ふにゃりとした口調で、しかし妙に響く一言だった。
森の村の長老、モアリアナ様――見た目はどう見ても幼女、けれど千歳を超える存在は、にこにこと笑いながらそう口にした。
レンとアルリアは思わず顔を見合わせる。驚くべき提案というよりも、困惑の一言だった。
「……酒で記憶って、そんな軽い話なのか?」
レンが眉をひそめて言うと、アルリアが肩をすくめて苦笑する。
「さぁ。でも……他に手がかりもないし」
それは確かにその通りだった。アルリアの出自――洞窟エルフの記憶を辿るには、藁にもすがる思いだ。
「ついておいで〜、お酒お酒〜」
モアリアナはご機嫌に、とことこと森の奥へと歩いていく。その足取りは好奇心旺盛な小動物そのものだったが、周囲の森エルフたちは誰一人として気に留めない。それが日常であり、長老である証のようだった。
森の小道を抜けた先、開けた場所に小さな泉があった。水面は揺らぎながら淡い光を反射し、どこか甘い香りを漂わせている。泉の周囲には木のテーブルと丸太の椅子が並べられ、何人かの森の民や旅人たちが、陶然とした顔で杯を傾けていた。
「ここが“酒の泉”だよぉ〜。“森の恵み”って呼ばれる特別なお酒が湧いてるの〜」
モアリアナは嬉しそうに笑い、泉の水を柄杓ですくって小さな杯に注いだ。
そして――
「……ぷはぁ〜〜〜! うまいねぇ〜、今日もぉ〜!」
と、天を仰いで一気に飲み干す。見た目が完全に幼女なその存在が、豪快に酒をあおる様は、レンの常識を軽々と吹き飛ばした。
「……おい、あれ、本当に長老か……?」
「見た目に惑わされちゃダメなんだってば」
アルリアが肩を震わせて笑いながら答える。
「……幼女が酒をがぶ飲みする絵ってのは、どうにもシュールだな」
「うん、わかる。でも……このダンジョンではそれが“普通”みたい」
森の常識は人間とはまるで違う。ここでは、年齢も、見た目も、時間すらも、どこか緩やかに歪んでいるようだった。
「お酒にはねぇ〜、傷も疲れも癒す力があるのよぉ〜。この“森の恵み”は特にねぇ〜。ここにいる人たちも、みんなこの酒の虜なんだから〜」
モアリアナは再び自分に酒を注ぎながら、ほろ酔いの頬で笑った。
「それにねぇ……ちょっと酔っぱらうと、ふいに昔のことが思い出せたりするのよぉ〜」
「本当かよ……」
「ん〜、本当かもぉ〜。嘘かもぉ〜。でも、やってみる価値はあるでしょ〜?」
その場に流れる空気は、不思議なほど心地よかった。酔いが作り出す幻想のように、柔らかで、緩やかで、どこか非現実的な時間。
レンは泉の縁に腰を下ろし、アルリアと並んで杯を手に取る。
「飲んでみるか」
「うん……私も、何か思い出せるかもしれないし」
アルリアは頷き、二人は同時に杯を口に運んだ。
口当たりは驚くほど優しく、ほんのりとした甘味と、草木の香りが鼻腔をくすぐる。飲んだ瞬間、身体の内側からじんわりと温かさが広がった。
――この泉の酒には、確かに“力”がある。
それはただのアルコールではない。何か、心の奥に触れるような……そんな不思議な感覚。
「……ねぇ、レン」
「ん?」
「なんか、懐かしい匂いがする……」
アルリアの呟きに、レンは隣で静かに杯を傾けた。
もしかしたら、ここから何かが始まるのかもしれない。
そう思わせるだけの、不思議な力が、この“森の恵み”には確かにあった。
森の静けさの中、かすかな笑い声と、木々のざわめき。
過去と未来が、今この場所で、ゆるやかに交差しようとしていた。