燃え尽きた火竜の骸が、黒焦げの山となって沈黙している。
辺りにはまだ、焦げた岩と溶けた地表の熱がじりじりと残っていたが、空気そのものはどこか冷めたような静寂を取り戻していた。
それは、戦いの終わりを告げる静けさだった。
ただし、誰もがその余韻の中で動けずにいた。
人造賢者3号が消えた場所――そこにひとり、金の髪を持つ少女が立ち尽くしていた。
リリィ。
人造賢者3号がそう呼んだ名は、もう一度、空気を揺らして響いた。
誰もがその名を聞いた。
誰もが、少女の小さな体がぴくりと揺れるのを見た。
リリィ自身もまた、その名を繰り返すように心の中でそっと呼んでいた。
それは、初めて「自分」に与えられた音だった。
無機質な実験番号でも、機能を示す記号でもない。
ただ一人の人間として、誰かが呼んでくれた――そんな名。
「……リリィ……」
ガロがぽつりと繰り返す。
その声音には、震えが混じっていた。
煙と灰にまみれた前足を忘れるように、彼は遠い記憶を探るような目をしていた。
「思い出したんだ……子どもの頃、親に聞かされた話を」
その声は、不思議とこの場に溶けていった。
アルリアも、レンも黙ったまま、その言葉を待っていた。
「昔、アルテライト家には語り継がれてきた物語があったんだ。
人魔戦争の最中、聖女と賢者が共に戦い、そして――共に死んだって。
その名は……賢者アルテライト。俺の家の、先祖の名だよ」
火山の風が吹き、溶岩の熱が残る地面に灰が舞った。
「賢者の名前は……わからない。でも、その娘の名前だけは残ってた。
――リリィ・アルテライト。
それが、俺たちの家に伝わる“最後の聖女”の名だった」
リリィが、わずかに顔を上げた。
その金の瞳が、確かにガロを捉えた。
風に吹かれて舞う金髪の隙間から、彼女の目が、かすかに震えていた。
「まさかとは思ったよ。
でも、あの3号――いや、あの“賢者の幻影”……
もし、彼がかつてのアルテライトその人だったなら……
彼が最後に残した名が、リリィだったなら……」
ガロはそこで言葉を止め、そっとリリィのそばに寄っていく。
焦げた前足でゆっくりと地を踏みしめながら、傷を引きずってもなお、彼は少女に向かって歩いた。
「3号が知っていたのか、それとも……素材となった“幻影”に記憶が残ってたのか……
そんなことはもう誰にもわからない」
リリィはその言葉に、微かに頷いた。
わからない。だが、わからなくてもよかった。
「でも、一つだけはっきりしてる。お前の名前は――リリィ、だ。
それに異を唱える奴は、ここにはいない」
レンも、アルリアも、それに静かにうなずいた。
そのときだった。
リリィの白い頬を、ひとすじの涙が流れた。
感情を知らぬはずの存在。人工の器。
けれど、確かにその涙は“人”としての証だった。
ガロはそっと前足を伸ばし、リリィの小さな肩に触れた。
体温の残る傷ついた毛皮が、少女にわずかな温もりを与える。
その瞬間、彼女の体が小さく震えた。
だが、その震えは、恐怖ではなかった。
「行こう、リリィ」
ガロが優しく囁いた。
「お前はもう、一人じゃない」
リリィは言葉を返さなかった。
けれど、彼の目をまっすぐに見て、確かに頷いた。
その名が――リリィという名が、今、彼女自身のものとなった。
誰かに呼ばれ、誰かに受け止められたとき、忘れ去られていた血の記憶が、静かに蘇った。
もう彼女は“実験体2号”ではない。
ただ一人の少女、リリィとして――これからを歩き始める。
そして、かつての賢者と聖女の物語は、まだ終わっていなかった。
その血を引く者たちの手によって、いま再び、語られ始めるのだった。