ダンジョン内、階層の境界――魔導士の街の端に、白亜の建物がぽつりと佇んでいる。
人造勇者研究所。
そこが、レンたちの目指す場所だった。
清掃業者の搬入口。裏手にあるその小さな扉が、彼らの侵入口だった。
「問題ない。魔力検知は正面玄関だけだ。裏口は出入りが多いから、監視も緩い。ここから入ればバレにくい」
ガロが耳元で囁いた。茶色の毛並みが夜風に揺れる。彼は、いつの間にか小さな掃除用ワゴンの中に器用に潜り込んでいた。
レンは魔導清掃班の制服を着ていた。粗末な薄布が肌に張り付き、鼓動の早さを嫌でも意識させる。緊張で体温がじわりと上がるのを感じた。
「……これで本当にバレないのか?」
「バレたら逃げよう。逃げ足には自信がある」
「……冗談であってくれ」
そう呟いたとき、自動扉が音もなく開いた。警備員すら立っていない。あっけないほど簡単に、レンたちは研究所の内部へと通された。
冷たい空気が肌を撫でる。内部は異様なほどに清潔だった。光沢を放つ白い床、規則正しく並ぶ無機質な壁と天井。無菌室のような光景に、ぞくりと寒気が走る。
「このまま第二搬入口を抜ければ、地下への搬送リフトがある。そこから“実験管理区画”に降りるんだ」
ガロの声がワゴンの中から続く。
レンは無言でうなずき、ワゴンを押して歩き始めた。廊下をすれ違う白衣の職員たちは、彼らに目もくれない。清掃員など、彼らにとって“見えても無視していい存在”なのだ。
それが、今は好都合だった。
搬送リフトの手前、警備用端末が立ちはだかった。
「……ガロ」
「任せておけ」
ワゴンの中で小さな音がした。次の瞬間、レンのポケットに何かが押し込まれる。淡く光る札――さっき受付で一瞬だけ観察した職員用魔法札の、複製品だった。
たった0.3秒、表面をスキャンしただけ。それで、ガロは完璧なレプリカを作り上げたのだ。
レンが札を端末にかざすと、緑色の光が点灯し、ロックが静かに解除された。
「……やるな」
「俺は賢者だからな。失敗作だけど」
ガロが軽口を叩く。
リフトが無音で下り始めた。地下二層、三層……光がどんどん減っていく。生体感知式の照明が、最低限の光だけを灯す。
そしてたどり着いた――“人造生命管理区画”。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。ぬめるような冷たさ。遠く、獣とも人ともつかない甲高い悲鳴が、かすかに響く。
「ここからは慎重にな。監視はあるが、動いてる人間は少ないはずだ。多くは魔道装置と自動管理に任せきりだから」
ガロの声にも、先ほどまでの軽さはなかった。
「……この先に、アルリアと人造聖女が?」
「そう。君が行くべきは制御室。俺は収容エリアに向かう。座標と認証を取得する。どちらも手に入れれば、転送装置が使える。脱出にはそれが一番確実だ」
「わかった。……気をつけろ、ガロ」
「お互いにな、レン」
ガロはワゴンからするりと飛び出すと、背を低くして闇へと消えた。まるで訓練された密偵のような動きだった。
一人残されたレンは、深く息を吸った。剣の柄にそっと手を添える。
胸の奥に湧き上がる怒りと焦りを、必死に押し殺した。
「……待ってろよ、アルリア」
この場所には、命を弄ぶ者たちがいる。
人を“素材”としか見ない者たちが、笑っている。
そのすべてを――彼は、壊すと心に誓った。
白く静かな廊下を、レンの足音だけが響いていった。
その歩みは、確かに地獄の扉を開きにいく者のものだった。