火柱が夜の天井を焦がし、警報の魔力音がなおも鳴り響いていた。
魔導士の街――それは、ダンジョンの表層に築かれた、特殊な実力者たちの集落だ。
この街に住まう者たちは、誰もが深層潜行の経験を持つ精鋭。
警報を聞いた住人たちは一斉に魔力を展開し、素早く防衛態勢を取った。
訓練された動きにより、混乱は最小限に抑えられている。
だが、その中でひときわ異質な存在があった。
塔の上層部から飛び立った漆黒の影――それは、封印されていたはずの禁忌。
誰も、あれを止めることはできなかった。
「……門を破ったか」
ガロが低く唸った。
小さな芝犬の姿とは裏腹に、彼の声には深い怒りと焦燥がにじんでいた。
「追うぞ!」
レンが剣を引き抜き、疾走を開始する。
足音が石畳を叩き、赤く染まった空気を切り裂いた。
二人は破壊された階層門の前へと駆けつけた。
巨大な石扉は、無惨にも粉砕され、瓦礫と化している。
魔力障壁の残滓が、まだ微かに空間を歪めていた。
「……飛行高度が落ちてる。魔力制御が不安定だ」
ガロが地面に片耳を当てるようにして呟いた。
その瞳には、高精度の遠視魔法が展開されている。
彼が捉えた映像の中、黒い影は明らかに高度を失いながら、螺旋を描くように降下していた。
「……あいつ、自分で下りてるのか」
レンが問う。
「間違いない。墜落じゃない。目的があって、深層へ向かってる」
ガロは断言した。
その時、雷鳴のような轟音が街の方角から響いた。
振り返ると、先ほど放たれた雷撃の余波で、建物の一角が崩れている。
だが、すぐに何人もの魔導士たちが集まり、魔力障壁を展開して瓦礫を押さえ込んでいた。
素早い対応だった。
被害は最小限に抑えられ、人々の間に無用な混乱は広がっていない。
「……さすがだな、ここの連中」
レンが苦く笑う。
だが、すぐにその顔から表情を消した。
「救助はいらねぇ。今は追うことに集中しよう」
「ああ。迷ってる暇はない」
ガロも頷いた。
二人は破壊された門を飛び越え、ダンジョンの奥へと走り出した。
前方には、ただ果てしない暗闇が広がる。
ここから先は、ダンジョンの中層、そして深層へと続く未知の領域だ。
空気が変わった。
冷たく、重たい――命を試すような圧力を孕んでいる。
「……人造賢者3号」
ガロが呟く。
「俺の……“かつての身体”を使って作られた化け物だ。
本来なら、人間と魔物の限界を超えるための希望だった。
だが、結果は……あまりにも異常すぎた」
レンは無言で走り続けた。
だが、その背には、ガロの苦しみが痛いほど伝わっていた。
「制御もできず、研究所は奴を封印した。……それが、今になって逃げ出した。
しかも……人造聖女2号を抱えて」
「……人造聖女2号は、戦闘型じゃないんだろ?」
レンが問いかける。
「ああ。支援特化の実験体だ。
感情も、自我も希薄で、まるで人形のような子供……
でも……」
ガロは走りながら、目を細めた。
「でも……俺と一緒にいた時だけは、ほんの少しだけ、違った。
あいつは……ちゃんと、俺の声に反応してくれた」
レンは何も言わなかった。
だが、胸の内には熱いものが渦巻いていた。
人形のように作られた命に、わずかでも心が芽生えていたのなら――それを踏みにじるような真似だけは、絶対に許さない。
「ガロ、急ごう」
「……ああ」
破壊された階層門の先、黒い影は深層へと降りていった。
逃げ場のない、深い闇へ。
そこには、どんな危険が待っているか知れない。
だが、二人はためらわなかった。
たとえ地獄の底であろうと、追いつき、必ず少女を救い出す。
それが今、二人の心に共通して燃え上がる誓いだった。
「――絶対に、取り戻す」
レンの声が、暗闇に溶けていった。
その背には、揺るぎない意志が灯っていた。
赤く染まった街を背に、彼らは走る。
救うために。
取り戻すために。
未来を、手にするために。
暗黒の深層へ――。