力避けるべきだ。理性はそう告げる。

 

——けれど。

 

「そんなことをして……本当に、妹に会えるのか……?」

 

妹は“魔物になる病”に侵されている。

人としての意識を失い、理性を蝕まれ、やがてはただの魔獣となる。

忌まわしく、恐れられ、処分される運命を背負った病。

 

その妹を、レンは救いたいと願っている。

だが、目の前の命を見捨て、自分だけが助かることを選んだとき——

本当に彼は、自分のままでいられるのか?

 

「違う……それは、違う」

 

レンは剣の柄を握り直す。

心に巣食う迷いや恐れを、静かに押し潰す。

あの病が恐ろしいのは、魂まで変えてしまうからだ。

だとすれば、自分はその“魂”だけは守らねばならない。

 

「妹を助けたい。そのためには、人として間違ってはいけない。

俺は……俺であることを守って、この旅を終えなければならないんだ」

 

その一歩は、森の奥へと向かっていた。

 

刃が交わる音が近づいてくる。木々の向こうに火花が散る。

悲鳴が混じる。魔物の唸りが響く。時間がない。

 

「待ってろ、今行く」

 

命の泉がこの階層にあるなら、希望はまだこの森にある。

そしてその希望は、誰にとっても等しく与えられるべきだ。

それが、彼の信じたい“正しさ”だった。

 

レンの足取りに迷いはない。

剣士の影が、音のする方角へと駆ける。

斜面を蹴り、蔦を飛び越え、木の根を踏み越えて。

その瞳には、妹の姿と、守るべき“人の在り方”が強く刻まれていた。

 

闇に包まれた森の奥。

剣が叫ぶ。

レンは、己の信じる未来のために、その戦場へと駆けていった。

 

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