森の奥。
幾重にも重なった木々と、苔むした岩と、太く絡まる木の根の隙間を抜けた先に、それはあった。
灯りに照らされた小さな泉。
その水面は鏡のように澄み、まるで夜空の星を写したかのような光の粒が、ぽつぽつと揺れている。
静かにそよぐ風に、葉が擦れる音だけが響き、そこに満ちる空気はどこまでも神聖だった。
「……見つけたな、回復の泉」
レンの呟きは泉の静寂に吸い込まれ、すぐに消えた。
足元に流れる水を手にすくう。ぬるく、心地よい。
冷たすぎず、だが確かに清らかで、手を浸しただけで体の芯から癒されていくようだった。
泉の端には、細い下流が川のように伸びていた。
人ひとりがゆっくり浸かれる程度の幅だが、身体を洗うには十分だ。
血と泥にまみれた服。切り傷、擦り傷。
今、ここで休まなければ次の一歩すら踏み出せそうにない。
「浸かってくる。血の匂い、消しておきたいから」
そう言って、アルリアは荷物を手際よくまとめ、泉の奥へと歩き出す。
背を向けたまま数歩進んだところで、ふいに振り返り、にやりとした。
「……のぞかないでよ?」
レンは思わず肩をすくめた。
「そもそも近づいたら、お前が気づくだろ。気配に敏感なくせに」
「まぁね。もし来たら、全力で魔法ぶち込むから」
「そんな命知らずなこと、しないさ。ここで死にたくない」
二人のやりとりは、かすかに笑いを含んでいた。
それは信頼という名の小さな綱。互いに繋がっているからこその軽口だ。
レンも別の場所に腰を下ろし、荷物を広げる。
水筒に泉の水を詰め、剣とナイフの血を洗い、傷口に水をかけた。
ひりつくかと思ったが、不思議と痛みは和らいでいく。
これが“回復の泉”――なるほど、その名に偽りはない。
遠くから、水音が聞こえた。
アルリアが髪を洗っているのだろう。
レンはそっと目を閉じた。
今日一日だけで、どれだけの命がやり取りされたのだろう。
あのままアルリアが一人だったら――そう考えるだけで、胸の奥が冷たくなる。
だが今、彼女は生きていて、そこにいる。
自分も、生きている。
人を助けてよかったと、心から思える。
信じる者と共に歩けるというのは、なんて温かいことなのか。
「……よし」
独り言のように呟いて、レンは体を伸ばす。
傷はまだ完全に癒えてはいないが、もう立てる。歩ける。
それだけで十分だった。
明日には、新たな階層が待っている。
新たな敵、新たな出会い。
けれど今は、ただこの穏やかな時に身を預けよう。
静かな森と、澄んだ水と、隣にいる誰かの存在。
それだけで、世界は少しだけ優しく見える。
再び旅立つその時まで――束の間の、安らぎを